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お姫様だって冒険したいと思う。②

 ◆


 ロマンシア帝国クレイグ領は、北大陸の海岸線にある。

 領地の端にある火山の影響で、乾いた温暖な土地だ。火山灰由来の水はけのよすぎる大地と、吹きすさぶ海風……農業には適していない領地が広く広がっている。

 火山の近くには大規模な地下遺跡(ダンジョン)が発生し、火属性のモンスターが大量発生したことがある。

 戦時中からガルトランド自治区との密貿易で領民の一部は潤っていたが、大半の領民は飢えている。

「……というわけでして」

 ヌシに寄り添われ、膝に三匹の子ヌシを抱いたアデルが背筋を伸ばす。

「このたび、私に求婚しているクレイグ辺境伯ですが、やはり看過できません。自国内での生産能力向上について、あまりにも無頓着かと」

「ふむ」

 アデルの熱弁に、リィトは腕組みをする。

 鍛え抜かれた筋肉のせいで忘れがちだが、彼女は非常に理路整然とした主張を持っているし、それを伝えるためのまっすぐな言葉を持っている。

 トーゲン村の夕食は、ごく簡単なベリージュースや薄焼きのパンだ。

 花人族(フローラ)たちは、日没とともに早々に眠ってしまっている。

 リィトはベリージュースを飲みながら、アデルの言葉に耳を傾ける。

「かの領地が抱える問題は、領地内の生産能力にあると思いますの」

「生産能力というと」

「農地ですわ。土地が痩せていることは不幸ですが、そもそもクレイグ辺境伯をはじめとして、統治体制に問題がありそうですの」

「たとえば?」

「この百年間、各農地の(こく)(だか)が一切記録されていませんわ。本来であれば十二年ごとに土地の再評価を行ったうえで課税することを推奨しているのに」

「石高」

 ふむ、とリィトは考える。

 耳慣れない言葉ではあるが、要するに土地あたりでどれくらいの農作物ができるのかを指している。

 日本では、かつては藩の生産力の単位が「石高」だった。

「カガヒャクマンゴク」なんかは有名だ。

 基準となるのは、ロマンシア帝国では麦だろう。

 ロマンシア帝国内にある領地で税として納められている麦などの穀物、家畜、布や金属。

 それからポーションやその原料であるベリーなど。

 こういったものが税金として扱われる。

 国土内に大量のモンスターが発生している、先の見えない内乱状態にあっては貨幣はなんの役にも立たない。

 現物、特に人が生きるのに必要な食料と、戦闘に必要な金属は価値が高くなるのだ。

 クレイグ領では、領民から穀物で税金を受け取り、帝国への上納品を自国の貨幣で納めていたのだ。

 ガルトランド自治区からの密輸品が多く流通するクレイグ領に対しては、帝国も強くは出られない。

「だからこそ、対魔百年戦争で前線に立っていた私が嫁ぐことでクレイグ領との交渉材料を得ようというのでしょう」

「なるほどな、アデルは有名人だから」

「戦果以外で有名になどなりたくないですわ……」

 前線に立ち、モンスターを次々に倒し、時にはモンスターをなぜか手懐けて子分のように従えていたアデリア・ル・ロマンシアはちょっとした救国の象徴のようになっているのだ。

