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85 王宮脱出劇


 ………ピチュピチュと小鳥が窓の外で囀る声に、沈み込んでいた意識がゆっくりと浮上し、薄っすらと重い瞼を開いた。

 初夏の日差しは早朝でも眩しく、細く開いた窓の隙間から爽やかな風が吹き抜けてはカーテンを揺らす。


 はて…?此処は何処だったかしら……と、微かな逡巡の後、起き上がった瞬間に体を包む倦怠感と太ももの激しい筋肉痛に、漸く此処がティーセル領であることを思い出した。


 此処までかなりの強行軍で来たことは覚えているけれど、フラフラと玄関に到着し、ノッカーを叩いてからの記憶がない。

 ベッドの上でボンヤリと昨日の記憶を探っていると、扉がノックされ、ひょっこりとカントリーハウスで傍仕えを勤めるアンが顔を見せた。

 まさか私が起きているとは思ってもみなかったようで、目が合った瞬間ベッド脇に慌てて駆け寄ってくる。


「まあっ⁈ お目覚めになられていたのですね‼ ……本当に良かったわぁ…。ルイ―セ様はあれから丸一昼夜目を覚まされなかったんですよ⁈ あんな夜更けに、町外れにも関わらず馬の嘶きと人の気配がするから、強盗かと思って()()を手に出てみれば、お嬢さまが馬の背中の上で気を失っているんですもの‼ ………あの時は流石に肝が冷えましたわぁ。……慌てて町まで出向いてガース先生に往診をお願いしたら『過労だな、その内に起きるだろうさ』と言われた私の気持ちも少しは慮って頂きたいです‼」


 プリプリと怒るアンを眺めながら、あの晩の記憶を辿ってみる。


 アーデルハイド王都からは、本来ならば馬車で丸二日は掛かる距離を、単騎馬で疾走してきた私は、王宮からの追手を逃れるために、宿屋も使わずほぼ走り詰めでティーセル領へ到着した。

 途中の水場で体を休ませ、草を食ませたぐらいでは栗毛馬にとっても酷い乗り手だと言われても反論できそうにない。


 領地に着くと同時に気を失ったから、あの馬がこちらの屋敷を覚えていてくれたおかげで、恐らくベッドにありつけたのだろう。

 頭の良い馬で良かったと感謝しかない。


「あー………ごめん。王都から強行軍で来たから……少し無茶をしたかも。事情があって急いでいたから、栗毛馬には可哀そうな事をしてしまったよ。怪我などしていないかな……?」


「王都から強行軍って……普通の貴族令嬢は急いだからといって単騎馬で逃げ出すような真似をしないんですよ。相変わらずやることが無理・無茶・無謀の三拍子そろっているんですね。ハァ………お嬢様が乗っていらした栗毛馬は、既に馬房でたっぷりと飼い葉を与えて休ませていますわ。ご心配には及びません」


 アンの言葉にホッと安堵の溜息が漏れる。

 私のせいで故障をしてしまったら、悔いても悔やみきれない処だった。


「それなら良かった。……後でお礼がてらブラッシングでもしてやらなくちゃ……」


 此処までくれば、恐らく王宮からの追手は掛からないだろうし、今の私は休学中――ましてや、学術院自体が夏季休暇中なのだからたっぷりと余暇はあるはずだ。

 王妃殿下にはティーセル領で静養する旨とディミトリ殿下を説得し、王立学術院への復学を認めるまでは帰らないと手紙を書き残してきた。


 返事が来るまでの間は、此処に留まるつもりだったので、今日は一先ず栗毛馬を労うつもりでいたのだ。


「………はあ⁈ 何を仰っているのです⁈」


 私の呟きを聞いた瞬間、アンの声音が低く怒りに塗れる。

 何事かと目を剝いていると、えらい剣幕で怒鳴られた。


「馬の心配をしている場合ですか⁈ ご自分の体調管理さえ出来ない小娘が、何を守るおつもりです。先ずはお食事と、たっぷりの休養、それが済んだ後でお好きなだけ馬とじゃれ合って下さい‼」


 傍仕えのアンは私より十歳年上で、幼い頃からの付き合いだけあって歯に衣着せぬ物言いが手厳しい。

 昔から私が木から落ちたり、川で溺れかけたりするたびに飛んで来てはガミガミと叱ってくれていたことを思い出した。


「………本当にアンの言うとおりだ。自分の身さえ守れない癖に烏滸がましかったね。お言葉に甘えて、今日はゆっくり休ませて貰うとしようかな。……久しぶりにアンの作ったひよこ豆のオートミールと鶏肉のスープが飲みたいな」


