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100 伝えられないサヨウナラ

お待ちいただいていた方に更新が一か月以上できなかったことをお詫び申し上げます。祝100話!まさか一年以上も連載するとは思いませんでした。残り僅かですので、是非、最後までお付き合いのほど宜しくお願いします。


 ―――どうすれば事態を好転できるのか。考えあぐねてばかりで時間だけが過ぎていく。


 自分の望みは彼と共に歩んでいくこと。でも現状、待ち続けることぐらいしか出来る事はない。

 それに歯がゆさを感じつつも、少しだけラブ・ロマンスに夢見ていた。恋愛小説のヒロインたちのように、幸せな結末があるかもしれない、そんな未来を。


 「…な~んて、期待するだけ無駄よねぇ」


 勝手に期待した分だけ、ディミトリ殿下が戻らない現実への失望も大きい。もう待つことさえ叶わない………今日、私はこの国で死者の仲間入りをするのだから。

 昨夜から降り続ける冬の雨でどんよりと曇った空が余計に気分を滅入らせる。せめて雲間から太陽が顔を出してくれれば少しは気分もマシになるかもしれないのに。


 【学術院を抜け出す時、お仕着せ姿の方が貴族の遣いらしくて目立たないと思うの。ボンネット帽を目深に被れば顔も隠せるし一石二鳥でしょう? ケイモーン棟の北林に迎えの馬車を用意するから、扉は三度叩いて合図して。 承知の上だとは思うけれど、貴女はこれから死にゆくのよ。旅立ちじゃないのだから、決して多くの荷物を持ち出すような愚かな真似は止めて頂戴。全てを捨てるぐらいの覚悟を持って】


 アステリアからの手紙に綴られた言葉を噛みしめれば、流石に思い出の品まで持ち出すのは憚られた。家族や友人…大切な物は多々あれど、どれにも順番なんて付けられない。結局、全てを置いていこうと決めれば手元に残るのは小さな鞄ひとつで事足りてしまう。

 

 誰にも気づかれないよう隠しておいたビロード張りの小箱さえあれば、これ以上大切な物などないのだから。





 『どれほど離れていても、貴女の胸に私の想いが咲き誇っているだけで心が満たされる。たとえ貴女の気持ちが今は私に向いていなくとも私の想いは変わらない』


 今でも鮮明に思い出せる甘い言葉は、あの日ディミトリ殿下からブローチと共に贈られた。

 数年の歳月が経っても色褪せることなくブローチは輝いているのに、何故こんなにも目にするだけで胸が痛むのだろう。


 ディミトリ殿下との出会いは兄様が召喚された王宮舞踏会の社交デビュタントだった。兄様に成り替わり、一夜だけのつもりで参加した舞踏会は想像以上に煌びやかで、壇上を仰ぎ見た時に目にしたその眉目秀麗さと存在感に圧倒されたのが事の始まりだった。

 とはいえ、所謂“雲の上の存在”でしかない彼と今後係わる機会は無いだろうと、早々に興味を失ったのも事実なのだが。それだけに翌朝、王太子直々の招待状を受け取った時には意味が分からず途方に暮れた覚えがある。何度断わっても諦めない執念深さに根負けして、一度だけのつもりで顔を出せば、何故か言葉巧みに言い包められ、そのまま殿下の側近勤めが決定したのだから、我ながら流されやすすぎだとは思うけれど。


 問題はあれど、次第に側近生活に慣れ始めた頃、妃殿下の悪ふざけで女装する羽目になった。これも今日一日の我慢だと思っていた矢先に、乱入してきた殿下が私に懸想しなければそれで終わっていたのに。妃殿下の人災により、毎日の女装と執務手伝いが追加され、そこにディミトリ殿下が顔を出しては口説くという責め苦まで加わったのだから、暫くの間は精神的疲労が凄まじかった。

 そうはいっても人は順応する生き物で、次第に口説き文句すら受け流せるようになったのだから、こうして人は慣れていくのだろう。それに痺れを切らせた殿下の次の行動は贈り物攻勢だった。

 

