90 不本意なカミングアウト
路地裏でディミトリ殿下と有難くない邂逅を果たした後「場所を移す 付いて来い」と所謂“恋人繋ぎ”で右手を繋がれたまま大通り沿いを歩いていた。
あれ? 何だかおかしくない? 二人で歩く必要性は何処に……?
はたと我に返ったところで状況が変わるわけでは無いし、何なら裏切り者がはるか後方から生暖かい眼差しを向けてくる。
険悪な雰囲気のせいで行先さえ聞けないまま、無言で歩く横顔を盗み見たものの、彼がこちらを振り返る様子はない。
(……まあ、さっきからすれ違う女性にどれだけ熱い視線を投げかけられても気にも留めないんだから、普段から注目されるのが当然なんだろうな……)
確かに見慣れているせいで意識しづらいが、こうして人ごみに紛れていると、端正な顔立ちが浮き彫りになる。
殿下の本日の装いは市井でもごく平凡な白シャツに黒のブリーチ、そして革靴なのだが、如何せん美しすぎるご尊顔と、高貴な佇まいが平凡さを打ち消してしまっている。
そんな美形が恋人繋ぎで逢瀬をしているのが地味な傍仕えだからこそ、余計に女性の嫉妬を煽り、男性の好奇を集めているのは致し方ないだろう。
(―――大体、この国の王太子殿下ともあろうお方が顔も隠さず、市井をフラフラ歩いている方が問題なのよ……)
王家の方針なのか、彼が王立学術院を卒業するまでは国民へのお披露目も免除されているので、それが功を奏して彼が王太子殿下だとバレている様子はない。
だからと言って顔も隠さずに出歩くのは余りにも軽率な気がするけれど。
「さっきから目立って仕方ないんですよ。離れて歩きたいので手を離して下さい」
「何故だ? 平民の恋人同士が手を繋ぎ逢瀬をすることは当たり前では無いのか?」
「ご自分が平民に擬態できていると? …貴族令息が傍仕えを伴っている様にしか見えないですよ。……せめて手を離せばジロジロ見られなくなると思うんですよね」
顔を寄せて耳打ちしているのさえ気になるのか、先ほどより不躾な視線が集まるのが判るものの、せめて大通りに出る前に何とかしようと繋がれた手をやんわり解こうとする。
その手をギュッと握り込まれて、殿下の胸の中へと飛び込むと「見られて困る間柄では無いだろう?」と艶然と微笑まれて固まった。
「他人から仲睦まじく見えるのなら、それは私の想いが溢れているせいだろう。ずっと会えずに我慢を強いられていたのだから、此処で離れる選択肢は無いな」
熱の籠った瞳に見とれていると、そのまま頬に柔らかな唇が押し当てられ一気に顔に熱が集まる。
ゆっくりとその温もりが離れていくのを少しだけ寂しいと思う自分の感情が判らない。
「目的地に着くまでは、このまま手を繋いで歩こう」
ドクドクと五月蠅い鼓動に紛れ、周りの喧騒さえ最早気にならない。
………せめて火照った顔を誰にも見られないよう俯いて歩くことしか私に残された選択肢は無いのであった。
暫く無言で歩き続け、気が付けば大通り沿いに面した一軒の店の前で殿下が足を止めた。
真っ赤なモルタル造りの三角屋根が可愛いティールームだが、まさか此処が今日の目的地とは思えず首を傾げる。
流行っている店なのか店内は満席のようで、先ほどからチラホラと入店を断られて帰る人の姿が見えるし、例え此処でお茶を飲むのが目的だとしても入店することは出来そうもない。
そう思っていただけに、黒いエプロンを付けた女性店員と殿下が耳打ちした後で、満面の笑みを浮かべて二階の個室へ案内されたことに驚いた。