 小首を傾げてアンの手料理を強請ると、フウ…と溜息を吐いた後で笑顔を見せられホッとする。


「そんな手練手管ばかり学ばれて……ルイ―セ様は随分と甘え上手になられたようですね。まあ、病人を虐める趣味はありませんし、直ぐに作ってお持ちします。……その代わり、今日は一日、ベッドで絶対安静ですよ?」


 その言葉に頷いて、ベッドへもう一度潜り込むと、扉の前で立ち止まったアンが振り返りざまに“にやぁ”と口角を引き上げた。


「………そう言えば、先ほど早馬で書状が届きまして、数日中にも旦那様、奥方様、そしてカール様も揃って此方へお見えになられるそうですわ。今年は初めてご家族がお揃いになられますわね」


 ―――うげっ


 喉から出かかった声を、寸前で飲み込む。


 確かにカントリーシーズンは、毎年両親がティーセル領へ移住し、領地経営を行う事は判っていたけれど、今年に限ってカール兄様までもがついてくるとは思ってもみなかった。

 ………今回の逃走劇にマリアーナを利用した事を間違いなく咎められてしまう……。


「ルイ―セ様が強行軍を敢行した理由までは存じ上げませんが、か弱い女性の身でありながらこの様な無茶ぶりをしたことは、旦那様にもご報告申し上げなくてはなりません。………皆様の到着が待ち遠しいですわ」


 “それでは失礼いたします”と声を弾ませて出て行くアンは、多分私の今回の無茶ぶりに相当腹が据えかねているのだろう。


「………不味い……確実に怒られる………」


 ベッドで独り言ちると、思わず漏れたため息と共に、私は布団の中で蹲る事しか出来なかった。





 今回の脱走劇について、簡単に説明をしようか。


 実は、夏季休暇初日にマリアーナが王宮を訪う事は、ある程度の予測がついていた。

 意外と情に篤いところがある彼女は、私が監禁紛いの事をされているのを気にかけてくれていたので、それを利用させて貰ったのだ。


「殿下に贈り物を強請ってみたら?」と、前回の訪いの中でマリアーナに言われた時、不意にこの脱走計画を思いついた。


 ……あの時点ではディミトリ殿下へのお強請りが成功する保証はなかったけれど、そこさえクリアーしてしまえば後は容易い。

 部屋へ呼びつけた仕立て屋にドレスではなく、コルセットが欲しい事と、制作期間は二週間しか無い事を伝えると、真っ青な顔をしながらも予想以上の品が届けられた。


 ………因みに、コッソリとシャツとブリーチも注文しておいたのだが。


 まさか、仕立てたその場にディミトリ殿下が乱入して来るのまでは予想できなかったが、どうせいつかはバレるのだから、それが早まっただけだと開き直っておく。


 いずれにせよ、賽は投げられたのだから、後はこの計画を実行するだけだった。





 決行日当日の早朝、着替えの準備の為にと部屋へ来たレディースメイド達に「夜更かししたせいでまだ眠い。今日は一日部屋でゆっくりするから着替えは不要だ」と告げて追い出し、内鍵を掛けてから早速コルセット二号を体に当ててみる。


(おおっ‼………全然苦しくないのに、ピッタリと体に添っている。それに軽いから動きも制限されないのね……)


 キュッと紐で縛って体に固定すると、より安定感が増す。

 一緒に仕立てたシャツとブリーチを着込んで、全身鏡を覗き込むと、そこには年齢の割に幼さが残るものの、男性と見紛う姿が映し出されていた。

 少し迷ったものの、髪は纏めずに流しておく。


 この上から着用できるドレスは無いかと、クローゼットを暫く漁ると、妊婦用なのかチュニックの様な形の物を見つけ、それを着込んだ。

 コルセットのせいで、どうしても見た目に違和感が残るので上から薄手のショールを羽織り、体型を隠す。

 最後に予め認めておいた書状をベッド脇の小机の上に並べると、この数か月で随分と慣れ親しんだ部屋の中を見回した。


(……もう来ることは無いと思うけれど……。いざとなると名残惜しいものね……)


 ボンヤリ思いを馳せていると扉がノックされ、案の定笑顔のマリアーナが顔を出す。


「マリアーナが来てくれて嬉しいわ。最近では傍仕え以外との会話も儘ならなくて、寂しかったのよ。そう言えば、今日から夏季休暇でしょう?」


「フフフ……ルイ―セにしては随分と殊勝な事を言うのね。貴女の処に顔を出した後で、ティーセル家に向かうつもりだけれど……カールに伝言があるのなら承るわよ?」


 傍仕えに準備して貰ったハーブティーを飲みながら、さり気なさを装った会話は、予想通りの答えが返ってきた。


(やっぱり‼………これで次の段階に進めるわぁ……)


