72 物語の強制力
ダンスホールを出て、近衛兵二名の同行の元に向かった先は離宮の最上階だった。
どうやら、エビリズ国の外交団やアデリーナ王女が滞在している国賓用の客室と完全に切り離すために、階層のみならず、使用する階段も分けられているらしい。
警備の為に配置されている近衛兵も、王宮以上にすれ違うし、中々の物々しさに思わず目を見張るけれど、よく考えれば当たり前の話だ。
マリアーナは、一般的に“聖女”と呼ばれる聖女教会で暮らす女性たちよりも、桁違いの聖魔力を秘めた“救済の乙女”なのだ。
神の御使いとも比喩される存在の彼女を欲しがる国はいくらでもあるし、今現在も彼女の“力”を見定めようとエビリズ国が滞在している以上、警戒は怠るわけにはいかないのが実情だろう。
居室の前に到着すると、王妃殿下から命令を受けたという給仕係が数人待ち構えていて、マリアーナが入室を許可しない限り扉の結界が開かないという話を聞かされた時には、流石に驚いたけれど。
二間続きの広々とした居室で給仕係が次々とお茶や菓子をテーブルの上にセットしていくのを、肘掛椅子に座りながら見つめていると、結界に使われている術式が王立学術院で使用されているものと同じだと聞かされ、思わず感嘆の溜息が漏れる。
「王宮内でも王族の居室には同じ結界が張り巡らされていると聞いているわ」
マリアーナの堂々とした振る舞いは既に王族と見紛うばかりだ。
流石は王宮お抱えのマナー講師‼短期間で彼女をよくぞ此処までに仕立て上げたようだと、思わず顔が綻ぶ。
給仕係が全てのセッティングを終えて退出すると、内鍵を厳重に締めたマリアーナは、先ほどまでの貞淑な淑女の仮面を脱ぎ捨てて、グイッと体を乗り出してきた。
「ルイスは無事っ⁈…彼はもう…病に苦しんでいない…?」
その必死の形相に、彼女がどれだけ兄の事を想い、悩んでいたのかが窺える。
始まりはどうあれ、もう二人は立派に恋人同士なのだ。
「マリアーナ・アウレイア聖女様…。此度は私の双子の兄ルイスの命を繋いで頂き感謝の念にたえません。今では、長年の病魔から解き放たれ、元気に学術院で学ぶことが出来ております。これも偏に“救済の乙女”たるマリアーナ様の聖魔力あってこそ。ティーセル男爵家名代に代わりまして深謝いたしますわ」
これは友人としての言葉では無く、嫡男の命を救われたティーセル家名代代理の立場から告げるべき言葉だろう。
「…でもね、ルイスったらこの二か月もの間、恋人に会えないからとウジウジウジウジ部屋に帰るとため息ばかりで辛気臭いったら‼恋の病ばかりは流石の聖女様でも、治せなかったみたいね」
ウインクしてそう告げると、暫し呆然とした顔をしたマリアーナはクスリと漸く笑みを零した。
「フフ…ルイスが元気そうで何よりだわ。目覚めてから一度も会えていないから、それだけが不安だったの。私も会えなくて寂しかったけれど、彼も同じ気持ちでいてくれたのね…」
言葉の端々からルイスを想う気持ちが透けて見えて、その初々しい様子が微笑ましい。
差し入れの温かなアールグレイティーを頂きながら、彼女の様子を眺めていると、いきなりこちらに視線を向けてきたマリアーナが、ニヤリと意地の悪そうな微笑みを浮かべた。
「人の恋路より、ルイ―セはいつの間にディミトリ殿下と婚約までする深い仲になっていたわけ?学術院では全然、そんな素振りも見せないから知らなかったけれど、さっきの殿下のデレデレ具合から見ても、向こうは相当べた惚れみたいね」
「っっぐっ⁈」
…危うく咽て飲みかけていた紅茶を吹き出すところだった…。
「ハァ…殿下はルイ―セとカールが同一人物だとは気づいていないわ。それに、彼には本命がいるから、私の事は仮の婚約者として溺愛しているフリをしているのよ」
「…意味が解らないんだけど?詳しく説明しなさいよ‼」
…まあ、意味が解らないのも当然だろう。
グイグイと詰め寄ってくるマリアーナに、結局、ディミトリ殿下との馴れ初め(?)から、全ての経緯を話すことになったのだった。
「…ふぅん。殿下には初恋の令嬢がいて、そっちが本命だとルイ―セは思っている訳か」
マリアーナの言葉に頷くと「本気でそんな事を思っているの?」と呆れた様に返される。