通された室内には、大きな樫のテーブルと椅子だけが置かれていて窓さえない。
大勢の客が溢れかえっていた一階の華美さとは異なる様相に、明らかに客を通すための部屋では無い事が窺える。
「……お茶如きで“王家の威光”を発動するのは如何なものでしょう。流石にやり過ぎじゃ無いですか?」
ボンネット帽を脱ぎながら横目で睨むと、不機嫌そうな顔で殿下が溜息を零す。
「私はお茶如きでこんな暴君のような真似はしない。此処は王家の間諜が市井の情報を共有する場として活用する為の店なのだ。一般客も利用するがそれは仮の姿で、元より情報漏洩を防ぐために二階の個室は空けておくのが常なのだが……これでも私はまだ暴君扱いされるのか?」
だから先ほどまでの喧騒がコソリとも聞こえてこないし、外部から覗かせないために窓が無いのかと合点がいく。
王家の間諜は他国への潜入捜査のみならず国内の平定も担っている。
民衆の暴動や地方領主の圧政、宗教家による革命軍の誘導など様々な悪因を取り除き、速やかに平定するのが間諜の務めである以上、情報が集まりやすいティールームを王都に開くのは理に適っていると言えるだろう。
確かに此処でなら内密の話も出来るし、殿下も憂いなく食事が取れるから敢えて此処を選んだのだと漸く理解が追いついた。
未だ繋がれていた手をやんわり解きながら詫びると、何故か恨めしそうな顔で着席を促される。
その頃合いを見計らったかのようなタイミングで、扉がノックされた。
ノッソリと部屋に入って来たのは、顎髭を蓄えた筋骨隆々な中年男性で、まるでどこぞの近衛兵か刺客のような姿に一瞬緊張感が走る。
そのトレイに乗せられていたのが湯気の立つ紅茶とダリオル(エッグタルト)でなければ、きっとリリーもナイフを向けていた事だろう。
私達の殺気に気づいているだろうに、淡々と配膳を熟す彼は先ほどの女性店員とお揃いの黒いエプロンを身に付けていて、如何やら此処の店長らしいと遅ればせながら気づいた。
そのまま大人しく退出するかに見えた中年男性は、ディミトリ殿下の足元に跪くと頭を垂れる。
「大変ご無沙汰しております、殿下。暫くお見かけせぬ間に随分とご立派になられましたな。しかし、警護を連れずにフラリと市井へ出向く悪癖はご健在のご様子。もう少しご自分のお立場というものをお考えいただきとう存じます」
「久しぶりに会ったのだから、そんな堅苦しい物言いは止めろ。大体、アルフが市井に根付き王宮に姿を見せぬから私が出向いてきたのだろう」
「殿下がお呼びとあらば、いついかなる時でも御前に馳せ参じる所存でおりますのに。それを口実に市井で遊びまわっているだけでしょう」
「アハハ!アルフには全てお見通しだな。だが私は嘘をつかんぞ?」
「では他にも目的がございますので?……隣に侍らせている侍女は王宮で見たことの無い女性ですな。若しやご婚姻を前にして、側室候補と逢瀬が目的ですかな?」
その言葉と共に器量を見通すような眼差しを向けられ、居心地が悪い事この上ない。
それに輪をかけて「ハハ……いい線をいっているが、側室ではなく本命だ」等と殿下が口にするから思わず両手で顔を覆った。
「こんな形をしてはいるが、私の唯一無二であり運命と決めた女性だ。アルフも一度会ったことがあるはずだが」
「若しやティーセル家の……?」
「やはり知っていたか。その通りだ」
コクリと殿下が頷くと、アルフと呼ばれた中年男性はいきなり私の前に向き直ると両目からハラハラと涙を流した……一体何事なのか……?
