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お姫様だって冒険したいと思う。

 ロマンシア帝国、首都。

 中心地にそびえる堅牢な城の一角で、荒い息づかいが響いていた。

「……くっ、……あぁっ……ぐ……あぁぁっ!」

 苦しげな息づかいは、うら若い女のものだとわかる。

「んっ、ふぅっ……あっ……っ」

 リズミカルに、責め苦に耐えるような吐息が漏れる。

 悩ましいその声は──ロマンシア帝国第六皇女、アデリア・ル・ロマンシア──通称アデル姫の居室から響いている。

「んんっ…………っ、ハァ、ラストオォ……ですわっ!」

 ひときわ高い声をあげて、幅広の腕立て伏せをしていたアデルが床に崩れ落ちた。

 玉のような汗が額に光っている。

 日課の筋トレのクライマックスの風景だった。

 この時間帯にアデルの部屋の周囲を警護する係が誰になるかを巡って、若い衛兵たちの間でたびたび喧嘩になる。

 やましい気持ちはない。決してやましい気持ちはないけれど、変わり者ながら美姫として名高いアデルの艶やかな声には興味が湧いてしまうわけで。

「あぁ……気持ちがいいっ……」

 上腕二頭筋をいじめ抜いて恍惚(こうこつ)の表情を浮かべるアデル。

 普段であれば、扉の外に張り付いていた気配がそそくさと退散していく頃合いだ。

 しかし。

 今日に限っては、その気配がなかった。

 そもそも、扉の外の気配が普段とは違う。

 たとえるならば、モンスターに対峙した初陣の兵士のような緊張感が漂っている。

「……? 妙ですわね」

 汗を拭きながらアデルが首を捻っていると、扉が叩かれる。

 コンコン、ココン……という独特のリズムに、アデルは眉をひそめた。

「アデリア姫、ご機嫌いかがかな」

 アデルの長兄である、フランク第一皇子だった。

 年は二十近く離れているため、兄というよりも父親のようにアデルに接してくる。

 すでにフランクとアデルの父は、対魔百年戦争の最中に他界している。

 祖父に当たる現皇帝の跡継ぎとして、もっとも有力な皇子のひとりだ。

「……兄上」

「肉体の鍛錬はいいが、髪や肌の手入れこそ姫君の本分ではないのかね」

「もちろん余力のある限りは容貌にも気を配っております……帝国の象徴たる一族の血を軽んじてはおりません」

 自分でも驚くほどに硬い声色での返答に、アデルは「しまった」と思った。

 フランクは、他人から反論されることが大嫌いだ。

 特に、相手が女子どもであるのならばなおさら。

「率直に言おう。とっとと嫁に行ってくれ、行き遅れになるぞ、アデリア姫」

 不機嫌を隠そうともしないフランクは、そう吐き捨てた。

 ああ。またこの話か。

 心底うんざりしているのを悟られないように、アデルは言葉を選びながら逃げを打つ。

「……名誉職とはいえ騎士団の一角を預かる身です、戦後の混乱や各地の残存魔獣の駆逐も済まないうちに婚姻など」

 アデルの第六皇女という立場は、本来であればすでに王城にはいないはずの存在だ。

 ロマンシア帝国は、ひとつの帝国であると同時に小国の集まりだ。各地を治める領主たちとの関係は帝国の地盤であるといえる。

 要するに。

 帝国の皇女というのは、政略結婚のために存在しているのだ。

「兄上には申し訳ありませんが、私はまだまだ戦後処理に──」

「そのことだが、女が前線に立っていたのは非常時だからこそ。今やロマンシア帝国は対魔百年戦争を乗り越え、復興期となった」

「……と言いますと?」

「生めよ殖やせよ、ということだ。お前ももうそろそろ観念しろ……今回の縁談は断れん、相手はジュリアン・クレイグ辺境伯だ」

「クレイグ辺境伯……」

 ロマンシア帝国を構成する領主のなかでも、別格の存在だ。

 ガルトランド自治区との国境線である海岸──対人特区の統治権を認められている。

 辺境を統治し、守護するその手腕は帝国にとってなくてはならないものだ。その信頼に比例するように、多くの特権を与えられている。

 当代のジュリアン・クレイグは、モンスターたちの大量発生地でもあったクレイグ領を守り通した、非常に帝国内での地位と評価の高い人物だ。

 優秀な戦士であり、統率力もある。

 ジュリアン自らが戦地に赴くこともあった。

 年の頃は四十半ば、初老とはいえ男盛りだ。

 二人の妻を失っており、三人目の妻と先頃離縁したとかいう噂だ。

 そして。

(……たしか、戦時中から何度か求婚をされていましたわね……)

