62 乙女ゲームの二年目が始まった
オルビナがこの王立学術院を去った頃、私たちはめでたく二学年に進級した。
思えば、一年前の入学式で初めて出会った時から、マリアーナに睨まれ乙女ゲームの世界のモブのくせにと怒鳴られ、罵られて、泣かれ――って全部マリアーナ絡みの苦い想い出しかない一年だな。
…他にはディミトリ殿下の初恋の女性の身代わりにされて、あげくに怪我まで負わされたっけ…。いや、本当にいい思い出の無い一年間としか言いようがない。
――まあ、殿下との婚姻から逃げるべく、将来設計を考える事が出来たのは良かったと思うし、そのおかげでオルビナとも知り合うことが出来た。
彼女からリバディー公用語を学んだおかげで、翻訳の仕事も請け負えているし、望まない婚姻から逃れる道筋が付いた事は僥倖と言えるだろう。
…そう言えば、オルビナはリバディー王国に帰国した数日後には、あれよあれよという間に婚姻式を挙げたそうだ。
帰国した時には、婚姻式場やウエディングドレス、招待客の選定までの全てが終えられていて、問答無用で式を挙げられたというのだから…まあ、婚約者も相当に我慢していたのが爆発したんだろうな…。
今は、三日に一度ぐらいの頻度で、オルビナからは翻訳の仕事に関する内容と、如何に婚姻生活が幸せかという惚気がギッシリと書かれた手紙が届く。
…いや…幸せなのは判るけれど、砂糖を吐くぐらいの惚気を毎回読む私の気持ちにもなって欲しい…。
進級に伴う学級の再編成では、フランツと別々の学級になったのだけれど…。
「…何で俺達が別の学級なんだっ⁈…折角、毎日の昼食や移動教室では、二人で過ごす時間を持てていたのに…。今後はそれすら取り上げられるなんて…」
まさか、学級編成が張られた学術院の渡り廊下で膝を抱えて蹲るとは思わなかった。
慌ててフランツの学級編成に目をやると、見知った名前が一つも無い事に気が付いた。
(…新学級には知り合いがいないから、心細いのかしら…?彼は、そんなに人と一緒に行動する方では無いと思っていたけれど…)
「ねえ、そんなに落ち込まないでよ。昼食は二人で中庭ででも食べれば良いし、生徒会執行部もあるんだから、放課後も一緒に過ごせるだろう?新しい学級に馴染むまでは、何時でも来てくれて構わないから」
彼のブラウンの髪はフワフワと柔らかい。
何度か撫でているうちに、微かに顔を上げてウットリするような表情で微笑むから、髪がぐしゃぐしゃになるまで撫でまわしてやった。
普段は整った容姿のせいか、冷たく見える表情が崩れるのが珍しくて、思わずつられて微笑んでしまう。
「フフフ…私とフランツはずっと友人だろう?一生その関係が変わることは無いよ」
安心させようと気を使ったのに、そう告げた瞬間のフランツの嫌そうな顔ときたら…。
「それは困るっ‼…流石に一生は長すぎるだろうっ⁈」
そこまで否定されるのはちょっと傷つく…。
やはり子爵家と男爵家の間柄では、いくら幼馴染であっても何れは身の程を弁えろと彼は思っているのかもしれない。
それでも一度ため息を吐くと、何事も無かったかのように新学級へと向かっていたから、結果オーライだろう。
因みに、今年度はディミトリ殿下とマリアーナの二人と同じ学級になった。
「今年は同じクラスになったわねぇ。ウフフ…一年間よろしく♡」
マリアーナはそう言うと「相変わらず殿下は凄い人気よねぇ…あんな誰にでも良い顔をする男の何処が良いのかさっぱり判らないわ」と大勢の女生徒に囲まれて微笑むディミトリ殿下の方を、呆れた様子で見つめている。
「…マリアーナだって最初は殿下にご執心だったくせに。最初は遠巻きにしていたご令嬢も、この一年で慣れたのか、随分と物おじせずにディミトリ殿下へ話しかけるようになったからね」
