37 アプローチは程々に
入学式の翌日から、彼女…“マリアーナ・アウレイア男爵令嬢”は私の周辺をうろうろするようになった。
いや――正確には、ディミトリ殿下や側近の二人の行く先々に現れては、何某かの接触を試みていく…と言うのが正しいかもしれない。
「…渡り廊下を一人で歩いていたら、いきなり現れたマリアーナ嬢に腕を絡めて『王太子殿下とこんな場所で会えるなんて嬉しいです♡私と一緒に教室に向かいましょう』と纏わりつかれた。彼女とは殆ど面識も無いはずだが、何故、あれ程に図々しくなれるのか理解できないな」
「私も昼休みに図書室で本を読んでいたら『シャルル様は本がお好きなんですね。私もロマンチックな恋物語が大好きなんです。私達って趣味が合いますね』と、勝手に横に居座られましてね…。あの話の通じなさには本気で寒気がしましたよ」
「…俺が鍛練場で稽古を終えて帰ろうとしたら、いつの間に来ていたのかマリアーナにタオルを手渡されまして『ジョゼル様、鍛練お疲れ様です♡でも、キチンと汗を拭かないと風邪を引いちゃいますよ?私を心配させないで下さいね』と、ウインクされました。気持ち悪いんですが、あのタオルは捨てても良いと思いますかね…?」
――こんな愚痴を、三人から延々と聞かされる私の気持ちが判りますか?
(いやいやいや、普通に考えておかしいでしょう⁈好きな男性に迫りたい気持ちは判るけれど、同時に三人なのは問題無いの⁈)
…どうやらマリアーナ・アウレイア嬢は三股を掛けるぐらいには精力的なご令嬢だったらしい――そう気が付いた時には、既に学院中で彼女の悪評がまことしやかに囁かれていた。
“マリアーナ・アウレイア男爵令嬢は、身分差も弁えず、王太子殿下に付きまとっているらしい”と入学式の時点でヒソヒソと噂されていたものは、“王太子殿下のみならず、側近のお二方にまで言い寄る破廉恥な令嬢”へと悪意を持ち、変化した。
“人の不幸は蜜の味”と良く言われるが、退屈している貴族達にとっては、彼女の噂話も十分に甘く魅惑的なようで、それも私の頭を悩ませているのだ。
(誰が本命なのかは知らないけれど、せめて一人に絞るとか…‼もっと上手くやってくれないと、私が王妃殿下に告げ口しなくちゃいけないじゃないのーっ?!)
私がこうして彼女の事で頭を抱える羽目になったのも、王妃殿下から下った任務のせいだと思えば、憂鬱な気持ちにもなる。私は深いため息を吐いた。
――それというのも、一週間前の王立学術院入学式の日に話は遡る。
全ての式典が終了した直後、私は学校医を名乗る男性に渡り廊下で呼び止められた。
「君はカール、…ルイス・ティーセル君の兄妹で間違いないかな?私は学校医のディートハルト・グレイソンだが、ルイス君の病気に関する件で話がしたい。すまないが、少し時間を取って貰えないだろうか」
私に声を掛けてきた男性は、白衣を身に纏い、長い前髪と黒縁眼鏡で顔半分が隠れた地味な先生だった。
その言葉を疑う余地もなく、後ろについて向かった先は【理事長室】で…そこには満面の笑みを浮かべた王妃殿下が優雅に肘掛椅子で寛ぐ姿があったのだ。
「カール、一週間ぶりかしら。貴女、男子学生の制服も似合っているわよ」
クスクスと笑いながら対面に座るように促される。
チラリとディートハルト先生の様子を覗うと「ああ、彼は王家の諜報員だから気にしなくても良いわ」とサラリと、とんでもない事を言い出した。
「ディミトリが入学した以上、防衛面強化の為に学術院に間諜を潜り込ませることは当然でしょう?あれでも将来の国王なのよ?」
――“あれでも”とはとんだ言い草だが、まあこの国の王太子殿下の命を狙う輩だっているかもしれないだろう。危険回避の為に間諜を潜り込ませることは当然だが、あまりにも地味な風貌に違和感を覚える。
「地味で弱そうだと思っているかもしれないけれど、彼は手練れよ?こんな身なりをしているのも人の印象に残らない為だし、先頃までは他国での諜報活動に従事していたんだから腕は確かなの」
…成程、物腰の柔らかさや、人を警戒させない話術はその為に磨いたのだと思えば妙に納得できる。顔を半分も隠している野暮ったい黒縁眼鏡も、人前で目立つのを避けるために伊達メガネを掛けているそうだ。
(…まあ、確かに印象に残らない方が諜報員としては良いのか)
今回、王妃殿下たっての願いで王太子殿下の御身を守る為に王立学術院の学校医として潜入することになったとの説明を受けた。
「ディートハルトは軍医の資格もあるから、毎日のルイスの注射剤接種も対応できるわ。勿論、貴女の事情についても彼は把握済みだから、不都合が生じた時には彼に相談すると良いわよ」
柔らかく微笑む王妃殿下に頭を下げて、もう一度扉の前に佇むディートハルト先生を見ると、何故か視線を逸らされる。――どういう事?
