新スキルってテンションあがると思う
水精霊、神殿、探索。
すべてがワクワクと心躍るファンタジーワードだ。
リィトは、マンマとフラウ、そしてナビを連れて東の山へと向かった。
「アデルさま、誘わないでよかった、ですか?」
ベントーのバスケットを抱えたフラウが、ちょっと申し訳なさそうな顔でリィトに問う。
「一応、声をかけたんだけど……まったく起きる気配がなかった」
帝国では第六皇女として、名誉職とはいえ騎士団長のひとりとして、気を張って生活しているのだろう。
おそらく、リィトに言っていないストレスもあるのかもしれない。
トーゲン村に来たときくらいは、ゆっくりと休息をしてほしかった。
東の山の奥深く。
ごくわずかな、けれども清らかな水の湧いていた沢──その一角にあった、古代文字と紋章の刻まれた岩。
この数週間、まったくもって進展のなかった水精霊神殿の跡地である。
「よっと」
靴を脱いで、沢に入る。
汗ばむような夏の空気の中で、ひんやりとした温度が嬉しい。
リィトはゆっくりと岩の前に立ち、大きく息を吸い込んだ。
「……ナビ」
「起動」
「状況の報告を」
「了解──新スキルを起動します」
ナビが神々しい光を纏う。
「……これは」
ナビが驚いたように目を見開く。
「報告、探索能力および演算能力の微弱な向上を確認──ナビゲーションシステムの全ステータスが上昇しています」
「マジか……っ!」
要するに、ナビの──異世界ナビゲーションシステムのランクアップが起きたということだ。リィトが異世界にやってきてからの、まさかの事態であり、願ってもない状況だ。
この世界ではスキルを所持していたとしても、ナビのような存在がいなければ意識的に使うことは難しい。
そういう意味では、もとよりナビの存在はリィトだけの特別な技能だった。
植物魔導という強力な武器はあれど、リィトがロマンシア帝国の対魔百年戦争に終止符を打てたのは、ナビの存在が大きい。
周辺の地形のスキャンや、簡単な索敵、そして異世界にまつわる知識のデータベース化がナビの主な能力だった。
探索能力の向上により、今までよりも精度の高いスキャンが可能になりそうだ。
目を閉じ、魔力が循環するのを感じながらナビの声を待つ。
「スキル起動、『探羅万象』──……」
リィトはゆっくりと目を開く。
水精霊の神殿であることを記した古代文字と紋章の中心。
そこが、薄らと光っている。
「ここ、か?」
リィトは、その光っている部分に手を触れる。
「マンマ」
「にゃ?」
「呪文、教えてくれ」
マンマが慌てて手帳を取り出す。
不慣れな様子で呪文を読み上げるマンマの声に重ねるように、リィトは呪文を詠唱する。
一節ごとに、一音ごとに。
魔力が呼応していくのを感じる。
マンマの調べてくれた呪文が間違っていたわけではなかった。
水精霊神殿の封印を解除するためには、資格が必要だったのだ。
「──称号【世界樹の祝福者】により、特殊結界の解除を確認……マスター、待避を」
「えっ」
その瞬間。
地鳴りとともに、沢の底が割れていく。
「うわっ!」
「リィトさまっ!」
「フラウ、来るな!」
ポケットから取り出したベンリ草の種を、地面にまく。
地割れから水が噴出し、せり上がってきたのは──巨大な門だった。
門に吸い込まれていく大量の水に、リィトが呑み込まれかけるが──ベンリ草で作ったロープがどうにかリィトを地面に繋ぎ止めてくれた。
「……ふぅ」
「す、すごいであります……これは……っ!」
先ほどまでは、岩と泥しかなかった場所に壮麗な門が出現していた。
美しい彫刻が施された柱や精悍な顔つきの女性が彫られたレリーフは、どこからどうみても──
「水精霊神殿!」
どきどきと胸が高鳴る。
モンスター討伐のためではなく、冒険と発展のための探索だ。
気持ちがはやるなんて、いつぶりだろう。
目の前で起きたことに圧倒されて、目を丸くして口をぱくぱくしているフラウを安心させるようにリィトは微笑みかける。
「よし、行こうか」
「は、はいっ」
こくん、とフラウは頷いた。
リィトの予想では、水精霊神殿を攻略するにはフラウの協力が必要だ。