「知らぬこととはいえ、未来のご正妃様になんたるご無礼を…。私はディミトリ殿下が幼少の折、身辺警護の任を任されておりましたアルフ・トリスタンと申します。ティーセル家の御息女様とは園遊会でお目にかかったことがございます」
―――園遊会というと、例のロイヤルガーデンでのものだろう。
しかし、事情を知らないシャルル達の前でそれを確認する術は無く、曖昧な笑みを浮かべて頷くに留めておく。
「あの日から殿下は貴女様以外の女性には見向きもされませんでした。一途な初恋が実ったのかと思うと感無量でございます!」
……筋骨隆々な中年男性が身も世も無いくらい泣いている絵面に、まだ婚約を受け入れていないとは今更言い出せない。
暫くすると鼻をすすりながら「ご成婚の発表が楽しみですな‼もしやご懐妊発表も同時ですかな」とトンデモナイ爆弾発言を残して彼は笑顔で部屋を去って行った。
余りの事に言葉が出ず、真っ赤な顔で口をハクハクと動かしていると、頬杖をついてニヤリと微笑む殿下と目が合う。
「アルフの言うとおり、成婚と同時に懐妊発表ならば、王宮議会からの横やりも入らないからスムーズに正妃に出来るな。成程……試してみる価値はあるか……」
「なっ⁈ ちょっ……⁈ 簡単に試してみようとしないでーっ⁈」
必死で止めていると、殿下の肩が震えていることに気づき、揶揄われていた事を悟る。
「……もう‼ 冗談は口だけにして下さい」
「別に本気だと受け止めてくれても私は一向に構わんが?」
冗談めいた口調に少しの甘さを感じ、それに気づかない振りで私は目の前のダリオルに視線を移したのであった。
「それで? ……貴女が市井を訪れた目的についてまだ聞かせて貰っていないが?」
店主ご自慢のダリオルと紅茶で人心地ついた頃、不意にディミトリ殿下からそう投げ掛けられ言葉に詰まる。
強い視線で先を促されれば黙っていることも許されず、仕方なくマリアーナへの贈り物を購入する目的で市井を訪れた事や迷子になった経緯を話すと、全員から深々と溜息を吐かれた。
「まさか偶然だけで渦中の人物まで引き当てるとは……凄い運だな……」
殿下が漏らした渦中の人物とは恐らく“ミリーナ・グランドン”の事だろう。
しかし、彼女が幾度も事件を起こしていた事を知り得なければ“渦中の人物”という言葉が出てくることは有り得ないはずだ。
「……殿下はミリーナが同じ手口を何度も使っていた事をご存じだったのですか?」
これは推測だが、グランドン商会の人員確保の為にミリーナが幾度も今回と同様の手口で傍仕えをターゲットにしていたことは間違いないだろう。
真相を知る者……被害者が折角得た職を失う事を恐れるあまり、事件を表ざたにすることは有り得ないと思っていたからこそ、幾度も事件は繰り返され、被害者が産まれ続けてしまった訳だ。
それに終止符を打つ理由もあり、敢えて襲撃者を撃退する道を選んだけれど、この事件が正式に王宮騎士団に上がっていて、それ故に殿下があの場を訪れていたのだとすれば却って問題を大きくした可能性が高い。
先ほどまでとは違った意味で顔を青くしていると、口元を強ばらせた殿下に両頬を抓られ詰め寄られる。
「何故、面識が無いはずのミリーナの事件の詳細まで把握しているのだ?その格好も囮になるつもりでしてきたのではあるまいな?」
ムニムニと頬を伸ばされるのも普通に痛いけれど、真顔で詰め寄る殿下が怖い。
必死で偶然の出会いだった事と、マルシェで出会った情報屋から説明を受けたことを話すと、漸く手が離され殿下は天を仰ぎ始めた。
「……貴女が情報屋だと思っている露店商人は王宮の間諜だ」と力なく呟く殿下曰く「ミリーナが起こしていた事件は市民の生活を脅かす案件として間諜から報告が上がっていたもので、グランドン商会の力が強大な事を考慮し、王宮騎士団預かりとなった」らしく、言い逃れが出来ぬようにディミトリ殿下が事件解決の全権を担っていたそうだ。
過去の事例から、事件が起きるのは人が大勢集まる場―――恐らく月に一度のマルシェで人材を物色するつもりだろうと、傍仕えに扮した囮の間諜も準備して当日を迎えた。
騒ぎが大きくなれば市民を巻き込む可能性があるからと、グランドン商会の息が掛かった露天商人の中に一人間諜を紛れ込ませてミリーナを見張っていたわけだ。
そこまで万全を期したにも拘らず、ミリーナが選んだのは囮ではなくルイ―セだった事で間諜の間に動揺が走った。
