78 誘拐
※Attention‼
今回の話は子供の誘拐や、若干の性的虐待が出てきます。その事をご理解いただいてから、お読みください。
――此処はどこ…?
目を覚まして、一番初めに目に入ったのは薄汚れたレンガ造りの壁だった。
ノソノソと体を起こしキョロッと辺りを見回すと、いきなり頭を動かしたせいか頭がズキリと痛む。
変な薬を嗅がされて…それから――と、回らない思考のままで室内を見回せば、どうやら普段は使用されていない倉庫のような場所だという事が判った。
かび臭く、隅の方には乱雑に麻袋が山と積まれている。
窓も無いわりに、隙間風が吹き込む室内は肌寒くて、薄いドレス一枚の姿では震えるほど寒い。
何か羽織る物は無いか…と、麻袋の方へ近づいてみると、床に投げ出されていた袋が微かに動いた気がして、慌てて駆け寄った。
簡単に縄で縛られていた口を開くと、その中にはまるで荷物のようにディミトリが押し込まれている。
「ディーマっ⁈…ディーマ、しっかりしてっ⁈」
大汗を掻きながら、なんとかその体を引っ張り出すと、薬の影響か青白い顔をしているものの、しっかりした呼吸音が聞こえて、思わずその場にへたり込むほど安堵した。
(よ…良かったぁ~…。ディーマも気を失っているだけみたい)
後は、此処がどこなのかが判れば、二人で力を合わせて逃げ出すことが出来るかもしれない…。
そう思い、部屋の隅や風の吹き抜ける場所を確認してみたものの、抜け穴なんてものは存在しておらず、入り口の製鉄扉にも当然のように鍵が掛けられ、ルイ―セの力ではビクともしなかった。
此処が王都の中だとすれば、建物の外へ出れば家に帰る方法が見つかるかもしれない。
誘拐されてどれだけの時間が経過したのかも、自分の居場所さえも判らないけれど、取り敢えず一人では無いのだ。
あの二人組の男らが此処へ戻ってくる前に、外へ助けを求める手段は無いかと、頭を捻っていると、微かに身動ぎする気配と呻き声が聞こえて、慌てて彼の元へと駆け寄った。
「うっ………い、痛てて……ん……あれ?……ここは何処…なんだ……⁈」
ディミトリも薬の影響なのか、頭を押さえている。
ルイ―セはそんな彼の体を支えながら、そっと隣に座り込んだ。
「……あれ…?ルウ……ルウ?!…そ、うか…僕たちはロイヤルガーデンから、ここまで連れて来られたんだな…」
その言葉に頷いたものの、実際にはルイ―セにだって何も判らない。
「うん、多分。此処がどこかは判らないし、扉にも鍵が掛かっているの。あの二人組は居なかったけれど、きっと様子を見に戻ってくると思うし…」
不安気なルイ―セの顔を覗き込んで、ディミトリは「そうか」とだけ頷く。
「ルウは……怪我してない…?僕の傍に居たせいで、こんな事に巻き込んで……本当にゴメン。怖い思いまでさせて…」
唇をかみしめるディミトリは、今にも涙を零しそうに、顔を歪ませている。
でもこんな異常事態は彼のせいではないし、悪いのは誘拐を企てた奴らなのだ。
だからルイ―セはディミトリの頬を両手で挟み込むと、今にも泣き出しそうな彼に向って高らかに宣言した。
「私はディーマが一人で姿を消しちゃう方が怖いよ‼ 誘拐されたことは勿論怖いけれど、二人なら絶対助かるって信じている。…それに、わ、私と婚姻するって言ったのはディーマでしょう⁈ …ここで死んじゃったら約束破りになっちゃうんだから‼」
ルイーセだって本当は裸足で逃げ出したいほど怖い。
でも、ここで気力まで失ったら、きっと二人が逃げ出すことも、約束を果たすことも永遠に出来なくなってしまう――だから、気丈なフリをしてディミトリに微笑みかけた。
呆然とルイ―セを見つめていた彼の顔がゆっくりと優しいものへと変わっていく。
気が付けば、ルイ―セの体はディミトリにギュッと抱きしめられていた。