この土地から出たことがなかったフラウの初めての冒険が、ずっと彼女が暮らしていた東の山からはじまる。
少しだけ誇らしい気分で、リィトはフラウの手を引いた。
花人族の病気を癒やし、トーゲン村を開拓してきたのは、自分のためだけではなかったような気がする。
神殿へ向かうリィトたちの背後で、マンマはわなわなと震えていた。
「す、すきる……? しょうごう……?」
なんなんだ、それは。
ギルド自治区一の情報ギルド所属の自分が聞いたことも見たこともない力を振るっていた──ただ者ではないと思っていたリィト・リカルトだが、いよいよもって、とんでもない人物だ。
宇宙を漂う猫人族フェイスになっていたマンマは喉を鳴らした。
◆
精霊。
別名、高位魔力生命体。
空気中に満ちる空中魔力の減少によって姿を消した、古代にあった高度魔導文明を象徴する存在だ。
かつては、自然界には精霊が存在し、精霊の力を借りて人間の魔導師たちは今よりも強大な力を振るっていた。
数百年前に、世界樹が姿を消して以降、精霊たちも少しずつこの世界から姿を消していった──と、伝えられている。
北大陸のロマンシア帝国では、精霊の存在やかつての遺構は、すでにおとぎ話のような扱いだ。
──つまり。
水精霊神殿の復活は、現段階では歴史的大発見であるといえる。
情報ギルド『ペンの翼』の記者であるマンマは震えていた。
普段マンマが手がけているようなゴシップ系のスクープとはわけが違う。
歴史に残る記事になるかもしれないのだ。
しかし。
「よーし、この水量を村に引ければ畑が安泰だ!」
不思議な力でこの神殿を蘇らせたリィトは、とにかく目の前の「水不足解消」が嬉しいようだった。
拍子抜けしたような気持ちになりながら、マンマはリィトの後ろをくっついていく。
膝下までとはいえ、冷たい水に浸かっているのが、尻尾の先の毛がしびびと逆立ってしまう。
「おお……っ!」
階段を降りきった神殿の内部は、完全に地下にあるにもかかわらず淡い光に包まれている。
あちらこちらに繁茂しているヒカリゴケの一種と、不思議な青い光を放つ宝石によって美しく照らされている神殿内部は思わず見とれてしまう美しさだった。
投げ売り同然の痩せた土地、集落はおろか野生動物すらもほとんどいない土地にあった、東の山。
花人族たちが住んでいた、恵みが豊かとはいえない、かろうじて緑が生き残っていたレベルの山の中に、こんな荘厳な神殿があったなんて。
時の流れの残酷さや、かつてここに栄えていた精霊信仰に思いを馳せながら、リィトたちはしばしその光景に圧倒される。
神殿の良好な保存状態に反して、自分たち以外に生命の気配がない。
静寂が、より水精霊神殿の神聖さを際立たせる。
最初に口を開いたのは、フラウだった。
「……だれも、いないです」
「うにゃ、怖いのでありますか」
怯えるフラウに、マンマは虚勢を張ってみせる。
「こわい、です」
「ふふん、フラウはビビり屋ですにゃ」
「マンマは、怖く、ないですか?」
「……わ、わがはいは数々の修羅場をくぐり抜けてきた歴戦の記者ですからにゃっ! な、なにも怖いことなど……」
ふと、そんなやりとりをしているマンマの足下を見たリィトは、小さなカニがよちよち歩いているのを発見した。
水の中にずっと浸っていた水精霊神殿は、つい先ほどまで封印されていたとは思えないほどに、美しい状態だ。
小さな水棲生物があちらこちらに生きているのが見えた。
カニ、小魚、それから蛍のように光る昆虫。
立ち並ぶ柱を見回して、リィトは大昔に高校の授業で習った「ヘレニズム文化」とか「オリエント」とか、そういう言葉を思い出していた。
ちなみに、それぞれの単語がなにを指しているのかは知らない。
リィトにとっては、足下に繁茂している薄く発光しているヒカリゴケや、目の前の白いカニのほうが少しばかり興味深い。
(……お、白いカニだ。日光が当たらないから色素がないのか)
よちよち。
よちよち。
日光に当たらず、真っ白い甲羅のまま元気に動いているカニは、よく見るとけっこう気持ち悪い見た目をしているな、とリィトはぼんやり思った。
(な、内臓っぽいものが透けている……っ!)