「…まあ性格はともかく、見目だけは良いものね。私はルイス様しか目に入らないけれど♡…そう言えば、カールも今日から新規生徒会の仕事があるのでしょう?貴女は放課後も忙しいのね」
「まあね。…そうだ、前から聞こうと思っていたんだけれど“乙女ゲーム”の中では生徒会執行部のイベントは出て来ないの?」
「フフン…いい処に気が付いたわね。確かに、ゲームではディミトリ殿下のルートの時にヒロインが生徒会執行部入りする件があるのよ。殿下からのご指名で役員になったヒロインを妬んだ、前年度役員から嫌がらせを受けるスチルイベントがあったはずよ?」
「…そのイベントは、現時点でマリアーナが生徒会入りしていない以上、発生することは無いと思っても良いのかな?それとも何か起こる可能性があるのか…」
「うーん…。これだけゲームの内容と乖離が進んでいるから何とも言えないわねぇ。まあ、ヒロインが不在なんだから、スチルイベントが起こりようもないと思うけれど…」
「…そうだと良いんだけどね…」
「フフ…まあ、今日も一日頑張ってね」
生徒会役員か…これからの事を思って憂鬱になっていると、始業を知らせる鐘の音が鳴り響き、私たちの会話はそこで途切れたのだった。
放課後、迎えに来てくれたフランツと一緒に生徒会室に向かうと、そこにはやる気の無さそうな生徒会顧問と、何故か前年度執行部会計のダニエル先輩が此方に手を振りながら待っていた。
うわぁ…最悪。
「あー…今日は生徒会役員の顔合わせの為に集まって貰ったんだが、私もかなり忙しい身だからねぇ。今後は必要経費や職員との橋渡し役を、前年度生徒会役員でもあったダニエル君にお願いしたんだよ。彼なら不慣れな君たちの相談役にももってこいだからね」
“後は宜しくね”と全てを丸投げにして生徒会室を去って行く顧問教師に、呆然と声も無く見送ってしまう…。
(クッ…何でよりにもよって相談役がダニエル先輩なのよ‼顧問なら自分の仕事を全うしなさいよ‼あの給料泥棒めーっ‼)
内心で悪態をつきまくっていると、ダニエル先輩は初めて会った時のような爽やかで、真面目な雰囲気を醸しつつ口を開いた。
「ダニエル・バーヴィンです。既に前年度生徒会の引継ぎで、皆さんとは顔合わせ済みですが、暫くの間は顧問の代行としてこちらにお邪魔します。運営上の問題だけでなく判らないことがあったら何でも相談してくださいね」
ブラウンの髪に黒縁眼鏡の先輩は、誠実そうな顔をしているが、本当の彼は男色家だという事を知っている私は何だか頭が痛くなってきた。
「まあ、優秀な王太子殿下や側近の皆様には私なんてお役に立てないと思いますので、同じ会計庶務を担当するカール君の専任かもしれないですね。フフ…これから宜しくね」
嫌だとは言えない空気の中、私は「…こちらこそよろしくお願いします」と返す事しか出来ない。
「生徒会の年間計画については、各委員会の活動内容や方針に沿ったものを取りまとめていく形で良いと思います。今後は生徒総会や行事への協力体制、そして生徒からの要望書の実施など、新たな体制づくりは新生徒会執行部で築いていって下さい」
“まあ、こんな事はわざわざ言われなくても、王太子殿下ならご存じでしょうが”とチクリと嫌味まで混ぜるダニエル先輩には正直驚いた。
――何で、貴方は昨年度会計をやっていたの⁈むしろ昨年度の生徒会長よりも仕事が出来るんじゃないの⁈と言いたいぐらい的確な指示がスラスラと出てくる。
「ああ、それは総会用の資料作りかな?大変そうだし私も半分手伝ってあげるよ」
今も私の真横に座って、書類作成を手伝ってくれるいい人だ――まあ、若干距離が近い気がするけれど。
だから私も忘れかけていたのだ――ダニエル先輩が男色家だった事を…。
「…ハァ…ん…口を開けろよ…ほーら…早くしないと息が苦しいだろう?」
