筋肉はすべてを解決すると思う。
「し、信じられん」
愕然とした村人の声がひとつ響いたのを合図に、ざわめきが広がった。
アデルに突撃していっていた牛たちが静まったのだ。
大人しく、アデルにすりすりと頭を擦り付けている。
アデルに頭をなでられた暴れ牛が、「ぐうう」と唸っている。
「魔物化した牛が……懐いてる!」
「さすが、だなぁ」
リィトは感嘆した。
「いいこ、いいこですわね」
アデルが慈愛に満ちた表情で魔物化した牛の頭に手を置いている。荒れ狂っていた牛がアデルになでられて大人しくなった様子は、まるで、聖女の宗教画のような光景だ。
しかし。
あれは懐いているのではない。
(筋力で……押さえつけている……)
突進してこようとした牛の頭を、アデルは握力でもって押さえ込んでいるのだ。微笑みを浮かべたままで。
「ぶも……っ」
「いいこ、いいこです」
周囲では牛たちが大人しくひざまずいている。
あれは懐いているのではない。
ボス級の牛が、腕一本でアデルにねじ伏せられて為す術もない光景に戦意を喪失しているのだ。
「うふふ……いい子ですね、本当に」
そして、もっとも恐ろしいことに。
アデルは、本当にただ牛を可愛がっているのだ。
「なにか嫌なことがあって、暴れていただけですわ……私も、たまにそういうことがあります」
巨大な危険度S級モンスターをむしゃくしゃするに任せてぶん投げたことだろうか。それとも、荒れ狂う装甲竜をワンパンで沈めたことだろうか。
いずれにしても、アデルの日々の鍛錬と。しなやかでかつ鋼のような強度を誇る筋肉皇女の肉体によってなせる技だ。
戦乙女だとか、姫騎士とか。
リィトに負けず劣らず、様々な二つ名で呼ばれるアデリア・ル・ロマンシアの本領発揮といったところだろう。
村人たちの表情が、先ほどまでとは完全に変わっている。
「すごい……聖女さまだ……!」
「この呪われた村を救ってくださるかも……」
その機会を逃さないのが、ミーアだった。
くいくい、とリィトの袖を引っ張る。
「リィト、例のジョーロってここでもできるのニャ?」
「え?」
スキル『じょうろ』。
アデルが腕一本で牛を止めたインパクトには及ばない、右手から水を出せる技能だ。
「さぁさぁ、皆様! 並ぶのニャ~、水が飲み放題、なんと無料で水が飲み放題だニャッ!」
「え、ちょ、ミーア?」
「ほら、いいからいいから! とっとと水を出すニャ!」
瞳をきゅぴんと輝かせて親指を立てるミーアに言われるがままに、リィトは右手から水を出す。
ウンディーネの魔力たっぷりの水だ。
子どもがひとり、おそるおそるとリィトに近づいてきた。
右手から出てくる水を不思議そうにさわって、一口飲んだ。
「っ、美味しい!」
ごくごく、と喉を鳴らして水を飲む子ども。
やがて、どこからともなく村人たちが水瓶や桶を持って集まってきた。
「じゅ、順番! 順番ニャッ! この水は無限に湧いてくるのニャッ!」
「……訂正、無限というには語弊があります。ウンディーネの魔力は膨大ですが、有限のもので──」
「細かいことはいいのニャッ、ほれほれ、どんどん出すのにゃ!」
「お、おう」
「出血大サービスだニャッ!」
「いや、出てるのは水だけど……」
出所が出所だけに、出血とかいう言葉は避けてほしいところだった。
「……み、見ろ!」
「ん……? な、牛が!」
アデルが屈服させた魔物化した牛たちが、元の姿に戻っていた。
やたらと発達してしまっていたツノがぽろりと落ちて、穏やかな表情になっている。
「ウンディーネの魔力による浄化作用かと──牛に影響を及ぼしていた火属性の魔力が消滅しています」
「ぶおぉ♪」
すっかり落ち着きを取り戻した牛たちが、ゴキゲンに萎れた草を食みはじめた。
「スキル『じょうろ』からの……生長促進!」
リィトがすかさず、牛たちの食べている草に魔力たっぷりの水をぶっかけて、植物魔導で育てていく。
「おおおっ!」
今度こそ、村中がどよめいた。
それはそうだ。
今まで、どんなに苦労をして作物を育ててきたのかという話だ。
