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57 アーデルハイド王国逃亡計画の第一歩

 あの日、放課後の教室で泣きわめいたエレノア・ルマールを慰め、新たに彼女の心を射止めたのは誰だったのか…。


 手酷く突き放した放課後以来、彼女からの接触はピタリと止まった。

 それと同時に、私がマリアーナ以外の女性には目もくれないと理解したのか、他の令嬢たちからの告白やお誘いも鳴りを潜めた頃…憂鬱な定期試験の季節がやってきたのだ。


 年に四回実施されるこの試験は、別名を“ふるい落とし試験”とも呼ばれ、赤点を取ったものは一度の補講と再試験が行われる。

 そこでも赤点を取った場合は、次の試験までの数か月間、放課後の時間は補講を受け続ける事が義務付けられていると風の便りに聞いたことがある。

 他にも涙ながらに百枚の反省文を書かされたとか、親を呼ばれて、親子共々理事長から説教をくらったとか――所謂“王立学術院の伝説”と呼ばれるレベルの話なのだが。

 …まあ、私の様な可も無く不可も無くといった特筆することのない人間には関係の無い話だ。


(今回は苦手分野の出題が無かったから、私にしては上出来の部類じゃないかしら。そう言えば、今日から成績上位者を渡り廊下に張り出すと聞いたけれど…)


 王立図書館で本を借りてくると、フランツを教室に置き去りにしてきた私は、ふと思い立ってそのままテーロース棟の渡り廊下へと向かう事にした。

 案の定、張り紙の前では人だかりが出来、何人もの生徒が指さしながら燥いでいる。


「…おい、見ろよ‼ またディミトリ・アーデルハイド王太子殿下が学年主席の座に君臨しているぞ‼入学してから、一度も陥落したことが無いんだもんなぁ…」

「本当だ…‼いつも通り、二位はシャルル・グロスターで、三位がルイス・ティーセルかよ…。固定順位過ぎて、俺達がいくら頑張っても抜かせる気がしないよな」


 見知らぬ二人の貴族令息たちは口々に「元から出来の良い奴が羨ましいよなぁ」とぼやきながら私の前を通り抜けていく。

 …確かに元から出来が良いのは認めるが、ディミトリ殿下は決して楽に主席の座についているわけでは無いのだと反論したい気持ちをグッと抑え込んで、成績上位者の張り紙をボンヤリと見上げる。

 主席の座に書かれたディミトリ殿下の名前に、自分でも気が付かないうちに、思わずため息が零れた。


(――ディミトリ殿下が一心不乱に努力を続けているのはルイ―セと結ばれるためだと伺っていたけれど、本当は初恋の令嬢の為なのかもしれないわね…)


 私を通して、初恋の少女の面影を追うディミトリ殿下は、もしかしたら既にその少女の記憶を蘇らせているのかもしれない。

 彼女を正妃に据える為に、国王として過不足なく即位するための努力をしているのだとすれば、それは素晴らしい事だ。

 ――でも、散々振り回された私の気持ちは誰が受け止めてくれるというのだろう。

 身代わりとしてでも愛を囁かれた私が、もし…ディミトリ殿下を愛してしまった時、初恋の令嬢と結ばれて幸せな姿を、傍で目の当たりにすることが、どれだけ苦しい事なのかを誰も理解しようとはしてくれないのに…。


 どうしても整理のつかない思考を振り切ろうと、踵を返す私の耳には、雑踏に紛れて彼の名前が聞こえた気がして思わず足を止めてしまう。


 渡り廊下の向こう側からこちらに向かって歩いてくる一団の中央に見えるのは、久しぶりに見るディミトリ殿下やシャルル、ジョゼルの姿があった。

 その傍に、見たことの無い華奢で綺麗な女生徒が見えて、微かに眉をひそめてしまう。

 親し気に微笑み合う二人は傍から見ても、随分とお似合いで…その事に心が騒めくのが苦しい。

 

 その令嬢が足を縺れさせたのか微かによろけると、手を差し伸べた殿下の腕に掴まり微笑みを交わす姿を見ているだけで、胸の奥からドロドロとした汚い感情が溢れそうになる。


(…ディミトリ殿下にとっては、初恋の少女でなければ誰でも同じなのね。だから、ルイ―セを傷つけても平気だし、その女生徒にも平気で微笑みかける事が出来るのよ…)


