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15 クッキー攻防

 結局、あまりにも泣き腫らした目をしている私を見かねたディミトリ殿下から『本日の公務は良いから帰宅しろ』と王宮から追い返されてしまった。

 恩返しをしようと意気込んだのに『そんな顔で王宮をうろつかれたら第二のドルディーノ子爵が現れても面倒だから帰って下さい』とシャルル様にも馬車へ押し込まれたのだ。

 …私はそんなに酷い顔をしていたのだろうか…。


 邸宅に帰った後、両親にルイスの病名を告げると、母はその場に泣き崩れ、父は真っ青な顔をしながらも「他国でどのような治療が行われているのか伝手を使って調べてみるからお前は案ずるな」と部屋を出て行った。

 今私たちが出来る事は、ルイスを支えて、彼の前で動揺を出さない事だけだと判ってはいるものの、何も出来ないのが歯がゆい。


 そう言えば、ルイスの事で頭が一杯で、フランツが王宮に登城しても良いのかを尋ねるのさえ忘れる始末…本当に何の役にも立ててないな、私。

 自室のテーブルの上で、だらしなく顔を突っ伏しながらため息を吐く。

 本当に今日は疲れた…。


「カール様…お顔の色が優れませんわ。少しお休みになられた方が宜しいかと」


 私が余りにも青白い顔をしているからと、リリーが温かなミルクを運んできてくれた。

 中には蜂蜜が入っているのか、トロリと甘くてその温かさが冷え切った心まで温めてくれるかのようだった。


「心配かけてゴメンね。いきなりルイスの病気が命に係わるなんて聞かされたら、ちょっと平静でいられなくて…」

「ずっとご一緒に育ってきた兄妹の命にかかわると聞けば、ショックを受けるのは当たり前の話ですわ。それにしても“聖魔力欠乏症”なんて…。本当の話だったんですね」

「リリーも聖魔力欠乏症の名前は知っているんだね。私が聞いたことがあるのは聖女信仰の教会が言い出した眉唾な話ばかりなんだけど…」

「“聖女への厚い信仰心が病を癒す”でしたっけ?でも教会に挙って寄進した貴族の方々ですら聖女様のお顔を拝見したことは一度も無いと専らの噂ですわ」

「それだって寄進のおかげで病にかからないのだから、聖女様にお会いする必要は無いって教会側は言い張っているらしいじゃないか。本当に食えない奴らだよね」


 結局、聖女信仰の教会に祈ったところで病気が治癒する訳では無いという事が判っただけだ。


(私が今出来る事は、お父様が他国からの伝手を使って“聖魔力欠乏症”への友好な治療法を調べてくれるのを待つことと、ディミトリ殿下が約束してくれた特効薬の開発を待つことだけ…)


 何も出来ない自分に嫌気がさして、益々大きなため息を吐いてしまう。


「最近、ルイスは食欲も無くなっているのか、少し窶れたみたいなんだよね。体力が落ちれば病気が悪化しそうで心配なんだよ」


 そんな私を悲し気に見ていたリリーが、何かを思いついた様子で目を輝かせた。


「そうですわ!ルイス様はカール様の作るお菓子が大好きではありませんか。先ほど王宮シェフからレシピを頂いたと仰られていたことですし、クッキーにルイス様のお好きなナッツやドライフルーツを刻んだものを入れれば、いくら食が細っても喜んで召し上がられるのでは無いですか?」

「クッキー…?確かにルイスは昔から甘い物には目が無かったけれど…」


 ルイスは昔から甘党で、カールが手作りしたクッキーやダリオルをあの細い体で、数人前をペロリと平らげてしまう。

 確かに食事は喉を通らなくても、お菓子ならば喜んで食べてくれる可能性は高い。


「私が今から材料を購入しに王都まで出てきますから、カール様は早めにお休み頂き、明日の朝までにはその酷い顔色を何とかしてくださいね」


 リリーの言葉に甘え、ベッドに入ると、思ったよりも疲れていたのかカールはそのまま深い眠りについたのだった。




 明くる朝、カールが目覚めるとぐっすりと眠ったせいか落ち込んでいた気分も大分マシになっていた。やはり疲れのせいで随分と悲観的になっていた様だ。


(今、自分に出来る事をやろう。ルイスの細った食欲を戻すことが先ずは先決だもの)


 早速、リリーと二人でルイスの好きなウォールナッツを刻んで生地に中に練り込んでいく。ルイスの笑顔を想像するだけで、俄然やる気になる。

 約束したジアンとシェフの分もついでに焼き上げて、本日のクッキー作りは終了したのだった。




 王宮へ到着すると、いつもの様に折り目正しい老齢な執事が美しい所作を見せながらこちらへ歩いてくるのが見えた。


「おはようございます、カール様。本日はお顔の色が宜しいようで安堵いたしました」


 どうやら、昨日の憔悴した様子を見られていた様だ。優しい笑顔を見せるジアンに手製のクッキーが入った小袋を手渡すと「こちらは何でございましょう」と首を傾げる。


「先日頂いた王宮シェフのレシピを参考に、私が手作りしたクッキーです。今朝焼いたばかりなので、まだ温かいと思いますよ。とても王宮シェフの作る物とは比べ物にもならないとは思いますが、宜しければ召し上がって下さい」


 “ルイスが食欲不振だったので、食べさせたくて”と話すと漸く合点が行ったのか、ジアンは嬉しそうに何度も頷いた。


「あの時、お話しになられたクッキーでございますね?私のような使用人にまでお心遣いを頂きありがとうございます。とてもいい香りがしていて、美味しそうでございますね。これは王太子殿下もさぞお喜びになられると思いますよ」

