87 エビリズ国事件の終結
「ハァ………診療所へ向かうのが辛い……どんな顔で行けって言うのよ……」
誰も居ない部屋で呟いてみても、聞こえてくるのは夜風で揺れる木々の葉の囁きだけで。
ガース先生には帰り間際「嬢ちゃんはティーセル領に居る間に自分の気持ちを見つめ直せ。性急に答えを出そうとするあまり暴走すれば、相手がどれだけ傷つくのかもこの機会に考えるべきだ」と、わしゃわしゃ髪を撫でられた。
学術院生活は残り七か月………何らかの答えを出す期限は差し迫っているし、このままの関係でいられない事も理解はしている。
『これ以上ディミトリ殿下に依存する生き方は選びたくない。彼が心変わりしても、笑顔で手を離せるように』
そんな強がりを口にしたところで、実際にその時が来たら、泣いて縋ってしまいそうな未来しか見えないのだから、我ながら呆れるしかない。
「恋は盲目、愛は呪縛―――その人だけしか見えなくなり、心まで囚われてしまえば、後は堕ちるだけ………か」
読み止しの一節に目を止めたものの、この物語が悲恋だと知ってるから余計に気が滅入る。
(……振り回されてばっかりで……恋愛感情なんて面倒事ばかり。ハァ……もう一度、出会いからやり直せたら良いのに………)
どうにか気持ちを切り替えようと開いたページに目を落としてみても、ふと気が付けばディミトリ殿下の事ばかり考えてしまうのだから、まさに恋は盲目、愛は呪縛で間違いないだろう。
ベッドへ入っても悶々とするばかりで、結局その晩は明け方近くまで眠りにつくことは出来なかった。
「おお、おはようさん。今日もみっちり稽古を付けてやるからな~」
「…お、はようございます。あの…今日も宜しくお願いし、ます……」
明くる朝、眠い目を擦りながら診療所へ向かうと、前日の事など忘れたかのようにニッカリと笑みを見せる師匠の姿があった。
むしろ「随分と朝から元気がねぇなぁ。朝飯抜きは益々発育不全の胸を貧相にしちまうぞ?」と煽ってくるぐらいには普段通りで首を傾げてしまう。
(相変わらずの失言ぶり……てっきり昨日の話を問い詰めて来るかと思っていたのに)
その対応には拍子抜けしたものの“性急に答えを出すな”という言葉の表れかもしれないと思い直し、フッと張りつめていた緊張感が解ける。
其のせいかは判らないが、今朝の立ち合いでは過去最短でボコボコにされて「緊張感が足りん!」とこっぴどく扱かれる羽目になってしまった……。
(つ……疲れたぁ………)
久しぶりの鬼師匠の扱きが漸く終わる頃「これだけ動けば頭も空っぽになるだろう?“下手な考え休むに似たり”と言ってな、悩んでばかりいても良い知恵なんざ浮かばないもんだ。今の嬢ちゃんに必要なのはよく食べ、良く動き、そして寝ることだからな」とまた頭をクシャクシャと撫でられて、少しだけ泣きたい気持ちになった事は秘密だけれど。
夏季休暇が始まってから、凡そ三週間が経過したある日の昼下がり。
不意に私の予期せぬフランツの訪問があった。
どうやらカール兄様と仕事の打ち合わせの為に立ち寄ったらしいが、何も聞かされていなかった私は大いに慌てた。
恐らく身も世もない程心配しているであろう幼馴染に、安否ぐらいは知らせたかったものの、エビリズ国事件の詳細をどこまで彼に知らせて良いものかと悩んだ結果、手紙に認めることさえ出来ず、ズルズルと先延ばしにしているうちに今日まで来てしまったのだ。
カール兄様の部屋へと歩を進める彼の背中に声を掛けると、大げさな程にビクリと肩を震わせたフランツがこちらを振り向く。
「フランツ、久しぶりね………お元気、かしら……?」
数か月ぶりの再会に、少しだけ大人びたな…と微笑みを浮かべると、目を瞬かせおずおずと伸ばされた手が私の背中へ回り、そのままギュッと抱きしめられた。
「………本物、のルイ―セ…だよな」
「うん……何だかフランツは大人びたわね。フフ……たった数か月なのに随分と久しぶりの気分だわ」
会いたかった―――と囁きながら私の肩に頭をグリグリと押し付ける様は、まるで大型犬が飼い主に甘える様で、背中に回していた右手で柔らかな髪を梳くように撫でると、ハァと熱い吐息が首元に掛かる。
「ルイ―セが事件に巻き込まれて怪我をしたから、王宮で療養している事はカールに聞いた。……でも、ここまで長い間離れていた事が無かったから……よもや重症なのかと不安ばかり膨らんでさ。居ると思っていなかったから白昼夢かと思った……」
「怪我自体は大したこと無かったのよ。でも後遺症の不安があるからと理事長――王妃殿下に王宮に留め置かれて、ここまで長引いたの。外部との連絡手段が無かったから、心配かけたわよね……ごめんなさい」
「お前の……ルイ―セのせいじゃない。……まだお前が居るって実感が沸かなくて…もう少しだけこのまま抱きしめていて良い、か……?」