「…今回のエビリズ国外交団が滞在している目的の一つに、アデリーナ第二王女とディミトリ殿下の縁談話があるのは知っていると思うけれど、このままだと、同盟締結に至らないと踏んだ外交団の重鎮が、王女に躰で殿下を篭絡するように唆したらしいのよ」
初めて聞く話に瞠目していると、マリアーナがその詳しい経緯を説明してくれた。
曰く、今回のエビリズ国とアーデルハイド王国の同盟締結が成されない場合、責任の所在は一団を率いてきたアデリーナ王女にあること。
既に、彼女は他国との政略結婚の駒として使われる以外に生き残る道は無いので、一目ぼれした殿下との婚姻に異常なまでの執着を見せていること。
…そして、その為なら手段を選ばない事…。
「本来、結界で守られているディミトリ殿下の私室に入る為に、文官の一人を誑し込んで結界を解かせたっていうんだからやり方が汚いのよ。でも、折角夜着一枚で気合を入れて殿下の寝所に忍んでいたのに、王女に邪魔されたせいで政務が滞っていたからと、殿下が深夜過ぎまで私室に戻らなかったっていうんだから自業自得過ぎて笑えるでしょう?その頃にはすっかり寝入っていた王女を見つけた殿下が、すぐさま近衛兵に彼女を引き渡したっていうんだから”怪我の功名”といったところかもしれないけれど」
…何と言うか…ディミトリ殿下の口から聞かされた時には、誘惑されたのかと嫉妬に駆られたけれど、こうやって全貌を知ると、アデリーナ王女の為人に疑問しか湧いてこない。
それに、もし殿下が普段通りに寝所に戻っていれば既成事実を作られていたと思えばゾッとする。
「確かに大胆な女性だという事は判ったけれど…」
「王女から大胆なアプローチを受けても、平然と受け流す殿下が、ルイ―セを抱きしめてデレデレしている姿は流石に唖然としたわよ。あれだけの好意を向けられておいて、何で身代わりだから愛されないと思い込んでいるのかの方が、私には疑問なんだけど⁈」
――そう、なのだろうか…。
幼い頃から疎まれる存在だとばかり思い込んでいたせいか、どうしても人から向けられる好意に鈍い傾向があることには薄々気が付いてはいるけれど…。
「確かに嫌われてはいない…とは思うの。でもディミトリ殿下が初恋の令嬢と結ばれるとき、私は邪魔者になってしまうでしょう?だから…」
「だから、潔く身を引きますって?貴女だって殿下の気持ちを受け入れている様に見えたのに?…人を愛するっていうのはそんな簡単に割り切れるものじゃないわ」
――そう言い切れるのはマリアーナが相思相愛だからだ。
今の私たちの関係に名前なんか付けられないし、今はまだ自分の気持ちさえ完全には見えていないのに。
「…ゴメン、言い過ぎたわ。これはルイ―セと殿下の問題だから、私がこれ以上口を挟む権利なんか無かったわね」
“だから泣かないで”とマリアーナに手を握られ、私は自分が泣いていることに初めて気が付いた。
「時間が経てば、ルイ―セも自分の気持ちを自覚できる時が来るわ。その時には、必ず相談して頂戴。私たちは親友でしょう?」
そう微笑む彼女に頷くと、人から大切にされるとはこういう事かと考えが至る。
私には人と過ごす経験値が足りない…。こうやって少しずつでも、人の心の機微に触れ、自分の気持ちと向き合っていきたいと…そう思えた。
すっかりお茶は冷めてしまったけれど、私たちは飽きることなく、話に花を咲かせ続けた。
中でも傑作だったのはマリアーナが国王陛下から“救済の乙女として外交に力を貸すか、殿下と婚姻を結んで王妃として外交をするかを迫られた”という話だ。
「完全に聖女として働かせる気満々なのよ。酷いと思わない?」
まあ、あの食えない国王陛下なら言いそうなことだ。
それに、国の管理下に置かれていればマリアーナの身の安全も保障されるし、他国が手出しできないという点ではそれ以外の道が選べないのだろう。
「じゃあ、二人が王立学術院に戻ってくるのも、まだ時間が掛かりそうね。生徒会長の業務はシャルルと、顧問代理のダニエルが請け負ってくれているから、問題無いとはいえ、流石に進級する頃までには帰って来て欲しいわ」
「…ダニエルって…まさかダニエル・ハーヴィンの事⁈えっ⁈…彼は上級生のはずだし、今の生徒会執行部とは何の関係も無いはずでしょう?…何で彼が関わっているの⁈」
「マリアーナはダニエルを知っているの?彼は昨年度の生徒会会計なのだけれど、顧問代理で来ているから、今は殿下の会長代理を務めるシャルルの補佐をしてくれているの」