 ――私ばかりが我慢を強いられている。

 そう思えば、こんな理不尽な扱いからコソコソと隠れるように過ごしている自分が惨めで、酷く滑稽に思えた。

 殿下が初恋の少女と結ばれようが、今も微笑みを交わしている女生徒を選ぼうが、もう私には何の関係もない‼

 …身代わりでしか愛されないというのなら、彼の手の届かない場所へ逃げてしまえば良いのだ。


 私はディミトリ殿下から目を逸らすと、足早に目的の場所へと歩を進めたのだった。




 私が向かった先は、王立学術院の北に位置する王立学術院図書館だった。


 アーデルハイド王国でも随一の蔵書数を誇るその場所は、ぐるりと廻る螺旋階段に添って並べられた、天井に着きそうなほどの書棚の中に、学術書や医学書、異国の上製本までもがギッシリと収納されている。


 学生以外でも利用できるようにと、建前上は全ての国民に解放はされているが、学生以外の利用者は、一々身分証明書の提示が必要なために外部の利用者はまばらで、普段から人混みの嫌いなカールの一時の憩いの場にもなっていた。

 だから、此処へ来ると漸く息が出来るような気がして、安堵のため息が漏れる。


 今回、カールが此処に来た目的は、学術院を逃げ出した際に自活できる道を探すため、その道標となる、過去の“学術院卒業生就職業種一覧表”の閲覧の為だった。


 ――そもそも、貴族に生まれた者が市井で就職するのはかなり稀なのだ。

 嫡男ならば、爵位も領地も全てを相続できるが、次男や、令嬢では相続権が発生しない。

 令息ならば、跡目のいない貴族の養子として入るか王宮への仕官の道が大多数だろう。

 大貴族ならば、居食いを決め込み領主として一部の領地の管理人になる手もあるが、余程の大金持ちでなければ何れ困窮してしまう。

 だから大貴族でもなく、王宮に仕官もしない変わり種の卒業生が選んだ職業というものに興味が湧いたわけだ。


 皆、定期試験の結果を見にテーロース棟へ行っているのか、珍しく誰一人利用者のいない図書館では、常駐している年若い女性の司書官が一人で黙々と立ち働いていた。

 どうやら蔵書点検をしていたらしき、その司書官に学生証を提示してから、過去に学術院卒業生が就職した業種の一覧表を閲覧させてもらうよう申し出た。

 程なくして彼女が手にしていた綴りを拝借すると、程よく日差しの入る窓際の閲覧席で丁寧に頁をめくっていく。


 内容を熟読しながら思う事は、やはり貴族の女性が独り立ちして就職するのは狭き門だという知りたくもない現実だった。


 貴族が市井に降りて稼ぐ一番簡単な方法は商売だ。

 自領地の特産品を自分の店で独占販売すれば単純に儲けることが出来ると思うからだ。

 でも、実際にはそう簡単な話ではない。商品を流通させるための道筋には元締めと呼ばれる存在がおり、商売の権利を握っているのだ。粗悪な商品や、違法な抜け道で販売する者を取り締まるなどその役割は重要だが、新規で商売に参入しようとすると、今度はその存在が邪魔になる。

 王都での店舗の立ち上げに、人件費、利権料の支払い等々、どう考えても何の後ろ盾も無い私が成功する未来は見えなかった。


(商売が無理だとすると…後は薬学師とか、通訳士に翻訳士…それから家庭教師か…)


 家庭教師は殆どの貴族女性が出来る職業だ。

 王立学術院で修了した基礎学問だけではなく、貴族女性であれば、その家の令嬢に礼儀作法やダンスマナー教育も行えるのでかなり重宝されるらしい。

 只、時間を取られる割に高給とは言い難く、暇を持て余し、子育てを終えた貴族の夫人が就くのが大半だと聞いたことがある。


 そして薬学師は、専門分野の資格を取得できなければ就くことが出来ない職業だ。

 奨学金制度を使い、なんとか資格を得たとしても、薬学師の場合は最低で三年の実技研修を受けなければ独り立ちすることは出来ない。

 学術院を卒業後に、三年間も研修期間があるのでは、いざという時にアーデルハイドを逃げ出す事は難しいし、研修先の薬学所にも多大な迷惑が掛かってしまうだろう。


(――現実的に考えて、私がつけそうな仕事は通訳士と翻訳士のどちらかよね…)


 実際、他国から王族や外交官がアーデルハイド王国を訪問する際にも、通訳士が同行することは良くある。

 男女の区別が無く職に付けるうえ、専門職なので給金も安定しているとなればこの職業は良いと思える。

 また、翻訳の仕事であれば、必要な資格は無いし安定した収入も得られそうだ。…まあ、出版社に起用して貰うための人脈は必要だろうが…。


(卒業後に他国へ逃亡する可能性がある以上、言葉の壁は無いに越したことはないわ。女性が一人でも暮らしやすい国の言葉を学べば、通訳士への道も開けるかもしれないし)


 幸い、語学の成績は悪くないし、この思い付きは中々に良いものだと思えた。


 ――私のアーデルハイド国外逃亡計画の第一歩は、こうやって始まったのだった。


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