第二十四話 俺を呼んだのは女神さまじゃない
夕方まで四人で水族館で遊び、その後早川に付き添って蓮水のバイト先へと向かった。
早川の告白に蓮水は絶句していたが、泣きながら謝る女子高生を罵るようなことはしなかった。
「俺、馬鹿みてぇ……。全然相手にされてなかったんだ……。格好悪くて泣ける……」
「ご、ごめんなさい! 全部私が悪いんです! 蓮水さんはもっと怒っていい! 殴っていいです!」
「そんなことしたら、もっと情けなくなるよ……。すぐには許せないけど、君の気持ちもわかるし」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
「もういいよ……。イチさん……でしたっけ? その子、送ってあげて。ちょっと一人になりたい。そんで……俺、ここで待ってるから、飲みに連れてって下さいよ。飲まなきゃやってられねぇ……」
ちなみに前日の飲みの誘いは、けっきょく断られている。
「わかった……。二十分で戻る」
蓮水の肩を叩いて、早川を連れてタクシーを拾う。泣きじゃくる女子高生を連れてタクシーって、ちょっとアレだよな。
早川を自宅まで送り、ちょっと心配なので、必ず今日中に何度か連絡を入れるように言い聞かせて、アドレスを交換した。
「蓮水くんさ、『飲みに連れて行け』って言ってただろう? あれは『気分転換がしたい』ってことだ。そういうやつは案外大丈夫なんだ。だから、あんまり気にし過ぎるなよ」
早川の背中を強めに叩いて、ニカッと笑って見せた。こういう時って、なんて言ってあげれば正解なんだろうな。子供たち相手に大人ぶってはみても、俺もまだまだ未熟者だ。
すぐにトンボ返りで公園まで戻る。早川も心配だが、蓮水くんも一人にはしておけない。あー、俺がもう一人いるといいのに! ふとそう考えて、克哉のことを思い出した。いるじゃんおれ、もう一人!
まあ……。さすがに今回は、克哉に手伝わせる訳にはいかない。保護者役も楽じゃないな!
蓮水くんは公園のひとつきりのベンチに、俯いてポケットに手を入れて座っていた。俺が近寄っても顔を上げない。
「ここんとこ俺、散々なんすよ。バイクは悪戯されて壊れるし、酒を飲めば具合悪くなるし、自転車でコケて怪我するし……。今度は女子高生に騙されるって、どんだけっすかねぇ……」
うん、それほとんどが俺の仕業! すまん!
「まあまあ! 酔っ払い運転で女子高生二人巻き添えにして死ぬよりマシじゃないか! さ、美味いもん食いに行こうぜ! おじさん、ご馳走しちゃうからさ!」
「それ、イチさんの話っすか? 恋人が死んだって言ってましたよね」
そういえば昨夜、自転車でコケた蓮水くんにそんな話をした。
「昔の話だよ。もう二十年も前だ」
俺はボタンを掛け違えた君と早川が、飲み込まれてしまった闇の向こう側から来た。そこでの君は俺にとって、はた迷惑な流れ弾みたいな存在だった。
「俺、今酔うと、たぶん面倒くさくなる……」
「そういう日もあるさ。今日はつき合うよ」
美咲の仇だと、心の底から憎んだ『蓮水達彦』。俺の憎しみを受け止めることなく死んだその男と、戦友のように肩を組んで歩き出す。
目指すはショボい田舎町の飲み屋街だ。ちょっと燻んだ看板が良い味出してるんだよ! 調子に乗って、オネエチャンの居る店とかも行っちゃおうかな!