「それに、大きな戦果は本来はリィト様のものなはずですわ」

「俺は目立ちたくないから、いいんだよ……」

「いえ! リィト様の偉大さは、知っている者は知っていますのでっ!」

「ん~、迷惑ぅ……」

 もうロマンシア帝国から追い出された身なので問題ないけれど。

 姫君という立場は大変だなぁ、と他人事ながら頭の痛いリィトだった。

「……このアデル、我が身を捧げるのは高潔で、強く、心優しい御方と決めておりますのでっ!」

 キラキラと瞳を輝かせてリィトを見つめるアデル。

 アデルにも白馬の王子様を夢見るような一面があるのだなぁ。

 微笑ましく思っているリィトは、満面の笑みで頷いた。

「うん。そういう人、いるといいな」

「……は、はい」

 ちょっと不満そうなアデル。

 アデルのふかふかソファになっているヌシが、ジトーッとリィトを睨んでくる。

「え、なんで睨まれてるの……?」

「本当にアレですね、マスター」

「ええ……?」

 困惑である。

 前世、中間管理職時代にもこういうことがあった。

 人の幸せを願っているのに、なぜか白い目で見られるこの瞬間……理不尽だ。労災の一種なのでは。

 ベリージュースを呷って、遠い目をしてしまう。

「ニャーッ! ミーたちが来たニャッ!」

「おお、ミーア」

「お土産もあるのであるぅ」

 トーゲン村の開拓が順調になり、ミーアとマンマの仕事も軌道に乗ってきている。

 創薬ギルドからの大量発注は、商業ギルド『黄金の道』でベリーの売買で頭角を現しているミーアを潰すための工作だったことが、ギルド自治区連合会の調べでわかった。

 そもそも、赤ベリーの品薄はポーションの値段をつり上げるために創薬ギルドの一部の人間が行っていた買い占めが原因だったのだ。

 そこに、ミーアがトーゲン村産の赤ベリーをひっさげて市場に出回らせてしまった。

 良質かつ適正価格で取引ができるミーアの赤ベリーは大繁盛。

 創薬ギルドのポーションの価格も、次第に下がってきてしまった。

「ってわけで、こちらの言い値で赤ベリーはすべて買い取って頂いたのニャ! ぼろ儲けニャッハッッハ!」

「わがはいも笑いがとまらんのにゃ……ふふん、汚職スクープは儲かるのである……」

 すっかり元気を取り戻したミーアの横で、マンマも満足げに笑う。

 要するに「絶対に納品できない」とわかっていて、わざと大量の発注をかけたわけだ。

 協議の結果は、ミーア側の完全な勝利。

 ウンディーネの加護を得たトーゲン村で植物魔導を駆使して一気に育て上げた赤ベリーを、創薬ギルドはすべて買い上げることで話がついた。

 マンマは一連の騒動を記事にしたことで、社会派記者としての地位を手にしたのであった。

 一方、怪しげなオカルト系紙面にマンマが寄稿した『怪奇! 精霊神殿!』という眉唾ものの冒険譚もコアな読者を獲得しているのだった。

 オカルトが流行するのは平和な証拠。

 陰謀論が流行するのは世の中不安定な証拠。

 ……うん、平和だ。

 多少の(いさか)いはあれど、ガルトランドは平和なようだ。

 ミーアが巻き込まれた騒動が、きっちりと商業ギルドと創薬ギルド同士の話し合いで解決したことにリィトは感心していた。

 しかも、かなり合理的な解決策だし。

 ギルド自治区を掲げているのは伊達(だて)ではない。

 ロマンシア帝国であれば、個人同士、あるいは派閥同士での争いに発展していたに違いない。

 百年間にわたるモンスターとの戦いで 、帝国内にパンチとキックとビームで物事を解決する機運が蔓延しているのだ。

「そうそう、お土産ニャ!」