(――あああ‼ 私の幼馴染が可愛すぎる‼)
不安気に揺れる瞳は、幼い頃から変わらない。
病気をするたびに「僕の傍から消えないで」と泣いて縋って来た頃のままで、何だか堪らない気持ちになる。
彼の不安を払しょくする為、背中に回した手に力を込めると、微かに身動ぎする温もりに囁く。
「実感するまでどうぞ?……フフ……心配しなくてもフランツの傍に居るのに」
クスクスと笑いながら呟いた言葉が琴線に触れたのか、ハッと表情を変えたフランツの顔が近づくと、額同士をコツンと触れ合わせたまま、不意に真剣な瞳を向けられた。
「……本当? ………俺の傍にずっと居てくれると……約束してくれる?」
吐息が掛かる距離で、声を震わせるフランツの問いに、軽々しく頷くことが躊躇われる。
目を逸らす事さえ出来ずコクリと息を呑むと、階上から盛大な溜息が聞こえてきた。
「何でこんな場所で逢引きしているのさ? ………フランツは私との約束の為に来たはずだろう? サッサと仕事の話を進めたいのだけれど、もう少し空気を読んだ方が良かったかな」
―――目を眇め、明らかに不機嫌そうな雰囲気を醸し出しているカール兄様は、どうやら約束の時間になっても現れないフランツにしびれを切らしているらしい。
「はっ……⁈ あ、いや……ご、ごめんカール‼ ま、待たせたかっ⁈」
あからさまな動揺を見せて温もりが離れていくことに、寂しさよりも安堵が勝るのは先ほどまでの空気に戸惑っていたせいだろうか。
「妹の安否を心配してくれた事には感謝申し上げるけれど、私との約束を優先して貰えると助かるな。頼んでいた書類は持ってきてくれたんだろうね」
「も、勿論だとも。約束を違えるつもりは無いし、ルイ―セの無事が確認できたから、直ぐに仕事に取り掛かろう! ……ルイ―セ…また会おうな」
狼狽えながらも慌てて階段を上るフランツに頷き、そっと手を振ると微かに微笑んだ彼はゆっくりと扉の向こうへ消えていった。
その晩、家族全員が揃うディナーの席で、カール兄様が嘆息しながら「ルイ―セは言葉選びをもう一度考えて。あんな風に気を持たせるのは却って残酷ではないかな」と厳しい口調で咎められた事だけが何故か心を微かに軋ませる事となったのだけれど。
こんな風に領地の暮らしは瞬く間に過ぎて行った。
そして、夏季休暇が残すところ一週間となった頃、漸く待望の手紙が王宮から届けられた。
―――ベロニカ・アーデルハイド王妃殿下の名が記された封書を開くと、予想以上の枚数に驚く。
一枚目には“カール・ティーセル男爵令息の王立学術院復学申請を認め、これを許可する”と記された復学許可証に王立学術院の理事長名で署名が記されており、二枚目を捲ると、詫びと共にエビリズ国が起こした事件の全貌が掛かれていた。
此度の誘拐及び傷害事件を起こした犯人は、エビリズ国第二王女アデリーナ・エビリズであり、事件を企て実行した人物はブルーノ・テイラーで間違いないと記載されている。
……それだけなら、特筆すべき事柄では無いものの、事件当日に他学級で起きた軽微な盗難事件もブルーノが関与していたと発覚したそうだ。
あの晩餐会の夜に、殿下の婚約者を探し出し排除するようにとアデリーナ・エビリズから命を受けたブルーノは、秘密裏に自国の間諜と連絡を取り、アーデルハイド王家と所縁のある他国の王族や身分の高い貴族令嬢を虱潰しに行方を捜索し続けていた。
しかし、どれだけ探しても該当者はおらず、王妃殿下の言葉自体がブラフである可能性が高いと判断した。
そうなると、次に探すべきは国内にいる全ての貴族令嬢―――つまり、王立学術院内を自身で探すべきだと考え、留学生の名目でまんまと侵入に成功する。
王女の能力を使い、学術院内の貴族令嬢をくまなく捜索していたところ、側近で在り友人でもあるカール・ティーセル男爵令息が目的の人物ではないかと偶然気づいた。
婚約者として紹介されていたはずの令嬢が、令息として学術院で生活を送っているという事が、アーデルハイド王家が関与している事を裏付けている事で疑心は確証へと変わる。
既に医務官として学術院に間諜が潜り込んでいることは把握していたため、カールが助けを求める可能性を潰すために、盗難事件を起こし教師陣の目をそちらへと向けさせようとした。
その目論見通りに事は運び、カールを人気の無い用具室へと連れ込むことに成功した訳だ。
例えカールが婚約者と同一人物で無かったとしても、香りが同じ人間が存在しないと王女が言っている以上、何らかの繋がりはあると確証を得ていたからこそ、大胆に行動できた。
もしカールが婚約者本人だった場合はその場で手籠めにし、王太子殿下と別れると誓わせれば、所詮お嬢様育ちの令嬢だから自責の念に駆られ、自ら婚約破棄をするだろうと計算していたそうだ。
