68 死出の道行き?いいえ未来への道行きです
「…何の説明もして貰えないとか…。私は今後どうしたら良いのよ…」
その晩、カールは自室のベッドで悶々としながら寝返りを打っていた。
ディミトリ殿下に自分がルイ―セだと…正体がバレてしまった事は確実なのに、あの後、ディートハルト先生から告げられた言葉は「悪い夢でも見たと思って忘れろ」の一言だった。
(私が忘れても、ディミトリ殿下が忘れていなければ何の意味も無いんじゃない⁈それにこのまま性別を偽って、男子寮で生活するなんて事、許されるはずもないし…)
本当に夢なら良かったのに――そう思いながらグルグルと悩み続けたせいで、一睡も出来ないまま、始業時間を迎えることとなったのだった。
「おはよう、カール。一日目の試験の手応えはどうだった?」
(――はいっ⁈)
眠い目をこすりながら教室へ向かうと、朝から爽やかな笑顔を張り付けたディミトリ殿下に声を掛けられる。
(ンン…?…あれ…なんか、いつも通りだな…?)
「お…はようございます。殿下のおかげで…今回は自信がありますよ。本日の修辞学と幾何学の試験も頑張りますね」
「良かったな。私も、結果が張り出されるのを楽しみにしている。生徒会執行部の名に恥じないよう、今後も努力を続けるように」
私の返答に満足したのか、一つ頷くとディミトリ殿下は自席へと戻っていく。
(――えっ…どういう事…⁇)
昨日の放課後、医務室であった出来事を全く覚えていないかのような殿下の言動に、肩透かしを食らったようで、どうにもスッキリしない。
医務室での出来事も、その前…教室で先日の執務室で私がやらかした口付けについての追及も、今のディミトリ殿下は全てを忘れ去ったかのような振る舞いをしている…。
(待って待って…えっ?…まさか本当に“忘れた”の?それとも…本当に私の夢だったとか…)
殿下の平然とした振舞いに、あれは現実めいた夢だったのかもしれないと…段々そう思えてきた。
(…だったら悩む必要は無くなるわ。あのままだと王立学術院に通う事さえ危ぶまれるような状況になるところだったんだから‼…全て丸く収まって、私にしてみたら万々歳の結果じゃ無いの‼)
釈然としない気持ちは胸に押し込めて、今日こそは試験に集中するためにカールは気合を入れなおしたのだった。
(これで…試験の全日程が終わったわ…はぁ…精神的負担がものすごい…)
昨夜は悶々と悩み過ぎたせいで一睡もしていないし、試験に集中したからか頭痛までしてきた。
ズキズキと思考を中断させる痛みを誤魔化しながら、何とか試験だけは乗り切ったものの、このまま自室へ帰っても痛みで休める気がしない。
(…医務室でディートハルト先生に鎮痛剤を貰った方が良いかもしれないわね…段々酷くなってきた気がするわ…)
時間が経つにつれ、頭痛のせいか吐き気まで込み上げてくる。
カールは誰にも気づかれないように、教室を抜け出すと、ふらつきながらも何とか医務室へと到着した。
「っ⁈おいっ‼…昨日の元気はどうしたっ⁈…酷い顔だぞっ⁈」
扉を開け、ディートハルト先生の顔を見ると開口一番、そう言われる。
…そこは酷い顔色だろう?失礼な奴だ…と思うのに、口から出るのはハッハッという短い呼吸音だけだ。
「あ…なんだか頭痛がして…薬だけ…貰いに…」
「症状も判らないのに薬だけ出せるか‼取り敢えず、ベッドで休め‼」
「…でも…昨日は避難所じゃないから来るなって…言っていたし…」
「今のお前はどう見ても病人だろう⁈…ああ、面倒くせぇな…」
そう言うと、抱き上げられてそのままベッドへ下ろされる。
横になっても私の頭痛は増すばかりで、何故か耳鳴りまでしてきた。
「それで、どんな感じだ?…顔色は紙みてぇだが、他にどこがおかしい?」
「え…っと、頭痛と吐き気が…それにさっきから耳鳴りまで…うう…します…」
「…それはいつからだ?…昨日は何ともなかった…だろう?」
いつから?――そう言えば、休み時間を迎えるたびに痛みが増していた気がする。
何度もディミトリ殿下の昨日の事を想い出しては悶々として…それで…それで?