 内心の狂喜乱舞はひた隠しにし「そうねぇ……私は元気だとでも伝えてくれれば良いわ」とシレッと答えておく。

 その後のマリアーナとの会話は割愛させて貰うけれど、概ね楽しい時間を過ごした頃、マリアーナが時間を気にしてソワソワし始めた。

 いつもであれば、此処でお別れの挨拶をする処だけれど、ここでマリアーナを逃したら次はいつチャンスが訪れるか判らない。


 帰りたそうにしているマリアーナを逃がさないように手をガッチリ掴んでから、部屋前に立つ警備兵との交渉に臨んだ。


「聖女マリアーナ様はお忙しい合間を縫ってまで私の元を訪って下さったのです。名残惜しいけれど、もうお帰りだとか……せめて正門までお見送りしたいと言うのがそんなに我が儘なのでしょうか?」


「……お気持ちは判りますが、我々もこれが仕事です。お部屋へお戻りください」


 ……まさにピシャリと切られるけれど、今日はこれしきで怯んでいられない。


「そんなに私が信用できませんか?それならどちらかお一人が、私の見張りをなされば良いわ。……ごめんなさいね、マリアーナ……次のお約束があるのに、こんな場所で時間を取らせて……」


 フウ……とわざとらしく溜息を吐くと、警備兵の顔にサッと狼狽の色が浮かぶ。


 明らかにソワソワとしているマリアーナと、私の焦燥に葛藤しているのが透けて見えて、思わず内心でほくそ笑んでしまった。


「………やむをえません。それでは私が同行いたします。ルイ―セ様は私の傍を離れないようにお願い致します」


 渋々といった態の警備兵に「判りました、お約束します」と微笑み、そのままマリアーナと共に歩き出す。

 そのやりとりを耳にしていたマリアーナからは若干疑いの眼差しを向けられたものの、表情を変えずに廊下を歩いた。


 正面玄関前に到着すると、マリアーナの退出と共に扉が開かれ、久しぶりに外の空気を吸う。


 前庭には何台もの馬車に紛れ、わがティーセル家の家紋が入った二頭立ての馬車も見えた。

 マリアーナを待っていたのであろう御者に、ひらりと手を振ると、馬車を正面玄関前へと移動させてくる。


「マリアーナ、今日はありがとう。とても楽しい時間だったわ」


 執事のエスコートを受け、大理石の階段を下り切ったマリアーナが馬車に乗り込むのを確信した瞬間、私は自分が履いていたヒールの靴を馬車とは正反対の方向にわざと蹴り落した。


「あっ………靴が……」


 ヨロリと体勢を崩すと、慌てて警備兵が支えようと手を伸ばす。


 それを制し、靴を拾ってもらうように懇願すると、警備兵が背を向けるが早いか、もう片方の靴を手に持ち、裸足で階段を駆け下りた。


 息せき切って、馬車のランブルシートへ飛び乗ると、すぐさま御者に発進を促す。

 後ろから「ルイ―セ様っ⁈……お待ちくださいっ‼」と悲痛な叫び声が聞こえたけれど、急発進した車輪のガラガラという音に掻き消され、私は振り向こうともしなかった。


 公道を走っているとは思えないほどの速度と、馬の激しい嘶きに道行く人たちの視線が絡みつくけれど、振り落とされないようにしがみ付くだけで精一杯で、正直それどころでは無い。


 懐かしの我が家が近づくと、少し手前で急にガクンと停止した馬車から飛び降り、玄関ホールの中ではしたなくもドレスを脱ぎ捨てる。

 唖然とするリリーにこれからティーセル領へ向かう旨を言伝てから、乗馬用のブーツを急いで履いた。


 裏庭の馬房から引き出した栗毛の駿馬に鞍を付け、僅かな路銀と水袋を持ち、ひらりと馬に跨る。

 視界が開けると、馬車の中から真っ青な顔をしたマリアーナが見えたので大きく手を振っておいた。


「マリアーナ、体調は大丈夫―っ? 馬車酔いしたなら、ゆっくり休んでねーっ‼」


 それだけを告げて、そのまま邸宅に背を向けると、馬の嘶きと土煙の向こうから「私が殿下に恨まれるじゃないの~~~‼ルイ―セの馬鹿――っ‼」という雄叫びが聞こえた気がしたけれど、それはもしかしたら風の音が聞かせた幻聴だったのかもしれない……。





 こうして、半ば強引に王宮からの脱出を成功させたものの、後日ティーセル領へ到着したカール兄様から「……私のマリアーナが、キミに騙されたと、随分気落ちしているんだけれど……。ルイ―セには令嬢としての思慮深さが欠けているんじゃないかい?ジックリと話し合おうか……?」と、またも厳しいお説教を食らい、その上王立学術院から出されたという夏季課題を山ほど渡されたことも、追記しておこうと思う。


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