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0 乙女ゲームのプロローグ

 アーデルハイド王都にある【王立学術院】


 そこは貴族の令息及び令嬢が16歳から18歳までの3年間を親元から離れて寮生活を送る全寮制の学院だ。

 普段であれば、使用人に傅かれる立場の貴族である若者を集団生活の中で学ばせ、精神的にも成長させることを目的に創立されたと聞く。


 荘厳な乳白色の城館は生徒の学び舎となる王立学術院で、生徒の使用する寮館はエイアー棟と、職員の使用するテーロース棟と呼ばれる城館、生徒会役員室や医務室を備えたプティノポローン棟、そして国中の書物を集めた王立図書館のある城館はケイモーン棟と呼ばれていた。

 これらは四季を表す神々の名前だそうだ。

 これ以外に厩舎や噴水のある中庭、剣術の鍛練場も兼ね備えているのだから迷子になりそうなほどの広さだと思う。


 私はその王立学術院の前に立ち、聳え立つ乳白色の城館を見上げて微笑んでいた――何故か男子学生の制服姿で。


 私の名前はルイ―セ・ティーセル。――れっきとした男爵令嬢である。


 普段は諸事情により、男装をしているのだけれど【王立学術院】に入学する際にはさすがに女子生徒の制服を着用する予定だった。

 それなのに、何故か私は黒い上着に麻のシャツ、更に碧のクラヴァットにトラウザーズを身に着けている。…完全に令息のスタイルなんだけど、理由が判らない。

 碧のクラヴァットには二頭の獅子が中央の薔薇を守るように描かれていて、この王国の紋章が王立学園であることを証明している。


 いやいやいや、おかしいでしょう?

 いくら男装が習性になっているとはいえ、令嬢がこんな格好をしていたらさすがに職員からも咎められるはず――と、そこまで考えて、やっと自分が夢を見ていることに気が付いた。

 その証拠に、周りの喧騒や人の話し声すら何一つ聞こえないのだから。

 私の前を歩くディミトリ王太子殿下や、見たことも無い美麗な男性二人…そして幼馴染のフランツが私の肩に手を置きながら笑顔で談笑している。…うん、完全に夢だ、これ。


 風に舞う花弁や、咲き乱れる色とりどりの花々が、今の季節が春であることを教えてくれるけれど…もしかして、これは入学式の情景なのだろうか。


 楽しそうに談笑する私たちが、青銅の大扉を抜けようと足を踏み出した瞬間、真っ白い毛玉――どうやら子猫らしい――と、その後ろから追いかけるようにストロベリーブロンドの髪の美少女が植え込みの陰から飛び出してきたのだ。


 よろける少女を王太子殿下が咄嗟に抱きとめると、その少女の顔が驚きに包まれる。

 どうやら逃げ出した子猫を追いかけてきた様子だけれど、その子猫を腕の中に捕まえて撫でる背の高い赤銅色の髪を持つ男性も、怪訝そうな表情で少女を見るシルバーグレーの髪の男性も私には全く見覚えの無い人たちだった。

 幼馴染のフランツだけは判るけれど、彼も普段よりも大人びた風貌で、興味深そうにその様子を眺めている。

 令嬢を抱きとめた姿勢のままで、互いに見つめ合っている王太子殿下――ディミトリ・アーデルハイド様はこの国の次期国王陛下となられるお方だけれど、当然、男爵家令嬢如きが彼と面識があるはずもない。

 見覚えの無い残りの人物も、所作から高位貴族であることは間違いないけれど、それ以外のことは何一つ判らないのだ。


 夢だから何でも有りなのかも知れないが、ここまで緻密に見ていると実際に起こりそうで不思議な気持ちになる。…まあ、実際にはあり得ないだろうけれど。

 …ぼんやりとそんなことを考えていたら、王太子殿下の腕の中で先ほどまで頬を赤く染めていたストロベリーブロンドの髪の美少女が私を真剣に見つめていることに気が付いた。


(うっわ…この娘…メチャクチャ可愛い…)