「ん…んんっ?!…んむっ…」
「まったく…強情だなぁ。フフ…早く諦めた方が楽になれるよ?」
…何故か、資料室の机の上に組み敷かれて、私はダニエルから執拗な口づけをされている。
この少し前に、生徒会室で資料作りをしていた私たちは、顧問の元に総会資料を手渡してから生徒会室へ戻る為、テーロース棟の人気の無い廊下を一緒に歩いていた。
「…ああ、そう言えば地学室の資料室に今後の研究資料を置いておいたのを忘れていた。かなり冊数が多いから、悪いんだけど一緒に取りに行って貰えないかい?」
出来れば二人きりにはならないようにしたかったけれど、自分の仕事を手伝って貰っていた以上、断り辛かった私は、渋々了承した。
「窓際に積んである本を見て貰えるかい?」
ダニエルに言われたとおり、窓際へ進んで本を手に取ると、微かに扉の内鍵が“ガチャリ”と音を立てるのが聞こえる。
眉を顰める私を馬鹿にしたように、ダニエルはゆっくりと近づいて来た。
「君には警戒心が無いの?まあ、そのおかげでこうして二人きりになれた訳だけれど」
クスクスと笑みを漏らし、手を伸ばすダニエルの瞳は仄暗い優越感に塗れている。
咄嗟に、その手を振り払ってから、彼めがけて金的を狙ったところまでは正解だった…と思う。
――そこが物置のような狭い空間で無かったのなら、私にも十分に勝機はあったはずなのに…。
乱雑に積み上げられた本や資料が私の蹴りを邪魔したせいで、十分な威力を発揮できずになぎ倒される結果となった。
しかも、両手を一まとめに抑え込まれ、上から圧し掛かられるのだから、彼に手加減する意思は無いのだろう。
痛みに悲鳴が漏れそうになるのを、ダニエルの唇に封じられる。
ぬるぬるとした舌が歯列を這い回るのが気持ち悪くて、歯を食いしばって抵抗した。
…普通、ここまで嫌がられたら諦めない?…完全に嫌われることは理解できるじゃない?
それなのに、ダニエルは唇を開かない私に焦れて、鼻をつまんで呼吸困難にするという鬼畜ぶり‼一体何なの?この鬼畜眼鏡は⁈
…そもそも、口説く相手にこんな酷いことするか⁈
多分、私の腕も足も、明日には青痣だらけになるだろうなと思う程度には痛いのだが⁈
クッソ…ふざけるなよっ‼
でも、私の必死の抵抗に流石に諦めたのか「チッ‼」と舌打ちすると、漸く鼻をつまんでいた手が離された。むせ返りそうな肺に、思い切り息を吸い込むと新鮮な空気が肺に流れ込む。
ああ…空気が美味しい…。
「本っっ当に強情だな…ん、ったく…まあ、いいや。先にこっちから楽しむか…」
でも、その手が今度は私のシャツのボタンに掛かったのだから、喉の奥で“ヒッ”と声にならない悲鳴が漏れる。
「や…やだやだ…駄目っ…お願いだから止めて下さいっ⁈」
「やっと泣き顔が見れた。…フフ…そんなに嫌がらなくても、怖いのは最初だけだから、そんなに暴れるなっ…って」
全身で抗っても、ダニエルの体はビクともしない。一つボタンが外されるたびに、露わになった首元に唇が何度も触れるのも、私の恐怖を煽るのには十分だった。
(こ…こんな処で変態に襲われるなんて…。いっそ舌を噛んで…自決した方がマシよっ‼)
涙を堪えながら、それでも最後の抵抗をしていた私の前ボタンが全部開かれた時、遂にダニエルの視線と手が胸元で止まった。
「…まさか…カール、君は女…なのか…?」
思わずビクリと体が震え、全身が強張るのを感じる。
「…つまり、カールは貴族令息だと偽って学術院に入学していたという事か…?」
――よりにもよって、この変態…いやダニエルに正体がバレてしまった。
「…一体どういうことなのか…説明して貰えないか?」
未だ私の上から退かないダニエルの刺すような視線に耐えかねて、私はそっと目を閉じたのであった。




