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寒村にはトラブルが付きものだと思う

 夜明け。

 クレイグ領をロマンシア帝国中心部と隔てる山脈の向こうから日が昇る。

 領主であるジュリアン・クレイグは日の出前からはじめていた鍛錬を切り上げ、汗を拭っていた。

 クレイグ領独特の乾燥した空気は、早朝にはツンと冷えている。

 四十を超えたとは思えない筋骨から湯気を上げながら、ジュリアンは白髪まじりの髪を掻き上げた。

「ジュリアン様」

 側近の声に、ジュリアンは振りかえらない。

「なんだ」

防人(さきもり)からの報告で、南海岸に幽霊船が出たとか」

「……幽霊船?」

 きわめて現実主義なジュリアンは、根拠のない噂話レベルのことが領主である彼の元に持ち込まれることを嫌う。

 幽霊船など、もってのほかだ。

 モンスターの出現頻度や、税収の見込み……そういったことが、彼にとって必要な情報だ。

「ふざけているわけではないのです、その……数名が小型船で我が領地に入ったのちに……その船が消えたのです」

「消えた?」

「ええ、はい……まるで呪いにかかったかのように数百年の時が一気に進んで朽ち果てた、という報告があがっております」

「……報告が詩的すぎぬか?」

「それは私も感じております」

「ふむ」

 船が一気に朽ち果てる。

 にわかには信じられない報告に、ジュリアン・クレイグは豊かな顎ひげをなでる。

「……きゃつなら、あるいは」

 対魔百年戦争で目にした、正体不明の天下無双の魔導師。

 侵略の英雄ならば、あるいは──。

 かの英雄は終戦後に姿を消し、ロマンシア帝国の宮廷魔導師はぼんくらばかりとなってしまった。

「視察へ行く」

「ジュリアン様が、御自らですか」

「そうだ。準備を急げ」

「はい!」

 側近に南海岸への出立を告げたジュリアンは、足早に屋敷へと戻っていった。

「我が領地は、我が意のままに……それがクレイグ家のやりかただ」

 ジュリアンは呟く。

 小さな村ひとつから、自らの花嫁まで。

 すべてを完璧に、自分の思い通りに。

 それこそが海岸部のクレイグ領が、いずれロマンシア帝国の中心地となるための近道のはず。

 ジュリアン・クレイグは、自らに逆らう者をひどく嫌う。

 彼の求婚を幾度も断り続けているアデリア・ル・ロマンシアも、遠からず手に入れるつもりだ。


 ◆


 フニクリ村。

 クレイグ領でもっとも貧しいとされる寒村だ。

「うー、鼻がカサカサになってしまったニャ……」

 乾いた空気と砂埃に不機嫌そうなミーア。

 スキル『じょうろ』で出した水を、ミーアの鼻先に垂らしてやる。

「ぷは、生き返るニャ!」

「リィト様、ただいま戻りました」

「アデル」

 村の様子を見て回っていたアデルが、暗い表情で戻ってきた。

「みなさん、お腹を空かせていますし、喉を渇かせていますわ」

「……だろうなぁ」

 村の入り口でぼんやりと座っているリィトとミーアを遠巻きに見ている村民たちは、誰も彼もが虚ろな表情だ。

「食料はわずかなものを皆で分け合っているとか……若い殿方は、食事を求めてクレイグ私設軍にどんどん志願していってしまうとか」

「それがクレイグの狙いだったりしてね」

「人を安く雇いたいギルドは、貧乏な村でごはんを振る舞うものだニャ……ありえるのニャ」

「人間、食うことができなきゃ生きられないからな」

 リィトが畏れられた理由もそれだ。

 植物魔導は土地を覆い尽くして、変えてしまう。