 今にして思えば、殿下も考えあぐねていたのかもしれない。普通の貴族令嬢だったなら、高価な贈り物も喜んで受け取っていただろうから、十分有効な手段ではあるし。

 しかし、普段から男装する私にとって、高価な宝飾品も衣装も靴も無用の長物でしかない。

 だから噛み合わない言い分に焦れて、つい「自己満足の贈り物がしたいのなら、喜ぶお相手を愛してはいかが?」と突き放した記憶がある。真っ青な顔で衝撃を受ける殿下にほんの少しだけ良心は咎めたけれど、おかげで贈り物攻勢はその日をもって終了したのだから、まあ不幸中の幸いだろう。

 その時はそう信じて疑わなかったのだけれど………。


 まさか王宮最後の仕官日に熱烈な告白を受けるとは夢にも思わなかった。


 真実の愛を花言葉に冠するピンク色のマーガレットを模したブローチと、縋るような瞳で告白されて断れる人がいるのだろうか。

 ここまで御膳立てされて、高価な宝飾品だから要らないと言えるはずもなく、いつか思いを受け入れるかも…と返事は言葉を濁すに留めておいたのだけれど。

 その時頷いたディミトリ殿下の花が綻ぶような微笑みがやけに印象的で、胸の中にコトリと何かが落ちて来た気がした。

 

 それが恋の種だったと気づいたのは、彼が別の女性と笑い合っている時だった。

 ゆっくりとではあるものの水を吸うように少しずつ成長した想いは、いつしか気づけば彼を目で追い、傍に居たいと欲望まで膨れ上がらせてしまったのだから始末が悪い。

 どれだけ願おうとも二人で歩む未来など最初からなかったのに。


 「こんな事なら、此処で待っているなんて約束をしなければ良かった………」


 そうすれば、あんなに嬉しそうに部屋を発った彼を裏切ることも無かったのだから。

 もしも時が戻せるのなら、王宮舞踏会には絶対向かわないだろう。召喚状も見なかった振りで領地に二人で引き籠り、乙女ゲームのシナリオ通りに一女生徒として入学していれば、今のような最悪の状況は免れたはずなのだから。

 全ては私の嘘が招いた事態。ならば、その咎を負うべきは私一人で十分だろう。今日をもって私はこの国で死者となる。全ての罪を背負い、人生を賭してこの咎を贖うのだ。


 その為なら、全てを捨てる覚悟を持たなければならない。

 ただ、このブローチは本来この部屋にあるべきものではない。全てを置き去りにしたとしても、ルイ―セとして殿下に愛された記憶と、この品だけは持って行くことを許して欲しい。

 もう、二度と彼と相まみえる機会はないのだから。




 

 気づけば男子寮はひっそりと静まり返り、ひと気は無くなっていた。急いで鞄をベルトで巻き付けると、外套を羽織って部屋を出る。偶々誰ともすれ違わなかったとはいえ、万が一にも疑われる事態は避けたい。だから敢えて王立図書館にほど近い、ケイモーン棟傍に設えられた通用門を目指すことにした。そこなら図書館利用の為に市民も出入りするし、待ち合わせ場所にも近いからと考えた末の判断だったのに。


 ―――まさか、それが裏目に出るとは。


 「お嬢さんが先ほど出て来たのは生徒が暮らす寮棟だったとお見受けしますが。何故、お遣いの貴女がそんな場所に用事があったのかを私にお聞かせ願えませんか?まあ、お答えいただけない場合は、即座に王宮騎士団がお迎えに上がり、そちらで尋問を受ける事になると思われますが」


 真後ろからそんな口調で肩を掴まれた私の気持ちがお判りだろうか。

 恐る恐る振り向けば、あからさまに不審者を見る目つきで見下ろされて背筋が凍る。


 このまま無言を貫いたところで、王宮騎士団に引き渡されるのが関の山だろう。だからと言って上手い言い訳が出て来る訳もなく、険しくなっていく顔から目を背け、せめてもの時間稼ぎのつもりで鞄を弄ると、急いで入校許可証とオルビナの身分証と出して警備兵に差し出した。

 胡乱気な目付きで受け取った封書を開くのを息を詰めながら見上げていると、その表情が次第に引き攣り始め、困惑の色を滲ませる。


 「あ、の。ここに書いてある喉の病を患った使用人とは貴女の事でお間違いないですかな?」


 何が何だか分からず頷くと、天を仰ぎ見た警備兵は「喋れなければ誰かに場所を尋ねる事も出来ない。だから迷ったという事か……」と嘆息する。


 成程。恐らくアステリアが万が一の状況を考慮して許可証に“使用人は喉の病を患っている”とでも書き添えてくれたのだろう。それならば、有難く警備兵の罪悪感も利用させて貰おう。


