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77 ローヤルガーデンの真実

※今回、子供の誘拐話が入ります(←ネタバレ)その事に気分を害されない方のみ、この先にお進みください。

 ――ああ…またこの夢だ。


 苦々しい記憶と共に思い出すのは、満開の薔薇が咲き誇る広大で色鮮やかな庭園だ。

 アーデルハイド王宮の奥深くにあり、希少な薔薇のみが植えられた『ロイヤルガーデン』は、この日大勢の貴夫人達で溢れていた。


 見知らぬ高位貴族に罵倒され、無言で俯くお母様と、忌み子だと蔑む声に怯えて逃げ出した幼い記憶。

 幾度も繰り返し見るたび、より鮮明になっていくこの夢は、いつでも私が蹲って泣いているところで目覚めていたのに…。


 ――泣き腫らした瞼を擦り、鈍い微睡みから目覚めた私の真横で眠っている――この少年は一体誰なのだろう…?


 日差しに煌めく柔らかな金の髪、真っ白な肌にほんのりと染まる薔薇色の頬。

 長いまつ毛に縁どられた瞼は閉じているが、微かに開いたグミのように赤い唇からは安らかな寝息が聞こえてくる。

 いくら緑の絨毯に覆われているとはいえ、彼の身に纏っている豪奢な正装は、こんな庭園の片隅でピクニックを楽しむような気楽な身分では無い事を物語っていた。


(…初めて見る子だわ…)


 貴族の交友関係は広く浅い。その為、両親の社交に同行すれば、同年代の令息たちとも顔を合わせることになる。

 …しかし、今まで出会った貴族令息の中にこんな綺麗な男の子は居なかった。


 今回、王妃殿下が主催した園遊会には特別な趣向が凝らされていると両親から告げられ、ルイ―セ自身も普段とは違い、華奢なフリルを幾重にもあしらったピンクのドレスを着用している。

 だが、この少年が着ている正装は、見るからに重厚感のあるグリーンベルベットの基布に合わせ、白いウエストコートにも銀糸で緻密な刺繍が施されている豪奢な物だ。

 くるみ釦ひとつをとっても、ルイ―セのドレスとは比較にならない程、上質な物であることが窺える。


(この服装だけ見ても、高位貴族の令息なのは間違いないと思うけれど…。何でこんな庭園の隅っこで眠っているの…?)


 泣き疲れて眠ってしまった自分がいうのも何だが、昼寝をするのであれば、もっと良い場所があるだろう。

 それに何故ルイ―セに声もかけずに隣で寝ていたのだろうか…。


 …そう言えば、今回の園遊会にはアーデルハイド王国中の貴族令嬢が年齢を問わず集められていると、道中の馬車の中でお母様から聞かされた。

 だから、男子禁制のこの庭園にはいつも以上に厳しい警護体制が敷かれているとも。


 つまり、彼は招待を受けていないにも関わらず『ロイヤルガーデン』に入り込んだ、不法侵入者であることは恐らく間違いない。

 …いくら彼の立場が高位貴族であっても、王族の管理する庭園に不法侵入したことが見つかれば、酷く罰せられてしまうだろう。

 その考えに至ると、ルイ―セは居ても立っても居られなくなり、必死で少年の体を揺さぶり起こそうとした。


「ねえ貴方、大変よ⁈ …此処にいることが見つかったら、罰せられてしまうわ‼ 見回りが来る前に急いで逃げてっ‼」


 何度か耳元で声を掛け揺さぶっているうちに、その少年は瞬きを繰り返すと、焦っているルイ―セにとっては、酷く緩慢に思える動きで体を起こす。

 暫しボンヤリとしていた綺麗な碧眼は、ルイ―セをその瞳に映した瞬間、怪訝そうな表情へと変わった。


「ふ…ふぁ~っ……ああ…ん……?お前、一体誰なんだ?……僕よりも先に此処へ隠れていたようだが、不法侵入者なら警備に突き出すぞ」


 …ええっ⁈

 何で、私の方が不法侵入者のような目で彼に睨まれる羽目になっているのだろうか。


「違っ…‼ わ、私は園遊会にご招待頂いたんです‼ 今日の参加者には貴族令嬢しかいないと聞いていたから、てっきり貴方が不法侵入者かと思って…。もし見回りに見つかったら、貴方が罰せられると思ったから慌てて…」