もう一度王妃殿下に視線を戻せば、明らかにその表情は面白い玩具を見つけたような顔をしていて…何か良からぬ企みがあるのだと理解した。
「大変ありがたいお心遣いに感謝いたします。…ご用件はそれ、だけでしょうか?」
案の定、王妃殿下は「そんな訳が無いでしょう」と満足げな微笑みを浮かべた。
「貴女には、ディミトリに近づく不審な人物の動向を把握し、報告して貰うわ。邪な感情をもって近づく貴族は全て、確認して頂戴。ああ、排除はこちらでやるから、あくまでも貴女は監視と報告だけで構わないわよ」
「不審人物の把握と申されましても…。ディートハルト先生がいらっしゃるのであれば、私が監視する必要は感じませんが…?」
「勿論、ディートハルトには全ての動きを見張らせる。でも、生徒の噂や、交友関係はやはり同じ学生でないと把握が遅れるでしょう?将来の為に甘言を履いて権力にすり寄ろうとする人物だっているはずだわ」
――それは確かに否定できない。ただ、ディミトリ殿下がそんな甘言に惑わされるとは到底思えないし、彼を信頼して自由にさせるのも必要ではないか。
「お言葉ですが、ディミトリ殿下は、王妃殿下が思われるほど愚かではございません。人となりを見極める力を養う事も、将来の国王として立つ者の責務かと。ここは殿下の意思を尊重し、不必要な監視は緩めるのが宜しいのでは?」
思わず熱い思いを吐露すれば「まあ…カールはそんなにあの馬鹿息子を深く信頼しているのね」と何故かご機嫌で頷いている。…うーん…それはどうだろうか…?
「貴女の想いは判るけれど、ディミトリには一生、王太子としての枷が付いて回るのよ。王家と姻戚関係を持つためなら、自分の娘に躰で篭絡させようとする貴族だって少なくない。たとえ薬を盛られ、その結果過ちを犯したとしても王家の子を孕む可能性がある女性を捨て置く選択肢は無いのよ」
“側室だろうが、愛妾だろうが一生贅沢に暮らせるのなら構わない女性だって多いわ”と、王妃殿下は冷ややかに呟いた。
(…もしディミトリ殿下が学院で恋人を作った場合、相手がどのような思惑を持っているのかを見極めないと、大変な事になる訳か…)
――意図的に次期国王の子をもうける事だけが目的な令嬢も、殿下に近づく可能性がある…。
これでは彼に自由恋愛など到底無理な話ではないか…。
俯きながら、その恐ろしい現実に直面していると「権力を持つという事は、一生を囚われて生きる事と同位なのよ」と、寂し気な呟きが聞こえた気がした。
顔を上げて王妃殿下を見ると、彼女は何事も無かったかのようにフッと息を漏らす。
「貴女にとってもこれが不本意なのは承知の上よ。それでも監視はして貰うわ」
――結局、私には拒否する自由なんか与えられていないのだった。
…こうして、私は王妃殿下の仰せのままに、何故か間諜の真似事をさせられている訳だ。
まあ、今のところ困った人物はマリアーナ嬢以外見当たらないけれど、その一人が大問題だから途方に暮れざるを得ない…。
(…本当にどうしよう…。ディミトリ殿下は迷惑そうな顔をしているし、今の様子なら彼女にグイグイと迫られても…か、躰で篭絡されるなんて事は無さそうだけれど…)
マリアーナの現状を王妃殿下に報告すれば“王族に不埒な行為を迫る令嬢”として、アウレイア男爵家に王家からの厳重抗議が届くことは火を見るよりも明らかだ。
しかし、報告しない事でマリアーナが今以上に暴走して、ディミトリ殿下と一夜の過ちを起こした場合の対処方法が見当たらないことも確かで…。
「ああああああーっ‼何で私がこんな事で悩まなくちゃいけないのよーっ‼あっの馬鹿令嬢がーっ⁈」
私は頭を抱えながら、自室で悩み続けることになったのだった。