「うん……うん、そうだったね。嘘吐いたら神様の鉄槌が下っちゃうんだった。二人で助かって、いつか約束を果たさなくちゃね」
もう震えてはいない彼の体温に包まれて、ルイ―セは大きく頷く。
ディミトリは忌み子と罵られている自分にも分け隔てなく優しい。彼の言葉なら信じられる…そう思うと不安が少しだけ紛れる気がした。
――しかし、次の瞬間、無情にも扉の外からは、ガチャンと鉄の鍵が外れたかのような音が鳴り響き、次いでジャラジャラと鎖の音が聞こえると、二人にとって、地獄の時間が始まったのだった。
「あれ……?もう二人とも起きてやがる。まだ薬が抜けるのに時間が掛かるかと思ったのに、あれじゃ効きが悪いんじゃねぇか?」
「あんまり強い薬を使うと、餓鬼の中には死んじまう奴もいるんだよ。そうなったら元も子も無くなるだろうが。売り物にならねぇ上に、後処理ばっかり面倒じゃあ大損だ」
「へいへい。確かに薬師様の言う事に間違いはありませんよっと。…ところで、いつ頃船の用意は出来そうなんだ?」
「エルベの船持ちに話を付けた。金を握らせたら、明日の朝には出航してくれるってよ」
「“荷物”が騒いだら?そいつは信用できるのか?」
「金で何でも運ぶような爺だから、少しぐらいなら平気だろう。エビリズ領海付近まで漁船で俺たちごと運んで貰い、その後は買い付けの船に乗り込めば此処での仕事は終わりだ」
「買い付け船は間違いなく来るのか?“商品”だけ取られて俺らは海の藻屑なんて笑えない話だぜ?」
「サフィーク伯爵の伝手だから間違いは無い。余程この餓鬼が憎いみてぇで、奴隷に堕としたいんだろうさ」
「ババアの嫉妬は怖いねぇ。まあ、おかげで俺たちは楽してこんな大金を手に出来たんだから、有難い限りだけどな」
「違ぇねえな」
ゲラゲラと下卑た笑いを浮かべながら、ロイヤルガーデンで二人を攫った男たちが室内へと足を踏み入れる。
ディミトリを捕まえていた黒髪にガッチリした体格の男と、ルイ―セを捕まえた赤毛にひょろりと背が高く、三白眼の男。
…どうやら、実行犯はこの二人のようだが、先ほど会話に出てきた“サフィーク伯爵”という名前からも、他に仲間がいる可能性が否めない。
そんな中で、二人の視線は、まるで商品の品定めをするかのように、ディミトリの後ろに隠れるルイ―セに注がれていた。
「へぇ…王子のオマケにとんでもなく良いのが付いてきたな。毛並みも良さそうだし、貴族らしい品もある。これなら幾ら出しても欲しがる奴も多いだろう」
「アーデルハイドの貴族は、子供の頃から学があるらしいからな。養女や手前の息子の嫁にと欲しがる富豪もいそうだし、高値で取引できるんじゃないか?」
「どっちにしてもぼろ儲けだ。あのサフィーク伯の娘は高慢ちきでクソムカつく女だったが、おかげで一生遊んで暮らせるだけの財が手に入るんだから感謝しねぇと」
「ああ、まったくだ」
ニヤニヤした顔で黒髪の男がディミトリの腹部を蹴ると、彼が倒れ込んだ隙間をぬって腕が伸ばされ、そのままルイ―セは軽々と黒髪の男の胸の中へと引き込まれてしまう。
「ディーマっ⁈ …は……離してっ‼ …や、嫌っ……私たちを家に…帰して下さ、い…」
無遠慮な視線に晒され、身を強ばらせながらも、何とか声を張り上げて彼らを睨みつけると、その様が面白いのか男たちは下卑た笑いを深めた。
「随分と威勢のいいお嬢ちゃんだな。御貴族様の令嬢なんて、怖がって泣き叫ぶばかりで苛つくかと思っていたんだが、こりゃあ良いや」
「このお嬢ちゃんは、最初にとっ捕まえた時から、噛みついたり暴れたりと中々威勢が良かったぜ。王子様を守ろうとする健気なじゃじゃ馬娘だなぁ」
ガハハハッと馬鹿にしたように笑われるが、私は動揺のあまり顔が真っ青になるのを止められない。
