新要素ってワクワクすると思う。
猫人族の目や耳は、人族よりもいい。
「反論、同じ猫人族のミーアさんは何度か探索に立ち会っていますが、進展はありません」
「それは、まぁ、そうだな」
水精霊の神殿にどうやったら入れるのか。
正直、手がかりなしである。
「アデリアも帝都であれこれ調べてくれているし、そのうちなんとかなるだろ」
「気長ですね、マスターは」
「急いでも仕方ないよ」
楽しいことも、義務感でやりはじめれば心身への負担になる。
そんなのはもう、まっぴらだ。
東の山とトーゲン村を往復する日々。
フラウはたぶん、遠足かなにかだと思っているようだ。
それでいい、とリィトは思っている。
「まぁ、俺がいなくても村が回ってるからいいんだけどね」
「リィトさま、はやくはやくですっ!」
「はいはい」
くいくいと袖を引っ張るフラウに、思わず吹き出してしまう。
はじめは深刻な伝染病から花人族を救ってくれたリィトに対して遠慮がちだったフラウも、このところはかなり懐いてきている。
(表情も明るくなったし、いいことだ)
飢え、病気、貧困、戦い。
ロマンシア帝国は、百年続いたモンスターとの戦いで疲弊していた。もちろん、帝都周辺は豊かではあったけれど、誰もがどんよりした、不安そうな表情を浮かべていた──少し前までのフラウのような。
「しかし、水精霊の神殿に世界樹の苗……なんか、もっとスゴいことが起こると思ったんだがな」
ニューアイテム、新要素。
ワクワクするような予感があるけれど、未だ事態は動いていない。
◆
「ふにゃーーーーーっ!」
東の山の沢に、マンマの悲鳴が響く。
「さっぱりわからないにゃーっ!」
持参したメモや資料の山を抱えて、マンマが嘆いた。
書き留めたメモを見ながら呪文をモゴモゴ唱えているが、もともと魔導の基礎がないことと、猫人族独特の滑舌により状況は絶望的だろう。
(解除系の呪文、意外とクセがあるんだよな……)
決して長ったらしい呪文ではないが、早口言葉感がある。鬼門だ。
魔導の専門家であり、呪文や魔導具の研究開発をしている魔導師たちでもたまに噛む。
上手いこといかず、マンマの白灰色の毛並みは、心なしかしょんぼりと萎んでいる。
色々と情報収集をしてくれたはいいものの、どれも空振り。
一生懸命に怪しげな呪文を唱える様子は微笑ましかったが、マンマ本人からしてみればショックは大きかったようだ。
「ふにゃ、わがはいの大量のメモが……紙面の無駄だったにゃあ……」
この世界で紙といえば羊皮紙か梳き紙で、かなり高価だ。
情報ギルドのマンマにとっては、もっとも意識するべき経費だろう。
「おべんと、食べますっ!」
★挿絵①
しょんぼりとしているマンマを元気づけようとしているのか、フラウがいつにもまして明るい声で宣言する。
「ふにゃ……もう帰ってマタタビ酒飲みたいにゃ……」
フラウの励ましも空しく、地面に丸まっているマンマにリィトは苦笑する。
そもそも、さっきマンマが自慢げに披露してくれた呪文も、古めかしいアレンジが効いていたけれど、魔導師であるリィトからすれば、ごくありふれた解除魔法の一種だ。
魔導の才能──ある程度の体内魔力のあるものならば誰でも扱える。ナビの探知能力を起動して調べてみると、マンマにも多少の魔力はありそうだった。
(あれで神殿の入り口が開ければ、苦労はないだろうなぁ)
要するに、今回は残念ながらガセネタだったようだ。
「おっかしいにゃ! この呪文は絶対に間違いないって、発掘ギルドのやつらが言ってたのにゃ!」
「しかし、なにも起きておりませんね」
「にゃあ……情報料かえせぇ……」
涙目のマンマである。
しょんぼりしている薄幸の猫耳美少女の図だ。正直、かなり可愛い。
「それって経費になったりするのか?」
「うにゃ、自腹である」
「げっ」
「ギルドはあくまで個人の集まりなのにゃ、収入も支出も自己責任なのにゃ」
「ろ、労働って大変」
