かつての異世界転生はキツかったと思う
思えば、作業ゲーのような異世界生活だった。
対魔百年戦争、という厨二病感満載のネーミングの戦争とは裏腹に、心躍るアドベンチャーパートもなければ、どんどん世界観が広がっていく成長パートもなかった。
「あれ、キツかったなぁ」
前世で過労死して異世界に転生したとなれば、当然、胸躍るファンタジックな日々を期待するだろう。
異世界転生とファンタジックな日々と、あとついでにチートは、ハンバーガーとフライドポテトとコークのような、ハッピーな蜜月関係にある。
そう、たしかにリィトは、チート級の強さを手に入れていた。
モンスターもハントしまくったし、英雄と呼ばれ、宮廷魔導師という地位も手に入れた。
だが、それが胸躍るファンタジックな日々だったかというと──答えは、ノーだ。
『植物魔導』の適性を、エキセントリックな師匠にしごきあげられながら鍛える日々の中で、たしかにリィトは強くなった。
ロマンシア帝国の魔獣狩りの職人集団である冒険者ギルドでは最年少の天才魔導師として、地下遺跡から湧き出てくるモンスターを屠っていった。
その腕を買われ、正体を明かさないことを条件に帝国軍の魔導師としてモンスター討伐および地下遺跡攻略の最前線に立つことになって、わずか半年でついた二つ名は──『侵略の魔導師』。
たまに、植物魔導の実験がてら飢えに苦しむ人々を救ったときには『施しの聖者』なんていう御利益のありそうな名で呼ばれたりもした。
だが、その実態は、廃人仕様のレベリングと、高難易度レイド戦の繰り返し──オープンワールド系のゲームの邪悪なところの煮こごりのような異世界生活だったと、今になってみれば思う。
ロマンシア帝国を追放され、ただのリィト・リカルトとなり。
──トーゲン村という、拠点を手に入れた今となっては。
◆
「水精霊の神殿の探索、か……」
リィトはしみじみと呟いた。
トーゲン村は、快晴。
夏の匂いのする、気持ちのいい風が吹いている……と言いたいところだが、どちらかというと、カラカラに乾いた風だ。
めちゃくちゃ喉が渇く。
冷えたビールでも飲んだら最高だろうが、この世界のビールはぬるいし、アイスクリームなんて望むべくもない。
「暑い」
「自明です(はい)、マスター……周辺気温と湿度は──」
「いや、いいよ。聞いたら余計に暑くなる」
汗ひとつかかずにリィトの隣で浮いている美女が、「そうですか」と、涼しげながらも、少しつまらなそうな声で言った。
白い髪に白い肌、物理的に透き通っている存在感──異世界ハルモニアでのリィトの生活をナビゲーションしてきた人工精霊、ナビだ。
リィトにとっての相棒だ。
「はー……暑いとか寒いとかで悩めるなんて、平和だなぁ」
「暑さを体感するのは仕方ありません、南大陸は、北大陸よりも平均して温暖かつ乾燥していますので」
「せっかく移住したんだから、それくらい違いがあったほうが面白いだろ……まぁ、困ることもあるけど」
「水不足、ですね」
「ああ、雨もほとんど降らないし……地下水汲み上げて使うのも、あくまで応急処置だからなぁ。水場を確保しないと、この土地でずっと暮らすのは難しくなる」
リィトとしては、この土地に腰を落ち着けられればと思っている。
リィトが生まれ育った北大陸を支配しているロマンシア帝国は、属州の支配を基軸にした統治体制を敷いている。国土に大発生したモンスターとの内戦、通称・対魔百年戦争で疲弊した、内部まで腐りきった大帝国だ。
リィトは、そのロマンシア帝国から南大陸の浜辺の砂、天の星ほどと例えられる数多くのギルドがひしめくギルド自治区『ガルトランド』に自由を求めてやってきた。
ギルド自治区の管轄だった僻地を買い上げたこの土地には、リィトの求めた自由と小さな冒険がある。
ロマンシア帝国ではまったく見かけなかった珍しい人種である花人族が住んでいた。
大地と緑を愛する花人族との交流は、植物魔導師であるリィトにとっては幸運なことだった。
植物を操るリィトの能力と、とにかく植物を育てて暮らしたいという花人族たちの求める幸せが完全一致したのだ。
操る言語が異なる花人族。
その族長の娘が、人族の言葉を学んでいたのも、かなりのラッキーだった。
「リィトさまーっ!」
「フラウ、どうした」
「準備、できましたっ」
子どもくらいの背丈の花人族たちが、畑の一角にわらわらと集まっている。
ずいずいと踊っているのは、彼らの畑仕事が順調な証拠だ。
「おべんと、ですっ!」
フラウが自慢げに、ランチボックスを掲げた。
「お、サンドイッチか」
「はいっ! グリーンリーフがとれたてですっ」
ランチボックスに詰め込まれているのは、フラウたちが育てている葉物野菜だった。平地でしか栽培できない品種で、フラウの大好物らしい。
リィトがトーゲン村周辺の土壌改良をし、山間部に逃げ込んでいた花人族を村人として受け入れてから、彼らはせっせと美味しい作物を作っているのだった。
