ストーカーって怖いと思う。
──数日後。
夕方になって、花人族たちが畑仕事を終えた頃。
トーゲン村に香ばしい匂いが立ち込めた。
「形はいびつだけど、できた!」
「おお~、ドーナツにゃ~!」
「いいにおいニャ!」
わくわく顔の猫人族二人がドーナツをつんつんと突いている。
鼻をひくつかせている二人が、たらりと涎を垂らした。
丸い形にくりぬくのが難しくて、へんな形にはなったけれど紛れもなくドーナツだ。
トーゲン村産の小麦粉を練り上げて、フニクリ村の新鮮なオリーブオイルの試作品を使って揚げたドーナツだ。
「新しい油で、揚げたて……さて、どうなるかな」
匂いにつられて、花人族たちや魚人族たちがやってくる。
あまり大量に作ることはできなかったので、それぞれ分け合ってもらう。
興味津々な様子で、お互いに顔を見合わせてはダンスをしている。
リィトにはボディランゲージはまったくわからないけれど、ワクワクしているのはよくわかる。
「いっただっきますにゃ~!」
ぱくり、とドーナツにかぶりついた猫人族が目を見開く。
「あっっっっっづ!」
猫舌だった。
リィトも一口食べてみる。
油臭さもなければ、べとべとした食感もない。
ただ──。
「んー、おいしい……かなぁ?」
リィトは首を傾げた。
「こ、このような美味しい揚げ物……食べたことがありません……」
「ううん……?」
食べられなくもないし、ガルトランド自治区で売られているドーナツもどきよりはよっぽど美味しいのだが。
「やっぱり物足りないなぁ」
「これで物足りないとおっしゃるのですか!?」
こんなに美味しいのにですか、とアデル。
リィトは頷く。
「うん、味が……」
塩味のものはどうにかなる。
岩塩も藻塩も流通しているのだ。
しかし──甘みについては、蜂蜜程度しか流通していない。
今回のドーナツも蜂蜜を使ってみたのだが、甘みが遠い。
コクもないし。
「もっとジャンクな感じにしたいんだよなぁ」
となると、やはり必要なのは、あれだ。
「……水も豊富になったし、いけるかな」
リィトは、ううむと考える。
そう。必要なのは砂糖だ。白砂糖だ。
となると、必要な のはサトウキビ──だが、原種が見つかっていない。
砂糖の精製はもうすこし先だとして……ドーナツを美味しくする方法が、もうひとつ。
「牛を、増やそう」
リィトは、アデルの肩を叩いた。
「牛を増やす、ですか」
「ああ」
リィトは頷く。アデルが作った小さな牧場。
そこにはフニクリ村から譲り受けた、農耕用の牛たちがのどかに暮らしている。
農村に小さな牧場。
花人族たちが運べない重い荷物を引っ張ったり、糞を使って堆肥を作ったり……と役に立ってくれている。
しかし。すべて、雄牛だったのだ。
繁殖ができないだけではなく、乳牛として飼育することができないのが非常に残念だった。
「いや、まぁ、雌牛をくださいなんて厚かましいお願いはできないけどな」
「フニクリ村にとっても、雌牛は重要な財産であったと推測されます」
「ああ、よくわからん卵よりも雌牛のが大切っていうのはわからなくない」
その「謎の卵」は、リコが抱いて眠っている。
リィトとアデル、それからたまにミーアとマンマが交代で様子を見守っているが、今のところは大きな変化はないようだった。
少しずつ卵の表面に見える模様が濃くなっているが、それはスキル『探羅万象』を持っているリィトにしかわからないものだった。
「牛かぁ……フニクリ村の近くにいる牛型モンスターを捕まえるのが、一番いいかな」
野生化──というか魔物化してしまった牛たちのうち、一部はアデルの腕力によって沈静化したわけだが、まだまだ周辺には逃げ出した牛のモンスターが多くいる。
村の周りでウェイウェイしている暴れ牛たちを沈静化することは、フニクリ村の未来に関わる。
なんといっても、でっけぇ牛である。
人間というのは弱いのだ。