 非公式なものであったが、戦地で何度かアプローチをされたことがある。

 このクソ忙しい時になにを、というのがアデルの率直な感想だった。

 塩対応にもめげずに、アデルに何度も求婚をしてくるジュリアンへの印象は非常に悪い。

 優秀な人物ではある。

 しかし、公私混同の姿勢はいただけない。

 問題は平和な時代になり、彼の発言力が増したことだ。

 ガルトランド自治区との交易が再び活性化しはじめたことをきっかけに、彼の領地のインフラ整備や治安への関心が高まっている。

「クレイグ領が独立すれば、帝国の発展と平和が脅かされるのだ……あの男は、お前に執心している。この機会は逃せない」

「兄上!」

 アデルの返答を待つことなく、フランクは部屋をあとにした。

「……はぁ」

 豊かな金髪を掻き上げて、頭を抱える。

 なにもかもが面倒だが……ひとつ、気になることがある。

「クレイグ領の重税問題……気になるところです」

 帝国の中心地からかなりの距離があるクレイグ領において、領民たちに不当に重い税金がかけられているという報告がアデルの耳に入っていた。

 かつ、ジュリアンは疑り深い性格で、中央から派遣された役人に領地の実態を決して見せないようにしている。

 中央で実態が把握できないため、終戦後も長らく放置されている現状だ。

「…………」

 クレイグ領の現状に心を痛めているアデルは、ふと考え込んでしまう。

 もしも。

 ……もしも、アデルがこの求婚を受けさえすれば。


 ◆


 久々にトーゲン村にやってきたアデルは、到着してすぐに寝落ちした。

「おぁ……ふかふかで……いい匂いですわ……」

 積み上げた麦わらに沈んでから数秒で、穏やかな寝息を立てはじめたアデルに、フラウがそっと布をかけてあげていた。

「つかれ、だけじゃないです」

「だろうなぁ、昔から抱え込む性格だったし」

 目の下にクマを作っているアデルに、リィトは溜息をついた。

 民を守るために戦う自分でありたい。それがアデルの願いだ。

 そのための筋肉をよりよく鍛えるために、睡眠と食事とトレーニングをなによりも大切にしている。

 その彼女が、寝不足で目の下にクマを作っているというのは異常事態だ。

「悩み事か……うぅん、恋の悩みか?」

 いや、アデルに限ってはないだろう。

 リィトのことを偉大な魔導師として信奉しているアデルだが、色恋沙汰的なことになったことは一度もない。

 よくも悪くもさっぱりしている皇女様なのだ。

「ん……むにゃ……」

「よく寝てます」

「麦わらの匂いって、なんか安眠効果あるもんな」

「マスター、その件でミーアさんから打診がありました。こちら、寝具の材料として買い上げを希望されていると」

「うーん、今のペースでの生産はできないから保留で」

了解(はい)、そのようにお伝えしておきます」

 植物魔導による生育のブーストは、万能ではない。

 当然ながら、植物が育つということは土地のリソースを消費するのだ。ウンディーネ神殿から流れ出る、魔力豊富な川の水という助けはあるが、土壌の栄養分は確実に減ってしまう。