「へえ…招待客は全員、向こうの中央テーブル付近にいるから此処なら見つからないと安心していたのにな。こんな庭園の外れにまで探しに来るなんて、お前は意外と自分を売り込むのが上手いじゃないか」

「……なにを売るの……? 私は向こうで……嫌な事があったから、ちょっと隠れて居たら眠ってしまったみたい。此処は貴方の秘密の場所なの?」

「そう。鬱陶しい奴らに付き纏われたから、嫌になって此処へ逃げて来た。そうしたら、お前が先に寝ていたんだ。…まあ、静かだったし、別に気にならなかったから…お前も僕に挨拶したいんだろう?今は気分が良いから聞いてやっても良いぞ」


 そう横柄な態度で言われ、ルイ―セは自分がこの少年に名乗ってもいないことに気が付いた。


「あっ⁈…そっか、ご挨拶しなくてごめんなさい。私はルイ―セ・ティーセルです。貴方のお名前はなあに?」

「……はっ⁈ …お前、まさか僕を知らないのか…? ………まあ良いや。僕はディミトリだ」

「でぃみろり…」

「ディミトリだ」

「でぃみ…おり…」

「ディミトリ‼」

「ディミオ…」

「…もう良い。じゃあ、ディーマなら呼べるか?」

「ディーマ…ディーマ‼ うん、大丈夫‼」

「…プッ…何だよ、名前が呼べたぐらいで随分と嬉しそうだな。アハハ…じゃあ、僕もルイ―セじゃなくて…うん、これからは“ルウ”と呼ぶからな」


 彼の名前が上手く呼べず、嫌われるかと思っていたのに、愛称呼びを許してくれた上、自分にも可愛い愛称を付けてくれたことが嬉しくて、ルイ―セは満面の笑顔を浮かべてしまう。


「ウフフ♡ルウって可愛い呼び方ぁ‼ディーマが付けてくれたんだもんねぇ」

「そ、そうだ‼ お前にだけ特別にディーマと呼ばせてやるんだから、お前も他の奴らにルウと呼ばせちゃ駄目なんだぞ⁈」


 特別――そう言われたことも嬉しい。

 忌み子と呼ばれて嫌われている自分をお兄様とフランツ以外で特別扱いしてくれるなんて、この男の子は見た目と同じで心もきっとキラキラしているのだろう。


「うん‼判った。…そう言えば、ディーマは誰かから逃げているんでしょう?もしかして、かくれんぼをしているの?」

「うーん…、媚売りの連中にウンザリして抜け出してきたから、似たようなものだな。ルウこそこんな場所に隠れて居て良いのか?…その、お、王子に声を掛けなくて…」


 ディーマの言葉に吃驚するあまり目を瞬いてしまう。


「ふえっ⁈ この園遊会に王子様がお顔を出されるの? 凄い‼ ディーマは物知りねぇ‼」

「えっ⁈ …そ、そうか。その様子だと今日の園遊会の目的も聞いていないみたいだな」


 園遊会の目的…?


 ルイ―セは母から今日の園遊会には“特別な趣向がある”としか聞かされていない。

 ディーマの言葉に頷いて首を傾げると、彼はクスクス笑いながらルイ―セの髪を撫でた。


「ハハハ…うん、ルウらしくて良いんじゃないか。お前みたいに無邪気な令嬢ばかりなら気楽で良いんだけどな。まあ、初恋もまだのお子様みたいだし、ルウには王子の婚約者なんて話は、まだ早…」

「…初恋…? うーんと、大好きな男の子なら私にもいるわ」


 すると、機嫌よく髪を撫でていた手がピタリと止まり、いきなり顔を強ばらせたディミトリが怪訝そうな声音で尋ねてくる。


「はっ…⁈だ、誰…いや、その相手も、どうせお父様が好き…とかそういう話だろう⁈」


 何故そんなに声を震わせ、動揺しているのか判らないが、その言葉に首を振って否定した。


「……ううん。あのね、幼馴染のフランツが大好きなの。すごく格好良くて頼りになるんだぁ。えへへ……これが初恋かなぁ? 恥ずかしい…初めて人に言っちゃった♡ディーマも内緒にしてね♡」

