第五話 少女たちの日常
朝。
ぱちりと目を覚ましたリコリスは、木目の見える天井という見慣れない光景が目に入って、自分が居る場所がどこか分からなかった。それから、すん、と香ってくる乾いた木の香りが鼻の奥を通り抜けたときには、「あ、そっか。ここは、第五十九番倉庫の、寝室か」と自分の場所を思い出した。
そして枕元に置いていた懐中時計を開いて、ふふっと吹き出した。指し示す時間は五時五十分。士官学校にいたときとまったく変わらない起床時間。寝る場所が変わっても、起きる時間はまったく変わらない自分の図太さを、今日ばかりは頼もしく思えた。
ベッドを整え直し、寝間着から普段の軍服に着替え、鏡を見ながら髪を整えてから部屋を出る。左右をきょろきょろと見回して、廊下の中腹ほどに水場を発見。――こういったところも寮らしいなぁと思いつつ、口をゆすいで顔を洗う。体に染みついたルーチンの動きを行い終えたときには、眠気は吹き飛び、頭はすっきりとしていた。
階段を降り、昨日にシズクやナナと話をした談話室に足を向けると――。
「あら管理官、おはようございます。朝は早いんですね」
リコリスが声をかけるより前に、静かな物優しい声が聞こえてきた。
見ると昨日座っていた場所と同じところに、シズクの姿があった。服装は昨日見たときと同じで、机の上にはハードカバーの本が開いた形で置かれていた。
「おはよう。シズクこそ早起きね。私は慣れたものだけど……って、何笑ってるの」
話してる途中で、シズクが口元に手を当ててくすくすと含み笑いをしていた。リコリスを見る目は変わらず優しいままで、その笑みは決して嘲りといったものではないということは分かった。
「早起きな管理官は珍しいな、と思いまして。今までは私が管理官を起こす役目でしたから、今後はその必要が無くなるな。と」
「――――そ」
シズクに、改めて正面切って管理官、と呼ばれて。リコリスはこそばゆい心地がして、口元がおもわず緩んだ。。
昨日、管理官として『認められた』時のシズクの顔が頭を過ぎる。信頼に満ちたまっすぐな瞳はリコリスには眩しすぎて。シズクが言うように、本当にここの少女たちの信頼を得ていけるのか、管理官としてしっかり彼女たちを指導していけるのか、一抹の不安と、それと同じくらいのわくわくがリコリスの中にあった。
そんなことを思いつつ、視線を合わせた姿勢のまま、数秒。いたたまれなくなったリコリスを案じてか、くすりと笑ったシズクが自分の隣の椅子を引いて、座るようにジェスチャーをしてくれた。
借りてきた猫のようにおずおずと談話室に入ったリコリスは、促されるまま座る。シズクの隣に座ると、ふわりと爽やかな匂いが香ってきた。
「――――えと、ここの朝の流れはどうなってるの? 朝連とか?」
「そういったのは無いですよ。朝は皆がここで集まって、ここで朝食をとります。
強いて言うなら、私が朝早いのは、ここで姉妹みんなを待つのが楽しみだから、ですかね」
笑みを浮かべながら、談話室の入り口の方を見るシズク。確かに、シズクはそういったのが好きそうだ、と不思議と納得できた。
「なるほど。……そういえば部屋は廊下沿いにいくつかあったみたいだけど、みんな一人部屋?」
「いいえ、基本的には二人部屋ですね。私は姉のミナミと、コノハは、ちょっと諸事情で一人部屋。ムツミとナナ、ヤヨイとクゥが同室、ですね」
「ふぅん……。諸事情、っていうのは二人一組でユニットを組む関係?」
「あら、その部分は後で説明が必要かと思っていたのですが……前管理官の日記帳でも読みましたか?」
「ま、そんなとこね」
「噂をすれば影、ですね。ムツミとナナの仲良し二人組」
シズクが手のひらで談話室の入り口を指し示すと、二人の少女が歩いてきていた。