 喉に手を当て悲し気に俯くと、警備兵は「若しや当校で迷われたのですか」と尋ねてくる。それにコクリと頷いてから、通用門を指さすと「ご用がお済でしたら開門いたしますか」と言うので大きく首肯した。

 それからの手続きの円滑さよ。本来なら入校記録と照合が取られ、理由書も書かなければならないのに、それら全てが警備兵二人により割愛されたのだから、正に終わり良ければ総て良しである。


 こうして、警備兵に手を振られながら私はまんまと王立学術院を脱出する事が出来たのだった。





 いくら外套に亜麻仁油を塗布してあったとしても、冬の雨は容赦なく体温を奪っていく。

 すっかり冷え切り、指先に感覚が無くなった頃、待ち合わせ場所に停まる馬車を見てそれに安堵したのはほんの一瞬の事だった。


 (は?………シャリマー家の迎えで間違いないのよね……?)


 雨けぶる森林の中には人目を避けるようにではあるものの、全く存在が忍んでいない四頭立ての箱馬車が停まっている。まるでこれから舞踏会にでも出掛けると言わんばかりのその佇まいに困惑し、周辺を彷徨ってはみたものの、これ以外に馬車は停まっていなかった。

 こうして迷っている間にも、誰かがカールの不在に気づくかもしれない。最早一刻の猶予も無いと、覚悟を決めて馬車の扉を三度叩いた。


 雨音に掻き消されそうなか細いノックは、それでも中へと響いたらしい。微かな衣擦れと共に「何方かしら」と若い女性の声で尋ねられる。………何方とは⁇


 確か、アステリアからは三度扉を叩けとしか指示されていない。そうなると、やはりこの馬車は他人の物である可能性がある。ここで無言で逃亡するのは容易いけれど、不信感を抱かれれば後にカールが行方知れずとなった一件と関わり合いがあるかもと探られるのは少々不味い気がする。


 逡巡の末「オルビナと申します」と答えたのは、シャリマー家の迎え以外には意味を成さない名前だからで。

 それが間違いだったと悟ったのは、いきなり開いた馬車の中へと引きずり込まれた瞬間だった。




 両腕を掴まれ、馬車の中へ放り投げられたものの、思いのほか柔らかな敷布のおかげか、まるで衝撃は感じなかった。まあ背後の人物に腕を拘束され、組み敷かれた時点で怪我の有無よりも誘拐劇かと意識はそちらへ向かっていたのだけれど。しかも踵蹴りしてやろうとするや否や、ご丁寧にダガーナイフまで突きつけられては迂闊に身動ぎすら出来ない。

 息を潜めて室内を見渡せば、異国織りのタペストリーが目に入り、この馬車の持ち主が裕福である事が窺えた。 背後でヒソヒソと交わされる密談で男女が入り混じっていると分かったが、扉の開閉音と馬の嘶き、そして車輪から伝わる振動でこの動き出した馬車からもう容易く逃げ出せなくなったと気づきつと舌打ちが零れる。


 「貴族令嬢ともあろうものがはしたない。これでは品位が疑われるわね」


 拉致犯に言われたくないと思いつつも、この声が先ほど中から訪ねて来た女性だと気づくと、人違いではなくこれが計画された行動な事にも同時に気付いた。

 この脱走劇に乗じて拉致・誘拐を企んだ者。これだけの馬車を持ち得るのだから、恐らく目的は金ではないはず…と、考えを巡らせているうちに最悪の可能性があることを思い、血の気が引いた。


 ルマール侯爵家なら複数の間諜に周囲を探らせ、この誘拐を企んだ可能性がある。

 

 金銭目的で無くとも、侯爵には防衛術指南書が転がり込み、カール自身もエレノアに与えるという旨味があるわけだ。しかもカール自らが秘密裏に行動し、王立学術院を抜け出してくれるのだからそれに乗じない手はない……。考えれば考えるほど、これが的を射ている気がして、怒りと絶望で吐き気が込み上げる。

 …ならば、このまま黙って事の成り行きを見守るより、どうせなら一矢報いて自ら命を絶つ方がよほどマシだ。そう覚悟を決め、女性を睨みつけると、スッと目を細めた女性の手でダガーナイフは引き抜かれ、屈んだ女性の唇が耳元で囁いた。