………胸糞悪い作戦だけれど、確かに効果的であることは認めざるを得ない。
更に、エビリズ国外交団として王宮に滞在していた人物の中に、とんでもない食わせ物がいた事も、この事件と併せて発覚したらしい。
晩餐会のダンスパーティーでマリアーナ聖女と一番に踊った人物でもあり、発言権一位のブルノン侯爵は、両国の軍事同盟締結の為ならアーデルハイド王家を躰で篭絡しろとアデリーナ王女を唆していたそうだ。
金満家のブルノン侯爵は、浪費家ぞろいのエビリズ王家にとって“金のなる木”として重用され、優遇されていたらしい。
だからこそ、男尊女卑の傾向の強いエビリズ国において第二王女は政略結婚の駒以外使い道も無いと蔑まれ、彼の言うなりになっていたというのだから呆れるばかりだ。
それだけでも万死に値する行いだが、身柄を拘束したブルノン侯爵に、数名のエビリズ外交団立会いの下で“精神領域干渉”を行った結果、とんでもない事実が飛び出す事となった。
過去の園遊会でディミトリ殿下と私が誘拐された事件で断罪されたサフィーク伯爵家と繋がり、人身売買に手を染めていた人物こそがブルノン侯爵であることが発覚したのだ。
どの様な経緯で両家が繋がったのか詳細は不明だが、自国の貧民窟で孤児を攫ったブルノン侯爵家がサフィーク伯爵家にそれを引き渡し、エルベの港から他国の奴隷商人へと密売しては多大な利益を得ていたらしい。
未だに貧民窟の現状が回復しえないのも、ブルノン侯爵の横やりで会った事が自らの口から告げられると、流石のエビリズ外交団も真っ青な顔で押し黙るよりほかなかった。
それらの事柄が全て明確になった時点で直ちに王宮議会が開かれ、此度の事件が、両国王が認める王太子殿下の婚約者に相当する人物―――準王族の殺害にあたると判断されたため、即時エビリズ国との内密の話し合いの場が設けられたそうだ。
事件の悪質性から全員の死罪も囁かれたものの、首謀者のアデリーナ王女がブルノン侯爵に唆されていた点とルイ―セが一命を取り留めた点を考慮し、ブルノン侯爵家の一族郎党は取り潰し、本人は死罪とすることと、今までアーデルハイド王国から受けていた融資が流用されていることの予算の不透明さを理由に、我が国の文官をエビリズ国へ送り込み、政治介入することを条件にアデリーナ王女の罪を不問とし、この事件を闇に葬ることが決定した。
その条件の中には王女が我が国への永久入国禁止も含まれている。
それらの条件を盛り込んだ魔術誓約を両国間で交わしたのは数日前の事で、今後は状況を踏まえながら数名の優秀な文官がエビリズ国に向かう事も決まったものの、やはり地元の事情に明るい人物の協力を得たいからという事を踏まえ、アーデルハイド王国の間諜として新たにエビリズ国出身のブルーノ・テイラーが起用されることになったそうだ。
本来であれば断罪対象となり得る人物だが“精神領域干渉”を行なったところ、彼自身は命令に背けず苦しんでいた事や、類まれなる計画性の高さが考慮され、魔術誓約を結び我が国に忠誠を誓ったらしい。
……正直、酷い目に遭わされたもののブルーノの生い立ちには同情を禁じ得なかったので安堵の溜息が漏れる。
更に、エビリズ国に留学しているダニエル・ハーヴィン子爵令息も貧民窟改善の為のメンバーに抜擢され、今後最低でも三年間はアーデルハイド王国に帰ってくる事は叶わないと書かれていて、思わず吹き出してしまった。
……この仕事を成し遂げれば、実績を上げた功績を認められ、彼は出世を果たすだろうし、私も顔を見ないで済むのだから、笑うぐらいは許されるだろう?
手紙の締めくくりに「エビリズ国との交渉が締結するまでは、ルイ―セの身が安全であるという保障が無かったため、やむなく王宮に監禁してしまった事を許して欲しい。また、ディミトリ殿下との関係がどう決着したとしても、私達が友人であることに変わりはない。いつでも王宮へその元気な顔を見せて欲しい」と書かれていた。
………結局、私は守られているだけの幼子と変わらないのだと知り、居た堪れない気持ちが込み上げてくる。
「…ハァ…明日にでも此処を発とう。王都で気持ちを切り替えないと、ディミトリ殿下に会った時、どんな顔をしたら良いのか判らなくなりそうだわ……」
こうして、自分の愚かさとエビリズ国事件の全貌を知った私は、王立学術院に復学が許されたことを両親に告げるため、溜息を吐きながら重い腰を上げたのであった。
※凄くどうでも良い補足ですが、ティーセル領でのルイ―セは常に男装をしています。だからガース夫妻からは「えっ…?年頃なのに発育不全?」と思われていますし、フランツに抱きしめられても同性の気楽さであまり意識していないんです。……気の毒なフランツ……。




