12 悪魔は美しい顔で善人を誑かす
「無事に帰ったようで何よりだ。久しぶりの田舎はどうだった?」
王太子殿下に謁見を申し込むと、王宮の客間ではなく執務室へと通されることになった。
初めて入るその部屋は、白を基調とした金の透かし彫りが魅惑的に壁を彩っている。
天井まで届くほど大きな窓からは薔薇の咲き誇る“ローズガーデン”が一望でき、開いた窓から吹き込む風が薔薇の香しさを室内へと運んでいた。
部屋の中央に置かれた重厚なマホガニーの執務机に座り、王太子殿下は今も忙しそうに執務を熟して羽ペンを走らせている。
(これは忙しい時に来てしまったかも…。お礼だけ伝えたら早々に退散しないと…)
「はい。おかげ様でティーセル領も、ルイスも変わりなく無事に王都へと到着することが出来ました。これも偏に王太子殿下の温情のおかげだと感謝の念にたえません」
顔も上げずに執務を熟す王太子殿下に臣下の礼を取ると、漸く顔を上げた王太子殿下は微笑みを見せた。
「友人として出来ることをしたまでだ。遜る必要は無いし、カールには今後は私の名前を呼ぶ事も許そう」
その言葉に一瞬思考が停止する。
――待て、私たちは友人になった覚えも無いし、数回王宮で話をしただけの浅い関係だろう?
内心では訳が分からず狼狽えたものの、最高峰権力者の言うことに逆らうのは不味いだろう。
その上、今はルイスの面倒まで見て貰っている立場なのだから黙って従おう。
そう“長い物には巻かれろ”と世間では言うでは無いか。
「ありがたき幸せ。ディミトリ殿下には私の全身全霊をかけ忠誠を誓います」
「うむ…。カールの弟がどんな容姿をしているのか私も少々興味があるからな。執務もひと段落したことだし、早速離宮へ見舞いに行くとするか」
先ほどまでの熱心な仕事ぶりを忘れたかのように羽ペンを放り出すと、楽し気に立ち上がるディミトリ殿下には威厳などは全く感じられない。
呆れかえりながら向かった離宮には、更にシャルル様とジョゼル様まで揃っていたのだから余計に唖然とした。
「丁度良いところに。私たちもぜひカールの弟君にお会いしたくて、二人が来るのを待っていたところです。ルイスに我々の事も紹介してくださいね」
(この人たちは…物見高過ぎではないだろうか?仕事もせずにこんな所で油を売っている暇があるのかしら…?)
まだ眠っているかもしれないと、控えめにしたノックに「どうぞ」とルイスの声が聞こえる。
「ルイス、少しは休めたのかな。ルイスの見舞いにと王太子殿下やシャルル様、ジョゼル様も一緒にこちらにいらしているんだ。良ければ室内にご案内したいのだけれど」
そっと顔を覗かせると、先ほどより顔色の良さそうなルイスの姿が見えた。
「カール、そんなに心配しなくても私は大丈夫だよ。折角足を運んで頂いたことだし、お茶会にでもしようか」
ルイスの言葉を合図に、扉の前に控えていたメイド達が一斉に動き出す。
テーブルにはクロスが掛けられ、人数分の肘掛椅子があっという間に準備された。
「本日は私のお見舞いに足を運んで下さりありがとうございます」
ルイスが微笑みながら促すと、席に着いた全員の前に温かな紅茶と軽食の小ぶりなサンドイッチが置かれた。流石は王宮のメイド――プロ意識が高いと感心する。
「初めまして。君がルイスか?私はディミトリ・アーデルハイド、この国の王太子だ」
「初めまして。ルイス・ティーセルと申します。王宮舞踏会には参加できず、無作法を致しました。また、病人の為このような格好での不調法をお許しください」
「構わん。…しかし、本当にお前たちはよく似ているな。…ここまでそっくりな兄弟を見たのは初めてだ」
確かに私たちは双子とはいえ二卵性双生児だ。通常であれば男女で、ましてや二卵性の場合はそれほど似ないと聞くので、神の悪戯としか言いようがない。
「初めまして、シャルル・グロスターです。殿下とは幼馴染で幼い頃から王宮に出入りしておりました。よろしくお見知りおき下さい」
「俺はジョゼル・ルークだ。母が殿下の乳母をしていた縁で王太子殿下には幼い頃からお傍に置いていただいている。…ルイス、よろしくな」
シャルル様もジョゼル様も笑顔で握手を求めているし、かなり友好的な様子だ。
「それにしても驚きました。私はここまで瓜二つの美しい双子を見たのは初めてです。これで二人が双子の姉妹であったなら、私はこの場で愛の告白をしてしまったかもしれませんよ」
“ねぇ?”と笑うシャルル様の軽口に、王太子殿下もジョゼル様も“ハハハ”と笑いながら頷くけれど、カールだけは内心で冷や汗をかいていた。
「私たちの容姿を褒めて頂けたのは光栄ですが、残念ながらご要望には沿うことが出来そうにありません。皆様は男のドレス姿に喜ぶようなご趣味は無いでしょう?」
「ルイスもカールと同様に随分と弁が立つのですね。益々今後が楽しみですよ」
ルイスの上手い切り返しのおかげで、私の内心の動揺は気取られなかったようだ。
ふう…肝を冷やしたぜ…。
「ルイスは王立学術院の免除試験も楽に合格できそうな程、優秀だと聞いている。アーデルハイド王国を益々発展させるためにも、その頭脳を発揮して貰いたい」
「王太子殿下、優しいお言葉をありがとうございます。私はずっと病に臥せっていたので親しい友人はほとんどおらず、寂しい毎日を送っておりました。同世代の殿下にそう言っていただけると嬉しいです」
はにかんだ微笑みで王太子殿下に返事をするルイスは、どこからどう見ても初めての友人に舞い上がる病弱な美少年にしか見えない。
でも待って欲しい。四六時中、辺境にあるティーセル領まで遊びに来ていたフランツは兄にとって友人としてカウントされていないのか?それとも“嘘も方便”という奴なのだろうか?