それを、指先ひとつで健やかに育て上げているのだから、たまらないだろう。
「見たこともない魔導を操るすごい魔導師様……前に役人が話しているのを聞いたことがあるぞ、もしかして……対魔百年戦争の大英雄……」
「でも、草を育てるって……そんなんでモンスターが倒せるんかね……?」
「それはそうだけど、すごい人たちを連れてるし……言われてみれば、こう、ただ者じゃない感じというか……」
「そうじゃなくても、草を一瞬で育てられるってことはさ……」
「畑の麦も……」
嫌でも期待が高まる。
もしかしたら、この状況を変えてくれるかもとか。
そういう、英雄を求めるような期待が。
「あー……」
聖女然とたたずむ、牛たちを背後に従えるアデル。
そして、すでに村人となんらかの商談をはじめているミーア。
リィトは、ごっほんとひとつ咳をした。
「……残念だけど、この土地では麦を育てることはできないよ」
リィトの宣告に、フニクリ村が凍りついた。
火山性の暑くて乾いた土地が、氷点下に冷え込んだ。
◆
絶望に絶望を重ねたような──度重なるサービス残業の果てに振り込まれた給与明細を眺めるような、そんな表情で長老ポジションの女性が呟く。
「……我々を助ける気はない、ということですか」
枯れ葉のような顔色で、地面を睨んでいる。
牛たちは気まぐれに助けても、村人は助けてくれないのかとか。
税を納めることもできない領民は、貧しく苦しんで当然なのかとか。
そんな恨み言すらも吐き出す気力がない、生気のない顔だ。
「ああ、助ける気はない」
「リィト様……?」
アデルが不安げにリィトを見つめる。
この場所にやってきたのは、なんのためなのか。
アデルの望まない婚約を。
そして、苦しむ領民の生活を。
……救うために、やってきてくれたのではないのか。
「えー……この土地では麦を育てることはできないし、あなたたちを『助ける』ことはできないよ」
でも、とリィトは続ける。
「──別の作物を育てることができるし、対等な取引をしたいと思ってる」
しん、と村が静まりかえった。
「別の……? 麦以外を、畑で?」
「それに、取引って……この村にはなにもないのに」
フニクリ村のすかんぴん具合は、誰の目にも明らかだ。
姫君然としたアデルと謎の美女、それから美少女猫人族の敏腕商人を引き連れたリィトが、「対等な取引」などと言いはじめた──どう考えても、詐欺かなにかとしか思えないだろう。
しかし、リィトは真面目そのものだった。
「乾いた土地」
地面の土にふれ、立ち上がって火山と空を見上げる。
「温暖な気候」
生ぬるい風が、リィトの頬をなでる。
農作物は、「食料」という側面と「商品」という側面がある。
この土地は、食料として成立する作物を継続して育てるのには適していないようだ。
いや、品種改良を重ねて、やってやれないことはない。
土壌改良だって、リィトにかかれば数年分を一瞬で済ませることも、できなくはない。
だが、植物というのはその土地の気候や地理的条件と密接に結びついている。
リィトがこの場所にいない、花人族もいない。
その状態で、村人たちを『助けた』としても、彼らはそれを維持することはできないのだ。
助けてないのと同じこと……いや、希望を持たせただけ、もっとたちが悪いかもしれない。
だから。
リィトが提案するのは、別のことだ。
「この種子を育てようと思う」
「……?」
「これは、そうだな……俺の故郷での呼び名は、オリーブというんだ」
「オリーブ、ニャ?」
リィトが取り出した種子に、ミーアが鼻をひくつかせる。
乾いた土地での生育に適しているオリーブっぽい植物の原種。
東の山の森林再生には、あまり使いどころがなかったのもありとっておいた虎の子だ。
原種を発見してから放置していたのだが、今日のために少し改良を加えた。
種子に含まれる油分をやや多くし、乾燥と虫害に少し強くしてある。
「そう……油の原料だ」
「油!」
「食用油の、な──生長促進」
リィトがまいた種子が木になり、実が生り、生い茂る、
たわわに実ったオリーブはつややかで、今にも良質な油が滴ってきそうだ。