「昨日の出来事は夢だと思い込もうとして…で、でも…今までの想い出も消えちゃうのかとか…口付けも、一緒に夕食を食べた時間も…全部彼の中から消えちゃったのかなとか…そんな事ばっかり考えていたら、どんどん痛みが…酷くなって…」
昨日の医務室でのことは全部私の夢で、現実には無かったこと…。
それを話してもディートハルト先生には何一つ伝わるはずが無いのに、気が付けば口から気持ちが溢れだしていた。
「忘れろって…全部、全部無かったことにすれば、丸く収まるって言われたのに…私は“駄目な子”だからわ、忘れられなくって…うっく…ふっ…」
想いと共に涙まで一緒に零れだして、止めようも無いままにポロポロと溢れてしまう。
すると、ディートハルト先生は私の頭を何度も撫でるとポツリと「ゴメンな…」と呟いた。
「…カールが“紋章持ち”な事を失念していた。俺の瞳も一瞬見ていたから、言霊を込めればお前の精神も操れるとばかり…あー失敗した…」
ガシガシと自分の頭を乱暴に掻いて、先生は深々とため息を吐いている。
「…ゴメンな。こんな中途半端に“領域干渉”を受けたから、お前は体調不良を起こしたんだ。いくら薬を飲んでもこれは治癒することはない。…いずれ、カールは真実を知ることになると思うけれど、俺の口から説明する訳にはいかないんだ」
言われた言葉の一つ一つは抽象的で、それだけでは意味をなさないものばかりだ。
それでも、私にとってはそれだけで答えが導き出せてしまう。
――アーデルハイド王家の秘匿能力である…“精神領域干渉能力”
きっとこの力でディミトリ殿下の記憶は干渉を受け、不必要な情報を操作されたのだろう。
そして、先ほどの言葉から推察するに、その能力を行使したのはディートハルト先生…と言う事になる。
(…でも…これはアーデルハイド王族のみに継承される能力のはず…それを使えるという事は先生も…まさか王族という事なの…⁈)
これ以上深入りするのは怖い…益々顔色が悪くなったであろう私に、ディートハルト先生は蜂蜜入りのディンブラティーを淹れてくれた。
「これを飲んで、ここで少し休んで行け。目覚めた頃には痛みも全部引いているはずだから」
その言葉に従い、ゆっくりと眼を閉じる。
次に目を開けた時には、何も知らない顔をしなければいけないなと心に刻みながら…。
――結局、目が覚めた時、体の不調は改善していたけれど、先生も私も何も話さないまま、あの日の事は無かった事のようにお互い扱う事にした。
記憶に蓋をして、自分でもあえて意識の外に追い遣った結果、それ自体を自然に忘れかけた数か月後の、ある冬の日――遂に、恐れていた最悪のシナリオが動き出したのだ。
そろそろ、来年度の新規生徒会役員の選挙準備を始めなければいけないと、ルイス以外の全員が生徒会役員室に勢ぞろいして、書類整理をしていた放課後…いつもであれば人気の無いプティノポローン棟に、慌ただしい足音と共に死神の呼び声が聞こえる事となった。
「おいっ⁈…ここにカールはいるかっ⁈」
ハアハアと息を切らして、真っ青な顔をしているディートハルト先生が扉の前で視線を彷徨わせている。
私と視線が絡んだ瞬間、先生はズカズカと室内へ入ってくると、私の両肩をグイッと両手で掴んだ。――その様子が尋常でないことは理解できる。
「…何か…あったんですか…?」
…そう言えば「今朝は調子が悪いから、早めに注射剤の接種を受けて来るよ」とルイスが早朝から医務室へ向かって…それから一度も姿を見ていない…。
その事に思い至ると、ジワリと不安の色が滲む。
「…まさか…ルイスに…何かあったわけでは無い、ですよね…」
言葉にした瞬間、ディートハルト先生の口元が戦慄くのを目にして、一瞬で口の中が干上がった。
「ルイスが…吐血して王宮へ移送された。今は王宮医師団が緊急処置室で容体を見ているが、意識不明の重体…らしい…」
ルイスが意識不明の重体…?与えられた情報を心が上手く処理できずに嫌な鼓動だけがドキンドキンと、やけに虚ろな頭の中で響いている。
「だって…ルイスは今朝まで元気で…“聖魔力欠乏症”も注射剤で…ずっと…」
「…“聖魔力欠乏症”の症状を薬で抑え込んでいるとばかり思っていたが、アイツの体内では少しずつ進行していたようだ。…下手をすれば、今夜が峠になるかもしれないから、お前は今すぐに王宮へ迎えっ‼」
――タイナイデシンコウ…コンヤガトウゲ――言われた言葉が意味のあるものだと考えられずに、崩れ落ちそうになる体はガタガタと震えるばかりだ。
ルイス…私の半身…上手く息が出来ず、壁に縋ろうと必死で伸ばした手をギュッと繋いでくれたのは、ディミトリ殿下だった。
「今、お前が倒れてどうするんだ。私も同行するから、直ぐに王宮へ向かおう」
その言葉と、繋いだ手から流れ込む温もりが体も心も温めてくれる。
「――王宮から馬車も差し向けて貰ってある。学院の許可も俺が手配しておくから、お前たちは今すぐに迎え‼…手遅れになる前に…な」
「行こう――ルイスはきっと助かる。…だから、今は泣くな」
殿下の言葉に後押しされて、私は込み上げる涙を堪えて歩き出したのだった。
