やっぱりもふもふは可愛いと思う。
トーゲン村の朝は早い。
日が昇る前に起きだした花人族たちが畑の手入れをはじめる。
朝まずめと呼ばれる、魚たちが元気いっぱいに跳ね回る時間帯には魚人族たちも気分がいいようで、川を跳ね回っている。
汽水域──海と川の交わる水域には、少しずつ大型の魚があがってくるようになっている。
──そして。
「タンパク、おはようございます」
アデルが毛布にくるんだ卵に話しかける。
ロマンシア帝国にある火山と鉱石の村、フニクリ村との商取引の手付金とリィトへのお礼として受け取った謎の卵だ。
一説によると百年近く前から、フニクリ村に伝わっていた「秘宝」とのことだ。
「どんなネーミングセンスなんだ……?」
「マスターがそれをおっしゃるのは、少々アレかと」
「え?」
「……いえ、なんでもないです」
ナビによると、謎の卵には生体反応はあるらしい。
とはいえ、百年前からある卵に対して食欲を示しているアデルは、たくましすぎるのではないだろうかと思うリィトだった。
小鳥を卵から育てるのが夢だった、というのは育ててどうするのだろうか──あまり深くは考えないようにしようと誓うリィトであった。
猫人族ズが卵を抱いて昼寝をしたり、アデルが自ら抱いて眠ったり。
愛情たっぷりに温められている卵だが、今のところはバイタルに変化なし。
本当にこれが卵かどうかも疑わしい。
「……一応、詳細なんかを調べられるといいんだが」
トーゲン村はいい場所だ。
リィトが思い描いたスローライフの聖地といった趣である。
ひとつ不便があるとすれば、調べ物をするのが難しいことだろう。
スマホなど夢のまた夢……紙の安定的な生産すらやや覚束ないこの世界では、図書館は富と権力の象徴だ。
その図書館に行かなくては、コアな情報は手に入らない。
大陸最大の知の宝庫であるロマンシア帝国図書館は、特権階級や学者にしか入館が許されていない。
また、禁書と呼ばれる閲覧禁止の書籍も多いのだ。
ギルド自治区ガルトランドに根を下ろす情報ギルド『ペンの翼』が重宝されるのは、その図書館に寄りつくことのできない庶民たちが様々な知識や噂話の元ネタなどに触れることができるようになったからだろう。
情報は金より重い。
知識は宝よりも貴い。
……ただ。
謎の卵は謎の卵のままのほうが、趣があっていいかもしれない。
ロマンシア帝国の姫君であるアデルだが、名誉騎士団長という立場を利用して、視察の名目でトーゲン村に長期滞在しているのだった。
「すぅ……すぅ……」
「あ、寝た」
「いわゆる、二度寝ですね。体力の回復を図っているのでしょう」
「体力ねぇ」
「筋肉量の維持に大量の食事と睡眠を必要とするのかと──」
愛おしそうに謎の卵を抱きしめて眠るアデル。
この数日、食事とトレーニング以外の時間は卵を抱いて眠っているアデルだが、日に日に睡眠が深くなっているように思う。
「こんなに寝てるのになぁ」
「睡眠時間は、毎日三%ずつ長くなっています」
なんだか、誰かに眠らされているかのような。
そんな様子のアデリアに、にわかに不安になる。
もしかして、病気の兆候とか。
いや、いやいや。
この健康優良児を超絶美女に仕立て上げたような筋肉皇女様に限って、そのようなことはあるはずがない──と、リィトは自分に言い聞かせる。
ごく短時間で昏睡したかのように眠りに落ちてしまったアデルを覗き込んでいると──。
「……ふぁっ!」
「いだっ」
ごつん、と前頭部に衝撃が走った。
走ったどころではない。衝撃、大疾走である。
勢いよく起き上がったアデルのおでこが、リィトのおでこを直撃したのだ。
くらりと目がくらむが、なんとか持ちこたえた。
「大丈夫ですか!」
「……はい」
「申し訳ございません、つい……妙な夢を見たものですから」
「夢?」
アデルは大きく頷いた。
きょろきょろ、と周囲を見回して、なにかを探しているような仕草をしている。
「女の子に、会ったのです」
「えっ」
「銀色の髪の毛をした……リコという不思議な女の子に」
アデルはまだ、世界樹の精(仮)──リィトがリコと名付けた不思議な少女には会っていないはずだ。
リィトに【世界樹の祝福者】という称号とスキル『探羅万象』を授けたあとにとんと姿を見せなくなってしまったリコ。
そういえば、すやすや眠るアデルの姿と、消える直前にリィトの膝の上ですやすや眠っていたリコの姿が重なるような気がする。
夢の中で会える不思議な美少女。
風が吹いて、世界樹の若木が揺れる。