「オベントというのは、ナビのデータベースにはない語彙です」
「ああ、まぁ世界的にも日本で発達してたからなぁ」
「マスターの前世、ですね」
「もう遠い記憶だけどなぁ」
前世での過労死。
転生後の過労レイドバトル。
そして、宮廷魔導師の同僚たちからの嫉妬と追放。
濃密すぎて、三つ前のライフステージのことなど忘れ果てても、是非もなしというところである。
「伝聞。商人ギルド『黄金の道』と調理師ギルド『食神の鍋』が合同で開発した『トーゲン・ベントー』がギルド自治区ガルトランドで爆発的な人気を博しているとか」
「あー、ミーアが興奮してたな。そういえば」
「……例の誤発注事件のせいで、最近は音信不通ですが」
想定していた数倍の赤ベリーの受注を受けてしまったせいで、その調整にミーアはてんてこ舞いだ。
トーゲン村にやってくることは少なくなっている。
「赤ベリーの栽培に必要な水さえあれば、作付けもできるんだけどな」
「そのためにも、水精霊神殿についての探索は必要ですね」
最後に見たミーアは、見たこともないようなクマを目の下に作っていた。
発注元の創薬ギルドはかなりの大口取引先のようで、今さら発注の取り消しを言い出せないということだった。
とにかく、水だ。
水さえあれば、問題の赤ベリー栽培もどうにでもできるのだが。
「とりあえず、ベントーが商売の種になったみたいでよかったよ」
「情報ギルド『ペンの翼』所属の記者が何人か、この辺りを探っているとか……」
「ああ、そうだ。マンマから報告があがっていたなぁ」
敏腕商人のミーアと辣腕記者のマンマは、どちらもリィトの協力者だ。
猫人族であるため体躯は小さいが、ともになかなかの働き者だ。
ロマンシア帝国では愛玩用の種族として飼育されているイメージの強かった彼らも、ギルド自治区ではせっせと働いているのだ──とはいえ、基本的には遊び好きでノンビリした種族であることに変わりはないようだけれど。
外部協力者として、心強い。
「マスター、あまりにも返答が心ここにあらずです」
「え、そうか」
「はい、とても」
「悪い。気心知れた相手だと、どうしても気が抜けるなぁ」
「気心ですか」
「ナビはやっぱり相棒だからな」
「……マスター、そういった言動は少々アレかと」
「アレって?」
「人工精霊たらしです」
「なんだそれ」
ナビはたまに、こういうバグじみた言動をする。
そこが彼女の面白いところなのだけれど、時折、リィトに対して辛辣なのだ。今も、普段はほとんど無表情なナビが、心なしか頬を赤らめているような。
「……リィトさま?」
「いや、なんでもないよ、フラウ」
乙女心ならぬ、人工精霊心はわからない。
「よし、行こうか」
「はいっ」
フラウが元気のよい返事とともに敬礼をした。
水精霊の神殿の入り口らしき紋章が刻まれた岩を東の山で発見してから、なにか手がかりが得られないかと調査を進めている。
マンマが寄せてくれる情報や、リィトの熱烈なファンであるロマンシア帝国の第六皇女アデリアが調べてくれた古文書の記述によれば、あれが水精霊の神殿であることはほぼ間違いない。
「でも、古代文字の跡だけじゃな……」
「懸念。トーゲン村の水不足が解消すると思ったのですが、現状で予想される確度はあまり高くありません」
「だよなぁ」
「先にマンマさんが調査を進めていますが、進展がある可能性は予測値で──」
「皆まで言うなよ、ナビ」
どうせ、ゼロかそれに限りなく近い数字が飛び出すのだ。シビアな分析に手心がないのは、ナビの美点なのだけれど。
「焦ってもしょうがないよ、水精霊──数百年間観測されていない、高位魔力生命体の存在を示唆する遺跡だ。簡単に探索できると思うほうがおかしい」
「了解しました。中長期的な攻略プランをベースに思考構築をします」
「頼んだ。帝国時代は短期決戦ばっかりだったから慣れないだろうけど」
「了解、善処します。精度上昇のため予想される試行回数は──中断?」
「どうした?」
「特急竜車が接近中、どうやらマンマさんのようです」
「ああ、取材がてら探索に同行したいって言っていたっけ」
マンマは情報ギルド『ペンの翼』の記者、長毛種猫人族だ。
当然、かなりの情報通だ。このところ、ベントーの広報やらトーゲン村特産の果実酒の宣伝やらで忙しくしていたので、村にやってくるのは久々だ。
この世界『ハルモニア』には、様々な種族がいる。
特に帝国と比べてギルド自治区には多くの種族・民族が自由に生活しているのだ。
「もしかしたら、マンマの目から見ると新しい発見があるかもだしな」
各種族によって、得意なことや能力が異なる。
ロマンシア帝国では、百年続いたモンスターとの戦いのため戦闘に特化した種族だけが優遇され栄えてきた。
ギルド自治区は、モンスターあふれる北大陸に比べれば多様な種族が活き活きと働いて生活している。




