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75 ブルーノの罠

※無理やり表現があります。後味が悪いので、地雷な方は自己責任でこの先をお読み下さい。

「王太子の婚約者と別人だと仮定するとしても、似た金の薔薇がある以上、無関係とは思えない。王家とどんな関わりを持っているんだ?」


 グッと掴んだ手で無理やり顔を上げられると、ヘーゼルの瞳が言い逃れは許さないとばかりに睨んでくる。

 暫く逡巡したものの、痣がどんな状態なのか判らない以上、明言は避けることに決めた。


「左胸の痣は生まれつきのもので、王家の紋章とやらとは一切関りが無い。ブルーノが疑ってかかっているせいで同じものに見えているだけだ。それに王太子殿下の婚約者は公にされていないし、私が知るはず無いだろう」

「…全く同じ場所に同じような薔薇がある偶然があると思うか。たとえ公表されていなくとも、同じ学術院に通っていれば噂の一つや二つは耳にするだろう?」

「会ったことも無いから、同じ痣なのか確認しようもない。大体、殿下の婚約者が学術院にいるのなら、彼が愛する女性を放っておいて、エビリズ国の王女様を優先するような性格に見えるのか?」


 その言葉には、僅かに眉を上げて考え込むような仕草を見せる。

 あの晩餐会場での溺愛具合を見ているから、説得力があったようだ。


「確かに…。あの王太子なら平気で婚約者を優先させるだろうな。しかし、他国の目ぼしい貴族にそれらしい女が存在しないことは調査済みだ。だとすれば…身分を偽っているか、お前のように性別を偽っている可能性もあるか。因みに、お前が男装している理由は何だ?…趣味か」

「馬鹿な事を言うな。こんな事になったのも、元はといえば貧乏男爵家の我が家が、兄の治療代を捻出するために、私の社交デビュタント用の衣装代をケチったせいだ。おかげで舞踏会にも男装して兄の正装で出席したんだ。そこで目を掛けられ、殿下の側近に迎えて頂けたから、未だに男装しているというわけさ。今更、女だと言い出せる訳が無いだろう」

「アーデルハイドの貴族にも貧乏人はいるんだな。では側近のシャルル・グロスターやジョゼル・ルークにもお前は性別を明かしていないのか」

「その必要性が無かったから。…今更令嬢扱いをされても気持ち悪いだけだしな」


 ブルーノはそこまで聞くと、暫く考え込むように押し黙った。

 会話の端々から感じられたことは、国内にエビリズ国の間諜が潜入している事と、彼らには数か月の間に、情報収集をするだけの力がある…という事実だけだ。


(こうなると、王女に文官を誘惑させたのも執務室に新たな人員――間諜を紛れ込ませる為かと疑いたくなるわ。外交官に唆されたアデリーナ王女の方が、むしろ手駒扱いされているのかも)


 外交団に狸ジジイがいる可能性は高いが、この場で考えても所詮は机上の空論でしかない。

 今、私が出来ることはブルーノから情報を引き出し、王妃殿下へそれらをお伝えする事しかない…まあ、無事に脱出できるかは判らないけれど。


 小さな明かり取りの窓から月が姿を消した以上、かなり時間が経過している事は判る。

 既に生徒は全員が帰寮しているだろうし、こんな辺鄙な場所で騒いでも、まず助けは望めない。


 ルイスの口から私が部屋へ戻っていないことは、恐らく殿下や教職員にも伝わっているはずだし、結界がある以上、学術院の敷地外へ出ていないのは彼らも掴んでいるだろう。

 敷地内で目の届かない場所――そこを捜索する時間さえあれば、私が助かる見込もある。


 ――何とか、少しでも時間稼ぎを続けるしかない…。


 緊張感を孕みながら、会話を続けるために『何の目的で私を誘拐したの』とブルーノに尋ねると、至極当然の様に返された答えに私は顔を引き攣らせる事となった。


「王太子の婚約者を見つけ排除するためだ。アデリーナ様からは『殿下から愛されていると大きな顔をしている馬鹿女を、死ぬより辛い目に遭わせてから殺害しろ』と御命令を受けた。同じ碧薔薇の香りを纏うお前で間違いないと思ったから、死んでも構わないと、手加減せずに殴った」


 ――うん、最悪だね⁈


(どおりでコルセットが真っ二つになるぐらいに殴るわけだ。殿下の婚約者だと疑っていたのなら、私が女だと理解していて、手酷い暴行を加えていたって事だものね)


 生きて帰れたら新たなコルセットには張り骨を増やそう…そう新たなコルセット作成に意欲を燃やしていると、ブルーノが言葉を続ける。


「ただ、学術院の中で命を奪うのが危険すぎる事は俺も理解している。目障りな令嬢を排除できたとしても、疑いの目が我々に向くことは避けられないからな。だから“傷物”にするだけで、婚約者の女も、命までは奪うつもりは端から無かった」


