52 王太子殿下の執着の理由
※誤字情報ありがとうございました。
「まあ、カール久しぶりね。今日はディミトリの処へ顔を出していたの?」
半ば強制的…いや、休暇課題の解答集につられて…王妃殿下の執務室へと顔を出した私に、彼女は優美な微笑みを見せた。
「…大変ご無沙汰しております。本日は…その、王妃殿下にお願いがございまして…」
思わずチラリとディミトリ殿下を盗み見ると“早く言え”と言わんばかりに無言で睨まれる。
「あ…の、僭越ながら申し上げます。予てよりディミトリ殿下と恋仲であらせられるご令嬢と、この夏季休暇中に…お、逢瀬をさせて差し上げる事は…可能、でしょうか?」
目を泳がせ、冷や汗をダラダラと流している私は、王妃殿下の目には滑稽に映っているのだろう。
言いたくはないけれど、言わねば課題が…クッ…頑張れ、私。
「…まったく…。ディミトリはカールにまで泣きついたのね?フフ…愚息が迷惑を掛けてごめんなさいね」
クスクスと微笑む王妃殿下に気まずい思いで頷くと「本当に困った子ね」と笑みを深めた。
「ねえ、ディミトリ。貴方が彼女を想う気持ちは何度も聞いたけれど、ルイ―セの側にも事情があることを理解して頂戴。卒業して、貴方が迎えに来るのを信じて待っている彼女の気持ちを無視して、性急に会おうとするのは、ルイ―セの気持ちを踏みにじることになるわ。たかが数か月会えないくらいで気持ちを疑うような真似は浅慮過ぎるでしょう?」
王妃殿下の仰られることは尤もな話だ。
しかし、ディミトリ殿下は納得がいかないのか、執務を熟している王妃殿下の机にズカズカと近づくと、声を荒らげる。
「たかが数か月と仰いますが、私にとっては途方もない長い数か月でしたよ。必死で執務を熟し、彼女の為にと、寝る間も惜しんで努力を続けても、触れる事も見る事も出来ない状態をいつまで続ければ良いというのです?せめて一目でも会いたいと願う事が罪だとでも言うおつもりですか?」
「本来、王族の婚約とはそれが当たり前でしょう?他国の王族と正式な婚約をしていても、十年以上会うことも無いまま、次の顔合わせは婚姻式の日だった…そんな話はいくらでもあります」
「そんな政略結婚でしかない婚姻を例にするなど、余りにも稚拙な言い訳ではありませんか。互いに想い合っている恋人同士が、顔を見る事さえ許されないのは可笑しな話です。これ以上、母上に拒まれるのでしたら私にも考えがある事だけはご理解頂きたい」
ディミトリ殿下はそこで言葉を切ると、冷たい目で王妃殿下を見下ろした。
「…国王陛下に、アーデルハイド王国諜報部隊を動かす許可を頂きます。素性を調べ上げれば、母上の許可など無くとも彼女に会う事は容易いですから」
その目は真摯で、これが冗談では無い事は私にも判る。…まさか殿下がルイ―セに会うためだけに国の諜報部まで動かそうとするとは思ってもみなかった。
「…貴方はまだ学生の身でしょう。正式に即位しない限り、陛下直属の諜報部隊を動かすことは許しませんよ」
「それならば、ルイ―セを私の元へ連れて来て下さい。そうすれば、この様な不毛な争い自体が必要なくなるのですから」
「どうしてそこまで頑ななのです⁈ルイ―セには会わせません‼話はこれで終わりですよっ⁈」
「母上の方こそ頑なではございませんかっ⁈私はっ…うっ…はっ…あ…なんだっ…⁈」
激しい言い争いは、ディミトリ殿下の異変で突然ブツリと収束を見せた。
叫んでいた彼の体が、まるでスローモーションのように傾いで倒れていくのが視界に映る。
「…ディミトリ殿下っ⁈」
