32 思わぬ展開
翌朝、今日から女装させられると知っている私は、沈んだ気持ちで王妃殿下の私室へと向かう事になった。
当然のように侍女長が王宮の正門前で待機していたので、結局逃げることも叶わず、王妃殿下の衣裳部屋へと連れてこられたのだが…。
「昨日のドレスはかなり胸元を強調した意匠になっていたでしょう?私達は気にしていなかったんだけど、ディミトリが『彼女の胸元に変わった形の痣があった』と、随分ソワソワしていたの。流石にこれ以上、あの子を刺激するのは不味いから、本日からは清楚なハイネックレースのドレスを用意したのよ」
王妃殿下の手に掲げたドレスは確かに清楚で可愛らしい意匠のものではあるけれど、重要なのはそこではなく、ディミトリ殿下の発言に問題があると言いたいのだ。
(なになになに⁈いやいやいや―― 殿下が気にするのは胸なのっ⁈)
昔から胸元にうっすらと青痣はあるけれど、普段男装している私が晒すような場所では無いし、目立たないものなので気にしたことなど一度もなかった。
それなのに、あの状況下で直ぐに痣を見つけるほど、ディミトリ殿下が胸元を注視していた事に恐怖を覚えるのだ。
…あんな性欲の欠片もありませんという爽やかな顔をしておきながら、気にするのは胸なのかと…。
彼に狙われている立場としては回れ右して逃げ出したい気持ちにもなる。
「…執務中にディミトリ殿下が乱入してきた際、どのような対応をすれば良いのでしょうか?もし、彼が気安く体に触れてきた場合は、拳か分厚い書物で叩きのめしても不敬にはあたりませんか?」
王妃殿下の言質を取っておかないと、いざという時、己の身を守れない気がする。
私の顔面蒼白な表情に気づいたのか、王妃殿下は『殴るのはちょっと…』と眉尻を下げた。
「名前だけ告げて、後は流れに任せれば良いと思うわ。かなりお化粧で雰囲気を変えているから、ディミトリも貴女をカールだと気づくことは無いと思うし」
コクコクと頷きながら、ドレスを着用していく。本日のドレスはハイネック部分がレースで覆われた、パフスリーブ型の光沢のあるクリームイエローのドレスだ。
確かにこれならば、肌の露出は殆どない。
「でもね、ディミトリは今まで沢山のご令嬢と社交界でも接してきたけれど、一度だって自分の方から積極的に口説いたことが無いのよ。あまり女性に興味が無いというか…だからカールに随分と執着しているのを知った時には“男色家疑惑”まで王宮で生じたのよねぇ」
(…知りませんよ、そんなこと)
横目で睨みながら、無言で侍女長に化粧を施されていると、王妃殿下は楽しそうに言葉を続けた。
「ルイ―セのおかげで、やっとあの子も女性への恋に目覚めたみたいだし、本当に良かったわぁ。ディミトリには『今日から彼女が来る』としか告げていないから、今までの状況を鑑みるに、恥ずかしがって積極的に口説きになんか来やしないわよ。フフフ…、どんな顔をして貴女を口説くつもりなのか楽しみで仕方ないわぁ」
明らかに面白がっている王妃殿下には業腹だが、その話を聞く限りでは無体な真似をしたり、積極的に来たりということは無さそうだ。
(何だ…そんなに心配することも無いかもしれないわね。それなら、今日中に来ることも無さそうだし。はーっ…安心したらすっかり気が抜けたわ…)
緩くウェーブをつけた髪をポニーテールに纏めると、最後にサテンのリボンで結ばれた。これでどうやら本日の着替えは完了らしい。
「さあ、ディミトリの本気度を量りに行きましょうか」
王妃殿下の質の悪い冗談を聞き流すと、私たちは執務室へと向かったのだった。
(う…嘘吐きーっ‼何が女性に積極的じゃないよ‼既に来ているじゃないの…⁈)
執務室の窓辺に設えられた肘掛の長椅子に座り、そこで読書に耽っていたらしき美貌の貴公子――ディミトリ殿下は、扉を開けた私に目を止めると、嬉しそうな顔をして駆け寄ってきた。
「ディミトリ…貴方が何で此処にいるのかしら。本来は帝王学の講義を受けている時間なのに、勉学を疎かにしたというの?」
「帝王学の教授の講義は昨夜のうちに全て履修済みです。既に教授からもお墨付きを頂いていますし、母上に文句を言われる筋合いはありませんよ」
引き攣った笑みを浮かべる王妃殿下に対し、ディミトリ殿下は爽やかに抗弁している。
「時間があるのなら自分の公務を片付けなさい‼私が管理下に置く施設関係の書類整理の為に人員を増やしたのだから、貴方に構っている暇は無いのよ」
「そんなに忙しいのであれば、尚の事、私が彼女に手取り足取り執務の事を教えてあげた方が効率は良いでしょう?母上は、その分も自分の政務が進むではありませんか」
その言葉に王妃殿下がグッと詰まると、ディミトリ殿下はそのまま私の前まで歩を進めてきた。
「おはようございます。昨日の出会いが忘れられず、つい気が急いてしまいました。今日こそ貴女のお名前をお聞かせいただけますか?」
「王太子殿下…お、はようございます…。私の名はルイ―セ・ティ…」
そこまで言いかけて、慌てて止める。不味い…家名を言うわけにはいかないんだった。
「ルイ―セ…ですね?どうやら訳有りのご令嬢のようだ」
その言葉に曖昧な笑みを浮かべ頷いておく。
やばいやばい…どう解釈されたとしてもここは家名を言うわけにいかない。気まずくなりながら俯くと、ディミトリ殿下は私の手を取りそっと甲に口づけた。
「ルイ―セには、心に決めた方はいないと解釈しても宜しいですね?是非、私の愛を貴女に知って頂きたい…」
「――随分と熱烈だけれど、ルイ―セには既に婚約者がいるのよ。家同士の結びつきだから、貴方の付け入る隙は無いわ。彼女の事は諦めなさい」
口説こうとする、ディミトリ殿下を遮るように王妃殿下が冷たい声をあげると、彼の薔薇色に染まっていた頬から、今度は色がゴッソリと抜け落ちた。
(そんなに真っ白になるほどショックだったのかしら…?)