「…何の話ですか?ディミトリ殿下が喜ぶ…?」


 私の怪訝な表情からそれと察したのか、ジアンさんは困惑した表情を見せると、躊躇いながら言葉を続けた。


「…こちらのクッキーは王太子殿下の分もご用意頂いたのでは?」

「いえ…今回はルイスのお見舞い用と、ジアンさんとシェフの分しか作っていません」


 それの何処に問題があるのか理解できない私に、ジアンさんは益々困った顔をする。


「昨日、カール様がお早めにお帰りになった際に、王太子殿下はずっとお顔の色が優れなかったカール様の体調を心配なさっていました。ですからカール様がクッキーを焼かれたのは、感謝のお気持ちかと早合点した次第です。私如きが余計なことを申しまして大変失礼を致しました」


 そう言ってジアンに頭を下げられると、自分が酷く愚か者に思えてくる。

 昨日迷惑を掛けたお詫びに、彼らにもクッキーを焼けば良かっただろうか…。

 今さら考えたところで遅いが、完全に彼らの事など頭から消え去っていたのだから仕方ない。


 それに以前もディミトリ殿下は貴族として必要な知識を身に付けろと言っていた。きっと私の手作りなど渡せば「無駄な事をするな」と怒られるのが関の山だろう。

 そう思ったら、少しだけ気が楽になる。


「王太子殿下は私ごときの手作りを喜ぶような方ではありませんよ。今回は食の細ったルイスのお見舞いと、ジアンさん達にお礼をしたくて作った物なんですから」

「…王太子殿下はカール様の手作りであればお喜びになられますよ?」

「じゃあ、機会があったらディミトリ殿下にも作りますから。今回は私達だけの秘密にして下さいね」


 そう言うと、やっと安堵した様にジアンは笑顔を見せてくれた。

 どうせ王太子殿下に作る事なんて永遠に無いし、ジアンとの口約束だけで済むと、この時の私は思っていたのだった。




「おはよう、ルイス。今朝からルイスの為に焼きたてのクッキーを作って来たんだ。食欲があるなら味見して欲しいな」


 離宮ではベッドの上でルイスが本を読んでいた。

 傍付のメイド曰く、やはり食が細っていて今朝も朝食を殆ど食べていないと言っていた。

 彼女に目配せして、紅茶の代わりに温かなミルクを用意してもらう。

 案の定、クッキーの包みを見たルイスは目を輝かせると、早速クッキーにかぶりついていた。


「うん、すごく美味しいよ。私の好きなウォールナッツも沢山入っているんだね」


 ニコニコしながらクッキーを齧る姿に、昨日の事は全て夢だったのではないかと思えてくる。

 …でも着実に“聖魔力欠乏症”はルイスの体を蝕んでいるのだ。


「ほら、温かいミルクも飲んで。食欲が出たなら、昼食はしっかり食べなくてはいけないよ?ちゃんと食事が出来たらご褒美にまたクッキーを焼いてくるからね」

「本当かい?じゃあ次回はドライフルーツ入りのクッキーが良いな」

「フフフ…了解。じゃあ、ルイスもしっかり約束を守ってね」


 指切りをして少し痩せたルイスに笑顔を見せる。

 屈託の無いルイスの笑顔を見ていると、酷く胸が苦しかった。



 その足で向かった執務室では、誰もが変わらぬ態度で私を迎え入れてくれた。

 昨日の事など忘れた様に、淡々と進む時間が今は酷く心を癒してくれる。

 いつもの様に黙々と政務を熟すディミトリ殿下に、昨日のお詫びを言う機会も無いまま、そろそろお茶の時間に差し掛かろうという頃、事件が起きた。


「そろそろ休憩にするか。茶会の準備をしてくれ」


 ディミトリ殿下の指示で、メイド達が慌ただしく窓際に設えられていたテーブル上を整えていくのが見えた。今ならば、少しだけ抜けても問題ないかもしれない。


「ジアンさん、シェフにお会いしたいので厨房に案内していただけませんか?」


 ジアンに駆け寄って耳打ちすると「畏まりました」と頷いてくれる。

 そっと手荷物から取り出したクッキーの包みを持ち、部屋を出ようとした時、いきなりディミトリ殿下が肩を掴んできた。


「…カール、どこへ行くつもりだ?直ぐに茶会の準備が整うぞ」

「…直ぐに戻ります。先に召し上がっていて下さい」


 思わず手に持っていた包みを腕で隠すと、ディミトリ殿下が素早くその包みを奪ってしまう。


「あっ…、それは…返して下さいっ‼」


 手を伸ばしても、巧みに除けられてしまい奪い返せない。


「…随分と甘い香りがするな。これは菓子の香りか?」


 言うなり、勝手に包みを開けると、クッキーをしげしげと見つめている。不味い…。


「この菓子は何だ?カールはこれをどこに…いや、誰に持って行くつもりだった?」


 口調は柔らかなのに、何故か詰問されているような気になってくる。

 もう離宮でルイスへの面会は済んだ後だし、今更彼にあげるのを忘れていたという言い訳は通用しなさそうだ。

 無言でいるカールにしびれを切らしたのか、ディミトリ殿下はクッキーを一枚手に取ると自分の口へと放り込んでしまった。


「あっ…ちょっと…それ…」


 モグモグと咀嚼しながら「誰に持って行くつもりだったのかを言え。早く言わねば全部食べてしまうぞ」と更にもう一枚、口に放り込む。


「言う‼言いますから…これ以上食べないで下さいーっ‼」


 結局、私は王宮シェフの為に焼いたことを洗いざらい話す羽目になったのだった。



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