片方は昨日リコリスを強襲したナナだった。その姿は寝る前に見た姿と変わらず、オレンジ色と金髪の間のような色の髪を右に左にと自由に跳ねさせながら、大きな欠伸をしている。まだ眠気が残っているのか、足取りはどこかおぼつかない。
その一方でもう一人、ナナと手を繋いで、少し前を先導するようにちょこちょこと歩いてきているのが、シズク曰くナナのペアであるムツミ。
自分ほどでないにせよ、比較的長身のナナとは異なり、ナナとちょうど頭一つ分ほど小さいムツミは、ナナと並ぶと更に小さく見える。肩より少しだけ長いセミロングの黒髪で、長い前髪が目に入らないように左右をヘアピンで留めている、そしてこぼれそうな大きな深緑色の目も相まって、ナナよりもムツミの方が妹に見えるが、実際は逆らしい。
「うんうん、むつむつは相変わらず今日も可愛いっすねぇ」
「もー、なっちゃん、髪整えたばっかりなんだからくしゃくしゃにしないでって!」
寝ぼけているのか、それとも素でやっているのか。まるで愛犬の頭を撫でるように、歯を見せながらムツミの頭を両手でわしゃわしゃと撫でるナナ。そんなやりとりは見ているだけでほほえましく思ってしまう。
「二人は、本当に仲がいいのね」
「住んでいる中でも、一番の仲良しですね」
そういうシズクも、愛おしいものを見るような、慈愛の視線を二人に向けていた。
「あ、シズク姉、管理官、おはようっす」
「おはようございます。シズク姉さん」
シズクを前に礼をしたムツミは、それからちらりとリコリスの方を見て――そして小動物のようにナナの後ろに姿を隠した。
「ムツミちゃん――だっけ、おはよ」
こちらから声をかけてはみるものの、返事は無し。ナナの後ろから訝しげな視線を見せるムツミに、どうやら警戒されているようだ。
――まぁその気持ちは分からなくもないから、ショックを受けるものでもないけれど。
「じきに慣れますよ。きっと」
「うぅん、そうだといいんだけどねぇ」
座る場所は固定されているのか、いくつかの椅子を隔てて二人は並んで座る。
かと思いきや腕を枕にして、再び寝ようとしているナナ。それを必死に起こそうとするムツミとのやりとりを見て本当に仲がいいんだな――とリコリスは再認識した。
「おっはよー!」「はよー!」
ムツミとナナが談話室の席に着くのとほぼ同時、今度は元気いっぱいな声と共に幼い少女たちが飛び込んできた。
「背が大きい方がヤヨイで、小さい方がクゥ。やんちゃな子たち、ですね。色々と」
リコリスの隣に座るシズクが、彼女たちの名前と見分ける特徴を教えてくれる。
先に入ってきたヤヨイは、浅葱色の髪を短く切ったくせっ毛で、ボーイッシュな印象を覚える。
一方その後ろからヤヨイに続いて入ってきたのがクゥ。一本のヘアゴムで結んである深い紫色の髪をぴょこぴょこと躍らせて談話室に飛び込んできたクゥは、その勢いのままリコリスの元までやってくると、くりくりとした琥珀色の目でリコリスを見上げてくる。
「ねぇねぇ新しいかんりかん! ここに来るとちゅうのガラガラ、あれどうだった?」
「ガラガラ…………あぁ」
家に入る前、橋に足を踏み入れたときに金属か何かがぶつかり合う音が辺りに響き渡ったのをリコリスは思い出す。――もしかして、と思いクゥの方を見ると、にこーっとやんちゃな笑みを浮かべてきた。
「あれあたしあたし! あたしが作ったの!」
手を上げて、あの警報装置を作ったのは自分だと自己主張するクゥ。ぴょんぴょんとその場で飛び跳ねる様子は、まるで懐っこい飼い犬を連想させる。
「クゥはトラップを仕掛けるのが大の得意で……。管理官、建物の中にも気がつかないうちに色々と仕掛けられてるので、注意してくださいね? この子、容赦ってものを知らないので……」
「ち、注意するわね」