必死に差し伸べた手だけでは支えきれず、彼の下敷きになる格好で床に倒れると、一歩遅れて状況に気づいた傍仕え達が怯えた様に甲高い悲鳴を上げた。
「――ディミトリ⁈ どうしたというのですっ⁈」
傍仕え達が“医者をっ⁈”と騒いでいる声が部屋中に響くが、目の前にあるディミトリ殿下の顔色が蒼白になっている事と、そのグッタリとした体が驚くほど冷たい事だけが私の現実だった。
意識が無いのか、直ぐに駆けつけた医師の呼びかけにも答えないまま、ディミトリ殿下は、そのまま自室へと運び込まれる事となったのだった。
「…ディミトリがあそこまで窶れるとは、正直思ってもみなかったわ…」
暫くして、処置を施した王宮医師が、殿下の容体を報告するため、執務室を訪れた。
重篤な病気は見当たらないものの、かなりの睡眠不足と、栄養失調症、貧血、そして精神不安が今回の事態を招いたのだろうと所見を述べる。
「直ぐに、精神安定剤と栄養剤を注射しておきましたので、これで少しは体が回復するかと思われます。ただ、これは一時的な処置に過ぎませんので、早急に根本的な問題を解決することをお勧めいたします」
理由を知らないからこそ、簡単に言ってくる医師が部屋を辞すと、思わず王妃殿下と顔を見合わせてため息を吐いてしまった。
「ディミトリ殿下がルイ―セに執着する理由を教えて下さい。一目惚れだと言われても、それだけとは思えないくらい、最初から彼は挙動不審でしたよね」
初めて出会った日から、ディミトリ殿下はいつもの彼からは想像も出来ないくらいにおかしかった。熱に浮かされたような、どこか違うものを見続けているような違和感。
それは例えるなら――
「私ではない…誰かの面影を追っているような…」
思わず零れた言葉に、王妃殿下が一瞬息を呑むのを感じて、それが確信に変わる。
目を伏せると、逡巡した王妃殿下が口にしたのは「貴女の姿に、ディミトリは初恋の少女の面影を追っているの」という、想像通りの答えだった。
「ディミトリが幼い頃、いっそ妄執と呼びたくなるほどに固執した初恋の令嬢がいたの。彼女に出会った日から、ディミトリの世界はその少女一色になってしまった。…だから、少女の心が壊れる前に二人を引き裂いて、その存在ごと無理やり忘れさせたの。…まさか、今になって面影を追い求めてまでルイ―セに執着するとは思ってもみなかったわ」
大人になったディミトリ殿下でさえ、精神不安を引き起こすほどの執着を見せるのだから、幼少のみぎりはどれ程の苛烈な妄執だったというのだろう。
それ程に愛された令嬢は、周りの大人が危惧するほどに愛され、やがて引き離された時、悲しんだのか――それとも安堵したのだろうか。
「その初恋のご令嬢は今、何処に?身代わりの私ではなく、初恋の令嬢と添わせてあげれば殿下の精神不安も落ち着きますし、万事解決ではありませんか」
「…それが出来れば苦労はしないわ。幼少期のディミトリが執着したせいで、彼女の両親から猛反対を受けているのよ。『愛娘を脅かす存在には二度と会わせない。婚姻を無理強いするのなら全力で抗い、他国へ亡命する』とまで言われて、強行できると思う?」
王家からの婚姻をにべもなく断る辺り、相当な高位貴族が初恋のお相手なのだろう。
…そこまで嫌われていれば、添い遂げるのは難しいかもしれない。
だから面影があるというだけの私に目を付けられても正直、困るのだけれど…。
「…でも、ディミトリ殿下が国王陛下に即位されて、正式に正妃を娶るとなれば、頑ななご両親の許しも出る可能性はありますよね?」