まじまじとカニを見つめるリィト。
わりかし大きめのカニは、おそらく生まれて初めて──どころか、数世代前まで遡っても見たことがないであろう、頭上で揺れるふわふわの長毛種猫人族の尻尾に──はさみを伸ばした。
「あっ」
「ふぎゃああああっ!!??」
マンマが、天井まで飛び上がる。
ふさふさの尻尾なぶん、小さなはさみが肉に食い込んでいることはなさそうだが、急に敏感な尻尾に攻撃を加えられたマンマは完全にパニックを起こしている。
「マンマ、大丈夫かっ!」
「ふにゃあぁあぁっ、お、お、おばけである~~~~っ!」
「は、わわ……マンマ……っ 」
「ほぎゃにゃあぁぁっ!」
日々、たくさん眠り、たくさん酒を飲み、徹夜で記事を書いては、朝からリィトからすれば味気ないドーナツもどきを食べることをなによりの楽しみにしている、退廃的文豪ムーブに余念がないマンマである。
のんびり、ふにゃふにゃ。
そんなマンマが、全力で、神殿内部を縦横無尽に走り回っている。
「ナビ、スキル『探羅万象』起動」
「了解、マスター」
スキルを起動すると同時に、魔力が全身を駆け巡る。
視界や聴覚、皮膚感覚が鋭敏になっていく。
脳がカリッカリにチューンされていき、すべての処理速度が上がり、周囲のなにもかもがスローモーションに感じられる。
ふさふさの尻尾をはさみで挟んだまま、走り回るマンマにぶんぶん振り回されている哀れな白いカニすらも、しっかりと認識できる。
心配そうにマンマを見つめているフラウにいたっては、完全に静止画のようだ。
(とりあえず、周囲に危険なし。マンマのパニックが収まるのを待って──ん?)
周囲の魔力の流れに、わずかな変化が発生した。
階段を降りきった神殿内部の中心にある、空っぽの祭壇。
その近くに、なにかが動いた。
「敵性反応か?」
「いいえ……ただ、ナビのデータベースにはない反応です」
「っ!」
ナビのデータベースは、この異世界ハルモニアにおける一般的な認知に基づいて作成されている。
一般的な認知、というのは秘匿されていない情報のすべてを指す。
つまりは、村の長老の多くが語る昔話だとか。
子どもたちがベッドの中で聞くおとぎ話だとか。
口頭伝承、教育機関での指南、信仰、そういったあらゆる「一般的」な知識を網羅しているはずなのだ。
美女型Wi●ipedia(異世界版)というイメージが一番近いだろう。
だからこそ。
(ナビが知らない反応……マジで精霊、か……?)