これ以上の犠牲者を出さぬようにと周到に用意したシナリオに綻びが生じた上、被害者があるまじき豪胆さでミリーナを激怒させたのだ。
今迄は尾行し、失職させることはあれど被害者を傷つけることはしなかった彼女が、ゴロツキ連中に『女性を好きにしていい』と言った事で更に緊張感が高まる。
―――未遂の状態でゴロツキを捕らえることは容易だが、グランドン商会に言い逃れできる隙を与え、軽微な罪のみで解放せざるを得なくなる。
しかし、ここで見逃せばこの二人の傍仕えはゴロツキ連中に蹂躙され、恐らく慰み者にされる最悪の未来が待っているだろう。
彼女らを尾行し、襲われた直後に襲撃者を捕らえる方向に舵を切りなおすしか無いかと脳内で計画を練っていると、ミリーナと最初に揉めていた女性が微笑みを浮かべながら近づいて来た。
彼女の口から「色を付けてくれたら」と告げられた瞬間、女性の正体が垣間見えて間諜は戦慄する事となる。
“色を付ける”とは情報屋や間諜が使う隠語であり、一般市民が知る言葉では有り得ない。
―――つまりこの二人は他国の間諜、若しくは情報を集めるべき立場の……刺客である可能性も拭えないのだ。
この不穏分子の目的が判らない以上、不必要な干渉は命取りになる危険がある上、このままでは計画が破綻しかねないだろう。
内心の動揺を隠しながら「警備兵の詰め所へ助けを求めろ」と伝え、襲撃者の人数のみライ麦パンになぞらえると、案の定女性らは詰め所と真逆の方向に歩を進める。
……見失わぬよう、方角だけは確認していると詰め所で待機していた殿下達が取り急ぎやって来たので事情を説明し、二人の行方を追う事となった。
袋小路の手前のわき道から命辛々逃げ出して来た不審人物を捕らえて尋問すると「傍仕えに擬態してはいたが、体術使いとナイフ使いの暗殺者に仲間が全員やられた」と声を震わせる。
男を気絶させ道端に転がすと、駆け付けた現場ではその言葉通り屈強な男らが地面に這い蹲り、か弱い女性二人―――一人は血まみれのナイフを持ち、もう一人は紙袋を抱きしめていた―――がギョッとした様子で此方を見ていた。
しかも荒唐無稽な作り話をするだけで、このままではらちが明かないからとジョゼルが一人を人質にすべく後ろへ回り込むと、反撃を食らい地面に背負い投げられる結果となったわけだ。
「ええ~……それじゃあ私達が他国の暗殺者扱いされていたって事ですか⁈」
その呟きがディミトリ殿下の首肯により、漸くどれだけ危ない橋を渡っていたのかに気づかされる。
(下手な動きをすればあの場で切り殺されていた可能性もあるって事⁈ 危なかった~……)
冷や汗をかきながら、命が繋がった事に安堵していると、先ほどからチラチラと様子を覗っていたジョゼルが戸惑ったような声を上げた。
「あ、のさ……話を聞いていてずっとおかしいと思っていたんだけど……。カールは女装している訳じゃなくて、本当に女……なんて事ある………か?」
……そう言えば、今日は正体を隠す為に女装していた事を思い出す。
散々色気が無いとガース先生に揶揄われ続けた体でも、コルセットが無ければ流石に男性には見えないだろう。
どう言い逃れすれば良いかと悩んでいると、不意に手を伸ばされディミトリ殿下に肩を抱かれた。
「カールと名乗ってはいるが、ルイス―――本名カール・ティーセルの双子の妹で、本当は男爵令嬢だ。諸事情により男装で暮らしているが、彼女は私の婚約者だからな。手を出したらお前たちでも許さないぞ」
「「…………はっ⁈」」
慌てて抱き寄せる殿下を見つめると、満面の笑みで「もう誤魔化すのは無理だし、牽制しておかねば危険だからな」と口角を上げているのだから、忌々しい事この上ない。
ベシリと肩に回された手を払い落とし、仕方なく唖然とするシャルルとジョゼルに向けてカーテシーを披露する。
「こんな形で話すことになって本当にごめんなさい。本名はルイ―セ・ティーセルと申します。……学術院では、これまで通りカールとお呼びくださいね」
………こうして、不本意な形ではあるものの、二人の友人に正体をカミングアウトすることになったのであった。
最近は投稿間隔がバラバラでご迷惑をお掛けしております。
出来るだけ間隔を開けぬよう頑張りますので、引き続きご愛読いただきますようお願い申し上げます。




