60 毎日が予定調和…ではない
生徒会執行部入りが決定した翌日の放課後、いざ図書館へ向かおうとしていた私の元へディミトリ殿下がひょっこりと顔を出した。
「今日は現生徒会執行部から来年度の役員に簡単な引継ぎがある。お前も来い」
…言いたいことは判るが、何故それを昨夜のうちに言ってくれないのか。
オルビナに今後の予定を伝えて翻訳原稿を渡す予定が台無しではないか。
「あの…ディミトリ殿下にご足労頂かなくても、誰かに託けて頂けば一人でも迎えますよ。…そう言えばシャルル様とジョゼルは何処に…?」
そう言えば、フランツの姿も見当たらない。彼も同じ生徒会執行部役員のはずだが…とキョロキョロ見回していると「フランツなら先に行っているぞ」と、クスリと笑われた。
「彼らにはとうの昔に今日の予定を伝えてあるからな。カールだけが執行部入りを嫌がったせいで、随分と時間を食ってしまったんだ。おかげで昨夜は今日の予定を伝え忘れたのだから仕方ないだろう」
(…その言い方だと、私が悪いみたいじゃない。早めに言わない方が悪いと思うけれど?)
思わずふくれっ面になる私の頬をつつくと、ディミトリ殿下はニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべている。
「カールを探しても、何処かに雲隠れしていて昨日まで捕まえることが出来なかったからな。むしろ我々が非難される謂れは無いと思うのだが?」
うぐっ…それを言われると非常に耳にいたい。
この数か月の間、実際に殿下達から逃げていたし、将来の為に働くことの喜びを見出して、翻訳の仕事に夢中になっていたことは言い逃れの出来ない事実だ。
「今は急ぎましょう…皆さんをお待たせするのも悪いので無駄話は止めましょうよ」
「…今は時間が無いから追求しないが、どこに隠れていたのかは、何れ聞き出してやるからな」
その言葉は聞かなかったことにして、私たちは生徒会役員室のあるプティノポローン棟へと向かったのだった。
生徒会役員室には、現生徒会執行部と来年度の新規執行部メンバーが既に勢ぞろいしていた。
教室より少し小さめの室内には、それでも十数名の生徒がいるだけあって、かなりひしめき合っている。
部屋の中央に置かれたテーブルの周りをぐるりと囲むように生徒たちが座っているので、カール達も手近な空いていた席に座ると、現生徒会の執行部らしき女生徒が二人の目の前に資料を置いてくれた。
(今年度の歳入・歳出予定表、学術院の年間行事予定一覧、そして来年度生徒会執行部への要望ね…)
ざっと目を通すと、来年度執行部に対しての大量の要望書の部分で目が留まる。
――執行部役員に意見を伝える目安箱を設置して欲しい、交流の場を設けて欲しい、生徒会役員を指名できる舞踏会を開催して欲しい等、数頁に及ぶ数の要望が届いているようだ。
(これは…どう考えても王太子殿下達と個人的に親しくなりたい女生徒からの要望でしょうね…)
今でさえ、現生徒会執行部の女生徒が頬を染めながらチラチラと彼らに秋波を送っているし、教師陣が“立候補制にしたら選挙の収拾がつかなくなる”と危惧したのも、無理はない話だろう。
その中に混じって一緒に働くことを考えると益々憂鬱な気持ちになる。
…壇上に立つ眩いばかりの美貌を目にした貴族達から『彼らに顔つなぎをして欲しい』と声を掛けられることが増える事は想像に難くないからだ。
現生徒会長のたどたどしい説明を聞き流しながら、カールは来年の心痛を思いコッソリため息を吐いたのだった。
全体説明が終わった後は、前任者から各自が業務の引継ぎを行なうことになった。
「私はダニエル・バーヴィン。前年度会計を担当していました」
“宜しく”と握手を求めてきたのはブラウンの髪に黒縁眼鏡を掛けた真面目そうな男子生徒だった。