どきん、と心臓が脈打つ。
精霊がどんなものか、わからない。
今まで、ナビがいたことでリィトは本当にわからないものに対峙することはなかった。
だからこそ──未知の存在に対して、薄らとした恐怖を感じた。
「……戻れ、マンマ──生長促進」
「うにゃふぅ~~……っ、がばっ!?」
リィトはポケットのベンリ草を植物魔導『生長促進』で操り、マンマを捕まえた。
蔓にぐるぐる巻きにされたマンマは、やっと落ち着いたようだった。
たらんと垂れた尻尾から、白いカニがぽろりと落ちた。
マンマをベンリ草の蔓から下ろしてやる。
目をまん丸にして硬直しているマンマを抱き起こす。
普段から、マンマとミーアになでなでを要求されているリィトだが、猫人族をこうして抱っこするのは初めてだった。
(ぬ、ぬくい)
前世からの夢が、猫を飼ってまったり暮らすことだった。
こんな形で、念願の猫を抱っこする夢が叶うとは。
「……にゃ、ふ」
カタカタと小刻みに震えているマンマが、リィトにしがみつく。
少し戸惑いながら、抱きしめ返す。
マンマの猫耳からは、インクと日だまりの匂いがした。
ロマンシア帝国では、猫人族は愛玩用に金持ちに飼われていることが多かった。
心身ともに傷ついた猫人族の存在を知っていたぶん、リィトはミーアやマンマに触れるときには慎重になっていた。
マンマの耳に帝国の愛玩猫人のイヤータグの跡があることは、リィトだけが気付いているだろうから。
「──簡易スキャン。バイタルに異常はありません」
「そうか。よかった」
ほっと胸をなで下ろす。
「だ、だいじょぶ、ですかっ」
「……う、う、うぅ~」
フラウの言葉をきっかけに、マンマが堰を切ったように泣き出した。
◆
泣き止んだマンマは、ぺちぺちと両方の頬を叩いた。
「本当に大丈夫なのか?」
「もちろんにゃっ! 記者魂、ナメないでほしいのであるっ」
むふんっ、と勇ましい表情。
「それに、わがはいにはこれがある!」
じゃじゃん、と取り出した水筒には見覚えがある。
マタタビ酒だ。
「飲酒はだめだろ」
「いやいや、景気づけにゃ!」
「……没収」
「にゃーーーーっ」
リィトは没収した水筒を首にかけた。
酒クズの手の届くところに酒を置いてはいけない。
「……解析完了しました」
スキル『探羅万象』で神殿内をスキャンした結果、中央にある祭壇がフェイクだということがわかった。
その下に、さらに空間が広がっていたのだ。
祭壇にかかっていた封印を解くと、その下には水で満たされた階段があった。
狭い入り口から中を覗き込むと、数メートル先も見えないほどの暗さだ。
人族にも花人族にも、もちろん猫人族にも、水の中で活動することなどできない。
「ふにゃ……また水を抜くことはできないのにゃ?」
「それは難しいと思う、水系の魔導師を連れてくればあるいは……って感じだけどな」
「むむぅ」
「あるいは……」
リィトにはひとつ、秘策があった。
ベンリ草の種をいくつか水の中に落とす。
「──生長促進」
植物魔導を発動する。
ベンリ草の生長に関わる細胞を数百倍、数千倍活性化させる。
リィトの魔力を吸い上げて、ベンリ草が育っていく。
繁茂、繁茂、繁茂。
フラウがその様子に瞳を輝かせる。
神殿内を埋め尽くすほどの巨木に育っていく。
たくましくうねった幹に、フラウはうっとりとした様子で頬ずりしている。花人族の植物好きにも慣れた頃だと思っていたが、リィトが魔法を使うたびに大喜びしてくれるのには、さすがに感心してしまう。
単純に、照れくさいというのもあるが。
「……あれ?」
ふと、リィトはベンリ草の生長を止める。
おかしい。
祭壇の下の通路を確認するが──水が、まったく減っていない。
「全然減らない……って、おかしいな」
「ふにゃ、どういうことである?」
「植物の生長には、光と水と酸素が必要だろ。で、どれくらいの水で生長するかっていうのは植物によって変わるんだ」
大量の水を消費する農作物、たとえばトマトをひとつ栽培するのに必要な水は五〇リットル──畑一面のトマトを栽培しようとすれば、膨大な水が失われることになる。