「……ちょっ…⁈ そ、れは……傍に居る男友達としての好き、なん、だ…よな?」

「内緒だけれど、大人になったらプロポーズして婚姻して貰うんだぁ。フランツが旦那様になったら、ずーっと一緒に居られるって聞いたもの」


 大好きなフランツとずっと一緒にいるにはどうしたら良いかとカールお兄様にコッソリ尋ねたら『婚姻すればずっと一緒に暮らせるよ』と教えてくれたのだ。

 そうすれば、毎日一緒に遊べるし、ずっと離れることなく一緒に暮らせる。

 まだ子供で、家格の差や政略結婚というものを知らなかったルイ―セは、カールの言葉を鵜呑みにしており、将来はフランツに婚姻を強請る心積もりでいたのだ。


 何故か顔面蒼白で、ディミトリは頭を抱えていたが、暫くすると、深いため息を吐きながらルイ―セを見てまるで王子様の様な美しい微笑みを浮かべた。


「そ…れは、恋人というより、家族として好きなんだと思う。四六時中顔を合わせていれば、家族と同様に親愛の情が湧くものだからな‼」


 確かに、お兄様と仲良しのフランツは、毎日のようにティーセル家へ足を運んでいる。


「毎日来るから、家族みたいなものって事?確かにフランツはお兄様みたいに格好いいけれど…」

「そ、そうだろう⁈兄と引き比べている時点で、ソイツには家族愛としての好意しか感じていないと

僕が保証する。間違いなく、それは初恋相手では無いよ‼」


 余りにもキッパリとした断言に、ルイ―セの気持ちも微かに揺らぐのを感じる。


 ――フランツの事は大好きだけれど、お兄様にギュッとして貰うのと同様に一緒にいるだけで心がぽかぽかと温かくなるような気持ちになる。

 家族と同じくらい大好きだから、これが初恋相手では無いとディミトリに断言されると、そうかもしれないと思ってしまう程度には自信がない。


「そう…かも。でもね、いくら大好きでもお兄様と婚姻は駄目ってお母様が言っていたの。もしかしてフランツと婚姻するのも駄目なのかなぁ…?ハァ…好きな人と婚姻したかったのになぁ…」


 フランツとずっと一緒にいるつもりだったのに、当てが外れてしまい思わずため息が漏れる。

 すると、先ほどまで微笑みを浮かべていたはずのディミトリが、何故か真顔でグッと顔を近づけてきた。


「ルウ……僕はルウの事を初めて見た時から…そ、その可愛いと思っている、んだけれど、ルウは僕の事をどう思う?好き…か?」


 その美しい碧眼に直向きな色を湛え、真摯な表情を向けてくるディミトリは固い声音とは真逆に頬も耳も真っ赤に染まっている。

 彼のあまりにも近い距離に、出会ったばかりのルイ―セは心臓がドキドキと早鐘を打つのを感じた。

「わ…私も、ディーマの事が……好き。隣で眠っていた時は天使様がいるのかと思って、ドキドキして見つめちゃったもん。さっきから、ディーマを見ているだけで心臓がギュって痛いの。これって病気?」 


 先ほどからドキドキとうるさい胸に手を当てると、ディミトリは蕩けそうな笑顔で「フフ…可愛いね」などと、益々ルイ―セの心臓を痛くするのだから困ってしまう。


 そんなルイ―セを優しく見つめていたディミトリは、暫くすると意を決した様に口を開いた。


「ねぇ、ルウ。ここには僕達しかいないけれど、神様は全部ご存じなんだ。だから、お互いに好きだって誓ったことを簡単に取り消すことは神への冒涜なんだよ。もう、ルウは僕が好きだって口にしたんだから、他の男………幼馴染とも必要以上に仲良くしないで。この約束は永遠に取り消せないよ。

嘘吐いたら、神様の鉄槌が下るからね」

 