「会計簿と、今年度の歳入歳出簿はこちらに纏めてあります。全ての領収書は綴りで内容ごとに分類してありますから、目を通して頂けますか?」
彼は優秀な役員らしく、その几帳面な字からも丁寧な仕事ぶりが窺える。
その場で引継ぎを終えると「まだお時間があるようでしたら、少しだけ話せませんか?ここは騒がしいので場所を変えて」と微笑まれた。
廊下へ出ると、夕闇に包まれたプティノポローン棟は人気が無く静まり返っている。
二人で廊下の突き当りにあるウッドデッキに設えられたベンチに座ると、徐にダニエルが口を開いた。
「実は、カール君の事は前から知っていたんです。こんな形で知り合いになれて本当に幸運でしたよ」
「こちらこそ、ダニエル先輩のような素晴らしい方と知り合うことが出来て嬉しいです。これからもご指導をよろしくお願いします」
「…生徒会活動だけではなく、個人的にも親しくなりたいと思っているんですよ?私の言っている意味が分かっていますか…?」
間近で顔を覗き込まれても全く判らない。
首を傾げてその言葉の意味を測りかねていると、ダニエルは“プッ”と噴き出すと、楽しそうに声をあげた。
「…いつも人に囲まれていて付け入る隙が無いから、どんな子かと思えば。本人は随分と無防備なんですね。確かに王太子殿下でなくとも過保護になる気持ちは判るなぁ」
「…一体何のお話しでしょうか?私を嘲ることが目的でしたら、もう十分でしょう。私はこの後も予定がありますので、失礼いたします」
それまでの丁寧な口調とは打って変わった、彼の失礼な物言いに、若干の苛立ちを滲ませながら立ち上がろうとすると、スルリと伸びてきた腕に肩を抱き寄せられる。
「まだ本題が終わっていませんよ。――私とお付き合いして欲しいという話がね」
一瞬、頭が真っ白になる。これは…つまり、ダニエルも男色家という事なのだろうか⁈
「無理ですっ‼ダニエル先輩を、れ、恋愛の意味で好きになる事は出来ませんっ‼」
必死で首を振りながら立ち上がろうとするのに、彼は掴んだ肩に力を込めて離れない。
「今すぐにとは言いません。これから時間を掛けて、ゆっくりと親しくなれば良い話でしょう?これからもこうして二人の時間を…持てば少しずつ愛が深まるというものですよ」
囁きながら、空いた右手で耳朶をスルリと撫でられると恐怖で怖気が走る。
「無理無理無理ーっ⁈ 深まる前に愛なんか生まれませんからっ‼好きな人以外に触れられるのも苦手なんですよーっ‼」
絶叫しつつ、必死で振りほどこうと身を捩ると、声が聞こえたのか扉が開いてディミトリ殿下が廊下へと顔を覗かせた。薄暗いせいで表情は見えないが、苛立ったように乱れた靴音が響く。
「生徒会室では話せないような内容でも密談していたのか?生徒会業務の引継ぎだけとは思えない声が聞こえたようだが」
殿下が眉を顰めて妙に距離の近いダニエルを見つめると、何事もなかったかのようにスッと体を離した。
「…確か、現会計のダニエル・ハーヴィンだったな。生徒会室では無く、態々こんな場所まで来て何の話をしていたんだ?」
「勿論、会計の引継ぎ業務ですよ。生徒会室は混み合っていたので、静かな場所で話をしようと思いまして。王太子殿下は、もう引継ぎは終了したんですか?」
「つつがなく終了した。…お前たちの引継ぎに時間が掛かるようならば、執務室で私も一緒に話を聞いてやっても良いが」
「…その必要はありませんよ。後は個人的な話だけですから、カール君と二人にして頂けませんか」
「個人的な話…か。私の側近が先ほどのように助けを求めるような声を上げる話であれば、見過ごすことは出来ないな」
ディミトリ殿下の強い視線に射貫かれると、ダニエルは顔を歪めて”チッ”と小さく舌打ちする。
どうやら殿下が引かないようだと判断したのか「王太子殿下は身内に随分と甘い対応をなさるのですね」と皮肉交じりに呟いてから立ち上がった。