地下を満たす大量の水を汲み上げることは、植物魔導師であるリィトには不可能だ。
だが、水を大量に消費して生長するように植物を創り変え、意のままの速度で生長させることであれば可能だ。
理論上は、巨大な湖を干上がらせることができるほどに──というか、実際に対魔百年戦争で水中にある地下遺跡を攻略する際に、同じ方法をとったのだ。
ロマンシア帝国最大の湖の底に、大型水棲モンスターを吐き出しつづける地下遺跡が発生してしまったことがあった。
それらを一気に討伐するために、リィトが取った作戦が『水を干上がらせる』だったのだ。
しかし。
湖よりは水量がおとるはずの、神殿地下の水かさが少しも減らないというのは異常だ。
「ナビ、状況報告」
「水底から魔力反応あり──他、微弱な生体反応を検知」
「数は?」
「魔力を帯びた水のせいで実数を把握できませんが、五から八……精度を上げての探索を実行しますか」
「いや、いい。データベースにない反応なんだろ」
「肯定、また、詳細不明の水源を確認しています。マスターの魔導発動に合わせて水を生成していることを確認」
テンポよくやりとりをするリィトとナビの様子に、フラウはぽかんとしている。
たしかに、かつて帝国内を転戦していたときには毎日のようにナビとこういったやりとりをしていたけれど、トーゲン村に暮らしはじめてからはじゃれ合うような会話ばかりだった。
久々の感覚と知らない間に様変わりしていた自分たちの暮らしに、思わず吹き出してしまうリィトだった。
「他の植物はだめなのかにゃ?」
「うーん、実は持ってきた種子も心許ないんだ。ベンリ草以外は、地道に拾い集めるなり、腰を据えて種子を増やすなりしないといけない」
もとより水を食う種類に、植物魔導をかけてリトライすることもできる。だが、確実性がないうえに貴重な種子を消費するのはいただけない。
「撤退しますか?」
「いや……」
未知の状況。
もしもリィトたちに敵意がある存在が、水中に待ち受けているとすれば──かなりの危険があるだろう。
だが。
リィトに引き下がるという選択肢はない。
「これだけの水を村に引ければ、畑も飲み水も心配なさそうだ」
「水質に問題はありません」
「なら、潜ろう」
水源の確保は、リィトにとって──いや、トーゲン村にとって解決することが必要不可欠な課題だ。
水さえあれば。
育てられる作物が増える。
畑を広げて、花人族たちの生活基盤を作れる。
そうなれば、ミーアが頭を悩ませている赤ベリーの誤発注問題も解決だ。
トーゲン村絡みの商取引にともなってミーアから受け取るマージンによって、村の生活に必要でもリィトでは作ることのできない様々なアイテムを買い足しているのだ。
ベンリ草で編んだソファも悪くないが、ふかふかのソファに座りたいと思っても、バチは当たらないはずだ。
そして、なにより。
(もしかしたら、精霊に会えるかもしれないんだぞ)
魔導師としての好奇心が、リィトを突き動かす。
村の暮らしは平和だが、少しだけ刺激が欲しいと思っていたところだ。
「フラウ、借りるぞ」
「は、はいっ?」
フラウの頭に生えている花冠。
花人族たちが身体の一部に寄生──いや、共生させている植物だ。
個人によって、どんな植物を身に纏って生きているのかは異なるが、喜怒哀楽に応じて花が咲いたり萎れたりするという不思議な性質は共通している。
フラウの髪の毛に、リィトは手をかざす。
「──植物魔導『性質強化』、のびのびと在れ」
リィトの命令に呼応するように、フラウの花冠の葉っぱが輝く。
ちょうど、三枚。
魔力を帯びた黄金色に紅葉した葉っぱが、フラウの髪に揺れる。
冷たい薄青色の光に包まれた神殿の中で、ひときわ生命力を感じさせている。
「よ、いしょ」
ぷつん、とフラウが髪から葉っぱをもぎとる。
ベンリ草は、リィトの魔力に呼応して手足のように操ることができる『操作性』に特化して創られている。
もしものときには、フラウの花を使わせてほしいと話を通していたのだ。
