水精霊と契約しようと思う④
「ふぅ、特急竜車用の走竜とはいえ、長旅には違いありませんね」
アデルことアデリア・ル・ロマンシア第六皇女は、トーゲン村に向かいながら青空を見上げていた。
もうすぐ到着だ。
ウンディーネ神殿の探索の日には一日中眠りこけてしまって蚊帳の外だった。
帝国での公務の合間に、お忍びでトーゲン村に通う日々。
肉体的には疲労がたまっているのだが、心が安まる瞬間のために行き来をやめられない。
「ヌシはどうしているでしょうか、楽しみです」
東の山に生息していた猛虎型モンスター『ヌシ』をパワーと筋肉でねじ伏せてからというもの、すっかりヌシに懐かれている。
もふもふの猫型モンスターは、敵に回れば脅威ではあるが、懐かれれば可愛い。とても可愛い。
早く会いに行きたい。
早くモフりたい。
そして、アデルの信奉するリィトが、今度はどんな面白いことをしてくれるのか。ウンディーネ神殿の探索では、どんな成果があったのだろう。
遺跡であるから、たとえばウンディーネの痕跡とか、宝物とか、新たな発見をしているかもしれない。
「……ん?」
トーゲン村の方向に、巨大な光の柱が出現している。
天まで届くほどに輝く光の柱が……二本。
「な、なんでしょうかアレは……!?」
アデルは走竜の腹を蹴って、先を急ぐ。
馬の数倍の速度で走ることができる走竜(という名のトカゲ)の大きな足が、地面を捉えて蹴っていく。
土埃を巻き上げながら、トーゲン村まで急ぐアデル。
ひゅっ、ひゅっ、と走竜が苦しげに呼吸をする。
そもそも、日々筋トレを怠らないアデルは、艶やかな見た目とは裏腹にそれなりの重量がある。
それに加えて、走竜は自分の能力の限界までを発揮して走っている。
理由はひとつ。
アデルが、そう望んでいるから。
「頑張ってくれてありがとう、走りましょう!」
その一声が、走竜をさらに駆り立てる。
幼い頃から動物に好かれていた。
リィトが彼女のステータスを参照すれば、そこには称号【動物好き】が燦然と輝いている。
畜産農家や羊飼いなどに所持者が多い称号だが、なにかのバリューがあるわけではない。
皇女という立場や名誉騎士団長という地位には、あまりマッチしていない称号だったためにリィトはまったく気にかけていなかった。
帝国内では、通常の動物よりもモンスターのほうが多く生息していたため、有効な能力でもなかった。
しかし、リィトの活躍によって対魔百年戦争が終結した今、帝国内でも徐々に家畜や愛玩動物への注目が高まっている。
アデルは、強い。
鍛え上げられた肉体による、圧倒的な強さ──それは、動物たちをアデルの味方にする。
動物たちは、本能的に強い者に惹かれる。
そして、まっすぐで心優しい存在を慕う。
「あの光の柱……悪しきものではなさそうですが」
リィトを心配するアデルを乗せた走竜は、力の限り爆走する。
◆
ウンディーネの契約の光が収まると、トーゲン村の様子は一変していた。
リィトの植物魔導や世界樹の祝福ですくすくと育っていたトーゲン村の作物に、瑞々しい露がおりている。
土には潤いがあり、生命力が大気に満ちている。
「す、すばらしいにゃ……っ!」
「ウニャーーーッ! こ、これだけ水があればっ!」
「ああ、そうだな」
リィトは畑の片隅にある蛇口に歩み寄る。
水不足のこの土地にやってきたときに、ベンリ草で作成した地下水を汲み上げる水道だ。
生活用水から農業用水まではまかなってくれていた、トーゲン村の生命線だ。雨のほとんど降らないこの土地で、豊かなスローライフを送れていたのはこの地下水のおかげだ。
地下水というのは、大昔に降った雨が植物たちの力で地中に流れ込み、途方もない時間をかけて濾過され、ため込まれていくものだ。
ナビの解析の結果、この一帯の地下水は決して豊かではない。かつての自然の恵みを切り崩す行為を続けるのは、リィトとしては避けたいところ。
というわけで。
「今まで、ありがとうな」
リィトはそっと、蛇口を閉じた。
「……生命枯死」
指先が蛇口に触れた瞬間に、蛇口は枯れて朽ちて、土の一部となった。
蛇口としての役目を終えても、これはトーゲン村の土の一部となる。
植物は、生きている間はその根で土を支えて、死んでからも大地となる。そういう存在なのだ。
「……とはいえ、緑肥だけじゃ心許ないけどな」
農作物を作る際に使われる肥料は、大きく分けて「緑肥」と「堆肥」に分けられる。緑肥は枯れた植物を肥料にしたもので、堆肥は動物の糞を発酵させたもの。緑肥であれば、生長促進と生命枯死を繰り返して大量生産ができるが、どうしても堆肥の栄養価にはかなわない。