ちょっと転んだだけで怪我をするし、牛に体当たりを食らえば命を落とす。
弱っちいのだ、人間は。
少し無理をしただけで、余生どころか人生を味わう間もなくあっけなく死んでしまうくらいには。
「……よし」
一度、花人族たちを連れてフニクリ村に行くつもりだった。
少し予定が早まったけれど、悪くはない。
そろそろ、オリーブの木が育ってきた頃だ。
花人族たちの農作業の様子を、村の人たちに見てもらう必要がある。
来年からは、彼らだけの手でオリーブオイルを生産できるようにしなくては──というわけで。
「魔物化した牛を捕獲しに行こう!」
◆
ジュリアン・クレイグ辺境伯は考えた。
辺境伯に任じられる、実力と家格、そして忠誠心を兼ね備えた自分が置かれている状況について、思いを巡らせた。
「いや、やはりおかしい。俺がフラれるわけがない!」
考えというか、確信であった。
アデリア・ル・ロマンシア第六皇女への求婚を手紙で断られ、領地運営への異例の指摘を受けて、よくわからない卵が領地内のしけた村にあるという知りもしない情報について追及を受けた。
しかも。
村に行ってみれば、卵はない。
よくわからない木を育てている上に、外貨を獲得して本来であれば貧民たちにはできないはずの納税をしてきた。
借金の帳消しを盾に、民を道具として扱う。
それが、クレイグ家代々のやりかただったはずだ。
どうして、今までと同じようにやってきた自分だけが糾弾されるのか。
それが、ジュリアンにとって、とうてい納得のできるものではなかった。
──すべて、対魔百年戦争が終結してからだ。このようなことが起きはじめたのは。
その象徴が、リィト・リカルトだ。
あの考えの読めない男が、嫌いだ。
……思えば、あの男のせいなのだ。
リィト・リカルト。
あの男が、妙な魔導で戦争を終結させ、アデルの気を引き、腹立たしいことにそれを誇りもせずにしけた宮廷魔導師の椅子に落ち着いた。
追放の憂き目は当然の報いだと思っていたが、他人の領地に勝手に踏み入り、好き勝手をした挙げ句に、ジュリアンが存在すら知らされていなかった「秘宝」を持ち去ったのだ。許しがたい。
フニクリ村の村人を尋問して聞き出した情報により、リィトが謎の卵を持ち出したことがわかった。
他人の領地で意味不明の植物を栽培し、そして、ロマンシア帝国に伝わる卵を持ち去った。
許しがたい。
本当に、許しがたい。
「犯人は現場に立ち戻る──」
完全にリィトを犯人扱いしているジュリアンである。
フニクリ村近くの市街に陣営をはり、ジュリアンはリィトを待ち構える。ロマンシア帝国各地を転戦し、過酷な状況で戦い抜いてきたジュリアンだが、なにもない──それこそ、狩るべきモンスターすらいない寂れた村であるフニクリに滞在するのは、耐えがたかった。
「ジュリアン様、フニクリ村近辺に出没しているという牛型のモンスターの処遇については、いかがいたしましょう」
「放っておけ」
借り切った宿の最上級の部屋で、渋い葡萄酒を傾けながら、ジュリアンはつまらなそうに言い放つ。
「そのような雑魚、俺が手を下すまでもなかろう」
「は、はぁ……しかし、聴取したところ作物や村人にも被害が」
「それくらい、村の連中でどうにかできないようでは、いずれにしても未来がなかろうさ」
フニクリ村は、クレイグ領の中でも辺境も辺境。
「秘宝」だかなんだか知らないが、あんな村は手っ取り早く潰してしまえばいいと、ジュリアンは心の底から思っている。
「……リィト・リカルト……追放の身で、ロマンシア帝国の領地を踏むことは許さんぞ」
もしも、リィトが再びこの地にやってくるようなことがあれば、すぐにフニクリ村に急行してやろうと思っている。
一発殴らねば、気が済まない。
──生まれてこの方、戦地での活躍を評価され続けたクレイグ辺境伯の世界観は、パンチとキックが強いほうが勝つのである。