「うな? なんでありますか、これは」
「まぁ、見ててくれ」
フラウから受け取った葉っぱを手に、リィトは祭壇の下に現れた階段を降りていく。
水で満たされている中に、ざぶざぶと、ためらいなく。
「リィト!?」
全身が水に浸る瞬間に、リィトはフラウから受け取った黄金色の葉っぱを口に押し当てた。
ちょうど、草笛を吹くような姿勢だ。
(……一応、これで理論上は呼吸ができるはず)
ごぼ、と肺から空気が抜ける。
スキル『探羅万象』により視力が強化されていて、水の中でも視界はクリアだ。葉っぱごしに、大きく呼吸をする。
肺の中に流れ込んでくるはずの冷たい水は──
「ぷはっ!」
数分後。
リィトが祭壇の下の穴から顔を出す。
「だ、大丈夫であるかっ」
「はぁ、はぁ……ああ、大丈夫だ」
ニッと笑って見せると、二人が胸をなで下ろす。
ナビが光を纏って、探索スキルを起動する。
「測定開始。心拍、血中魔力……バイタル、異常なし(オールグリーン)です」
いける。
植物の光合成を利用した、簡易的な酸素ボンベだ。
「……この葉っぱを咥えていれば、水の中でも呼吸ができる」
「にゃ!? そんなことが可能なのであるか!?」
「ああ、名付けて……『草ボンベ』とかどうかな」
リィトは胸を張る。
まだ品種として確立させてはおらず、術者であるリィトの存在が前提だが、これはかなり便利な一品のはずだ。
たとえば、海底に住んでいる牡蠣とか雲丹的な美食を拾えるようになるかもしれない。トーゲン村から海はやや遠いが、いつかは海岸線まで開拓をしていきたいところだ。
「…………」
「…………」
「……え? ど、どうしたんだよ。フラウ、マンマ」
リィトの言葉を聞いてから、黙りこくっている。
どうしたのだろう、もしかして水気の多い場所でお腹でも痛くなってしまったのだろうか。女子だし。
自分とは違う身体の造りをしている相手のことは、想像でしか心配できない。気遣いしすぎるということはないだろう。
「進言。この沈黙は……マスターのネーミングセンスが大変……アレだからかと」
「えっ?」
わかりやすい名前だと思ったのだけれど。
首をひねるリィトだった。
「……くさぼんべ、いい名前ですっ」
フラウがぎゅっと両手を握りしめて言ってくれたが、なんだか気を遣われている気がするリィトだった。
◆
「じゃあ、フラウ。もしもこの赤い花が枯れても俺たちが戻らなかったら、すぐにトーゲン村に戻ってくれ」
リィトの言葉に、フラウが真剣な表情で頷く。
草ボンベに、もともと周辺に繁殖していた蓄光性の苔と組み合わせ、光合成を促す。
それにより、数時間の稼働ができるようにした。
「早めに引き返すつもりだが、万が一がある」
「は、はい」
「マンマも、もしものことがあれば離脱だ……っていうか、本当に大丈夫なのか?」
「だ、大丈夫なのにゃ……たぶんっ」
猫人族は、種族として水が苦手だ。
そこを記者魂で乗り越えて、リィトの水中探索に同行するつもりらしい。
万が一にもはぐれないように、ベンリ草でつくったロープでリィトとマンマの腰を結ぶ。また、離脱しやすいようにナイフも持たせた。
「リィトはいらんのですにゃ?」
「ベンリ草でできてるものなら、魔導でどうにでもできるさ」
「おお、さすがは帝国の大魔導師ですにゃ」
「いや、それはやめろって……マンマは大丈夫か?」
マンマはナイフをしゃきんと構えて見せた。平素酔っ払っている人物が持っているナイフは普通に怖いなと思ったリィトであったけれど、口にはしなかったのだった。
「うにゃ! いざとなったら、爪でスパッであるっ!」
猫人族の手は、人族のものとほとんど変わらないけれど、出し入れ自在の爪の鋭さと身体の柔軟さや敏捷性は他種族を凌駕する。
愛玩用の猫人族は爪を綺麗さっぱり切られてしまっているほどだ。鋭い爪の代わりに安定した生活を手に入れたというわけだ。
だが、マンマには爪がある。
ギルド自治区で、ひとりの記者として生きる猫人族である。
危険な探索への同行を何度も止めたけれど、自らの爪と牙で生きる彼女を無理矢理に止めることはできないし、するべきでもない。