クゥに聞こえないようにこっそりと説明をするシズク。後半の言葉に、やけに真剣味を感じたリコリスは、建物内にいるときも気をつけよう、と考えを改めるのだった。
それから三十分程が経ち――。
「シズク、おはよう」
気がつけば背後にすらっとしたスタイルの女性が立っていた。声がするまでリコリスもシズクも気がつかず、危うく叫び声を上げそうになったのをなんとか飲み込む。
「――っ! あ、ミナミ姉さん、おはようございます。今日は早めですね」
ミナミと呼ばれたここの家の最年長者。腰まである銀髪は、さらりとまっすぐに伸びていて、上質なシルクを彷彿とさせた。
「うん、まぁね。……管理官が来た初日に寝坊は、かっこ悪いし」
ややつり目がちで赤目、それなりに背が高いことから一瞬怖い印象を覚えたものの、声色は柔らかく、優しいものを持っていて。人は見た目で判断してはいけないのかもしれない、とリコリスは感じた。
「……おはよう……」
それからしばらくしてやってきたのは最後の一人、コノハ。
ぼさぼさの枯草色の長髪はぼさぼさで、整えられているようには見えない。しかしその足取りは先ほどのナナとは違い、しっかりとしていて、眠そうというわけではないように見える。
「コノハ、今日もギリギリまで読書?」
「……ん」
「まったく……起きてるならこっちに来てなさいな」
「うるさいと、本に集中できない……」
シズクとそんなやりとりを行いつつ、席に着くコノハ。
懐中時計を見ると、時刻は七時少し前。第五十九番倉庫の少女たち全員が談話室に集まった。
「それじゃあ皆、朝ごはん出して」
シズクが全員に向けてそう言うと、全員がそれぞれの様子でテーブルの上で手のひらをかざす。ミナミは緋色の、シズクは深い蒼色の、それぞれの色の光が手のひらに灯ったかと思うと、その光が集まって何かを形作り始める。
数秒後、彼女たちのテーブルに置かれたのは――カロリーを取ることだけを重視した缶詰パンに、肉が入った缶詰に果物の缶詰。そして缶切り。以上。
そして缶切りを使い、黙々と缶詰の封が開けられる音が談話室に響く。
リコリスの前にも、シズクが生成してくれた同じもの――封はシズクが開けてくれた――が置かれる。
「それじゃ、いただきます」
「「「「「「いただきます」」」」」」
シズクの声に合わせて、全員が手を合わせて、それらを食べ始めた。
「ちょ、ちょっとまって。みんないつもこんなものを食べてるの?」
慌ててリコリスが立ち上がり、隣で乾パンを持つシズクに問いかける。
このような質素で冷たいご飯は、最前線の、かつ戦場や山間部等でで兵士が食べるようなものだ。ここのような、ある意味で戦いとは無縁な場所で食べるようなものではない。
もっと温かいものや、スプーンを使って飲む温かいスープなどがあってもいいんじゃないか、彼女たちは、見た目は育ち盛りの少女なのだから、と。
しかしリコリスの主張とは裏腹に、彼女たちはもくもくとそれが当然であるかのように食べ続けている。けれどその表情は、年相応の少女たちの食事風景には見えない。もっと、わいわいと、美味しそうに食べていいはずなのに。
リコリスは士官学校にいた時のことを思い出す。朝食は焼きたての――それなりに固かったが――パンに、ジャムに、スープに、時々フルーツが付く。朝食は全員が固定で、昼食や夕食は自分が好きな物を注文できるスタイルで、「今日は何を食べようか」などと選り好みをするのが士官学校内での数少ない楽しみの一つであった。もちろん、自分が選んだものなのだから美味しいに決まってる。頬に手を当て、ほっぺたが落ちそうになりながら食べたものだった。もちろん、食後の甘い物も忘れることなく。女生徒同士で食べ合いをしたものだった。
――しかしここの食事事情は何だ。まるで最前線の兵士が無理矢理流し込む非常食のようではないか!
