第八話 来た方法すらわからない
「美咲、帰るぞ」
明らかに不機嫌な声で呼ばれて、美咲がますます俺の後ろに引っ込んだ。
「克哉、そう威嚇するなよ」
美咲の頭をポンポンと叩いてから、少し離れて克哉にだけ聞こえるように声を潜めた。
「俺はな、すごく後悔したんだ。なんでもっと、優しくしなかったんだよってさ」
こんなの俺の押しつけだよなぁとは思う。協力すると決めた事故のこと以外は克哉と美咲だけの問題だ。俺の口出すことじゃない。でもさ、仲良くして欲しいんだよ。喧嘩してるところなんか見たくない。
「おまえは間違うなよ。頼むからさ」
* * * *
「で……なんで喧嘩になったんだ?」
「イチさん、聞いてよ! 克ちゃんが、お祭り行っちゃダメって言うんだよ!」
あー、やっぱりそれが原因か。そりゃ、言うだろうよ。俺だって止める。だけど先走り過ぎた。まだ俺たちは具体的にどう動くかの、話し合いすらしていない。
「ずっと前から亜紀と、浴衣着て行こうねって約束してたのに。おそろいのシュシュだって買ったのに!」
クレマチスの浴衣。俺が浴衣姿の女性を、直視出来なくなったトラウマのアレか……。
「何でか理由も言わないで、そんなの意味わかんない!」
揉めた末に、俺も一緒に美咲を家まで送ることになった。黙り込んだ美咲と克哉に挟まれて歩く夜道は、非常に居た堪れない。
チロリと克哉を見ると、何か俺に言いたそうに口を開きかけ、結局そのままため息をついてそっぽを向いた。
「克哉は可愛い美咲が、可愛い浴衣姿で祭りに行くのが心配で仕方ないんだよ」
少しからかいの調子を混ぜて、美咲の機嫌を上げにかかる。克哉に『なぁ、そうだろう?』と声をかける。ほら、同意しとけ! それだって本心だろう?
「そうだよ! 心配なんだ。わかれよ!」
克哉が半ギレで言う。なんでそんな喧嘩腰なんだよ。チワワがキバ剥いてるみたいだぞ? 俺ってそんなに血の気が多かったっけ?
「そんなら克哉も一緒に行けばいいだろう? おまえも約束があるのか?」
ポンポンと克哉の頭も叩いてみたら、すごく嫌そうに振り払われた。こいつ可愛いなぁ、ハリネズミみたい。俺だけど。
「美咲、俺も祭りの初日、一緒に行く。早川に言っといて」
「えー、うん……亜紀に聞いてみる」
美咲の煮え切らない態度に、克哉が傷ついた顔をする。
「ほら美咲も。嫌じゃないなら、そんな言い方するなよ。傷つきやすいんだよ男の子は」
もう、間に挟まれた俺、大忙し。
「嫌じゃないよ。克ちゃんともお祭り行きたいもん」
克哉が付き添うというのは、案外悪くない案だと思う。帰り道を変えさせるとか時間をズラすとか、必要になるかも知れない。
「イチさんも一緒に行く?」
「いや、俺はいいよ。行くなら最終日かな。花火見たいし」
美咲が事故に遭ったのは、七夕祭りの初日だ。それさえ乗り越えれば、最終日あたりには割と呑気でいられる気がする。
「あっ! ねぇ、イチさん。いつまでこっちにいられるの?」
美咲が無邪気に言った。あー、ソレ聞いちゃう? 来た方法すらわからないのに、答えられるわけないって……!
* * * *
翌朝。開店を待って携帯ショップへ行き、予定通りプリペイド携帯を買った。すぐに克哉と姉貴にアドレスをメールで送る。牛丼屋で朝定食を食べていたら、姉貴からメールが来た。頼んでいた卒業アルバムの用意が出来たそうだ。びっくりするほど仕事が早いな!
姉貴の会社の昼休みの時間に合わせて、ビジホ近くのファミレスで待ち合わせた。
俺がファミレスに着くと、姉貴はすでに席に座って待っていてくれた。
「悪いな、仕事中に」
「昼休みだから大丈夫。えっと、こっちが卒業アルバム……一応文集も集めておいた。急いで返さなくても大丈夫だけど、大切な物だから失くさないでね」
「ああ、ありがとう。助かる」
「他にも、何か出来ることがあったら言って。車も出せるし、多少ならお金も渡せるわ」
非常にありがたい申し出だが、俺たちはそんなに仲の良い姉弟ではなかったのにと思ってしまう。ここ何年かは、特に疎遠になってしまった。
俺の戸惑いに気がついたのか、姉貴が少し照れ臭そうに笑った。
「もちろん克哉のためとか、美咲ちゃんのためもあるんだけど、私はあなた……イチさんも心配。イチさん、すごく年上だけど、確かに私の弟だなって思うの。遠慮しなくていいのよ。姉弟なんだから」
俺も確かに、この人、俺の姉貴だなって思うよ。
「……ありがとう、姉ちゃん」
久しぶりにそう呼んだら、やけに照れくさかった。俺より一回りも年下だしな。そしたら『泣くな! 大丈夫だ! 姉ちゃんに任しとけ!』とデコピンされた。
泣いてねーっての。