 この土地で栽培するのに適した品種の開発が終われば、あとは花人族(フローラ)たちに通常通りに育ててもらうつもりだ。

 植物を育てることがなによりも好きな花人族(フローラ)たちは、トーゲン村の畑が広がるたびに小規模な宴を開いているほどだ。

「そろそろ小麦は、花人族(フローラ)たちに任せてよさそうだな」

「ええ、フラウさんに引き継ぎをしましょう」

 ウンディーネの加護を得たトーゲン村では、少し前から麦の栽培が行われている。

 通常であれば一年をかけて栽培が試みられる農作物の施策も、植物魔導の基本である生長促進(すくすく)生命枯死(しおしお)があることで、高速で試行をすることができる。

 リィト以外にも、花人族(フローラ)たちが植物魔導を使えるようになったことは大きい。

 リィトが小麦の味や収穫量などを上げるための品種改良をし、花人族(フローラ)たちがこの土地で育てるのに適した品種改良をする。

 そうしてできあがった小麦は、味もよくて、病気に強い、農家が喉から手が出るほどに欲しくなるような代物に仕上がった。

 麦穂が揺れる一面の畑は、いよいよ村が発展してきたという感じがする。

 これならば、稲作ができる日も近い……はずなのだが。

「米は、原種が見つかってないんだよなぁ」

「コメという植物についてはデータがありませんが、温暖な気候が頒布地域であると聞いています」

「うん、もとは南方の植物だったって……教科書で読んだ気が……」

 今となっては新潟や北海道などの豪雪地帯が「こめどころ」として名高いが、もとは温暖な地域の植物だったらしい。

 ロマンシア帝国はかなり寒冷な気候である。

 原種さえあれば品種改良はたやすい。植物魔導とはいえ、原種を生み出すことはできないのだ。

 すでに栽培されていた麦を使って、米っぽいなにかを作ろうと思っていたのだが、どうやっても上手くはいかない。美味しくない。

「というか、それ以前に……今ある作物をどうするかだよなぁ」

「余剰生産についての報告(レポート)を読み上げましょうか?」

「いや、いいよ。収穫までには卸先を考えないとなぁ……ガルトランドの相場を崩してもまずいし」

 花人族(フローラ)たちは、水不足が解消したことを幸いと、どんどん畑を拡張しているのだ。

 好きなだけ植物を育てられる今の状況は、花人族(フローラ)たちにとっては最高の状況だ。

 それだけに歯止めが利かなくなってしまい、トーゲン村やミーアによる商業ギルドへの出荷量をはるかに超えた生産量になっている。

 まだ実りの季節は先だけれど、このままでは過剰生産で大変なことになってしまう……のだが。

 保存できるように加工するなどの打つ手はあるし、生命枯死(しおしお)で対処することもできそうだ。

 今から思い悩む必要もないだろう。

「よっこいしょ、と」

 リィトは立ち上がって、ぐっと伸びをする。

 すやすやと眠るアデルが、フラウのかけてくれた布にくるまっている。が、初夏とはいえ、少し肌寒いようでアデルが小さく呻く。

「おっと……毛布とかあったかなぁ」

「体温がやや低下していますね、なにか温かいものを……」

「なにか悩み事でもあるんだろうなぁ……」

「アデルさんは今回は長めのご滞在になるとおっしゃっていましたので、休養プログラムをご提案してみましょうか」

 休養プログラム。

 最近、ナビができるようになったことだ。

 トーゲン村の畑の拡張やウンディーネ神殿の復活など、商売のタネや特ダネを掴んだことで仕事が忙しくなった猫人族(キャッタ)ズは、トーゲン村にやってくるときには完全に疲れ果てた燃えかすになっていることが増えた。

 大都会、ギルド自治区ガルトランドでの疲れを癒やすため、ハイキングや川下り、ウンディーネ神殿でマイナスイオンを感じながらのお昼寝、花人族(フローラ)の畑仕事を手伝ってからの焚き火を囲んでバーベキュー……。