「オリーブオイル……クセはあるけどなんにでも使えるよ」
とりわけギリシャでは、古代から現代まで油としての用途からソースとしての使われ方まで、日本の醤油と同じような感覚でオリーブオイルが使われているとか──深夜にぼんやりと眺めていたN●Kの番組で耳にしたような気がする。
オリーブは比較的乾いた、水はけのよい土地で育ちやすい。
この土地で育てるのならば、麦よりもオリーブだろう。
さらには、この土地に流れる魔力の属性は火──加熱調理に使われる食用油を栽培するのには最適だ。
「ニャッ!」
ミーアが、食用油という言葉に目を輝かせた。
「油っ」
「そう、油だ」
「高級品ニャッ!」
「ああ、そうだな」
ロマンシア帝国でもギルド自治区でも庶民にはなかなか手に入らない、食用油。
だからこそ、揚げ菓子であるドーナツはマンマの「徹夜明けのご馳走」になるくらいに高価だし、そのわりには酸化した油の使い回しをしているせいでミニサイズのタイヤなのかと思ってしまうくらいにまずいわけだ。
「トーゲン村で作りすぎている麦があるだろう、あれをミーアには買い取ってもらいたい」
「ニャッ! 他ならぬリィトの頼みだけれども……でもガルトランドに卸したら値崩れが──あっ」
「うん、卸先はフニクリ村だ」
麦を育てるのには向かないフニクリ村に、大量に収穫予定の麦を買い取ってもらい消費してもらう。
油の価格と麦の価格であれば、もちろん高いのは前者。
というか、トーゲン村の麦は過剰生産したぶんなので相場よりもかなり安く買ってもらうことになるだろう。
オリーブの栽培に関わるすべての取引が終わった結果、フニクリ村にはガルトランド自治区通貨と主食の麦が残るというわけだ。
「ですが、我が村にはそのような資金は……あっ!」
「そう。ミーアにはオリーブと加工品の油を買い取って、ガルトランド内で売りまくってほしいんだ」
油、麦、そして金。
それらを循環させて、あるべきものをあるべき場所に運ぶ。
それが、リィトの考えだった。
クレイグ領の税は、指定された作物である麦か、ないしは現金での支払いが認められている──フニクリ村が今までに支払えなかった税を払ってもあり余るほどの収入が得られるはずだ。
「……」
うますぎる話への防衛本能。
村人たちが互いに顔を見合わせている。
「このオリーブとやらを、俺たちが作れるのだろうか」
「もちろん。やり方は教えるし、はじめのうちは支援もする」
「油に加工ってのは……」
「まずは原材料を卸してくれるだけでいいし、色をつけて買い取ろうと思ってる……ここで無理のない加工方法を考案してくれたら、そのぶんもアイデア料として支払いもしたい」
ミーアを通しての商業ギルド『黄金の道』との取引で、リィトはそれなりの金額の通貨を持っている。
取引の手付金とリィトからの支援を合わせれば、当面の村の生活は保障されるだろう。
「あとは砂糖さえ確保できれば、うまいドーナツが食えるよ」
ドーナツ、という言葉にミーアがじゅるりと涎を垂らす。
徹夜明けのマンマと一緒に食べるドーナツが、大好きなミーアである。味はともかくとして。
「油の専売をしている業者があるニャ! そこに恩を売れるのは大きいニャア~、んにゃっふっふ!」
捕らぬ狸の皮算用をする猫人族は、にんまりとほくそ笑むのだった。
「手付金のミスリル貨は持ってきているニャ!」
ミーアが背負っていたリュックから取り出した革袋を、どさりと置いた。
ロマンシア帝国とガルトランド自治区において、どちらでも使える最高額通貨だ。
自由は得がたいものだけれど、金で買える自由だってある。
商人ギルド『黄金の道』のエース、ミーアに同行してもらった理由だ。
◆
ジュリアン・クレイグ辺境伯が到着すると、フニクリ村はジュリアンへの報告書にあったものとはまったく違うものになっていた。
「なんだ、この木は……」
緑の実が多く生っている木だ。
もぎ取って食べてみると、えぐみがあり、甘みはまったくない。
「うぐ」
ジュリアンの側近が、口に含んだ実を吐き出す。