 突然のプロポーズと、五歳児にしては余りにも重い誓いに、少しだけ戸惑ったものの、ルイ―セはコクリと頷いた。

 少し強引で、偉そうで、少しだけ意地悪で。

 でも、ルイ―セが名前を呼べないことを馬鹿にするでも無く、素敵な愛称で呼んでくれる彼の手を手放すことなど、もう自分には考えられなくなっていたからだ。


「はい………。私も…ルイ―セ・ティーセルもディーマに永遠の愛を誓います」


 大人から見れば、まるでおままごとの様な幼い恋心は、それでもディミトリにはしっかりと伝わったようで、彼は頬を染めながらルイ―セをギュッと抱き締めてくれた。


 優しい額への口付けに始まり、両頬、そして唇への柔らかな口付けを終えると、ディミトリは幸せそうな笑顔で、ルイ―セの耳に甘く囁く。


「これでルウは僕の生涯の伴侶だ。絶対に僕が幸せにしてみせるから、他の男に目を奪われないで」


 まるで大人のような彼の声音に、ルイ―セは真っ赤になってコクコクと頷くことしか出来ない。

 こんな気持ち――確かに、今までフランツに感じたことは無かった。


「ディーマも私の事だけ好きでいてね?…約束」



 小指を絡ませ、二人だけの幸せで甘やかな時間。

 そこには何物にも侵されない幸せが確かに存在していた――はずだった。




 それが急に破られたのは、すぐ傍で聞こえる嘲り笑う男たちの不協和音で。

 驚きに身を竦ませたルイ―セはヒッと声にならない悲鳴を漏らした。


「…まさか、こんな簡単に標的が一人になるとは思わなかったなぁ。餓鬼のくせに逢引きまでするなんざ、流石に御貴族様達は手が早いねぇ」


 “警備を殺す手間が省けたな”と、まるで天気でも語るように平然と呟く見知らぬ男に言い知れぬ恐怖を感じる。


 ぬるりと、何の気配も感じさせないままに、突然木の陰から現れた黒髪の男は、そのガッチリした体格でディミトリを抱え込むと、掌に持った布切れを顔に押し当ててきた。

 慌てて手を伸ばすも、後ろから現れた別の――赤髪にヒョロリと背の高い男に羽交い絞めにされ、身動きが取れない。

 暫くジタバタと暴れていたディミトリの体から力が抜け、その腕がダラリと下がるのを目の当たりにし、ルイ―セは必死で身を捩った。


 その男らの風体は、チュニックに革のズボンを身に纏い、外見だけなら庭師のようにも見える。

 しかし鋭い眼光や、ルイ―セを見る時の下卑た目つきから、明らかに彼らがこの場にそぐわない危険人物であると、ルイ―セは瞬時に理解した。


(どうしよう…このままじゃ、ディーマも私も攫われて…‼)


 ――下手をすれば殺されてしまうかもしれない。ドクリと心臓が嫌な音を立てて軋む。


「こんな楽に仕事を終えられるとは、俺達ツイてるなぁ。餓鬼一匹を拉致して殺すだけでたんまり報酬が入ってくる」

「ああ。その上こんなオマケまで手に入った。これだけの上玉なら餓鬼でも十分大金が稼げるからな」


 ゲラゲラと笑い合う男たちに恐怖し、捕らえられた腕にガブリと噛みつくと、赤髪の男は忌々し気な顔をしながら、今度はルイ―セの顔にも布を押し当ててくる。


「…チッ、コイツ噛みついてきやがった。顔に傷を付けて価値を下げるわけにはいかないし、眠って貰うとするか」

「ハハ、流石は王子の選んだ女だけの事はあって一筋縄じゃいかねぇな。まあ、こういうのを躾けるのが好きな御貴族様に高く買って貰おうぜ」


 変な匂いのする布は、息をするたびにクラクラとルイ―セの意識を朧げにしていく。


 ディーマが…このままでは…危な、い…。


 狭まる意識の中で、黒髪の男が大きな農地用の土嚢袋を広げているのが見える。

 駄目…そこに入れられたら、もう逃げることが出来なくなってしまう。


 誰か…ディーマを、助けて…。


 そこで私の意識は闇の中へと放り出されたのだった。


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