…何故、園遊会の招待客でも無いディミトリが、ロイヤルガーデンに居たのかの答えが漸く判ったからだ。
初めて彼が“ディミトリ”と名乗った時、何故か家名を名乗ろうとはしなかった……。
最初はルイ―セに高位貴族である事を隠すため、敢えて名乗らなかったのだと思い込んでいたが、実際の彼にとってはそれが自然な事だっただけなのだろう。
貴族は家名を名乗ることで自尊心が満たされ、周りからの処遇も変わる。
しかし、ディミトリのように常に使用人や衛兵に守られている立場だと、そんな必要自体が無いのだ。
思えば、ロイヤルガーデンの“お気に入りの隠れ場所”で彼が昼寝をしていた事も別におかしな話ではない。
誰が王族専用の庭園で眠る第一王子様を咎めることが出来るというのか…。
初めて知った事実に衝撃は受けたが、それよりも今は二人で脱出しなければという気持ちの方が強かった。
「わ、私達を誘拐してどうするつもり、ですか?身代金目的ですか………?」
「ハハ…涙目になっちゃって。でも残念ながらハズレだよ。そんな危ない橋を渡るより、簡単に大金が手に入るんだからさ。二人とも明日にはこの国とお別れして、新しいお家へ行くんだよ」
「えっ………⁈」
一瞬、言葉の意味を理解できずに固まっていると、今度はニヤニヤした顔をした赤毛の男が声を上げる。
「エビリズ国の貧民窟の餓鬼とは違って、きっと金持ちに買われるんだろうさ。まあ、相手が変態なのか、老人なのかはお嬢ちゃんの運と金次第だけどなぁ」
笑いながらも手際よくディミトリの腕や足を縄で縛り上げると、その三白眼を細めて顔を近づけた。
「王子様にとって、俺たちは下賤の者かもしれないけれど、今のお前じゃ何も守れないんだ。明日には、奴隷に身を堕とす無様な自分を好きな女に見届けてもらえよ」
怒りに顔を引き攣らせながらも、それを隠しディミトリは懇願するように男らに話しかけた。
「僕の事は好きにすればいい。でも、ルウは何の関係も無いんだ‼…もう抵抗しないと誓うから……ルウだけは……助けて欲しい」
――一国の王位継承者として育てられた彼が、人に懇願するなど、どれ程の屈辱だろう。
しかも、出会って間もない自分に直向きに向けてくれるディミトリの深い愛情はルイ―セにとって初めての経験だった。
(……ディーマ、好き……大好き。私も貴方の事を守ってあげたい……)
今すぐ抱きしめて、想いを伝えたいのに男らが彼の懇願を一笑に付す姿を見てしまうと、言葉が喉に張り付いて出て来ない。
「あー…笑ったなぁ。残り少ない時間を楽しむためにも酒が欲しいな。買出しに出てくる」
そう残して、赤毛の男だけが部屋を出て行くと、外からまたガチャリと鍵が掛かる音が響く。
「あと数時間でアーデルハイドの地ともお別れだ。お前たちが一緒に居られる最後の夜だからな。別れぐらいは済ませると良い」
黒髪の男は、まるで予定調和のように告げるけれど、その恐ろしさに震える事しか出来ない。
結局、赤髪の男が戻ってくるまでの間、私たちは無言のまま俯くことしか出来なかった。
――暫くして、満面の笑みを浮かべて部屋へと戻って来た赤毛の男は、両手いっぱいの荷物を抱えていた。
「大金が入る前祝いだからな。奮発してトレトゥールの店で煮込み料理や、蜂蜜種も買って来たぜ」
「まったく…相変わらずの甘党ぶりだな。俺は食事の時は甘い酒は飲みたくない」
機嫌良さそうに料理や酒瓶を広げると、二人は瓶から酒を煽っては饒舌に自分たちの希望溢れる未来とやらを語っている。
既に彼らにとって、私たちは“人”では無く“商品”としてしか認識されていないのだ…そう感じるぐらい、二人は私達の事に見向きもしないで酒宴を楽しんでいた。