「じゃ、頼んだぞ。フラウ」
「はいっ!」
ぴし、といつにも増して気合いの入った敬礼をするフラウ。
地上での待機には不安もあるだろう。
たったひとりで、ほの暗い神殿で待つのだから。
けれど、フラウの表情はきりりと引き締まって明るい。
つまりは、リィトとマンマの命をあずかったということだ。
「まかせて、くださいっ!」
「うん」
リィトの不在時には、フラウがマンマやミーアとのやりとりを代理で行うこともある。
なにかを任せてもらえることの喜びを知って、少し背筋が伸びるフラウなのだった。
◆
フラウはリィトとマンマが消えていった水面を見つめていた。
祭壇の下の隠し階段の水に足を浸して、ちょこんと座っている。
「……ふふ」
思わず笑みがこぼれてしまい、両手で頬を押さえる。
心配な気持ちも、もちろんある。
けれど、リィトに頼ってもらえることがフラウにとっては本当に嬉しいことだった。
ちゃぷ、ちゃぷ、と。
足で水を蹴る。
花人族の足は、植物の根のように水を吸い上げることができる。
水に浸された足先から、水の冷たさと、こんな地下に貯まっている水なのに新鮮な感触が伝わってくる。
フラウは、ころんと天を仰いで横たわる。
天井にもヒカリゴケや、青く光る石があちこちにちりばめられていて、まるで星空のようだ。
「リィトさま、だいじょぶ……かな」
懸命に覚えた人族の言葉で呟く。
草ボンベを使って水の中に潜るのはどんな気分なのだろう。
マンマのように、自分の仕事に誇りを持って危険に飛び込んでいくのはどんな気持ちなのだろう。
かつて、フラウに人族語辞典をくれた魔導師のようにひとり各地を旅するのは、どんな毎日なのだろう。
フラウはそんなことを考えながら、目を閉じる──と。
「……っ?」
背後で、なにかが動いた。
ひた、ひた、ひた。
湿ったものが、なにかを叩くような音が。
……足音が、した。
「ひぁっ!」
振りかえったフラウは、息をのむ。
そこには──、ぬるりと鱗に覆われた、魚人の目が光っていた。
◆
スキル『探羅万象』は、つまりはあらゆる魔力の流れに関する知覚を飛躍的に上昇させるものだった。
(これは、すごいぞ)
水中にいるにもかかわらず、視界がクリアなのだ。
前世では小学校の水泳の授業で、上手く水中で目を開けられないタイプだった。他人が水着一枚で入っている水が、目の粘膜に触れるのも気持ちが悪いし。
けれど、今は苦もなく目を開けていることができる。
泳ぐのが得意というわけではないが、水中でどのように手足を動かせば自由に進めるのかが直感的にわかる。
草ボンベの挙動も良好で、呼吸にも問題がなさそうだ。
(……よし、マンマも大丈夫だな)
マンマは、ナビのサポートを受けながらあとをついてくる。
これも、なんらかのステータス上昇が関係しているのかもしれない。
(うぅん、こっちは神殿というよりは、ただの洞窟って感じか)
『報告、周辺の魔力反応に目立ったものはありません』
周辺に探索を走らせるが、ナビからのフィードバックでは決定的なものはない。
(目立ったもの、か。むしろ──)
『……肯定、魔力反応が不自然なほどにありません。事前に探索していた反応が消失しているのが不気味です』
(だな、警戒をしつつ進もう)
人工精霊であるナビは、水中であっても問題なく喋っている。
リィトの思考を読み取りつつ、マンマの行動をサポートしている。
実にできた相棒だ。
(うぅん、日の当たらない水中だと、さすがに植物ないか……つまらん)
水草や苔については専門外だ。
植物魔導は土と水の混合属性魔導だ……と、リィトは理解している。自分の他に植物魔導の術者を知らないため、ほとんど独学ではあるのだが。
水と土、その二つを高度に極めているリィトだが、魔導の方向性としては「両者のバランスを取る」というものだ。
だから、水草は専門外。
今後研究してみても面白いのかもしれないが、水属性の魔力傾向が強すぎて地上に繁茂する植物ほどは上手く操ることはできないだろう。
(……ん?)