思わず、頭を抱えるリィトだった。
「ふにゃあ」
しょんぼりしているマンマの仕事の愚痴を聞きつつ、サンドイッチをぱくつく。さわやかな苦みのある葉っぱがうまい。
水筒に入れてきた薬草茶と赤ベリージュースが、渇いた喉を潤してくれる。
ぬるいのはご愛嬌。氷魔導でも使えれば、アイスティーもキンキンに冷えたジュースも飲み放題なのだけれど。
「この遺跡が偽物かもしれないにゃ」
「そんな、身も蓋もない」
「にゃーっ! そうじゃなきゃ、こんなになにもみつからないのはおかしいのであるっ!」
「まぁ、たしかに神殿自体が偽物という可能性も考えてもいいけど」
かんしゃくを起こしながらも、サンドイッチをモリモリと食べるマンマ。食べるか騒ぐかどっちかにしてほしいものだ。
「ほら、水飲め」
リィトはマンマに水筒を押しつける。
マンマが欲しがっているマタタビ酒──ではなく、彼女が好んでいる赤ベリージュースだ。本当は、春ベリージュースがもっとも味がいいのだけれど、すでに旬の季節は過ぎてしまった。
花人族たちの作る春ベリージュースはこの世界に来てからもっとも上質で美味しいジュースだったが、保存技術はないのである。
「にゃふ……」
大人しくジュースを口にしたマンマは、少し落ち着いたようだった。
それでも、ふさふさの尻尾でパタンパタンと地面を叩いて不満そうなマンマの様子に、リィトは思わず吹き出してしまう。
「にゃっ、わがはいのこと笑ったにゃ!?」
「いや、悪い。ほら、ジュースもっと飲めよ。その水筒は持ってていいからさ」
「むむっ」
「猫人族は水飲むのを怠って病気になりがち、って聞いたぞ。マンマには元気でいてもらわないと」
リィトが言うと、マンマは眠たげな瞳をちょっと見開いた。
頬が少し赤い。
心配されなくてもマタタビ酒で水分補給はしている、みたいなことをモゴモゴと言っている。どうやら心配してもらえたことが照れくさいみたいだが、発想が完全に酒クズのマンマなのであった。
そのとき。
黙ってサンドイッチを食べていたフラウが、「あっ」と小さく声をあげる。
「どうした、フラウ?」
「リィトさま。沢の水、増えたり減ったりしてません」
「え?」
ぽつり、と呟いたフラウの言葉にリィトは驚いた。
「雨、降ったりします。さいきん、ずっと晴れです」
「うん」
「でも、ここの水、増えたり減ったりしません。水たまりは大きくなったり、小さくなったりするのに」
東の山でずっと暮らしてきたフラウたち花人族にとって、水場の確保は死活問題だっただろう。
「となると、この水はやっぱり魔力由来か」
ならば、封印解除の呪文になんの反応も示さないのはどうしてだろう。
特定のアイテムを持っていないと開かないとか、あるいは、なにか特別な条件が揃わないと解放されないダンジョンとか──?
前世の記憶を掘り起こしながらあれこれ考えていると、リィトの背後で静かに浮かんでいたナビが、ふと顔を上げた。
不思議そうに、じっと一点を見つめている。
「……これは」
「どうした、ナビ?」
「不確定要素多数、トーゲン村の方向で大規模な魔力反応が……あったような……?」
ナビの言葉にリィトはぎょっとする。
彼女の言葉が、曖昧だ。異常事態である。
ナビは転生者であるリィトに備わっていたナビゲーションシステムを擬似的な精霊として受肉させた人工精霊だ。
彼女はリィト自身のステータスや周辺の空中魔力計測、簡単な地形の測量、索敵などのために存在していた。
つまり──そのナビが「魔力反応があったような……?」なんていう疑問形を使うのは、通常ではありえない。
「……ふむ、戻ろうか」
どうせ、今日も特に探索に進展はないだろう。
今は村に戻ったほうがいい。
◆
「「「りぃとさまーーっ!」」」
村に帰ると、花人族たちが焦った様子で駆け寄ってきた。
基本的にはボディランゲージとダンスでコミュニケーションを取る花人族たちは、かなり舌足らずだ。