 ストロベリーブロンドの巻き毛はフワフワと柔らかそうで、緋色の大きな瞳は長いまつ毛に彩られてキラキラと輝いている。

 小柄で清楚な雰囲気の、見るからに庇護欲をそそる可憐なご令嬢だ。

 それなのに今、私を見つめる目は敵意をむき出しにして非常に険しい。

 初めて会ったのに、どうしてこんな顔をされるのかも分からないまま困惑していると、彼女が愛らしい唇で紡いだ言葉はルイ―セにより衝撃をもたらした。


「あんた…一体、誰なのよ? まさかカール様の偽物?…それとも彼の影武者なの⁈」


 私の名前はルイ―セで兄のカールの影武者でも偽物でもない。

 私とカールはティーセル男爵家の双子の兄妹なのだから。


 咄嗟に反論しようと口を開くのに、喉から出てくるのは苦し気な呼吸音だけで、それを伝えることが出来ない。


「私、知っているのよ?この世界がゲームだって。だからあんたがカール様のフリをしたって無駄なんだから‼…とっとと正体を現しなさいよ⁈」


 ゲーム…?正体を現す…?

 意味が解らない私の意思を余所に、夢の中の私は真っ青な顔をして何かを必死に訴えていた。


(…これは本当に夢だよね…?)


 しかし、少女の瞳が私の嘘を暴こうと険しさを増す。

 何が起こっているのかも、少女の怒りの意味も理解できないのにどんどん胸が苦しくなる。…ああなんて嫌な気分なんだろう。

 真っ暗な闇に堕ちる寸前、少女が口を開いた。


「私こそがこの世界に選ばれた救済の乙女なのよ」


 そこで私の意識は途絶えたのだった…。




「ルイ―セ様‼起きてください。カール様が…またお熱を出されています」


 ドンドンと鳴り響く扉のノック音で目が覚めた。…ああ、やっぱり夢だったのか。

 内容はほとんど覚えていないけれど、夢で魘されたことと、不快な感情で体中が汗まみれだということは分かった。でも今はそれどころではない。


「どうしたの?…またカール兄様の具合が良くないのかしら」


 ナイトガウンを羽織ってから廊下に顔を出すとメイドのアンが慌てた様子で状況を説明してくれた。

 どうやらカールはいつもの様に熱を出してしまったが、あいにく解熱の常備薬が切れてしまっているらしい…。こんな明け方では掛かりつけの医師に往診を頼めるはずも無いし、私が一人で行った方が早そうだ。


「じゃあ、私が街の医師に薬を処方して貰ってくるよ。馬を飛ばすからそんなに時間はかからないと思うけれど、カール兄様の看病を頼めるかしら」


 アンに指示を伝えると、さっさと着替え始める。

 普段からカール兄様と同じ服装だから、着替えもシャツとトラウザーズを着用するぐらいで面倒が無くていいと思っている。

 唯一の欠点は胸のふくらみを隠すためにサラシを幾重にも巻かなくてはいけないことと、夏場は汗疹になることぐらいか。

 普通のご令嬢のように手間取るドレスを着用して、化粧を塗りたくる…なんてやっていたら着替えに何時間かかるのか。人手も手間も省けるなんて時間を有効に使っている気がする。

 髪も簡単に整えると後ろで一つに纏めた。よし、これで良いだろう。顔だけ洗ったら出掛けるとするか。


 …この時間だったら、町に着くころには診療所のガース先生も起きているだろうし、直ぐに薬を処方してくれるだろう。

 ルイ―セは今朝の嫌な夢の事など完全に忘れて、慌ただしく家を飛び出していった。


 今朝見た夢が数年後、実際に起こることも、自分がストロベリーブロンドの髪の少女と親しくなることで渦中の人物となるなど、その時のルイ―セには想像することさえ出来なかったのだから。


また連載させていただこうと思っています。よろしくお願いします。

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