 嫉妬に憎悪を燃やすアデリーナ王女に比べ、ブルーノは自分が置かれている状況を的確に捉えている。

 …これなら、上手く交渉すれば解放して貰えるかもしれない――愚かにも、目先にぶら下げられた罠に私は食いついてしまった。


「傷物にするのが目的なら、十分に目的は達成されただろう? 私を痛めつけて気が済んだのなら、さっさと解放して婚約者探しに邁進した方が、アデリーナ王女の留飲も下がるんじゃないか」


 人は極限状態に置かれた時、素の自分を晒す傾向があると祖父から教えられた事がある。

 表面を取り繕い誤魔化すことは出来ても、極限状況下では仮面は用をなさず望む状況に誘導しようと、無意識に行動を取ってしまう…というものらしい。


【眼前に居る時は、絶対に敵から視線を外してはいけない。その一挙手一投足を意識し、生き残る為に細心の注意を払え】


 祖父は幼かった私を膝に乗せると、口癖のように何度もこう諭した。

 それなのに、いざ極限状態に置かれた私はブルーノの甘言に乗り、交渉で解放を望むことで緊張の箍が外れてしまったのだ。


 だから、会話を続けながらも、何度か扉や小窓へと視線を向け、辺りの気配に耳を澄ます仕草を、薄暗闇の中でブルーノがジッと観察していたことにさえ気づくことが出来なかった。


 一瞬の殺気を身に纏わせると、その気配を纏ったままブルーノは私の胸元へナイフの切っ先を向ける。

 ――咄嗟に殺される!…と判断した私は体を強ばらせた。

 訪れる痛みを堪えるため、ギュッと目を瞑るも、実際に感じたのは、抑圧から解放された胸がフルンと撓む、冷たい空気だけだった。

 …どうやら胸のサラシをナイフで引き裂かれたらしいが、羞恥よりも強い殺意が消えたことに思わず安堵の溜息が漏れる。

 それを耳にしたブルーノは呆れた様子で、私を見下ろした。


「ナイフを向けられても泣き喚かない貴族の女がいることに驚くな。殺意には反応しているようだし、どう考えても実戦慣れし過ぎている。本当にお前は、只の貴族令嬢なのか?」

「…驚きすぎて体が強張っているだけだ。寒いから上着を貸して貰えないか」


 その言葉にブルーノは自身のフロックコートを脱ぐと、面倒臭そうに私の体へとバサリと掛ける。


「どうにも解せん。最初は紋章や香りを似通らせた女を、婚約者の影武者として仕立てたのかと思ったが、それにしては事情に精通していなさすぎる。間諜かとも疑ったが、己の力量で脱出を図れるほどの力もないくせに、俺を謀ろうと何度も脱出の機会を伺っている…。晩餐会で見た王太子の婚約者とは似ても似つかない程度の風貌だし、あの美女がお前だとしたら、どれだけ化粧で色気を水増ししているのかと聞きたくなるぐらいだ」


(コイツ…気にしていることをズケズケと…‼)


 あの晩の私は、王宮傍仕え達がたっぷりと時間を掛けた最高傑作だった。

 化粧の魔力が遺憾なく発揮されていたことは認めるが、それを言い返す訳にもいかないのが余計に腹立たしい。


「影武者だの間諜だの…随分と買い被って貰っているようだけれど、私には、とてもそんな力量は無いよ。ブルーノが目にした婚約者の女性が美女だというのなら、私程度で成り済ませるはずもない。いい加減、別人だと信じて解放してくれ…」

「それは俺が判断する事だ。お前が本物だとすれば、今頃はアーデルハイドの王太子が顔面蒼白で探し回っているだろう。その様子をアデリーナ様に確認してから、解放するか否かを決める」


 思わず舌打ちが出そうになるのを寸での処で堪える。


 殿下が探しているのは“カール”だから、ルイ―セを失ったかのように取り乱すことは有り得ない。

 …しかし、自分のせいで彼に迷惑を掛けていることは事実なのだ。


「…英知の国として名高いエビリズ国の従者は、さすがに疑り深いみたいだね。観察眼にも長けているようだし、汚れ仕事よりも外交術の方が向いているんじゃないか?」

「英知の国、ねぇ。他国のお前らには判らんかもしれないが、俺は貧民窟の出身だから、

汚れ仕事が似合いなんだよ。孤児院出身者が御貴族様に混じって外交官になれるわけもないだろう?」


 忌々し気に呟いた私の声に、ブルーノは事も無げにそう返す。


 貧民窟――通称スラム街とも呼ばれる退廃地は、アーデルハイド王国には存在しないため“英知の国”と誉高いエビリズ国にそれが存在していることに、私はむしろ驚いた。


「ブルーノが貧民窟の出身だとしても、今は王家に仕えているのだから出世の道はあるんだろう?他国からも留学制度の補助目的でエビリズは多額の資金援助を受けている。治安維持の為に、貧民窟も改善はされてきているんだろう?」