そのとき。
リィトの肌がピリリと粟立つ。
『魔力反応あり、警戒体勢を推奨します』
(了解、ナビは行動原理をマンマの保護に設定しろ)
『……了解』
(俺は大丈夫だから、心配ない)
ほんの少し不満そうな、不安そうな声を滲ませるナビ。
リィトはナビを安心させるように、親指を立ててみせる。
魔力反応は背後から近づいてくる。
身振り手振りで、なんとかマンマに危険を知らせようとする。
口元に当てた草ボンベを取り落としてしまえば、いっかんの終わりだ。呼吸ができず、周囲に植物もない状態ではリィトにできることも限られてしまう。
(えぇっと、こうして、こうっ! ほっ!)
しゅばっ、しゅば、とキレキレの動きでマンマに危険を伝えるリィト。ナビの内声はリィトにしか聞こえない。
声による意思疎通ができないというのは、かなり不便だ。
シュバッ!
(後ろから!)
シュババッ!
(魔力反応が!)
シュババババッ!
(近づいている!)
リィトの動きを集中した様子で見つめていたマンマは深く頷いた。
逼迫した状況が伝わったようで、リィトはひとまず安心して近づいてくる魔力反応に意識を注ぐ。
その背後にいるマンマは真剣な面持ちで、現状を整理していた。
(にゃふ……リィト……そんなにトイレに行きたいのにゃ……っ!)
ごくり、と喉が鳴る。
どうにか我慢してもらわねば。
水中での漏洩は、かなりの大事故である。
緊張の面持ちの一同の心中は、少しのズレがあるのだった。
『……あれは、フラウさん』
ナビが怪訝そうな声をあげた。
リィトの目にぼんやりと浮かんできたのは、フラウの姿だった。
この水中に、どうして?
『……フラウさんのバイタルは安定しています。呼吸状態も良好……どういうことでしょう……精密探索を継続します』
フラウには呼吸用の草ボンベを渡しているわけではない。
だが、バイタルが安定しているというのは朗報だった。
ひとり残してきたフラウになにかあっては、というのはリィトの心配事だったのだ。神殿内に危険な反応はなかったはずだが。
しかも、近づいてくるのはフラウだけではない。
周囲には、フラウと同じくらいか、もう少し小柄な人影がある。
『あれは……照合および推測(まさか、そんな)、魚人族!?』
(なっ、魚人族……実在したんだ)
フラウの周囲を取り囲んでいるのは、魚人族だった。
魚の顔に赤ちゃん体型、ちんちくりんの手足が生えたマスコット的な見た目をしている。
ぎょろっとした目が、不気味でもあり、つぶらでもあり。
……サン●オっぽい。
それが、リィトの抱いた第一印象だった。
近づいてきて、視認できる距離にやってきた一団を見て、マンマが吹き出した。
「もごごっ!?」
藻掻いたマンマが、パニックを起こして沈んでいく。
『警告、草ボンベの装着を徹底してください』
「ふにゃ、……ぶくく」
マンマが溺れかける。
草ボンベを手で押さえるのを忘れて、ポシェットをまさぐろうとしたのだ。
メモ帳とペンを取り出そうとしたのだ。
口先だけではない、記者魂である。
一瞬、マンマに気を取られていたリィトは、魚人族たちの一団に目を戻して──マンマがなにに驚いたのかを理解した。
「ぶぼっ!」
フラウは、水中ではありえないものに乗っていたのだ。
馬だ。
いや、いかに子どもっぽい体型の花人族であっても、馬に乗ることもあるかもしれない。だが、ここは水中だ。
白い馬体。
馬とは異なり、たてがみ部分がよく見れば水草でできている。
蹄は貝殻。瞳は水晶。
明らかに、リィトが知っている地上の生物ではない。
かといって、嫌というほどに戦ってきたモンスターとはまったく違う気配がしている。
(まさか、あの馬が水精霊……?)
だいぶ想定と形状が違う。馬かぁ……ちょっとがっかりだ……。
水精霊といえば、美女系統だと相場が決まっているのでは……。
「照合完了……水馬の一種です」
──馬だった。