「わがはいのお気に入りのドーナツである~……徹夜明けのコーヒーとドーナツは染みるのにゃ……」

「まぁ、もう夜だけど」

「にゃふ……徹夜明けにうまいものは、夜食にしてもうまいのにゃ~」

「む……それは、たしかにそうかも」

 徹夜明けに啜るアツアツの朝ラーメンは格別だったなぁ……仕事のデスマーチの先にある唯一の希望の光、ラーメン。

 当然ながら、深夜に食べるラーメンも趣深い。

 なるほど、情報ギルド『ペンの翼』の気鋭の記者はさすが考察が鋭い。

 アデルが油の染みた紙袋に入ったドーナツをじっと見つめる。

「どー、なつ……ですか」

 丸い揚げ菓子に、アデルは興味津々だ。

「いただいてもよろしいかしら?」

「ど~ぞ~」

 特急竜車で一昼夜。

 作りたてとはいえないドーナツだが……。

「…………」

 一口食べて、リィトは沈黙した。

 作ってから時間が経っていることを差し引いても、なんとも残念なできばえだ。

 まず、油が臭い。

 一般に出回っている食用油が高価なこともあり、使い回しているのだろう。そもそも品質がよくないだろうし。

 そして、小麦はぼそぼそ。硬い。

 砂糖も同じく高価なものなので、ドーナツの形をしているがガツンとしたジャンクな甘みとはほど遠い。

 揚げたてや作りたてはまだしも、この状態だと厳しいものがある。

 硬くて、油臭くて、味がしない。

「タイヤかな?」

「たいや、とはなんですの?」

「いや、こっちの話……」

 どんなに不味くても、食べ残しはしない。

 それがリィトのポリシーだ。

「……ごちそうさまでした」

 明日は胃もたれしそうだ。

 アデルは物珍しさが勝ったのか、機嫌がよさそうに完食していた。

 嫁入り騒動で沈んでいた表情が少し柔らかくなったのはよかったけれど、これでいいのか感がある。

 ミーアもマンマも特に気にしていないのか、二つ目のドーナツに手を伸ばしている。

 ドーナツをつまみに女子三人のトークが弾んでいるのをリィトはぼんやりと眺めていた。

(こういうのって、奇跡だよなぁ)

 それぞれの生活や仕事が落ち着いていて、時間を共有できる。

 誰かの悩みに耳と心を傾けられる。

 リィトの前世でも、あるいは、帝国での戦いの日々でも、そんな時間はなかったように思う。

「というわけでして、私としてはクレイグ領の民の生活状況だけでも知りたく……できれば、なにか救済策をとりたいのですが……」

「にゃるほどにゃー」

「特に、今年は天候が不順とか。税を納められぬ民がでるのでは、と……」

「それは大変だ」

「……弱小ながら近頃は再びモンスターの出現情報もあるとか」

 ふぅ、と深く溜息をついたアデルにベリージュースを注いでやる。

 ひとつ、リィトには気になることがあった。

「なぁ、アデル」

「はい?」

「今までなら、悩む間もなく断っていた縁談だろ、それ」

「……それは……」

 アデルが口ごもる。

 やはり、なにかを隠しているようだ。

「クレイグ辺境伯は、今や帝国中央とほぼ対等な力を持っていますわ……帝国としては、かの領地とのパイプを持っておきたいのでしょう。それに……」

「それに?」

「……婚約が成立したら、クレイグ領全体に恩赦が出るそうで」

「恩赦」

「はい……税を払えなかった領民の負債を帳消しにするだとかで」

「あぁ……」

 なるほど。

 アデルがここまで思い悩むには、なにか理由があると思っていたけれど。

「負債のある民は、領内の火山近くにある鉱山での労働義務が発生しまして……不慣れな農民が大けがを負う事故があとを絶たないとかで。それに、モンスターによる被害者も多く出ているのです」