「…そうね。彼女自身がディミトリを心から愛して、過去を水に流してくれさえすれば、許さないことも無い…とは言っていたから」
…その言葉が真実なら、ディミトリ殿下にとっては吉報だろう。
初恋の令嬢と結ばれれば魔術誓約書は無効になるのだから、私も晴れて自由の身…これこそ、物語のハッピーエンドというに相応しいだろう。
――だから、弱っている彼の為に今だけは身代わりの恋人を演じても良いか…そんな風に魔が差したのだ。
「…ドレスをお借り出来ますか?殿下と直接お話しして、今後は体調管理を万全にするように進言してみますから」
「…貴女には、また迷惑を掛けてしまったわね…」
弱弱しい声で微笑む王妃殿下に頭を振る。
期限付きの身代わりなのだから、弱った殿下を元気づけることぐらいはお役に立つべきだろう。
「我がティーセル家は、ルイスを助けて下さった恩義を王家に感じております。少しでもお役に立てるのであれば、身代わりを精一杯演じさせていただきますから」
そう答える私に、何故か彼女は「ありがとう」とだけ呟くと、そっと物憂げに目を伏せたのだった。
王妃殿下の計らいで、無事に令嬢姿に変貌を遂げると、侍女長に促されてディミトリ殿下の私室へと連れて来られた。
「王太子殿下からは、ルイ―セ様のみをお部屋にお通しするよう申し使っております」
扉の前で目を光らせるジアンにそう言われると、侍女長を共に入室させるわけにはいかなくなる。
「判りました。私だけでお見舞いをさせて頂きます。侍女長は、このことを王妃殿下へ伝えてくれるかしら」
託けておけば、何かあった時助けて貰えるだろう。
そう踏んで、彼女に目配せすると、侍女長は頷いてサッサとこの場を後にした。
ジアンによって開かれた部屋は、昼間だというのにカーテンが引かれ、静寂に包まれている。
毛足の長い絨毯は足音さえ吸い込んでしまうから、遠慮もせずにベッドまで歩み寄って天蓋を開くと、スヤスヤと寝息をたてるディミトリ殿下が横たわっていた。
薬が効いているせいか、私の気配で彼が起きる様子はない。
折角着替えたのだから、彼が起きるのを待とうかと、ベッド脇に置かれた肘掛椅子に腰を下ろした。
時々、くぐもった声で魘されている殿下の目の下の濃い隈が痛々しい。
今も悪夢でも見ているのか、時折辛そうに表情を歪めると「ルイ―セ…私…傍に…死んでは駄目だ…」と不穏な寝言を呟いている。
精神不安のせいで悪夢を見るのだとすれば、今日の邂逅で少しでも安らいで欲しいと、ディミトリ殿下の額へと手を伸ばして、噴き出た汗を拭おうとしたのがいけなかった。
その瞬間、眠っていたはずの殿下が私の伸ばした手を掴むと、思い切りねじり上げたのだ。
「っ⁈…寝込みを襲う貴様は誰だっ⁈」
異常に興奮しているのか、目をギラギラと血走らせ、荒い息を吐いているその姿に思わず身が竦む。
上半身を起こし、ねじり上げる腕の力を緩めない彼は、どうやら薬と夢の狭間で意識が混濁しているのか、痛みに悲鳴を上げる私の正体が判らないようだった。
益々激しい力で捻り上げられると、あまりの痛みに、呼吸すら儘ならない。
眦を濡らす涙と、私の助けを求める甲高い悲鳴に、段々と意識が覚醒したのか、腕の力を緩ませると「ま…さか、ルイ―セか⁈」と狼狽えた声が微かに聞こえた。
「ディミ、トリ…殿下…」
ねじり上げられた腕と肩が焼け付くように痛い。
ドクドクと脈打つ鼓動が、殿下の呼びかける声を遠ざけてしまう。
――っ⁈
何を言われたのか聞き取れないまま、私はそこで意識を手放したのだった。