王宮につくと、入り口で待ち構えていたジアンに緊急処置室へと慌ただしく案内される。
王宮医師団が緊迫した雰囲気で出入りするその部屋の中では、真っ白なベッドの上で、青白い顔をしたルイスが静かに眠っていた。
ベッド脇でルイスの手をギュッと握る母が私を手招きする。
「…ルイスは先ほどまで、酷く吐血をしていてね…ようやっと薬が効いてきたのか眠った処なのよ…」
「ここ最近は症状が安定していた様だから、すっかり油断していた。まさか体内で病が進行を続けていたとは…な」
傍に行くと、父も母もゲッソリと窶れ、表情が抜け落ちている。
しばらく見ないうちに、両親も白髪が増え、随分と年老いたなと感じる半面、いらない子供の私が死の床についていたなら、こんなに悲しんでくれないのではないかと、邪念が過ぎった。
(――もし、これが私だったのなら、両親はこんなにも悲しんでくれるのかしら…)
こんな時でさえ、兄と比べてしまう自分の卑屈さに辟易する。
愚かな私は、今も“忌み子”と罵られた過去を乗り越えられずに、こうして事あるごとに兄と自分を比較しては勝手に傷つくのだ。
ルイスの頬にそっと触れると、微かな呼吸音が今も生きているのだと実感させてくれる。
その時、微かに動いた兄の唇が音を立てずに大切な人の名前を呼んだ気がした。
“マリ”――と。
その瞬間、全てのピースがカチリと嵌ったように私の中に希望の光が溢れる。
“マリアーナ・アウレイア”――ルイスの恋人であり、救済の乙女でもある彼女ならば、兄の命を救うことが出来るのだ‼
(ああ…何で私はこんな大切な事を忘れていたのかしら…‼今すぐに彼女を迎えに行かなくては…‼)
その事だけで頭が一杯になるあまり、無言で処置室を飛び出そうとする私の姿が、余程奇異に映ったのか、ディミトリ殿下が必死の形相で腕を掴んだ。
「いきなりどこへ行くというんだっ⁈お前はルイスの傍に居なければ…何か必要な物があるのなら持って来させるから、カールは此処を離れるなっ‼」
「何も…何もいらないから、マリアーナを此処へっ‼…ルイスの元へ彼女を連れて来て欲しいだけなのっ‼」
「彼女がルイスと恋人関係だったことは知っているが、身内以外を処置室に入れる事は出来ない…」
「彼女なら…マリアーナだけがルイスの命を救えるの‼…お願いだから、今は何も聞かず…彼女を此処へ連れて来て…‼」
「しかし…」
「…時間が無いの‼理由は後でいくらでも説明するわっ‼…お願い…ディミトリ…」
ポタポタと涙を零し縋り付く私に根負けしたのか、暫しの逡巡の後でマリアーナを呼ぶようにと手配してくれた。
「…お前がそこまで言うのには何か理由があるのだろう。…後で説明して貰うからな」
殿下の言葉に頷きながら、私はそっと涙を拭いたのだった。
誰もがまんじりともせず、ただ無言でルイスの命の灯がチリチリと消えていくのを見つめていた。
必死にルイスの名を呼びかける両親の声にすら反応を見せないで、どんどんと消えていく魂をどうやって繋ぎ止めれば良いのか…もう私には何も解らない。
どれぐらい時間が経ったのか、感覚さえもが麻痺しかけた頃、泣き顔のマリアーナが処置室へと飛び込んできて、私の体を抱きしめてくれた。
「…カール‼思い出すのが遅いのよっ‼…危うく手遅れになるところだったじゃないのっ…‼んもう、そんなに泣いていたら綺麗な顔が台無しじゃない。ほら、もう大丈夫だから…、ね?」
背伸びをして、私の髪を撫でるマリアーナの温もりに、我慢していた涙が滂沱のごとく溢れ、喉からは嗚咽が漏れる。
彼女に縋ってギュッと抱きしめ返すと、漸く私は幼子のようにルイスを思って泣くことを許された気がした。
「…ゲーム世界では何度も使った“聖なる力”だけれど、上手く使いこなせるか…不安になるわね…」
微かに体を震わせながらも、マリアーナは気丈にルイスの枕元へと向かう。
色の抜け落ちたルイスの頬に手を当てると、額をこすり合わせて、彼女は花が綻ぶような綺麗な笑みを浮かべた。
「ルイス、貴方は私にとって最愛の光であり、喜びなのよ。これからの人生を掛けてでも失う訳にはいかないぐらい大切な男性。死神なんかにくれてやるのは惜しくて堪らないわ‼死出の道行きなんかに私たちの未来を別つことなんか、絶対にさせてあげない‼」
――物語のように【愛する人を救い、二人は永遠に幸せに暮らしました…ハッピー・エンド】と、人生は綺麗に片が付くわけでは無い。
今のマリアーナの瞳に映っているのは、ルイスと生きる未来への道行きだけなのだろう。
「さあ、今からルイスを叩き起こして、私たちがどれだけ貴方を心配したのか――そして愛しているのかをしっかりと自覚してもらいましょう‼もう二度と、こんな風に泣かせるような真似をさせないためにもね‼」
微笑みを浮かべるマリアーナ・アウレイアは、間違いなくこの世界に愛されたヒロインと呼ばれるべき存在なのだった。
※本当…一話のボリュームが多すぎて、読み辛い事は自覚しているんです。多分この半分ぐらいで切れば丁度いい量なんでしょうね…(遠い目)