「労災だ……」

 リィトは深く溜息をつく。

 異世界の蟹工船というやつだろうか。

 貧しい者は仕事を選べず、仕事を選べなければ貧しさから抜け出せない。

 アデルを迷わせていたのは、彼女の優しさだった。

「ううん……」

 重苦しい沈黙が流れる。

 アデルがそこまでする必要などない、と思う。

 けれど、帝国の姫君であり騎士であるアデルの高潔な心を否定したくない。

 沈黙を破ったのは猫人族(キャッタ)ズだった。

「簡単なことニャ!」

 ミーアが自信満々に胸を張る。

「ふにゃ?」

「リィトが、そのクレイグ領ってところの畑で作物をガーッと育てて今年の税をどうにかすればいいニャ!」

 赤ベリーの大量栽培で窮地を切り抜けたミーアにとっては、ホットな話題だ。

 しかし、リィトは乗り気にはなれなかった。

「いやぁ……」

「ふにゃ?」

「目先のことは解決しても、その先はどうするんだ?」

 ミーアがきょとんとして、首を傾げる。

「その先……あっ」

「俺がずっといられるならいいけれど、植物ってのは毎年毎年、新たに手がかかるんだよ」

 植物を人の手で育てることは、本来であれば長い時間のかかることだ。

 一度、田畑を潰してしまえば、それを再び農地にするためには途方もない手間と労力がかかる。

 そして、継続的に実りを得るためには、知識も人手も必要で。

 植物魔導は万能ではない、というのがこういう部分だ。

 リィトがいなくなれば、あとはその地に住む人々の頑張り次第。

 ……そして、人は楽をして手に入れたものに、あとから労力を注ぐことはできない生き物なのだ。

「土地にあわない植物だったら、なおさらだめだろうしね」

「ふにゃぁ……そんにゃ……」

「たしかにリィトの言うとおりなのニャ。商売というのも、ミーの手を離れるようになるまでが難しいのニャ」

 腕組みをして、ミーアがしたり顔で頷く。

 商人として腕を振るう彼女にも、似たような経験があるのだろう。

「自分以外の誰でもできるようにするってのは難しいもんだよ」

「そういうことニャ」

「ふにゃ……わがはい、一生記者でいいにゃ……編集長とか、考えただけで胃痛がするのである……って、うっぷ!」

 眠たげにドーナツを(かじ)っていたマンマの顔色が急に悪くなった。

「うぶぶ……ふにゃ……胃が……おろろろ」

「だ、大丈夫ですか!?」

「大丈夫にゃ……ドーナツを食べると、たまにこうなるのにゃぁ……」

「……あとでフラウに胃薬になるような薬草がないか、聞いてみるか」

「どうぞこちらへ、お背中をなでて差し上げましょう」

「助かるのにゃ……うっぷ」

「ずるいにゃ! ミーもっ!」

「はい、ミーアさんもこちらへどうぞ」

 ヌシにもたれかかりながら、膝の上で甘える猫人族(キャッタ)ズの背中をなでる。周囲には、いつの間にか丸くなって眠っている子ヌシたち三匹……。

(羨ましすぎる……っ!)

「はうぅ、アデルの手は気持ちいいにゃ……」

 少し吐き気が治まったらしいマンマが穏やかな表情で微笑む。

 リィトの部屋の片隅ですやすや眠るフラウに目をやる。

 花人族(フローラ)は日の出とともに目覚めて、日没とともに眠りにつく。

 しょんぼりしているアデルと一緒に過ごしたいという気持ちと眠さの間で葛藤したフラウは、リィトの膝の上で撃沈してしまったのだ。

 部屋の片隅の、麦わらの匂いのするソファで丸まってすやすやと眠っている。とても可愛い。

 今の生活には満足だ。

 新鮮な野菜に、穏やかな時間。

 新たな冒険に、見知った仲間。

 そんなトーゲン村の日々は、リィトからある思いを奪っていた。

「うまい飯を……食いたい……っ」

 ヘルシーな野菜も嬉しい。

 近頃、川には小さな魚影がある。ウンディーネ神殿から川に出てきたようだ。

 しばらく経ったら、魚釣りもできるようになるだろう。

 そんな日々に、リィトは忘れていたのだ。

 異世界ハルモニアのメシがまずいことを。

 うまい飯を食うことが、リィトの当面の目標だったことを。


 砂糖と油まみれの、ジャンクなドーナツ。

 塩ががっつり効いた、フライドポテト。

 カツカレー、コロッケそば──


「……油かぁ」

「リィト様?」

「いや……」

 クレイグ領の地理的条件を思い出しながら、リィトは考える。

 そうか、良質な油さえあれば──。

「行ってみるか」

「え?」

「クレイグ領、行ってみようか──ナビ」

 短い呼びかけに、休眠モードになっていたナビが顕現する。

試算(とすると)、最短かつ安全な移動手段は……船旅かと」

「船旅……?」

 内地の地下遺跡(ダンジョン)から湧き出るモンスターとの戦いに明け暮れ、長らく鎖国政策をとっていたロマンシア帝国の姫君アデルにとって、それは未知の冒険だ。


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