酔っ払った蓮水くんは本人の申告通り、この上もなく面倒くさかった。
* * * *
翌日は祭りの最終日。この日は祭りのフィナーレとして、毎年河川敷で花火が上がる。一応、克哉と美咲に一緒に行こうと誘われている。
あとは……姉貴に借りていた卒業アルバムを返さないといけないな。何とかそれなりに片がついた報告もしたい。俺は姉貴にだけは、事の顛末を全て説明しておきたいと思っている。
それとは別に、そろそろ本気で心配になって来たことがある。どうやって元の時間軸に戻るかってことだ。
俺は次元の穴に落ちた覚えもないし、何かの能力に目覚めたわけでもない。
気がついたら二十年前にいて、目の前に生きている美咲がいたから、無我夢中で走り回った。
トラウマの渦中に、突然放り込まれた。何しろ、ここで初めて出会ったのは美咲で、次にやって来たのが克哉だ。運命の日まであと三日だった。何かしら……誰かしらな意図的なものを感じずにはいられない。
このまま戻れないとか、あるんだろうか?
まあその時はその時だな。二十年分の知識チートを使えば、それなりに生きて行けそうだ。仕事関係の株価の動きくらいは頭に入っている。
どっちにしても、今日は『この時間軸じゃないと出来ないこと』をしてみたい。この数日間は、美咲のことで頭がいっぱいだったからな!
まずはチャー介と思い切り戯れたい。死んだ婆ちゃん(まだ死んでない)にも会いたいし、店じまいしてしまった、もんじゃ焼きも食べに行きたいな! 店じまいといえば馴染みのプラモデル屋、この時間軸ならまだ営業してるんじゃないか? プレミア物のアレとかコレとか、手に入るかも知れないな!
あとは……。そうだなぁ。
あと先考えないでいいなら、美咲と手をつないで歩きたい……。
二十歳も年下の女子高生相手に……何言ってんだか。
困ったもんだよ、ほんと……。
* * * *
夕方までの時間で、この時間軸を堪能した。婆ちゃんに会いに行って味噌を塗った懐かしい焼きおにぎりを作ってもらったり、昔馴染みのプラモデル屋へ行ってプレミア物のプラモを大人買いしたり、もんじゃ焼きを食べに行ったり。もちろんチャー介とも心ゆくまで戯れた。構いすぎて迷惑そうにされたが、そんな様子すら愛おしい。
途中で何度か早川と蓮水くんからメールが来たので、アフターフォローもしっかりしておいた。そしてしばらくしたら、仕事で外国へ行くかも知れないとほのめかしておいた。
ここから先は、自分で立ち上がって歩いて行って欲しい。君たちには、その義務がある。
そうして花火大会へ行くための、待ち合わせ場所へと向かった。もちろんいつもの河川敷だ。大きな夕陽が川向こうの山へと沈んでゆく。
土手へ上がり、眩しさに目を細めて河川敷に目をやると、先に来ていた美咲と克哉が手をつないで歩いているのが見えた。何を話しているのか、時折りかすかに笑い声が風に乗って聞こえて来る。
夕陽に照らされて、オレンジ色に染まる景色の中で、やがて二人がシルエットになる。俺に気づいて、大きく手を振っている。可愛いもんだな。
俺はなぜだかそれを見て、とても満たされた気持ちになった。自分が美咲と手をつないで歩くよりも、ずっと深く満足したのだ。
これが俺が望んでいた風景だ。俺がこの場面へと、美咲と克哉を連れて来た。
二人に手を振る。二人が揃って『イチさーん!』と声をかけて来る。その声と重なるように、女の笑い声が聞こえた。ほとんど吐息のような、柔らかな声だ。
『ありがとう、克哉くん……』
それは……早川の声だった。俺の知っている早川よりも、少し低い大人の女性の声。
「やっぱり、君だったんだな。満足したか?」
『ええ、ありがとう。……さようなら……』
その声が風に溶けると、俺の身体が透き通るように薄れてゆく。それに気づいた克哉と美咲が、慌てた様子で走って来る。
美咲が転び、克哉が助け起こす。
『仲良くやれよ! 元気でな!』
俺の声が、最後に二人に届いただろうか。