目を見開いたまま少女たちの食事風景を眺めていると、シズクの席の方向から声が上がった。
「そう言われましても、管理官。これで必要な栄養素は取れてます。……なにより、私がここに来てからずっとこの食事ですよ?」
そうしれっと言うのは最年長のミナミ。他の彼女たちも、うんうんと頷きながら、乾パンと共に缶詰の中のものを口に入れている。
その間にも、コノハがヤヨイの口元を生成した布巾で拭いてあげて面倒見の良さを見せていたり、ムツミが食べきれなかった分をナナが代わりに食べてあげて「だからむつむつは小っさいんすよ」などとからかっていたり、クゥが目をこらさないと見えないほどの細い線でヤヨイの果物の缶詰を自分の方に引き寄せていたり――もちろんすぐにバレた――と、短いながらも彼女たちの人となりが少しずつ分かる食事風景だった。
リコリスもリコリスで、一応このような食事は何度か体験していて慣れたもの。乾パンと一緒に水分が多い果物を食べることで口の渇きを防ぎつつ、合間合間に肉を食べて飽きを防いでいた。
決してまずいわけではない――けれど、美味しいとは決して言えない。
リコリスから思えば、食事こそ一日の中で唯一楽しみを得られる機会。それを、こんな味気ない物で処理してしまうのはもったいない! と。そう思ったリコリスは決心をする。
いつか、この子たちに「おいしい」と言われる物を食べさせてあげたい――と。
「「「「「「「ごちそうさまでした」」」」」」」
食事の時間は五分にも満たなかった。腹だけが膨れるだけの食事。これからこんな食事が続くのか――と思うと、リコリスの胃は少しだけ重くなるのを感じた。
「それじゃ、みんな、運動できる服装に着替えていつも通りもう一度ここに集合。分かったわね」
シズクがそう言うと、思い思いの返事をして彼女たちは部屋の方へと戻っていく。
「これから何をするの?」
「前管理官の日記帳に書かれてませんでした? いざ戦場に行ったときのための――」
「あ、訓練か。……こんな早い時間からやるんだ」
「訓練の内容を見れば分かってくれると思います。周辺の関係上、暗くなったら帰りが大変なので、日があるうちにしかできないんです」
「あぁ、なるほどね」
この第五十九番倉庫は、周りを山に囲まれた場所に建っている。もちろん町中のように街灯があるわけでもなく、日が落ちれば明かりとしては月の光だけとなり、明かりとするには心許ない。そういう意味では日のあるうちに訓練をし、日が落ちるまえに訓練を終える、というのは理にかなっているように感じる。
リコリスがひとり頷いていると、どたどたと走ってくる音が二つ。ヤヨイとクゥの二人が動きやすそうな運動着に着替え、やる気満々といった様子で戻ってきた。
「ヤヨイ、コノハはまた本開いたりしてなかったでしょうね?」
「んぁー? 私が着替えてる時に一緒に着替えてたから多分大丈夫じゃねーの?」
「……ならいいけど。あの子、遅刻常習犯だから」
後ろの言葉は、自分に向けての言葉のように思えた。
続いてミナミが、ムツミとナナが、最後にコノハが談話室へとやってきた。
全員が士官学校で使うときのような運動着に袖を通しており、まるでこれから体育の授業が行われるようにも見える。
「ちなみに、これらの服って……」
「もちろん、生成したものです。終わったら還せばいいし、洗い物もしなくていいので」
「便利なものね」
イタズラっぽくウィンクしたシズクに、感心するやら驚くやらのリコリスだった。
第五十九番倉庫を出た彼女たちは、建物の北側の山を登り始めた。
リコリスがここに来るときにあった道のようなものはなく、ただ木々が点々と生えている山を慣れた足取りで登っていく。歩く道無き道は、傾斜角度にして約三十度。体を鍛えているリコリスでも、それなりに負荷を感じられる道程だった。
「管理官、大丈夫ですか?」
「……だい、じょうぶよ、この……くらい……っ!」
シズクがリコリスに向けて手を差し伸べるも、彼女も士官学校を次席で卒業した自負もある。簡単にへばってはなるまいと、その申し出を断り、木に手を掛けてゆっくりと登っていく。
歩き始めて三十分、登りの道が終わったと思うと、急に視界が開けた。
「――――わぁ…………!」
立っている場所を基点に、十メートルほどの高さを下った場所に平原が広がっていた。
見下ろす場所は、士官学校で使っていた演習場がすっぽり入るほどの広さがあり、そこだけは斜面がなく、平坦な場所になっていた。
まるでそこに迫撃砲が何百発も撃ち込まれて、そこだけ平坦になったような、そんな印象を覚える。――決してそんな曰く付きの場所のようには見えず、純粋に自然の力によってできたのだろうけれど。
「へぇ……こんなところが…………」