「そうか。ルイスもこれからは私を友人だと思って気軽に頼ると良い。ルイスにも私の名前を呼ぶ事を許そう」
「嬉しいです。ディミトリ殿下‼これからよろしくお願いしますね」
ニコリと天使の微笑みを浮かべるルイスは、この短い間にすっかり王太子殿下の心を掴んだようだ。
「殿下だけではなく、私の事もシャルルと呼んで下さい。もう私たちは友達でしょう?」
「お、俺もジョゼルで良いぜ。困ったことがあったら声を掛けろよ」
「本当に皆さん優しい方ばかりで嬉しいです。…仲良くしてくださいね」
そう言ってニッコリ微笑む兄…もといルイスは計算しつくされた人たらしだと思う。
内面の計算高さとか、腹黒さを知っていても騙されてしまうあの天使の微笑み…。
本当に、目の前で篭絡される王太子殿下達が気の毒に思えてくる。
しかしいつまでもこうしてはいられない。カールは邸宅に帰り、両親にルイスが無事に王都へと到着した旨を告げなければならないのだから。
「じゃあルイス、私はこれで邸宅に帰るから皆様と仲良くしてね。明日も来るから今日はこれで失礼するよ」
席を立ち、部屋を出ようとしたカールをディミトリ殿下は笑顔で「まだ早いだろう」と引き留めてきた。
「まだ明日からの予定すら話し合っていないのに、帰るのは性急すぎるだろう?これからは毎日一緒にいるのだから少しは時間についても融通して貰わねばな」
その言葉に思わず眉を顰める。…本当に何の話なのだ?
「毎日…誰が一緒に居るんですか?」
「私たちに決まっているだろう。これからカールは王宮に毎日顔を出し、ルイスへの見舞いに、勉学、そして私の執務の手伝いまで熟す義務があるのだから当然の事だろう?」
当然…なのだろうか?
確かにルイスをこちらへ迎え入れる際に『毎日王宮で公務や勉学を学べ。友人として振舞い私を支えるのがお前の対価だ』と言われた覚えはある。
でもそれは比喩表現というか、本気で毎日来いと言われると思わないじゃないか⁈
「私には公務の手伝いなんてできませんよ⁈ 所詮、男爵令息如きが国の中枢に関わる仕事が出来るわけ無いとは思わないんですか⁈」
どう考えてもこんな若造が、帝王学を学び、王宮の理に長けた高位貴族の方々と並んで仕事が出来るわけがないと理解してもらいたいのだが…。
そんな私の様子をチラリと横目で眺めると、ディミトリ殿下はわざとらしく、大きなため息を吐いた。
「カールが出来ないというのなら仕方ない。約束を違える以上は、ティーセル家に直接請求するしかあるまいな」
その不穏な一言に思わずつばを飲み込む。
「…何の話…ですか?」
「勿論、ルイスにかかった費用の請求に決まっているだろう。王宮医師と警備兵、馬車を仕立てた分に、宿代、それから離宮の改修費用も計上しようか」
クスクスと意地の悪い微笑みを浮かべながら「全額支払えるというのなら私は別に構わんが」と合計金額を書いた紙を差し出してきた。
高っっ⁈年間のティーセル領全ての税収に匹敵するぐらいの額に思わず顔が青くなるのを感じる。無理無理無理~‼
「私はどちらでも構わぬと言っただろう?支払うのならそれで良し、払えないのならそれに見合った対価が欲しいと言っているだけだろう」
“私達は友人だから配慮してやれるしな”と耳元で囁くディミトリ殿下が悪魔にしか見えない。
悪魔は美しい顔で善人を誑かすとは本当に良く言ったものだ。
その美しい横っ面を思い切り引っ叩いてやりたい…。
でも私に選べる答えは現状、一つしか残されていないのだ。
「是非…ディミトリ殿下のお傍で働かせて下さい…」
結局、私は微笑む王太子殿下の仕掛けた罠に嵌まったことに遅まきながら気が付いたのだった。