麦の生産を命じている土地に、意味のわからないヒョロっとした木が生えている状況。
「不法入領者どもの仕業か? 我が領地を荒らすとは許せん──捕らえて中央で裁きを受けさせようか。公正を愛するアデリア殿下への捧げ物だ」
ほくそ笑むジュリアン。
フニクリ村は度重なる税の未納によって、完全に領主による支配下に置かれている。
一度そうなれば、領主側の強い支配から抜け出すことはできない。
税を納める限りは、領地内での自由は保障される。
しかし、税を納めることができなくなれば──クレイグ領では、帝国とは独立して税収を上げることを認められている。
魔力豊富な火山と、貴重な鉱石や金属を算出する炭鉱がある。
その炭鉱で働く人手を確保するため、ジュリアンはこの村への重税を課していた。
麦の栽培を課し、納税を「麦あるいは通貨」とした。
この貧しい村がロマンシア帝国貨やガルトランド自治区通貨を獲得できる見込みは薄いだろう。というか、ほとんどない。
それはクレイグ領にとっては願ってもないことだ。
税の未納を理由に、この村から労働力を炭鉱に送り込むことができる。
要するに、「しけた税よりも無料の労働力」というわけだ。これはジュリアン・クレイグの下した判断だった。
鍛え上げられた肉体に辺境伯という帝国からの信頼、それに代々応えてきたという自信。
周囲を支配することはジュリアン・クレイグにとって当然のことだった。
何度、断られたとしてもアデルを自らの妻にする未来を疑っていない。
高潔すぎるほどに高潔なアデルは、クレイグ領の領民が苦しんでいるという噂を聞けば、関心を寄せるだろう。
……その噂自体が、ジュリアンが流したものだったとしても。
「適当な村人から、不法入領者について尋問しろ……ついでに、昨年の税の未収分についても追求するように」
「はっ」
同行した役人たちを走らせる。
「……まったく、我が領地にはふさわしくない村だ」
ゆっくりと村の中を見て回っていると、ジュリアンは怒りを覚えた。
発展しないもの、敗れ去った者。
それはジュリアンの嫌うものだ。
「ふん……例の件さえなければ、このような村は早々に廃村にしているのだが──」
そのときだった。
役人たちが、慌てた様子でジュリアンのもとに駆け戻ってきた。
「ジュリアン様!」
「どうした」
「その……これを!」
「な、ミスリル貨だと!?」
土地の売買や賠償金などの大きな取引でしか使われないミスリル貨。
そんなものは、この寂れた村にあるはずがない。
「どういうことだ!」
「その、未納分の税をこのミスリル貨で納めるとかで……」
「違う、こんなものがどうしてあるのかと聞いている」
「その、商取引が行われたとか……」
村人たちが、ジュリアンを取り囲む。
武力では、非力な村人たち。
ずっと虐げられていた村人たち。
……彼らが、口を開いた。
「今後の税は、必ず払いましょう。ミスリル貨はまだいくらかあります──」
じゃら、と革袋が音を立てる。
「麦の栽培はどうした」
「あちらの畑で、定められた広さは満たしています」
もとより、実りのない麦をどうにか収穫をしようと広げすぎていた畑だ。
クレイグ領で定められた面積を優に超えて、種籾ばかりを消費していた。
「……くっ」
税の未納がなければ、領主側にこの村に対して不当な要求をする道理はない。また、税の代わりに炭鉱労働に徴用されている村の若者たちは、すぐにでも帰還できるはずだ。
「それから、これを」
「ん? 書簡……帝国の紋章だと?」
一通の手紙。
上等な紙は高級品だ。
帝国の紋章がプレスされている紙は、そうそう手に入るものではない。
ジュリアンは側近に手紙を開けさせて、中身を奪うようにして受け取った。
「な……アデリア殿下……!?」
封筒の中には、アデリア・ル・ロマンシア第六皇女の署名があった。
ジュリアンの領地運営を視察した結果に関する苦言。
そして、ジュリアンの求婚への拒否。
震える手を周囲に気取られぬように、ジュリアンは手紙を握りつぶす。
(アデリア殿下をたぶらかす……やはり……あの男か……!)