…それにしても勝手に婚約者がいる設定まで盛っている事を、王妃殿下には小一時間ほど問い詰めたい。そんな設定にするのなら、当事者には言って貰わないと。
「ルイ―セ…それは本当の話?昨日運命的に出会った私を捨ててまで、貴女は愛の無い政略結婚を選ぶというのですか?」
いや待って欲しい。捨てるも何も、ディミトリ殿下を拾った覚えはありませんが…。
「私を伴侶に選んで下さるのなら、生涯、貴女だけを大切にすると誓うのに…」
殿下が、一度だけしか会ったことの無い令嬢を相手に、こんな熱烈な口説き文句を言うような人だったとは知らなかった。
私が知らないだけで、社交界ではこうやって口説いていたのかと、かなり幻滅する。
…王妃殿下が変な発言をしたせいだし、きっと丸く収めてくれるだろう…そう思っていた自分が馬鹿だった。
「いくらディミトリがルイ―セに愛を乞うたところで、自分の立場をお考えなさいな。それとも本気で彼女をアーデルハイドの王妃に――自分の正妃として迎え入れるつもりがあるのですか?」
「彼女が私の気持ちを受けてくれるというのなら。私はそのつもりでおりますが?」
やーめーてー‼私を無視して話を進めないで欲しい。
しかし、二人はオロオロする私に眼を向けることなく、会話は進んでいく。
「彼女を正妃にと望むのなら簡単な道ではありません。彼女の生家は勿論、王宮議会や、高位貴族の承認を得られるぐらいには実績を積まないとね」
「実績、ですか…。どれだけの実績を積めばルイ―セを我が妃に出来るというのです?」
「最低でも、貴方が国王として相応しいと認められるだけの実績づくりが必要ね。先ずは【王立学術院】で三年の間、学年主席を取り続けることと、同時に公務も滞りなく進めてもらうわ。困難な道であっても、貫き通せるだけの精神力を見せつければ、流石に王宮議会でも、貴方の選んだ女性を妃に据える事を、否やとは言えないでしょうね」
それは余りにも厳しい条件だと言わざるを得ない。
王立学術院の三年間は王族とはいえ、一般の貴族に混じって生活できる唯一の自由な期間なのだ。
こんな無理難題を強いられていては、ディミトリ殿下は青春を謳歌することも出来ないだろう。
(…いや、待てよ?…むしろこれは私にとって都合の良い展開じゃない…?)
こんな厳しい条件を付きつけられれば、いくらディミトリ殿下が口先では本気だと言っていても、無理だと諦めてくれるはずだ。
王妃殿下の無理難題が唯一の希望に感じられるのだから、我ながら現金だとは思うけれど、このまま彼には諦めてもらう方が、お互いにとって最善だろう。
「ルイ―セ…私の名前を…“ディミトリ”とその唇で名を呼んでいただけますか?」
ボーっと考えに耽っていた私は、その声にピクリと肩を揺らすと、ディミトリ殿下をまじまじと見つめてしまった。
「お願いです。ほんの一言で構いません。貴女に名前を呼んで頂ければ…私はきっと…」
そんなに切なげな声で懇願されれば、私だって鬼ではないのだ。
“きっと…諦められる”…と続く言葉を想像した私は、最後ぐらいは彼に笑顔で別れを告げようと考えた。
「ディミトリ殿下…私を一時でも好きだと言って下さって光栄でしたわ」
やっとこれで終わることが出来る。
カーテシーをしながら、清々した気持ちで微笑みを浮かべると、何故かディミトリ殿下からも蕩けるような甘い微笑みを返されてしまった。
「ルイ―セありがとう。…これで決心が付きました。貴女と生きるために私は苦難の道を進みます。愛しい貴女と生涯を共にすることが出来ない等、私には耐えがたい苦しみですから」
――ちょっと待って頂きたい。
私を諦めるんじゃないの?そんな決意表明は要らないのですが…⁈
「あの…ディミトリ殿下?…私は…」
「貴女に甘い声で呼ばれるたびに、気持ちが高揚します。本当はもっと貴女と語り合い、この胸の内にある熱い思いを全て伝えたい。…でもルイ―セと結ばれるためには、少しの時間だって無駄には出来ません。勉学に勤しむ私を…貴女も応援してくださいますね?」
「は…い?」
呆気に取られている間に、蕩けるような甘い笑みを浮かべたディミトリ殿下は「それでは、また明日」と颯爽と立ち去って行ったのだった。
…少しはラブコメになってきましたかね?