 「オルビナ様の名を騙るふとどき者が我がシャリマー家のお客人で間違いないかしら。貴族令嬢ならそれに相応しい振舞いで怯えていれば可愛げもあるのに。そんな負けん気の強さでは嫁の貰い手もありませんわよ?」


 それを聞いた時の自分はさぞかし滑稽な顔をしていたのだろう。それまではアーデルハイド語を繰っていたくせに、いきなり流暢なリバディー公用語で馬鹿にされれば、いくら鈍い私でもその悪意ぐらいは分かる。


 (は、腹立つ~~~っ! 私の反応を見る為だけに敢えてリバディー語を使わなかったのねっ⁈)


 それまでの不安の反動もあり、もう止めようのない怒りが口から溢れ出た。


 「まさか誰とも知れぬ相手に本名をベラベラ喋らない事を咎められるとは思わなかったわ。でも、確かに名を騙った落ち度は認めましょう。改めまして、私の名はルイーセ・ティーセルですわ。生憎この体勢ではカーテシーすら碌にできない田舎令嬢でごめんなさいね」


 多分に含みを持たせ、ニッコリと微笑んでやれば流石に気まずいのか、女性が視線を逸らす様に少しだけ溜飲が下がる。

 すると背後から「もう諦めろイルマ。これ以上やっても、このお客人はお前の思い通りに動かないお人だ」と男性の声が響き、腕の拘束が解かれると床から抱え上げられ、そっと椅子へと下ろされた。


 「アステリア様に『貴族のご令嬢だから丁重に扱うように』って言われていたから、てっきり箱入り娘だと思ったのに。何でダガーナイフにも動じないのよ」


 「最初から受け身を取ろうとしていたからな。腕の拘束に足蹴りで応戦しようとする貴族令嬢がいるとは俺も思わなかった。このまま茶番劇を続けていたら、怪我も顧みず反撃してきかねないぞ。諦めて、計画の一部始終を説明しないと事が収まらない気がする」

 

 「面倒くさい~! だからこんな割に合わない任務は嫌だったのよ! ルツがアステリア様に良い顔をするからこんな事になったんじゃない」


 「イルマだって乗り気だったくせに。それにこんな茶番劇をしようって言ったのもお前だからな。俺は知らん」


 「ハァッ⁈ いきなり責任逃れなんて酷いじゃない! アンタだって一蓮托生だからねっ!」


 いきなり目の前で始まった喧嘩に先ほどまでの怒りと毒気がシュルシュルと抜けていく。ああ、女性がナイフまで抜いた…このまま乱闘にでもなれば、私の身も危うい。


「あのっ!」思ったより大きな声が出たものの、おかげで二人ともこちらを不審げに見ている。殺気が物凄い…ゴクリと息を呑んでから、負けじと叫んだ「喧嘩は止めて!」と。


 その瞬間、シンと静まり返った室内には車輪の音だけが響いていた。その静寂に耐えがたくなった頃、二人は息を揃えたように同時に吹き出した。


 「アハハハハハ、な、何で嫌がらせされたアンタが喧嘩を止めようとしているんだよ。本当なら、怒って然るべき立場だろうが」


 「プッ…こんな気楽な令嬢を相手に茶番劇で言い成りにさせようとした方が間違っていたって、よく分かったわ。あーあ、何だか気が抜けちゃった。喧嘩も謝罪も後回しにして、一先ずその濡れた外套を脱いで一息つきましょう。フフ…私達、まだ自己紹介すら終えていないんですもの」


 如何やら喧嘩は無事に回避できたようだと安堵しながら、その言葉に頷いたのだった。




 差し出された陶磁器のボンボニエールから一粒のボンボンを口に運ぶと、糖衣からアニスの風味が広がり漸く緊張が解れる。

 女性はイルマ、男性はルツとと言う名で共にシャリマー家の間諜兼侍従を務めているらしい。

 二人の口からこの誘拐紛いの暴行は、最初から計画の内だったと聞かされて頭が痛くなっていたところだったので、アニスの甘味に少しだけ癒された。


 「アーデルハイド王国の貴族令嬢は選民意識の塊だから、最初に脅してその鼻っ柱を折ってやれば扱いやすくなると思ったんです。舐めた口をきかれて苛立つぐらいなら、最初から覚えて貰った方が護衛もしやすいですからね」


