19 止まった時間の動かし方
雲一つない青空と、吹き抜ける風が心地いい中庭の木漏れ日の下で、私とジョゼルは一言の会話も無いまま、木に凭れ掛かりながら座っていた。
ジョゼルは、先ほどまでの悲壮感など忘れたかのように、黙々とクッキーを食べている。
私はと言えば、この場を立ち去る訳にもいかず、ただぼんやりと空を見上げていただけの時間が過ぎて行った。鳥のさえずりが耳に心地いい。
「喉…乾かないか?厨房からお茶とか貰ってこようか…?」
気を利かしたつもりで声を掛けても、ジョゼルから無言で首を振られてしまうと、気まずくて仕方がない。やはり余計なお世話だっただろうかと後悔が脳裏を過ぎる。
「あのさ…私はこれから大きなおせっかいを焼く。でもこれは私の意見だから、嫌だったら怒ってくれて構わないからな」
ジョゼルから悩みを聞いてしまった以上、無視も出来ないし乗り掛かった舟だからと、内心で言い訳しながら独り言ちた。
「ジョゼル様はさ、人を怪我させたくないと怯えるのは自分の心の弱さだと言ったけれど、そんなのは当たり前の話だろう?」
私の肩に触れる、逞しい腕がピクリと反応したことに気づいたけれど、私はそのまま話し続けた。
「自分のせいで友人が怪我をして、傍から姿を消したのなら、お優しいジョゼル様が気にならないはずが無いだろう?たとえ、それが身勝手な後悔だったとしてもさ」
「…身勝手な後悔だと…?」
私の煽るような物言いに、一瞬で声を荒らげたジョゼルは私の顔を睨んでくる。
「実際、自分勝手に悔やんでいるだけじゃないか。じゃあその友人が逆の立場になって、ジョゼル様に致命的な傷を負わせた時、『お前のせいで俺の一生は台無しになった』と
相手を詰り苦しませたいと思うのか?そんな風にしか相手の心に残ることが出来ない程、ジョゼル様は心の弱い人間なのかって聞いているんだよ」
やってしまった事は取り返しがつかない。だから人は後悔するのだろう。
でも行き過ぎた後悔は自分自身も、さらには相手の心さえも蝕んでしまう。
二人の間にはいつまでも後悔が傷のように横たわり続け、いつか後戻りできない程の深い溝になってしまうからだ。そうなれば二度と関係を修復する事など出来ない。
「…俺は…コリンに怪我をさせられたって、恨むなんてこと出来るはずないよ。アイツは本当に大切な友人だったんだ」
喉から絞り出すような悲痛な叫びに、キリキリと胸が痛む。
「そいつに――コリンに会いに行けよ。その調子だと、今でも謝りに行けていないんだろう?有耶無耶にして苦しむぐらいなら、会いに行って殴られて来ればいっそスッキリするんじゃないか?」
私の提案に一瞬、目を瞬かせた後、ジョゼルは首を横に振った。
「もう何年経ったと思っているんだ?今更…会いになんて行けないよ」
「そうやって逃げ続けているんだ?清廉潔白で勇猛果敢な騎士様の名折れじゃないの?コリンの居場所ぐらい王宮騎士団の人脈を使えば直ぐに判るだろう。これ以上、自分の犯した罪から目を逸らし続けたら、ジョゼル様の心が壊れてしまうよ」
ジョゼルの顔を両手で掴むと、無理やりこちらを向かせた。見つめる彼の瞳は潤んでいて、弱弱し気に視線を彷徨わせている。
「今のコリンが不幸なのか、幸せなのかをしっかりと見極めて来い。もしコリンから詰られて土下座する羽目になったとしたら、私も一緒に土下座してやるから心配するな」
「…謝れば…コリンは許してくれるかな…?」
掠れた声で呟くジョゼルに頷く。
「止まった時間を動かすために、ジョゼル様はコリンに会いに行くんだよ。彼が今、困っていたなら手を差し伸べてやれば良いし、勝手な妄想で傷つくよりも余程、建設的だと思うけどな」
「…俺は妄想のコリンと仲たがいしていたって言いたいのか?」
「フフ…ジョゼル様って意外とヘタレなんだな。あんなに強いのに、長い間コリンに謝ることも出来ずに怯えたりしてさ。まあ、そんなところも人間味があって良いんじゃないか?」
軽口をたたいてやると、ジロリと睨んでくる。随分と元気になったみたいで結構なことだ。
「コリンに謝ったら、今度はゆっくりとでも良いから、自分の夢を考えろよ。折角将来有望で容姿端麗な騎士様として未来は明るいんだから、諦めて生きるのはもったいないだろう?」
『なっ?』と同意を得ようとしたのに、ジョゼルは人の顔を見てあろうことか『プッ』と噴き出しやがった。失礼な奴だな…。
「あーあ…こんなに長い事悩んでいたのに、カールのせいで馬鹿馬鹿しくなってきた」
ええ~…相談に乗った相手に対してそう言う物言いをしますか、普通?