何故、マリアーナがそこまで慌てふためいているのかも判らず、訝し気に見つめていると、暫し悩んだ様子を見せたマリアーナは躊躇いがちに口を開いた。
「前に、此処が乙女ゲームの世界だと話した事があったと思うんだけれど、そこに出てきた重要な役どころにダニエルと、以前カールに告白したエレノアが出てくるのよ」
そうして彼女が告げた言葉は、私の知らない乙女ゲーム世界での彼らの役割だったのだ。
「…エレノア・ルマール侯爵令嬢はね、実はゲーム世界では、ディミトリ王子の攻略を勧めると出てくる悪役令嬢だったの。彼女は王子の筆頭婚約者候補で、幼い頃からディミトリ王子の事だけを一途に愛していたから、ヒロインが目障りで虐めるのよ。…まあ、現実には彼女はカールに首ったけだったし、私とは何の接触も無かったけれど」
――それも一つのゲーム世界との乖離だろう。
エリクが消える間際に呟いていた“バグ”の私に関係した人物がゲームとは違った行動をしているというのは、どうやら間違いが無さそうだ。
「そして、ダニエル・ハーヴィン子爵令息は、ゲーム世界ではフランツの攻略時にライバルキャラとして出現したの。子爵家の嫡男で真面目なだけの彼は、常に年下にも拘らず才能あふれるフランツと引き比べられて、性格が歪んでしまったの。だから、フランツの愛するヒロインを奪おうとするシナリオがあったわ。…彼も現実には私と何の接点も無いんだけれど」
…それもやはり“バグ”の私とだけは接点がある。
一体、私の何がこの世界を歪ませ、通常ではあり得ない事態を引き起こしているというのだろう。
「それと…ルイ―セが殿下の婚約者だとは思わなかったから、これは今まで黙っていたんだけれど…」
考えに耽る私に、微かな躊躇いと共にマリアーナが口にしたのは、更に不安を煽るような内容だった。
「前世で私が“金色のSalus”を攻略した時の話なんだけれど、実はディミトリ殿下の完全攻略をした時にも、エビリズ国の外交団やアデリーナ王女が出てくる話は無かったの。つまり、こんなイベントは――そもそも、存在していないのよ」
思わず、瞠目してマリアーナを見つめると、彼女も困ったように頷いている。
――ゲーム世界に出てくることの無かったエビリズ国外交団やアデリーナ王女が、今現在も進行を続けているゲームの中に出てくる意味とは…?
…確かに、王宮での外交問題などはゲームの進行に何ら必要が無いため、敢えて描かれなかった可能性は高い。
しかし、攻略対象でもあるディミトリ王子とヒロインの恋物語を邪魔する存在になるアデリーナ王女との縁談話は、ゲームとしても重要なエピソードになりそうだ。
国王陛下の一存で、縁談を断わったなどの理由で描かれなかった可能性も捨てきれないが、そもそもシナリオが存在していないイレギュラーな存在の可能性も拭いきれない。
ジワリと嫌な予感が胸に黒いシミを作っては不安を広げていく。
エリクの最後の言葉『世界の管理者にもキミの存在が認識されたという事だ。乖離を元に戻すためにバグである存在をこの世から抹消しようとする“物語の強制力”が働く危険性がある』――これが現実のものとして重く圧し掛かってくるのを感じる。
「エリクが消えたタイミングでアデリーナ王女が登場したのも気に掛かるの。只の考えすぎなら良いんだけれど、先ほどのルイ―セを見る彼女の瞳は異常なまでの憎悪に塗れていたわ。王立学術院には結界が張られているし、流石にあの中までは手出しできないと思うけれど…」
そこで言葉を切ると、マリアーナは不安気に揺れる瞳で私を見つめた。
「万が一という事もあるし、ルイ―セは自分の身辺に十分注意して頂戴。出来るだけ移動の際にはフランツやルイスと一緒に行動してね。貴女って警戒心が薄いところがあるから本当に心配なのよ‼」
自分だって大変な立場なのに、私の事を心配してくれるマリアーナに心を占めていた不安が解けていくのを感じる。
人から大切に思われるという事はこんなにも幸せな気持ちにさせてくれるものなのだ。
だから感謝の気持ちを精一杯込めて「ありがとう」と頷いておく。
胸の中に渦巻く嫌な予感が現実のものにならないようにと、只管に願いながら。
本当、長い話ですみません。一話自体が長いという…。