「どうやってできたかは定かではありませんが、探検好きなナナが偶然この場所を見つけて、それ以来ここを『訓練場』と呼んでここで訓練をしています。家の前は狭いし、山の中で訓練するにも、やることが限られますからね」
確かに、現在アーケアとフェリシアの間で行われている戦争では、平地においての塹壕戦が基本になっている。そういった意味では、訓練も平地で行うのが普通だろう。リコリスの士官学校の実地訓練では、あくまで山は重い物資を運ぶだけのものだったから、その考えは正しいと思う。
演習場へ降りた第五十九番倉庫の少女たちは、屈伸をしたり肩を回したりと、めいめいの準備運動を始め、しばらくするとシズクがパンパンと手を打った。
「さ、午前中は近接戦闘の訓練よ。各自ペア同士で組んで」
シズクの指示に合わせて、少女たちが二人で集まりだした。
ミナミはコノハと。ムツミはナナと。ヤヨイはクゥと。そして――。
「あれ、シズクは?」
「私は監督役です。皆がちゃんとしっかり訓練しているかの、ね」
「あ、そこは私じゃなくてシズクがやってくれるんだ。助かる」
「一応、指導の方法は前の管理官や姉さんたちから聞いてますからね」
昨日まで生徒だったのが、今日になっていきなり教師の役をやらされるかと思っていたリコリスは、ほっと胸をなで下ろす。
リコリスは士官学校時代、実技の成績はすこぶる良かった。しかし考えるよりも動く性格もあって、銃撃も体術も剣術も全てが我流で――それを誰かに言葉で伝えるのは、最後まで叶わなかった。
だからリコリス自身は動かなくていいと聞かされて、良かったと思った、その一方で。実技の訓練を思い出すと、心はそわそわと、体はうずうずとするのを感じていた。
「――――それとも、管理官。私と一戦、やってみますか?」
「――! シズク、やってくれるの?」
動きたい、という内心が表に出ていたのか、はたまた最初からそのつもりだったのか――シズクから一戦交えないか、と提案を受ける。
持ちかけられた挑戦は受けなきゃ女が廃る、と二つ返事で応じたリコリス。周りからは悲鳴とも歓声とも付かない声が上がった。
「じゃあ、お相手お願いましょうか」
シズクはそう言うと、木刀を精製し、リコリスへ手渡す。それを合図に、ミナミたちはリコリスとシズクから数メートル離れた所に集まって座る。
「管理官にいきなり怪我させないようにするんすよ、シズク姉」
「分かってるわよ」
そんな軽口を叩くのを見、リコリスの闘志の火が燃え上がる。
――自分だって士官学校の次席卒業者。野郎相手にだって殴り勝ってきたんだ。女の子相手だって、負けるもんか!
リコリスはそれを両手で握りしめ、シズクと距離を取った。
彼我距離は約五メートル。
数歩もあれば十分間合いに入れる。後はどこで仕掛けるか――そう思っていると、瞬きをしたその一瞬でシズクが一気に間合いを詰めてきた。
「――ッ!?」
反射的に木刀を横に傾けると、ガンッと鈍い音が響いてリコリスの脳天を狙った一撃はそこで止まる。
「あら、一撃で仕留めるつもりだったのですが」
「そう、簡単に、負けてたまるものですか!」
そのまま鍔迫り合いに入る二人。その力は思っていた以上に強く、まるで同期の力自慢を相手にしたような――いや、それ以上の力で圧倒される。全力で抵抗しているにも関わらず、ギリギリとシズクの木刀が自分の頭に迫ってきているのが分かった。シズクの細い腕のどこからこんな膂力が発揮されているのか――リコリスは驚きと共に考えを改める。一切の容赦なんてするもんか。本気で勝ちに行く! と。
「ッ、だぁぁぁっ!」
咆哮と共に力任せに木刀を振るい、その力の方向をなんとか逸らす。再び二人の間には距離ができた。
――力で負けているなら、攻められる前に、攻める!
大きく一歩を踏み出し、上段の構えから全体重を込めて切り下ろした刃は、剣先で軌道を逸らされてシズクの体には届かない。返す刀で胴を狙うも後ろに踏み出すことで回避される。再び一歩。距離を詰めて喉元への突きを繰り出す、しかし軽く横に太刀筋をずらされ、外れる。そのままの勢いを利用し、回転。逆袈裟に切り上げて木刀を狙うも、今度は防がれ、再び鍔迫り合いへ。
「なかなか、管理官もやりますね」
「――――くッ!」
言葉をしゃべる余裕も無い、声を上げようものなら、力負けしてそのまま木刀を持って行かれそうな、そんな気さえする。リコリスはただ歯を食いしばり、全力でシズクの剣に対抗する。
リコリスとシズクの顔の間には、息がかかりそうなほどの距離しかない。シズクはうっすらと笑みを浮かべるのが見え、まだまだ余裕があるように見えた。
――悔しいけど、ここは正攻法じゃ敵わない、なら――ッ!