「妄想の相手と喧嘩しても馬鹿らしいしな。コリンに会って謝ってくる。許してくれるまで土下座でも何でもしてけじめをつけて来るよ」
そう言うジョゼルは何だか随分と吹っ切れたような顔をしていた。
(良かった…きっとこれでもう大丈夫だわ)
ジョゼルから手を離してもう一度横に座り込むと、ここで随分と時間を過ごしてしまったことに漸く気が付いた。
今日はまだルイスの見舞いにも行っていないし、ジアンにも遅刻を謝罪していないのだ。
せかせかと立ち上がる私に「どうした?」と尋ねるジョゼルが腕を掴んで来るけれど、これ以上ここで、彼と遊んでいる暇は無いのだ。
「ごめん、これからルイスの処に顔を出して来なくちゃいけないから先に行くね」
そう告げてこの場を去ろうとしたのに、いきなり掴んだ腕を引かれたせいで、よろけてジョゼルの体に思い切り突っ込んでしまった。
「…馬鹿っ‼何で引っ張るんだよ、危ないだろうが…」
言った言葉はジョゼルの体に抱きしめられたことで、後を続けることが出来なくなった。
彼の体は熱く、ドキドキと激しい鼓動が伝わってくる。
「まだ…もう少し此処にいてくれよ」
ギュッと抱きしめる腕の力に、抵抗するのさえ馬鹿らしくなる。
「…ちょっとだけなら…良いよ。あのさ、逃げないから離してくれない?」
心臓の音が聞こえるぐらい近くにジョゼルの端正な顔があるのかと思うと平静ではいられない。私だってうら若き乙女なのだ。――まあ、見た目は男だけどな。
「うん…」
返事はしたくせに、頑なに離そうとしないジョゼルは今何を思っているのだろうか?
ここからジョゼル様の時間は動き出す。過去の過ちにけじめを付けて、前を向いて歩いていくこと
――それこそが本当の意味での贖罪だろう。
「おい…そろそろ離せってば!」
怒鳴る私に『五月蠅っ…』とクスクス笑うジョゼルが腹立たしい。
「カールもさ、少しは筋肉を付けた方が良いんじゃないか?肩も腕も細くて女みたいで、これじゃあ王太子殿下の側近として狙われた時自分の身を守るのも難しいぞ」
馬鹿野郎―っ‼そう言いながら腰を撫でまわすな‼
「私はルイスと一緒で筋肉が付きにくい体質なんだよ。剣術も体術もしっかり学んでいるからご心配なく」
「ん~…でもさ、お前、俺の腕から逃げ出すことも出来ないくらい弱いじゃないか。やっぱり心配だよなぁ」
だ・か・らぁ、背中とか太ももを撫でまわすのも本当に勘弁してくれよ…。
「ジョゼルが無駄に強いだけだろ⁈ なあ、本当に時間が無いんだって‼どうしたら離してくれるんだよーっ⁈」
身を捩ったところでビクともしないジョゼルに、ほとほと困り果てて叫ぶと、彼は良いことを思いついたとばかりに耳元で囁いてきた。
「じゃあ…これから”様“は無しで。お前が俺の事をジョゼルって呼んだら手を離すかな」
「なにそれ⁈…あー…分かったから‼…ジョゼル、頼むから離してくれよーっ‼」
「うん…あとちょっとだけ…」
必死に懇願したのに、その後もしばらくの間、彼に抱きしめられ続けた私はその日一日を疲労困憊状態で過ごすこととなったのだった。