近くにアデルが作ったミニ牧場の牛たちが、ンモーンモーと鳴いている。いつも不機嫌だった上司の溜息のようだ。
アデルが立ち上がり、卵を抱いたままふらふらと牧場──世界樹のほうへと歩きはじめる。
運命が動きはじめる音がする。
なんて。
ちょっと詩的な気分になるリィトは、アデルのあとを追いかけた。
◆
一方その頃。
ロマンシア帝国、数々のモンスターを退けてきた絶対城壁に囲まれた首都のその中心。
帝国城内の会議室は重い沈黙に包まれていた。
ジュリアン・クレイグ辺境伯の所業についての報告書が第十一帝国騎士団名誉団長でもあるアデリア・ル・ロマンシア第六皇女から、枢密院の重鎮たちの手に渡された。
その報告書をつきつけられて、ジュリアンはこの場所に呼ばれていた。
「……倫理にもとる、という理由での求婚の拒否というのは前代未聞でありますが──なるほど、海岸部のフニクリ村への不当なる課税と」
ジュリアンは手負いの獅子のような……あるいは、リィトなら腹痛を我慢している獅子舞のようだと表現するだろう表情で黙って座っている。
突然の帝国本部からの呼び出しに、特急竜車を乗り継いで七日間の時間をかけて海岸部にある領地から城に呼び出されて先ほど到着したばかり。
(この機会にガルトランド自治区になにか動きがあったらどうするつもりなのか……)
胸中は不満と、とっとと帰りたい気持ちでいっぱい。
あらゆる会議室は、人の憂鬱で満ちている。
それはどんな世の中でも変わらないのだった。
はぁ、と深い溜息とともに枢密院の重鎮が口を開いた。
「あの村は生産性や税収以上の価値がある……という言い伝えを知らぬわけではあるまい、クレイグ殿」
「ん……?」
「あの村に祭られている、神聖なる卵を知らんか」
「……卵?」
ああ、そういえば。
ジュリアンは思い出す。
そういえば、なにかあった気がするが。
……あれが、辺境伯である俺が即日の命令で呼び出されるほどの物品だったというのか?
「詳細については、言い伝えも途切れ、史料も散逸しているが……あれはあの土地と密接に関わっているものだと。フニクリ火山の持つ魔力によって育まれているものだと……あの村は、あの卵を管理するためにあるようなもの」
「……なぜそのような重要なものが、たかだか村人に管理されているのか」
「対魔百年戦争は、我らの領地を完全に分断してしまったのだ……領主の愚行を諫めることもできぬほど」
「あの村がさほどまでに重要であるとわかれば、帝国にとって脅威になりうる──だからこそ、情報を漏らすようなことはしなかったのだが」
「まさか、辺境伯を務めるクレイグ家にまで伝わっておらぬとは」
口々に放たれる好き勝手な言葉にジュリアンは唇を噛む。
なんだ。
知らなかっただけ。
それなのに、この言われようはなんなのだ。
パンチだ。
パンチかキックで全員をぶっ飛ばしてやりたい。
……しかし、戦乱の世が去った今となっては、それは蛮行として許されざるものになっている。かつての会議室はなかなかの弱肉強食であったと、懐かしく回想するジュリアンだった。
「……それで、村にあったという卵はどうなっている?」
「それは……」
正直に言えば、報告できることなどない。
なぜならば、まったくもって知らないことだった。
卵だか、宝玉だか知らないが──すぐに戦いに役に立つこともなく、金になることもないものに注意を払える余裕など、百年単位の勝利なき内戦で吹き飛んでしまったのだ。
「……すぐに確認をいたします」
信じられないような情報の散逸や、引き継ぎ事項の消失。
国家であれ、会社であれ、「いや、その状況で?」というところから起きてしまうのだ。失われてはいけない情報ほど失われるし、だめなタイミングであればあるほど事故は起きる。
そういうものなのだ。
ジュリアン・クレイグは領地へと引き上げながら、毒づいた。
「……遠路はるばる呼びだすなよ、こんなことで!」
領地と帝国の往復でいったい、何日ロスしたというのか。
まったくもって、不合理だ。理不尽だ。
鍛え上げられた肉体であっても抗えない頭痛にこめかみを揉みながら、ジュリアンは特急竜車に乗り込む。
貴重な走竜を消耗させないよう、駅ごとに走竜を取り替えなければいけない。ロマンシア帝国内では、走竜は貴重だ。かなりの出費になってしまう。
無用な出費に、時間の浪費。
イライラすること、この上ない。
──領地に帰ったあと、フニクリ村に祭られていた卵が消えていることに気付いたジュリアンが癇癪を起こすのは数日後の話だ。