正体不明の無双の魔導師。
宮廷魔導師に身をやつし、英雄としての責務を放棄してのうのうと暮らしているという噂を耳にしたことがある。
リィト・リカルト。
彼の正体が対魔百年戦争の英雄であるかもしれない、ということは帝国上層部では公然の秘密となっている。
そして、彼が同じ宮廷魔導師団によって追放されたということも。
「……忌々(いまいま)しい」
次の納税期日まで、フニクリ村がどのような経緯をたどるのか。
それをつぶさに見届けるように部下に指示をして、ジュリアンは呪詛を吐き捨てる。
……しかし。
彼が「あること」に気がつくのは少し先のことだ。
ロマンシア帝国も、ジュリアン・クレイグも、誰もが軽んじて見落としていたフニクリ村に隠された秘宝が、リィト・リカルトの手に渡っていたことに気がつくのは──。
◆
「なんなのにゃ、その卵は……」
トーゲン村に帰ってきたリィトたち一行を出迎えてくれたマンマが、ミーアの抱えている巨大な卵を見て怪訝な顔をした。
フニクリ村は、リィトたちとの取引の先駆けとして牛数頭と村に伝わる宝……卵を担保にしてミスリル貨を受け取った。
牛については、アデルがすっかり(物理で)飼い慣らし、村の一角に住まわせる手配をしている。
猛虎型モンスターであるヌシ親子たちが牛を襲わないように言い聞かせている様子が微笑ましい。
「なにって……卵らしいってことしかわからん」
全体に赤みを帯びた斑点模様がある。大きな卵だ。
いわゆる、ヨ●シーの卵といった見た目をしている。
はじめは化石かと思ったのだが、ナビ曰く。
「生体反応を維持しています。なんらかの卵かと」
とのことで。
「フニクリ村の近くにある火山っていうか、鉱山っていうか……そこにある坑道から出てきたらしい」
ミーアが両手で抱えるほどの大きさがある卵だ。
ドラゴンが出るか、モンスターが出るか。
「目玉焼きとスクランブルエッグ、どっちが好きかにゃ?」
「マンマ、それは最悪質問だ!」
「ふにゃ、ただの質問だにゃ~……世論調査ってやつである」
「うーん」
正体不明の赤い卵。
リィトは頭を悩ませる。
生体反応を維持、ということはこの卵がかえる可能性があるということだ。
「……やばい、ワクワクしてきた」
ウンディーネの復活と、世界樹の沈黙。
これからどうなるのだろう、という期待感が高まっている。
この謎の卵も、もしかしたら──。
「リィト様、ご覧くださいませ」
「おお……っ! 牧場っぽいっ!」
アデルが牛たちの放牧場に選んだのは、世界樹が植えてある一角にほど近い平地だった。
牛がのどかにあくびをして、麦わらの上で寝そべる。
畑では花人族たちがせっせと作物の手入れをしている。秋に収穫して、海を隔てたフニクリ村の人たちの食べ物になるということを聞いて俄然やる気がでてきたらしい。
川では「ぴぷーっ!」と魚人族たちが遊びながら、少しずつ増えてきた小魚を追い回している。
アデルはといえば、クレイグ辺境伯をこっぴどく振ったほとぼりが冷めるまではトーゲン村に雲隠れをするつもりなようだ。
「この卵、よろしければ私がお預かりしても……?」
「え? いいけど」
「小鳥を卵から育てるの、小さい頃からの夢でしたの」
「小鳥」
でっけぇ卵だけど、という言葉をリィトはのみ込む。
「鳥の卵なのか、これ?」
「どうでしょうか……どんな子が生まれるか、楽しみですね」
アデルが少女のように微笑む。
牛を片手でねじ伏せるパワーを完璧に制御して、慈愛に満ちた手つきで卵を抱くアデル。
もしや、自分の体温で孵化させるつもりなのだろうか──という疑問はいったんのみ込んでおいた。
「……のどかだなぁ」
リィトは晴れ渡った空を見上げた。