喜怒哀楽もはっきりしていて、リィトが外出から帰ると人懐っこい犬みたいに全力で出迎えをしてくれる。
子どものような体格や見た目と相まって、親戚の子どもたちにじゃれつかれているような気分になる。リィトの密かな癒やしだ。
だが、今日はいつもと状況が違った。
「えっと……木から、子ども? 生まれたです?」
花人族たちの身振りを通訳してくれているフラウが、戸惑った様子でリィトを上目遣いで見上げる。
「木、って……謎の若木Xか?」
リィトが宮廷魔導師の職を追われる際に、物置に積み上げられたゴミの山から発掘してきた謎の種子X──それを地植えし、水精霊の沢から汲んできた水をかけたところ──一気に、生長した。
様々な情報を総合すると、空中魔力で育つ特殊な植物──『魔樹』の中でも特別な存在、つまり世界樹なのではないかという仮説が立っている。
世界樹の絶滅により、世界の魔力バランスが崩れて北大陸のようなモンスターの大発生に繋がった──という考察もあるほどだ。
「はいっ、見に行きましょうっ」
とてて、とフラウが走る。
花人族たちは、彼らの種族の性質からか世界樹の若木を熱心に世話している。伝承によれば、花人族は命を得た魔樹であり、世界樹の末裔とすら言われているのだ。
やはり、なにか感じるところがあるのだろう。
不思議な光を纏った樹。
その前に、人影があった。
「あっ」
少女だ。
世界樹の樹を植えた日に夢で会った光り輝く美少女が、世界樹の若木の前に立っている。
ぼんやりと若木を見上げている少女が、ゆっくりと振り返る。
純白のナビに似た、しかし、それよりもさらに輝く光を纏った銀髪が風になびいている。背丈はフラウとほとんど変わらない──見た目でいえば、十歳にもならないような幼い体つき。
しかし、纏うオーラは圧倒的で、その一挙手一投足からリィトは目が離せないでいた。
「おお、おお……スクープの予感にゃ……っ!」
探索での収穫のなさにすっかりふて腐れて眠そうにしていたマンマが、いつの間にか瞳を爛々(らんらん)と輝かせている。
これから起こることを、なにひとつ見逃すまい、書き逃すまいとしている。敏腕記者の顔。だが、この世界で数々のスクープをものにしてきたであろうマンマですら、わずかに声が震えている。
目の前の少女が、ただ者ではないこと。
今起こっている現象が、生半可な事態ではないこと。
それが、ピリピリとした緊張感とともに伝わってくる。
「…………」
少女が振り返る。
まっすぐに、その瞳がリィトを捉えた。
他のなににも目をくれずに、リィトを見つめる少女は、薄い唇を開いた。
「りぃと・りかると」
少女は、リィトの名を呼んだ。
夢で聞いたのと同じ響き。
そして──
「……おとうさま」
「はっ!?」
とんでもない言葉が聞こえた。
にこり、と微笑む少女。
「マスター……これは、あまりにもアレすぎます」
ナビの涼やかな声が響く。
トーゲン村の空気が、凍った。
◆
「違うんだ、誤解だよ!」
その夜。
リィトの家に、空しい叫び声が響いた。
植物魔導の最高峰、術者の魔力により自由自在に生長と枯渇を操ることができるベンリ草で作られた小屋だ。
ソファに座るリィトの膝には、謎の少女がしがみついている。
マンマとそして、リィトの相棒であるはずのナビまでも、ちょっと冷たい視線でリィトを見つめている。
違うんだ、本当に、誤解なんだ。
万感の思いを込めて、リィトは声を張る。
「この子とは、夢で会っただけで!」
「ゆ、夢……そこまで会いたかった隠し子ということであるにゃ?」
「だから、違うって!」
「困惑、推測するに我がマスターはナビが休眠モードになっている隙に……」
「違うんだよ!」
リィトが焦れば焦るほど、少女はリィトの服の裾をぎゅっと握りしめる。
なんだか眠そうで、時折こっくりと銀髪が揺れている。
(やばい、この誤解がアデリア殿下に知られたら……っ!)