リコリスは鍔迫り合いの体勢を維持したまま、瞬間的に軸足をリコリスの方へと滑らせ、そして外側に払う。足に手応えを感じるのと同時、シズクの体ががくりと傾いた。
ここが好機! と再び上段に振り上げた木刀を、シズクの左上腕にたたき込んだ。
ぼきり、と。
リコリスは、確かにその手応えを感じた。士官学校の訓練の中でも何回か感じた、相手の骨を折る感覚。
それが、あった。
「――――ぁ、」
まずい! やってしまった――そう思い、謝罪の言葉を上げようとした、その、瞬間。
ひゅんっ、と
目の前に圧力と風を感じて。
反射的に仰向けにのけぞったリコリスの目の前を、打突が横切った。
「あら」
涼しげな声が、聞こえた。
「管理官、これを避けるんですか。……やはり、やる方ですね。ではもう少し、本気を出しますか」
ぞくり、と身の毛がよだつ思いがした。
シズクの左腕はだらんと垂れ下がっていて、力が入っていないように見える。けれどシズクは、右手一本で木刀を構え、更に追撃をかけてくる。鋭い打突が連続で繰り出され、あまりにもの速さに、リコリスは剣で対抗することができず、体で避けるしかできない。
「――――ッ!」
ヂッと木刀が頬をかすり、しばらくすると頬が熱くなってくるのを感じる。血が出ているかの確認を取る暇さえ与えられず、打突から斬りへ繋がる連携技に、リコリスは防戦一方になってしまう。
シズクの左腕は折れている――そのはずなのに、シズクの攻撃の速度は落ちず、休まることもない。それどころか微かに笑みを浮かべる表情は、試合開始時から変わることはない。痛みを感じることがないのか、はたまたそれを抑えるだけの精神力を持っているのか――。リコリスは猪突猛進とも言えるその勢いに、ただただ圧倒され続ける。
なんとか体が反応して致命的な一撃は受けないまでも、体のあちこちに細かいダメージが蓄積していく。体も、体力も、そして精神力も、じわじわと削られ続け、そして――。
ガッ、と。
リコリスの木刀が、天高く跳ね上げられる。
眼前に木刀を突きつけられたリコリスは。
「無理。……、……っ、降、参」
心身ともに疲れ切った声で敗北宣言を行い、それと同時に、ばたりと草原へと倒れ込んだ。
今にも吐きそうなほどに憔悴したリコリスは、草原に寝転んだまま、息も絶え絶えにシズクへと問いかける。
「…………シズ、ク。……腕、は……?」
「えぇ。折れちゃってると思います。管理官、いい太刀筋でしたね」
「折れ……! その、シズ、ク。……ごめ、」
リコリスは起き上がろう、として、起き上がることができずにそのままの体勢でシズクを見る。
戦っているときよりも穏やかに、シズクは笑っていた。無理しているようではなく、最初出会ったときと同じように。まるで痛みすらも感じていないように。
「いいんですよ、管理官。一日も経てばすぐ治りますから。言ったでしょう? 『人より少しだけ体が強く作られている』って」
「…………と、言、っても……」
「はいはい、続きは治療してからっすよー。まったくもー、シズク姉も管理官も、本気も本気なんすから……」
そこに入ってきたのはナナだった。添え木のつもりだろうか、太めの棒状の物を精製してシズクの左腕に当てたかと思うと、ムツミから受け取った包帯をぐるぐるぐるぐると巻いていく。ムツミから「なっちゃん、巻きすぎ」と指摘が入るものの「包帯は少し多いくらいがいいんすよー」などとのたまっていた。
数分の後に治療――という名の包帯巻き――が終わると、シズクはケロリとした顔をして、
「さ、管理官の腕前も分かったことだし。訓練始めましょうか」
などと宣言し、ミナミたちはペアごとに散っていった。
◇◇◇
「シズク……、その、ごめん、ね……?」
ペア三組が訓練をし始めるのを、シズクとリコリスは草地に座りながら眺めていた。
謝るなら今しか無い、と声をかけるリコリスに、シズクは空いた右腕を振ってにこやかに答える。
「言ったでしょう。大丈夫ですって」
「その、シズクは痛く、ない……の?」
おそるおそる言うと、吹き出すように笑い出した。
「痛いですよ。私たちは丈夫とは言っても、痛覚は人と同じだけありますから。でも――嬉しかった」