 もしリィトが本気で村を潰そうとすれば、一瞬にして家から農地までをベンリ草で覆い尽くして人の住めない土地にしてしまうだろう。

 食べることのできない植物が生い茂る土地に、人は住むことができない。

 長い年月をかけて開拓した土地を、植物は日々浸食していく。

 リィトの植物魔導は一瞬で土地を破壊できるし、実際、小さな地下遺跡(ダンジョン)であればリィトの植物魔導で瞬時に破壊してきた。

 低位のモンスターたちも、食わねば生きていけない。

 彼らの食物を根こそぎ奪うリィトの植物魔導は、まさに侵略の象徴そのものだったのだ。

「かなりの農地があるみたいだけど……ちょっと、だいぶ様子がよくないな」

「なんだか、葉っぱに元気がないにゃ……」

「ああ、フラウが見たら卒倒するかもな」

 フニクリ村の農作物は、徹夜明けに上司に激詰めされた新卒三年目の会社員のごとき萎れ具合だ。

 植物を元気に育てることがなによりの生きがいである花人族(フローラ)たちだ。

 この状況を見たら、彼らの頭に咲いている花のほうが萎れてしまうだろう。

「んー、乾燥した火山性の水はけのいい土地か……根菜類なんかは育ちそうなものだけど」

「どうやら、農地はすべて麦の栽培を義務づけられているとか」

「麦かぁ」

 潮風でカピカピになってきた髪をなでて、リィトは溜息をつく。

 塩害対策ができているわけでもない土地で、麦を育てたとしても収穫量はたかが知れていそうだ。

 食料と農業について無茶を押しつけてくる領主がマトモだとは、どうしても思えないリィトであった。

「……他の作物は、庭先で小さく育てることしか許されていないのだそうで」

「税って、麦以外では支払えないのか」

「クレイグ領では貨幣での支払いも許可されているはずです、が」

「この状況でお金を稼ぐニャんて、ミーでも無理だニャ」

 くしくしと鼻を気にしながら、ミーアがぼそりと吐き捨てた。

 少女のような背丈で、元気いっぱいの言動のミーアだが、商売にかける情熱と手腕は本物だ。

 創薬ギルドの件でも、大きく燃え上がった案件を最後まで投げ出さずに粘り、リィトがウンディーネと契約して状況を変えるまで取引を継続させていた。

 だからこそ、最終的に双方のギルド同士の話し合いにより、商業ギルド『黄金の道』に所属するミーア側が巨額の利益を得ることになったわけだ。

 ガッツがある。

 そして、いつでも商売っ気を忘れない。

 そんなミーアが、「これでは無理だ」と判断した。

「……だよなぁ」

 リィトが今回の旅にミーアに同行をお願いした理由のひとつが、これだ。

 クレイグ領の貧しさというのが、どの程度のものなのか。それを、ミーアの目から判断してもらいたかった。

 まぁ。他にも理由はあるのだけれど。

「それに、商売っていうのは信頼第一だニャ……あんな目で見られたら、ミーはすごすごと引き下がるしかないのニャ」

「うん、まぁね」

 村人たちは、急に現れたリィトたち一行に対して完全に警戒モードになっている。

 虚ろな表情でリィトたちのほうを伺いながら、なにやらお互いに囁き合っているわけで──しまったなぁ、とリィトはぼやいた。

(あー……)

 モンスター討伐を請け負う冒険者協会の魔導師として、あるいは正体不明の帝国軍の助っ人として、ロマンシア帝国内を転戦した経験のあるリィトだが、このような塩対応は初めてのことだ。

 やってしまったかも、とリィトは思う。

(モンスターどもっていう実際的な脅威があったから、当時はどこに行ってもウェルカムな感じだったんだけど……そりゃそうだよなぁ……)