 悪びれもせずそう口にするイルマに眉間の皺が深くなっていく。護衛が怯えさせる対象になるのは如何なものだろうとは思ったものの、そう咎めたところで彼女は全く意に介さないだろう。もしそれで恐ろしさのあまり令嬢が失神しても、説明の手間が省けるから構わないとまで言われれば、黙って頷く以外成す術は無い。事情は分かったものの、私の呆れ返る様子に少しだけバツが悪くなったのか「勿論、貴女にはご説明しますから」と愛想を振りまくだけまだマシだろうか。

 そうして、今後の計画がイルマの口から語られる事となった。


 「王都の中心部を抜けた分かれ道で、ルツは王領の死の谷を目指して馬車を下り、私達はそのままリバディー王国へ向かいます」


 “死の谷”……そう呼ばれている渓谷はかつてサフィーク伯爵領と呼ばれた現王領にある。

 過去の忌まわしい誘拐事件と人身売買に手を染めたサフィーク伯爵親子の咎で伯爵家は取り潰され、伯爵領は王領として召し上げられたまま今日に至る。“死の谷”の名の由来も罪を認めず服毒死を選んだ業ゆえに二人は墓での魂の鎮魂が認められず、伯爵領の渓谷へその身を打ち捨てられたからだというから恐ろしい。

 敢えてそんな忌まわしい由来の有る渓谷を最後の場に選んだ理由は、例年なら雪深い場所の為春の雪解けまで人の侵入を拒むにも拘らず、昨夜からの大雨で雪解けが進めば、数日間だけはそこへ向かう事が可能だからだという。そして、この雨が雪へと変わればまた春まで誰も通ることが出来ない場所なら王宮騎士団といえども遺体の捜索は難航するだろうという読みもあったそうだ。まさか天候までもが計画の一部だと知らされて、漸く今日という日を脱走に選んだ意図を知った。


 「カール名義で購入した俊足馬を駆れば、乗合馬車とは違い夜半過ぎには王領へ辿り着けるでしょう。死の谷付近の宿に部屋を取り、恰も死の谷に興味を持ったかのように話した後、部屋に荷物を置き去りにして行方をくらませるつもりです。遺書と王立学術院のカールの身分証を見れば、宿の主人も慌てて警備兵にでも連絡を取るでしょうし、騒ぎになる前に俺は立ち去るつもりですがね」


 王立学術院の制服と金髪のウイッグを着けたルツはカールを知らない者からすれば、十分な身代わりに成り得るだろう。ガタガタと揺れる車中で遺書を認めながら、その壮大な計画を耳にするのは他人事にしか感じられない。

多くを書き連ねるより、伝えたい謝罪だけを認めて、最後に髪から外した髪飾りも入れてから封をした。

 フランツ……私の大切な幼馴染がくれたその髪飾りが無くなることがこんなにも心細い。

 でも私が死を選ぶのなら、絶対に彼の気持ちを道連れにする事はないと断言できる。だからこそ、遺書と共に彼の元へ返す事だけが今の私に出来る精一杯の謝罪なのだ。


 また一つサヨウナラを終えて、遺書と共にルツへとそれを託した。





 「残りの道中は一気にリバディー王国を目指します。ああ、宜しければ手製のボンボンを召し上がってみて頂けませんか?」


  二人きりになった車中で、それまで一言も喋ろうとしなかったイルマに勧められ、正直気詰まりだった私はホッとするあまりそれに飛びついた。先程は陶磁器のボンボニエールだったのに、麻の小袋から取り出した時点で疑って然るべきだったのに、暇を持て余していた私はそれを怠ったのだ。


 「イルマはボンボンまで手作りするのね。先程はハーブが使われていたようだけれど、この風味はお酒…かしら?」


 中からトロリと溶け出すその苦みと微かな甘みはリキュールだろうか。初めて味わうその風味に首を傾げていると、イルマが「いいえ、眠り薬ですわ」と笑う。


 「これ以上、面倒な説明を求められるのはウンザリですから。目覚めた時にはリバディー王国へ到着しています。ごゆっくりお休み下さい」


 客人に薬を盛るなとか、説明を面倒くさがるなとか言いたいことは多々あれど、その呟きが声になる前に急速に泥のように重くなった体が傾くと、私の意識はそこで途絶えたのだった。



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