「――へ?」
「今までの管理官で、あなたほど、私たちにまっすぐにぶつかってきてくれる人、いませんでしたから。だから、ここまでやられたのも、本気で管理官と打ち合ったのも、初めてです」
訓練を見ながら、ぽつり、とシズクは言う。愛おしそうに懐かしいものを見るように言う姿は、見た目よりも、何歳も年を食っているように見えた。
「そう……なんだ」
「ええ。ですから、管理官。私から一つ、お願いしてもよろしいでしょうか?」
「なんでも、私でできることなら」
果たして何を言われるのだろう。おそるおそる上目遣いでリコリスを見ると、何が面白いのか、くすくすと笑われた。
「良かった。……管理官。毎日の訓練、ですが。私たちと一緒に管理官も行ってもらえませんでしょうか?」
「――なぁんだ、そのくらいのこと」
「……だめ、ですか?」
「うぅん、逆。いいよ。骨折った分、身辺の世話全部やれって言われるのかと思った」
「……そんなこと、言いませんよ」
「シズクなら、そんな意地悪しないっては思ったけどね」
そう言って、リコリスは右手の小指を立てて、シズクの方へと向ける。
数秒固まった後、得心したのかシズクも右手の小指を立てて、リコリスの指へと絡ませた。
「仲直りの、指切り」
「私たち、喧嘩してましたっけ?」
「細かいことはいいの。ゆーびきーりげーんまーん――」
次の日少女たちが上げる声と、木剣同士がぶつかり合う音の中に、指切りをする声が、小さく響いていた。
それからというもの、リコリスとシズクは、草原に座ったまま近接戦闘の訓練を眺めていた。
動きがいいのは、ナナ。長身を生かしたサーベルの攻撃は鋭く、相手をするムツミは防戦一方。先に木剣のついた銃剣は、力負けしてか何度も取り落とされ、その度にムツミの方から「降参」の声が聞かれていた。
その一方で、ミナミとコノハの二人は両手に持ったナイフとサーベルというリーチの異なる武器で訓練をしていた。
体格の異なる二人は、どちらかと言えばミナミが指導をしつつコノハが訓練をする、と言った光景で、きっと姉二人がいたときにはミナミとシズクが組んでいたのだろうな、と想像できた。
昼間に昼食を摂って――朝食と同じように、生成した乾パンと缶詰だった――午後は射撃の訓練。
訓練場所を山の方へと移し、人の形をした的をいかに正確に射貫くかを行う。
ミナミとムツミが精製したのは、スコープが付いたスナイパーライフルと呼ばれる狙撃銃。最新式では無いが、軍の中では長く使われ続けている型式で、連射性能は無いが射程距離は八百メートルを誇る。狙撃銃を構えるムツミは、伏せるとその小さい体と相まって山の中に完全に隠れる形になる。そこからの射撃は正確無比という言葉の通りで、的の急所の部分を何度も打ち抜いていた。
近接戦闘のナナと遠距離射撃のムツミ。ペアとして最適だと、リコリスは思った。
射撃が苦手だと自分から言ってきたナナ、ヤヨイ、クゥは引き続き平地での訓練。ハンドガンで三十メートル先の的を狙うも、弾は明後日の方向に飛んでいく。二人にはムツミと共に遠距離射撃が上手だったミナミが付き、徹底指導の形を取っていた。
そして五時を過ぎ、太陽が山の向こうへ沈み始めた頃に訓練は終了。彼女たちは来たときと同じように山を下り、暗くなる前に第五十九番倉庫へと帰る。
そして朝食と同じように夕食を取り、順番でドラム缶を利用した入浴を行い、睡眠の時間を迎える。
朝起きて、昼に訓練をして、夜に少しの自由時間を得て、そして睡眠の時間――それはまるで、リコリスが士官学校で学んでいたときと同じスケジュールだ。
「なんか……この時間の流れ、懐かしいなぁ……。卒業して、まだ何日も経ってないのに……」
ベッドに入り込みながら、そう呟くリコリス。
眠気に支配されつつある頭の中で、リコリスは考える。
シズクだけじゃなくて、もっと、他の子とも仲良くならないとなぁ。管理官として、全員を知らなきゃいけないし……まだまだ、先は、長いなぁ……――。
訓練の疲れもあったリコリスは、それから間もなく、泥のように眠りに付いた。
夢は、何も見なかった。