ゆくゆくは畜産もしてみたいところだ。水の心配がないというのは、そういった方向に村を発展させることも許されるということで。
「また楽しみが増えたな」
思わず、小さくガッツポーズをした。
「通知! ──称号【ウンディーネの契約者】を獲得しました」
「また称号か」
「戦いの日々よりも、このような土地にやってきてからのほうがステータスが上昇するとは……」
ナビが、なかば呆れたように言った。
──そのときだった。
「リィト様ぁああぁぁっ!」
「ほげっ!」
背後から猛烈な勢いで、リィトに抱きつく──いや、タックルをかます者がいた。
「あ、アデル……」
「先ほど、村でなにやら不穏な光が! なにかあったのですか」
「あ、ああ……たぶん、ウンディーネの……」
「神殿の探索でなにかあったのですか!? モンスター討伐であれば、このアデリア・ル・ロマンシアが全力で助太刀を」
「ち、ちが……」
直情的で純粋で熱血漢。
優れた筋肉の持ち主であるアデルは、思い込んだら止まらないタイプだ。
リィトの背骨がミシミシと音をあげていたとしても、アデルの重いは、いや、思いは止まらない。
「リィト様になにかあったらと思うと……胸筋が引きつりそうでしたわ」
「そ、それは心臓が張り裂けそう、かな……?」
「とにかく心配でした!」
ぎゅうぎゅうと締め上げられて、落ちる寸前のリィトを救ったのは、ウンディーネだった。
「そなたは我が契約者を害する者か、人の子よ」
「……人型のモンスターですわね」
アデルに殺気が宿る。
リィトは慌てて否定した。
「ち、ちがう。彼女は……ウンディーネだ」
「…………は、はい?」
「さよう。わらわはウンディーネにして、リィト・リカルトと契約によって結ばれたこの地の清流の守護者なり」
「……なっ」
帝国と行き来しているアデルとは、リィトは長らく入れ違いが続いていて会えていなかった。
ウンディーネ神殿の探索へ行く、というところまでは知っていたアデルだったが、まさかウンディーネが発見されていたとか。
しかも、リィトがそのウンディーネの契約主になっているとか。
にわかには信じられなかった。
「な、なん!? ちょ、ちょ、ちょっとお待ちください! これはいったいどのような状況で!? 」
「えーと、話せば長いというか」
「……ふむ。敵対者ではないのか」
ウンディーネはアデルをじっと見つめて、ふいに興味を失ったようにそっぽを向いた。
「では、わらわは顕現を続ける必要もあるまい。神殿に帰る」
「ぷぎゅっ」
徐々に消えていくウンディーネに、魚人族たちが不安そうに飛び跳ねる。
「案ずるな、わらわはお前たちとともにある。神殿に戻ればいつでも相まみえることができよう……」
ウンディーネの本体は、神殿にいることで最も効率的に力を回復できるらしい。
「我が契約者よ」
「うん」
「──わらわの権能の一部はそなたに預けるぞ」
そう言い残して、ウンディーネは消えてしまった。
魚人族たちがきょろきょろと辺りを見回す。
姿は見えなくても、ウンディーネの気配は途切れていない。
リィトの治めるトーゲン村が、ウンディーネの加護の元にあるからだろう。
魚人族たちは、また安心したように村の中を興味深そうに散策しはじめた。彼らにとっては数世代ぶりの神殿外の世界。興味が尽きないようだ。
リィトはウンディーネが言い残した言葉が気になっていた。
「……権能って?」
ナビが、即座にリィトのステータスを探査した。
「新スキルの獲得を確認しました」
「まぁ! リィト様が新たなるお力を!」
スキル『探羅万象』に続いて、新しいスキル。
称号【ウンディーネの契約者】を獲得した今、かなり期待ができそうだ。
ファンタジー感あふれる格好いいスキルに違いない。
「……困惑……」
「どうした?」
「……──新スキルの獲得を確認」
ナビの言葉に、全員が身を乗り出す。
「どんな新スキルなんだ?」
「にゃ?」
「ニャッ」
「…………うろ」
「え?」
ナビが、なぜか恥ずかしそうに目をそらす。
「……新スキル『じょうろ』を獲得しました……」
しん、と。
静寂がトーゲン村を包んだ。
じょうろ。
……じょうろ?
「それ、どんなスキルなのにゃ……?」
全員の純粋な疑問のまなざしに、リィトは首を傾げる。
じょうろって。
あの、花に水やりをする? ぞうさんの形にデフォルメされがちな?