 と、やや勢いで来てしまったことを後悔していたところで、村人たちの中からひとりの女性が歩み出てきた。

 年の頃は五十才くらいだろうか。

 白髪が目立つ、くたびれた印象の女性だ。

「あなたがた、こんな村になにをしにきたのですか」

 不思議な威厳のある声。

 おそらく彼女が、村で重要な役割を担っているのだろう。

 少しずつ集まってきた村人をよく見れば、彼女と同じくらいの年齢の人間はほとんどいない。男性は特に。

 この村の状況がわかって、リィトは暗い気持ちになった。

 平均寿命も短く、男性は鉱山での労働などにかり出されて村にいない状態なわけだ。子どもの姿もまばら。

 これは、あれだ。

 失政だ。

 リィトは確信する。

 これは失政の被害だ。

「……この村を、助けにきました」

 リィトの言葉に、女性は特大の溜息をついた。

「余計なことをしないでもらえませんか」

「なっ! リィト様は信じられるお方ですわっ!」

「……あなたのような見るからに高貴な御方が来る場所でもありません、帰ってください」

 かたくなな態度に、アデルがぐっと言葉をのむ。

 なるほど、とリィトは思った。

 アデルは施政者側の人間だ。リィトも、どちらかといえばそう。

 この村に住む人たちは、施政者側にいる人間をまったくもって信じていないのだ。

 彼らの心を開かないことには、どうにもならない。

 ミーアの言うとおり、商売というのはお互いの信頼関係によって成り立つのだから。

「このような村、もうどうにもなりません……村が立ちゆかなくなれば、クレイグ様のご指示でこの土地は廃棄になるでしょうよ」

「そんな……ご自身の故郷に、そのようなことを」

「苦しい記憶ばかりがある故郷です。あたしたちは、おらが故郷を棄てることができてやっとまともな生活ができるのです」

「夢も希望もにゃいニャ」

「ミーア、静かに」

 黙ってしまったアデルに、長老っぽい女性が吐き捨てるように言う。

「家畜もあのようなことになってしまえば、早晩、一粒の麦すら畑からは採れなくなるでしょうよ」

「家畜……?」

 リィトは、村の様子をもう一度見回してみる。

 村に家畜がいないのだ。

 農村には家畜がいるはずだ。花人族(フローラ)という農業チート集団がいない場合は、家畜の力を借りて畑を耕し、堆肥をつくり、乳や肉や卵から栄養をもらっている。

 その姿がひとつもない。

 (カウカウ)(スホース)(コッコ)も、なにもいないのだ。

「おかしいニャ」

「……妙だな」

 リィトとミーアが同時に呟く──その瞬間。

「敵性反応!」

 ナビが叫んだ。

 アデルが村人たちを背中に庇うようにして立つ。

「……おらが村の家畜はあれですよ」

 諦めたような声で、村人の誰かが吐き捨てた。

 ──魔物(モンスター)化した(カウカウ)が、村をとり囲む簡素な柵を突き破っていた。

「なっ!」

 地下遺跡(ダンジョン)に迷い込んだ動物が魔物化する現象は前例があるが、リィトの活躍によってすでに地下遺跡(ダンジョン)のほとんどは力を失っているはずだ。

 リィトは驚愕に声をあげる。

「モンスター!? (カウカウ)がどうして……っ!」

「少し前に、家畜たちがあのように……今まで、どうにか税の一部を納めておりましたが、こうなっては飢え死にするしかありません」

「いやいやいや! 冷静すぎるだろ!」

 深い溜息をついて、膝を抱えて座り込む村人たち。

 魔導師でもない人間が、魔物化してしまった動物に立ち向かえるはずもない。絶望が日常、それがフニクリ村なのだ。

 巨大なツノに火がともった、異様な風貌の(カウカウ)たちが(いなな)き、暴れ回っている。

「これ、魔導研究的には大発見だぞ……っ!? 家畜の魔物化って!」

「リィト様、そっちですか!?」

「あっ」

 つい好奇心が勝ってしまうリィトだった。

「いえ……そうですわ、リィト様は偉大な魔導師としての観点からこの事態を収拾しようとされているのですわね!?」

「そ、そういうことで!」

 相変わらず解釈が好意的で助かる。

「しかし……」

 荒れ狂う(カウカウ)。畑や家を荒らしながらこちらに向かってくる(カウカウ)モンスターたちに、座り込んで諦め顔の村人たち。

「ニャアアア、顔が怖いニャッ!」

「地獄絵図だなぁ」

 (カウカウ)たちを植物魔導で一網打尽にすることはできる。

 毒草とか、ツタで絞め殺すとか。色々とできる。

 ただ、あの(カウカウ)はもとはこの村の家畜だ。家畜といえば財産だ。

 村の財産を破壊していいのか。

 リィトは悩んだ。

「……っ!」

 迫る(カウカウ)たち。

 うなだれる村人たち。

「仕方ない、か……」

 目の前で被害が起きることを、見逃せない。

 見て見ぬふりはできない。

 そんな人のよさが、リィトを英雄にしたのだけれど。

 ベンリ草の種子に手をかける。

 これをまけば、あと戻りはできない──けれど。

「待ってください」

「アデル?」

 村人たちを守っていたアデルが立ち上がって、(カウカウ)たちの群れに向かって駆けだした。

 どどどどど、と(カウカウ)たちの蹄の音が轟く。

 ひっ、とミーアが息をのむ。

「止まりなさいっ!」

 アデルの声が村に響いた。


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