「今も昔も貧民窟は変わらず存在している。俺は運が良かっただけで、あそこで暮らす子供に安寧などは存在しない」


 華やかな他国の留学生らが目にすることの無い都市の外れに、貧民窟は存在するとブルーノは言う。

 どれだけ国が栄華を誇ろうとも、そこだけは時間が止まったように何も変わらないのだ――悪しき意味で。

 そんな中でも、ブルーノには幸運の女神が微笑んだらしい。


「俺を拾ってくれた孤児院が比較的まともな所でな、最低限の読み書きぐらいは司祭様に教えて頂けた。住み込みの仕事も与えられたから、浮浪児よりは幾分かマシな生活は送れていたんだ」


 十三歳になった頃、街角で強盗まがいのいざこざに巻き込まれた。


「相手は仕込みナイフを持っていたんだが、普段から喧嘩慣れしていたせいで、簡単に返り討ちだ。誰かが通報したせいで警備隊の詰め所に俺までしょっ引かれたんだが、そこの副隊長が俺を気に入ってくれて、下級警備隊への紹介状を書いて貰えたんだ。あの人に拾われなかったら、俺は未だに貧民窟で貧乏生活を送っていたかもしれん」


 祖国の事を思い出しているのか、遠くを見るような目で、ブルーノは語っている。


「副警備隊長は俺に『この身は地を這おうとも、心まで地を這う必要は無い』と諭してくれた。だから、恩義に報いるために他国語も必死で詰め込んだし、貴族の作法も覚えた。…おかげで立派な暗殺者だ…」


 自虐的に笑うブルーノは、資質を十二分に秘めながらも、生まれ落ちた場所だけで烙印を押された生き方を強いられているのだ。

 今も、副警備隊長への恩義と、アデリーナ王女への忠誠心に挟まれ、ブルーノの気持ちがグラグラと揺れているのが判る。


「副警備隊長は、ブルーノに幸せになって欲しいんじゃないかな。心を疲弊する生き方ではなくて、もっと他の…」

「っ…五月蠅い、黙れっ‼」


 パンッと平手打ちを食らい、右頬に痛みと熱を感じる。その拍子に切れたのか、口内にもジワリと血の味が広がった。


「殴られても止めないよ。もっと自分を大切に生きるべきだ‼…折角祖国から出たチャンスを無駄にするな‼」

「どういう事だ?…何が言いたい」

「エビリズ国でいくら貧民窟の改善を叫んでも変えることは難しい。でも、アーデルハイド王国で声を上げれば、状況を変える事に繋がるとは思わないのかっ⁈」

「王族が俺の話を信じると思うか⁈…一笑に付して終わりだろうさ」

「私が…側近としてディミトリ殿下に進言しよう。アーデルハイド王国からも多額の融資を受けている以上、エビリズ国側も王家からの干渉なら無下にはしないさ」

「っつ⁈…どうせ、解放されたいための戯言だろう‼…このままお前に付き合って、任務を失敗すれば俺は消される…だったら…」


 グシャグシャと髪を掻き毟り、目を血走らせるブルーノの手が、私の体を覆っていたフロックコートを振り払うと、トラウザーズへと伸びる。

 いきなりの豹変ぶりに戸惑っていられたのは極わずかな合間で、その目に仄暗い劣情が灯っているのを感じた瞬間、言葉に出来ない悲鳴が喉から零れた。


「お前が本物でも紛い物でも構わない。…傷物になれば、もう王太子の元へ戻ることは出来ないからな」


 必死で身を捩り、足をバタつかせるも、馬乗りになったブルーノに簡単に抑え込まれてしまう。

 ぬるりとした舌が唇を割って入るのを、ガリっと噛みついてやれば、今度は左頬に平手打ちを食らった。


「チッ…可愛げのない。これ以上暴れるのなら、ナイフを足に突き立てるぞ」


 コイツなら本気でやりかねないことは理解している。

 それでも、此処で穢されるくらいならいっそ殺された方がマシだと必死で抵抗を続けた。


「やっ…‼…そんなに私が憎、いなら…殺せばいいっ‼…私にこれ以上…触れ、るな」


 男の武骨な手が体を這いずり回る嫌悪感に、只々首を振り、嫌だと泣き喚くことしか出来ない自分の非力さが憎い。


「俺が地を這いずり回って生きるのなら、お前の心も同じ処へ堕としてやる…。生きている限り、お前は俺を恨み続け、忘れることが出来ないだろう?」


 私の言葉の何がブルーノを狂気に追い立てたのか判らないが、このままでは間違いなく彼に純潔を奪われてしまう。


(嫌だ嫌だいやだ…イヤダ…助けて…たすけて…)


 悲鳴と共に涙が零れ、脳内に危険信号が灯ると、ドロリとした記憶の本流が溢れだす。

 その時、口をついて出たのは、終ぞ思い出すことの無かったはずの呼び名で。


 蠢く舌が

 指先が

 体を這いずり回る感触が――私の思考を奪うたびに、悲鳴のように何度も叫んでしまう。


「…ディーマっ‼ディーマ…ディーマっ、助けて…」


 私の最愛、私の喜び、そして私の唯一の人。


 どうしようもない衝動に突き動かされ、私は彼の名を呼び続けたのだった。


※後味悪いところで終わっていて申し訳ございません。

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