リィトの脳裏に、麗しき筋肉皇女の笑顔が浮かぶ。
生真面目でまっすぐな(つまりは、思い込みの激しい)アデルに知られれば、リィトの肉体はただでは済まないだろう。
侵略の魔導師としてのリィトに心酔し、殿下という敬称で呼ばれることすら嫌がるアデリアである。
そもそも、追放されたリィトを追いかけ、はるばる南大陸の僻地までやってくるほどなのだ。
そしてアデリアには、若干、道徳面では潔癖なところがあるのも知っている。
まずい、非常にまずい。
(いや、落ち着け……。アデリア殿下は政務のために帝国に帰っているはずだ。早くに誤解を解けば──)
深呼吸、深呼吸。
「お久しゅうございます、リィト様っ!」
「ぶふっ!」
その時。
小屋のドアが勢いよく開かれる。
そこには一分の隙もなく、帝国騎士団の軍服を着込んだ麗しの姫君──アデリア・ル・ロマンシアが立っていた。
「……マスター、心拍の乱れが」
「わ、わかってるよ」
心臓がばくばくと脈打っている。
リィトをじっと見つめるアデリアは、笑顔のままで固まっている。
「リィト様?」
「は、はい」
「なんと……恵まれない子どもを保護していらっしゃるとは!」
「……へ?」
アデルはキラキラと瞳を輝かせていた。
「さすがはリィト様です。幼子が安心しきった表情で眠っています……対魔戦争の当時にも、多くの民をお救いになられた──」
「お、おう」
「ああ、やはりリィト様はロマンシア帝国に必要なお人です……なんという崇高なお心でしょう、このアデリア、感銘を受けております!」
「は、ははは」
ありがたい勘違いをしてくれているアデリアに、誰もなにも言ってくれるなと願いながらリィトは冷や汗を拭ったのだった。
謎の少女が目覚めたのは、翌朝のこと。
まだ日の昇る前に、リィトは膝の上の体温がもぞもぞと動くのを感じた。
ぐっすりと眠っている少女が起き出したのだ。
小屋には東の山から顔を出した朝日が差し込んでいる。
「……おはよう」
「おとうさま」
リィトを見上げて、にこりと微笑む少女。
朝日の中でその顔を見ると、やはりとんでもない美少女だ。将来は神々しいまでの美貌になるだろう。
周囲を見回す。
どうやら、みんな寝静まっているようだ。
ソファで眠ってしまったため、身体がバキバキに凝っている。
「その『おとうさま』ってなんなんだい? というか、君は──」
窓の外で、世界樹の若木が早朝の風に揺れている。
やはり、彼女は──
「世界樹の精霊、なの?」
「……ん」
少女は答えない。
茫洋とした表情を見つめるリィトは、あの夢で見たことを思い出す。
──おおきくなったら、なまえをくれる?
ほんの少しだけ寂しそうに微笑んでいた少女の声を思い出す。
少女と若木を見比べる。
世界樹──前世でいうところのトネリコの木によく似た若木を眺めて、リィトは口を開いた。
「リコ」
「……っ」
「名前、リコでどう?」
トネリコからとって、リコ。
安直な名前かもしれない。
可愛らしい響きで、彼女に合っているように思えた。
「りこ……リコ!」
何度も名前を繰り返した少女──リコは、初めて表情を崩した。
「リコ……ぼくの名は、リコ」
突然、リコの言葉に芯が通る。知性が宿る。
「おとうさま、ありがとう」
にこり、と微笑んで。
リコが手を伸ばし、リィトの額に触れる。
──そのときだった。
ぱぁ、と。
朝日よりも眩しい、清らかな光がリィトを包む。
「……?」
瞬間、リィトの中で休眠していた人工精霊、ナビが顕現する。
「緊急起動!」
「ナビ!」
「能力測定を開始します」
ナビの目の色が、金色に変化する。
人工精霊としての権能を発揮する際のシグナルだ。
「これは──
──称号【世界樹の祝福者】を獲得しました。
新規スキル『探羅万象』を獲得しました。
ステータス上昇確認、以上です」
ナビの言葉に、リィトはひっくり返りそうになる。
新たな称号に、新スキル。
「そんなの、十年ぶりだぞ!?」
「はい、以前に獲得した称号は【植物魔導師】です」
「うわぁ……マジか」
異世界ハルモニア。ここでは基本的には、あまり称号やらスキルやらが表沙汰にはなっていない。ナビがいなければ、それこそ特殊な聖域などで測定するしかないものなのだ。
というか。
その希少なスキルや称号を、指先ひとつで与えられるリコである。
やはり、彼女は……そして、あの若木は……。
「……おとうさまに、ぼくのご加護がありますように」
鈴の転がるような声とともに、リコの姿が朝日の中に溶けるように消えた。
「え、リコ!?」
「……魔力反応消失。マスターがリコと名付けた少女は、やはり高位魔力生命体であることは間違いありませんが、検出が上手くいきませんでした。非常に不安定かつ高出力であることが推測されます」
「……情報過多だな、これは」
リィトは思わず溜息をつく。
けれど。
「……さて、行こうか」
「はい?」
「水精霊の神殿」
「反論、昨日の探索では情報不足と──」
「状況が変わっただろ」
「……なるほど」
リィトには、ひとつの予感があった。何かに導かれるように、パズルのピースがはまるように、物事が動きはじめる時がある──今が、それだ。