頭の中に、ウンディーネの声が響く。
──この地を潤すのに、力のほとんどを使ってしまった……再び力を蓄えるまでは、そなたに託せる権能はそれだ。
(えええ……せめて『如雨露』とか、そういう当て字で……)
リィトが新スキルに戸惑っていると、
「あっ、だいじょぶ、ですか!?」
フラウが慌てて駆けだした。
その方向を見ると、魚人族の一匹が地面に倒れて目を回していた。
どうやら、村のあちこちに咲いている小さな花が珍しく、じっと見ている間に干からびてしまったらしい。
ぬめっとしていたはずの体表が干からびている。
周囲の魚人族が慌てて助け起こそうとするが、彼らも水分不足で焦燥しているようだ。
「いけません、お助けしなくては」
「川に運ぶニャッ!? お魚くわえるのは得意だニャッ!」
「くわえちゃだめだろ」
川までは走って数分。
急いで運べば命に別状はないだろうが、一刻を争う。
そもそも、この状態から水に放り込んでいいのだろうか。
直射日光でほかほかになった体をひんやりした水に浸したら……うん、気持ちよさそうだ。
「……ん?」
リィトは、あることに気がつく。
倒れている魚人族の体は、触ってみるとまだ湿り気を帯びている。
ただし。頭部に、丸いものがついている。
日向の直射日光にさらされて、すっかり水気がなくなってしまっている。体表と同じ色味なのでわかりにくかったけれど。
「これ……か、カッパの皿……!?」
そう。
リィトにはなじみの深い、カッパの皿だ。
河童といえば、皿。その皿が乾くと動けなくなるやつ。
そのとき、右腕に違和感を感じたリィトは、思わず右手首を掴んだ。
「み、右手が……う、うずっ!?」
「マスター、スキル発動の準備ができています──スキル『じょうろ』、発動まで三、二、一──」
ナビの声と同時に、リィトの右手から──水があふれ出した。
「うわぁ!」
干からびて倒れている魚人族の頭の皿に、リィトの手からあふれ出した水がじゃばじゃばと注がれていく。
数秒もたたないうちに、魚人族がぱちりと目を開いた。
「ぴぎゅ……ぷぅ……?」
「き、気がついたかい?」
なにが起きたのかわかっていない魚人族が、むくりと起き上がってキョロキョロと周囲を見回して……リィトを見上げた。
「……ぴぎゅぷぅ~~~っ!!!」
むぎゅっと魚人族に抱きつかれて、リィトはぎょっとする。
陸上では意外と可愛らしい鳴き声をあげる魚人族が、リィトの周囲を取り囲む。
「ぴぎっ!」
「ぷぎゅ!」
「ぴきゅーっ!」
リィトの手から水が出ることに気がついた彼らが、自分の皿にもかけてくれと頭を突き出して揺れている。
モッシュピットの真ん中に棒立ちになっているロックスター的な絵面になりつつ、リィトは魚人族の頭に水をふりかける。
「……これ、もしかして際限なく出るのか?」
「肯定、水の勢いは一定ですが、ウンディーネの魔力が枯渇しないかぎりはスキル『じょうろ』の発動に制限はありません」
「それは便利だな!」
水の有無は本当に重要だ。
植物だって人間だって、水がなければ生きていけないのだから。
「リィト様!?」
アデルが驚愕に震えた。
「その……水を際限なく扱える能力を得たと言うことは……旅や進軍につきまとう制限がなくなったということですよ……!?」
「ニャああ……な、なんとぉ……ッ! こんなスキルがあったら行商可能な地域が増えるニャ……ッ!」
アデルの言葉に、ミーアもコトの重大さに気がついたようで毛を逆立てて衝撃を受けている。
「あっ」
そういえば。
飲用水の確保というのは、あらゆる活動の基礎にある。
進軍にせよ行商にせよ、水さえあれば……という状況は無数にある。
いかに高位の水魔導師といえども、無から水を生み出すことはできないのだ。空気中の水分を凝固させて水を生み出す、という芸当もできるが、それこそ帝国で『賢者』とされるひと握りの魔導師が隠し持っている奥の手というレベルだ。
「……ま、当面は使う必要はなさそうかな」
となると、このスキルについてはあまり知られないほうがよさそうだ。
秘密をばらすような者はトーゲン村には出入りしていないが、念のため気を引き締めておこう。
「はーぁ……もったいないにゃあ……」
マンマが溜息をつく。
ウンディーネ神殿での一件は、『嘘か真実か、ガルトランド都市伝説』という眉唾もののエピソードを集めた記事にすることになっているらしい。
「ふにゃ……この大発見も一切合切記事にできないオフレコなんて、まさに猫人族にパァルであるにゃあ……」
リィトは改めて、トーゲン村を見回す。
瑞々しい畑に、こぢんまりとした家々。
その間を走り回る花人族と魚人族。
光を纏った世界樹の苗木。
そして、新たに得たウンディーネの加護。
「……水があれば、水耕ができる」
リィトは震えた。
そう。
この異世界ハルモニアの一番の問題点。
飯が不味い。
それを解決する日がきたのだ。
「米が……米が作れる……っ!」
トーゲン村の資源とリィトの植物魔導……今の状況ならば、豆も米も麦も作れるはずだ。
バリエーションの少ない味の薄い料理とはおさらばだ。
リィトは思わずあふれた涎を拭き取って、新たな可能性に思いを馳せるのだった。