「それじゃあカール、またね。…また直ぐに会う事になると思うから、その時にはゆっくりと二人きりで話をしよう」
私にねっとりとした視線を向けると、背中をスルリと撫で上げてからダニエルは帰って行った。
思わずホッと安堵のため息を漏らすと、殿下に「何でそう警戒心が薄いんだ」と渋い顔で睨まれる。
ふと、壁際に掛かる柱時計に目をやると図書館の閉館間近だと気づいた。
(どうしよう…今日の放課後はオルビナと会う約束をしていたし…今から向かえば、話ぐらいは出来るかも。謝罪して明日からの予定も立てたいし…)
――一刻も早く向かわねば、図書館が閉まってしまう。そう思ったら、目の前の殿下がどんな顔でこちらを見ているのかも気にならなくなってしまった。
「…助けていただいた事に感謝します。少々野暮用を思い出しましたので、此処で失礼します」
「待てっ⁈まだその辺にダニエルがいるかもしれないから、勝手に一人でうろつくなとっ…」
後ろから私を制止するディミトリ殿下の声が聞こえたけれど、待っていたら図書館が閉館してしまうではないかっ‼
結局、助けてもらった恩も忘れて、私はそのまま一人で王立図書館への渡り廊下を全力疾走で走り抜けたのだった。
「まあ、今日は随分と遅かったのね。貴女に何かあったのかと心配したわ」
閉館間際だけあって、王立図書館はひっそりと静まり返っている。
恐る恐る扉を開けると、カウンターに座ったオルビナがホッとした顔で私の事を迎え入れてくれた。
事情を話して謝る私に「謝らなくて良いわよ。生徒会執行部入りするなんて、カールは本当に優秀なのね」と手放して喜んでくれる。
…これだけ喜ばれると優秀なのではなく巻き込まれて生徒会入りしたとは言い辛いくらいだ。
「発足自体は来年度だけれど、今年度中に予算会議や行事執行計画の打ち合わせにも参加しなくてはいけないんだ。今後は放課後に時間を取るのは難しくなる」
私の都合でお願いした勉強会を、こんな形で失うのは残念だけれどこればかりは致し方ない。
するとオルビナは「早朝で良ければ少し早めて時間を取れるわ。それなら通り原稿の受け渡しが出来るでしょう?もうカールに教える事は殆ど無いし、必要ならば手紙や時間外にでも訪ねて貰えば良いもの」と優しい笑顔を見せてくれた。
「オルビナ…私の都合ばかりで本当にゴメン。でもあまり無理はしないでくれる?」
「あら、無理なんかじゃないわ。独り身の寂しい女だから、時間には余裕があるの。むしろカールと話すのは楽しいから好きよ」
クスクスと笑うオルビナは自分では気づいていないのか、少しだけ寂しそうな眼をしていた。
「ねえ、オルビナは家族や婚約者の男性に手紙は書かないの?せめて近況を知らせるとか、…そろそろ一年も経つんだし、婚約者の近況だけでも確認した方が良いんじゃないかな…?」
“独り身の寂しい女”などと自虐的に笑うのは止めて欲しい。
離れてもなお心を囚われるのは、彼女が婚約者を忘れられないという事だろう。
「――それで彼が私の事を忘れて、幸せになっている現実を見ろと言うの…?そこまでは、まだ思いきれないのよ…」
“本当に馬鹿みたいね”と自嘲するオルビナが只々悲しい。
「好きだから、彼の為に身を引いたんでしょう?それなら余計に連絡は取るべきだ。未練だけに引きずられて、オルビナが苦しむのをこれ以上黙って見ているのは、私だって辛いんだよ」
「カール…貴方にまでそんな悲しそうな顔をさせて…。私が愚かなせいで、貴方まで傷つけているのね…」
そんな傷ついたような顔をさせるために、こんな会話を始めた訳じゃない。
(どうしたらオルビナは幸せになれるのかを一緒に模索したいだけなのにな…)
上手く伝わらない感情を持て余しながら、私がそっと俯いた時「ほう…?随分と興味深い話をしているな」と背中から声を掛けられたのは、そのすぐ後の事だった。