 とにかく、トーゲン村ののどかな自然を満喫できるアクティビティをナビから提案しているのだ。

 そのおかげか、トーゲン村をあとにする頃には毛艶もつやつや、おめめもキラキラ、爪もピカピカの完全無欠の猫人族(キャッタ)となっている。

「──マスター、半歩下がってください」

「ん?」

 そのとき。

 東の山のほうから、一陣の風が吹いた。

 巨大なもふもふが音もなくやってきた。

「あっ! ヌシ!」

「がぅ!」

 猛虎型モンスター。ヌシ。

 東の山に生息していた猛獣で、花人族(フローラ)たちが崇めていたヌシである。

 アデルによりボコボコにされたのち、彼女のことをボスとして慕っているのである。要するに、アデルの巨大な飼い猫なのである。

「お前、本当にアデルのことが好きだな……」

「ぐるる」

 グルーミングの音が響き渡る。

 かつて山で対峙したときに感じたような恐ろしい脅威はなく、本当に大きな飼い猫だった。

 寝ぼけ眼のアデルがヌシに抱きついて、ふかふかと暖をとる。

 初夏の日差しのなかで温まった毛皮は、ふかふかのお布団の匂いがする。

 天日干しの布団の匂いの正体は太陽光で死んだダニというのは、いったん考えないでおこう。

「……ん、ヌシ……あなた……」

「んぐにゃん?」

「どうしたんだ?」

「これ、ヌシの子どもたちですわ」

 アデルがリィトに差し出したのは、両手で抱っこできるサイズの猛虎型モンスターだった……要するに、もっふもふの猫である。

 あどけない表情で、抱っこしているアデルの指をなめている。

 ヌシの毛皮にしがみついていたようだ。

 全部で三匹。

 白、黄色、黒……と、高位の猛虎型モンスターであるヌシの体毛を三頭分したような見た目をしている。

 ヌシ、メスだったのか。

 というか、父親は誰だとか。

 そういった疑問が駆け巡ったが、リィトの脳はたったひとつの単語に支配されてしまった。

 そう、たった一言。

「んぎゃわいいっ!」

 こちらの人生がはじまってから、産声以来一番デカい声を出した。

 リィトはのちにそう語る。

「こ、子猫……だと……!?」

「小さいですがヌシの子ですから、子トラというか、子ヌシというか……ですわね」

「可愛い……っ!」

 リィト、撃沈。

 猫人族(キャッタ)だって、それは可愛い。

 しかし、ミーアとマンマは友人であって、あまり大々的にもふもふすることはできない。

 求められればなでたり()ねたりはするけれど。

「う、うわ~~っ! 可愛いな、おい……これが……猫っ!」

 前世での悲願、猫でも飼ってのんびり暮らすこと。

 リィトは目の前に現れた「最終目標」に震えながら手を伸ばす……が。

「いでっ」

 かぷ、と噛まれた。

 どうやら怯えさせてしまったらしく、三匹の子ヌシはアデルの胸元に潜り込んでしまった。

 鍛え上げられた胸筋が形作る芸術的な造形は、ロマンシア帝国の兵士たちの間では語り草だった。

 戦闘中にどこ見てるんだ、とリィトは常々思っていたけれど。

「どうしてアデルばっかり懐かれるんだ……?」

「アデルさんの称号になにか効果があるのか……あるいは、アデルさんの性質が称号取得のきっかけになっているのか」

「卵が先か、鶏が先かって感じだな」

「むにゃむにゃ……」

 眠るアデルを守るように、近くに座り込むヌシ。

 ヌシのまわりで、ちょろちょろと遊びまわっている子ヌシたち。

 大変に可愛らしい。

「……? なにか気になるのか、ヌシ」

 ヌシがじっと空を見上げていた。

 その先には、枝を広げる世界樹がある。

「ふむ……?」

 そういえば。

 ウンディーネが復活してから、リコの姿を見ていない。

 夢にも現れていないが……樹木の本体だけは、活き活きとしているのだ。

 リィトにスキル『探羅万象』と称号【世界樹の祝福者】を授けたあとに、眠りに落ちるように消えてしまった。

 ウンディーネとリィトが契約した際に、世界樹も光り輝いていたわけで。

 世界樹の精霊(仮)、リコとまたすぐに会えると思っていたのだけれど……今のところは、音沙汰ナシ。

(まるで、力を蓄えているみたいな……?)

 すやすやと眠るアデルが目覚めたのは、すっかり日が暮れた頃だった。



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[気になる点] >> 東の山からアデルが連れ帰ったヌシ──アデルにより「トラ」という身も蓋もない名前をつけられた猛虎型モンスターを見て、花人族たちは驚いたり喜んだり大騒ぎだった。(世界樹ってマジですか…
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