「サフィーク伯爵の娘は、本気で王妃の後釜に座るつもりでいるのかねぇ。いくら王子を殺して、責任の所在を王妃に擦り付けたところで、今更、元婚約者の女を正妃にするなんて夢物語を信じているところが呆れるわ」
「あの口ぶりだと、自分は国王に寵愛を受けていると信じていそうだったぞ。だから、国王の愛を一身に受ける王妃が許せなくて排除しようと考え付いたんだろうさ」
「とんだ夢幻だな。その為に大金をはたいて、俺らの侵入経路まで手引きするあたり、本物の気狂いなんじゃねぇか」
「まあ、おかげで俺らはぼろ儲け‼オマケに手に入ったお嬢ちゃんも高値で取引できそうで万々歳ってところだなあ~」
そう言うと、黒髪の男がチラリとルイ―セに視線を向けてきたので、思わずビクリと体が震える。
「なあ“商品”の状態を知っておくのも売り主の役目だよなぁ」
かなり酔っているのか、ヨタヨタと此方へ近づくと、黒髪の男はルイ―セの腕を引っ張り強引に自分の膝へと座らせた。
「お前…手を付ければ“商品価値”が下がるから躰には傷を付けるな。初物か否かで価格がデカく変わるんだぞ⁈」
「判ってるってぇ。でもさぁ、御貴族様の女がどんなもんなのか知りたくないかぁ?いくら餓鬼でもその辺のアバズレとは違うだろうし…ヒック…」
ヒッ‼ ――その瞬間、逃げ出そうと伸ばした腕は容易にからめとられ、退路を断たれる。
「や、止めろっ‼ …ルウに手は出さないって……約束したはずだっ‼」
ディミトリが必死の形相で声を上げる様を無表情で見つめていた赤毛の男は、何を思ったか、彼の体に馬乗りになると無理やりディミトリの顔を此方へと向けて下卑た笑みを浮かべた。
「……好きな女が、別の男に裸に剥かれてその身を穢される様を目に焼き付けろよ」
その声に気を良くしたらしき黒髪の男が、ドレスの紐に手を掛ける。
「さあ、お楽しみといこうか」
酒臭く饐えた息が耳にかかると同時に、紐はシュルシュルと解かれ、拒むことさえ出来ないままに、私は素肌を晒す事となったのだった。
「へぇ~…やっぱり貴族様はシミ一つない肌をしてるんだな。ツルツルで吸い付くみてぇな躰だ。これで年頃だったら、俺も我慢なんか絶対無理だったわ」
ヒッヒッ…と、私の喉からは恐怖のあまり嗚咽しか零れない。
男の武骨な手が体中を這い回り、その嫌らしい舌が背中や首筋をナメクジのように這っていくのをどうする事も出来ず只耐える。
怖い怖いこわい――コワイ…。
カチカチと歯の根が音を立て、男に触れられた場所から熱が奪われるように怖気が走る。
ディーマ…ディーマ…怖い…助けて…。
気が狂いそうな時間は、既に感覚がマヒし、只管に絶望の時間が終わる事だけを願っていた。
ディミトリに汚いと――悍ましい視線を向けられているのが怖くて、ずっと彼の顔から目を逸らし、ボタボタと絶望の涙を零し続けていた時、突如、微かな頭痛と違和感が私を襲った。
「ぅ…ごふ…がっ…」
いきなり黒髪の男は、私を突き飛ばすと、喉を掻き毟るように暴れはじめ、狂ったように床の上でのたうち回る。
「がっ…ががが…う…げ…あ“あ”あ“あ”…」
ディミトリに馬乗りになっていた男もいつの間にか這い蹲り、頭を床に打ち付けては大声で呻き始めた。
(なに…なんなの⁈…こんないきなり狂ったような…)
ハッと我に返り、ディミトリの元へ駆け寄ると、彼の目は何の感情も無いままに二人へと視線鋭い眼差しを向けている――その瞳は琥珀色へと輝きを変えていた。
その間も、男らは激しい雄叫びを上げながら、己の吐しゃ物に塗れ、狂ったように悶え苦しんでいる。
(なに……一体なにが起きているの……?)
押し寄せてくる激しい頭痛と、恐怖心に侵された心は、幼いルイ―セにとって耐えられる域を超え、ドンドンと意識が遠のくのが判る。
(もしかしたら此処が地獄なのかもしれない……)
――ルイ―セの意識は、そこでふつりと途切れたのだった。




