第二話 食いしんぼうの少女たち
リコリスが案内されたその建物は、リコリスが最初に感じたものの通りだった。
入り口のドアをくぐると玄関があり、歩いてすぐのところには、何人も座れるような大きなテーブルが置かれた空間があり、そこを抜けると廊下があって、廊下に沿って均等間隔でドアがある。
――それは『倉庫』と言うよりも、やはりリコリスが知る宿舎そのものであった。
「まず――この度はうちの妹が失礼をいたしました。歓迎します、管理官様。
私はシズクと申します。この第五十九番倉庫にいる姉妹たちを取りまとめております」
玄関を抜けた先の大きな空間――リコリスたちは『談話室』と呼んでいた――の大きな机に対面で座った相手は、温和そうな印象の薄い青色の髪をした女性だった。シズクと名乗ったその人物は、にっこりと笑みを見せ、そして頭を下げた。長い髪の毛がふわりと揺れる。
そしてその隣では居心地が悪そうにしている人物が一人。金とオレンジの間のような色の短い髪を左右に跳ねさせていて、リコリス自身も見た目で判断するのは良くないとは思いつつも、いかにもやんちゃをしそうな、というイメージを持つ少女が、「ほら、ナナも」とシズクに無理矢理頭を下げさせられ、机と額の間でごちん、と音が鳴った。
「え、……と言うと、やっぱりここが……」
「管理官のご想像通りだと思いますよ。ここが辞令書にあった第五十九番倉庫です」
「…………えぇっと」
リコリスは両方のこめかみを指でぐりぐりと押して、そして考えと目の前の状況を整理する。
――私は第五十九番倉庫という軍需物資の保管庫に来たはずなのに、中は宿舎のようなものになっていて、かつ中から人が出てきた。そして目の前の彼女は、『第五十九番倉庫に居る姉妹たち』と言った。ということは、ここにいる人物は、目の前にいる二人だけではないのだろう。
分からないことだらけだ。リコリスは目を瞑ってこめかみをぐりぐりぐりぐりと何度も揉んで、そしてやっと顔を上げる。
シズクの深い海色の目と、ナナの橙色の目が、リコリスをじぃっと見つめていた。
そしてリコリスはその目に負けじと見つめ返して、口を開いた。
「いくつか質問いいかしら?」
「ええ」
彼女、シズクは机の上で手を組んで、柔和な表情を崩さず、こくりと頷く。
「おそらく、ここに初めて来た管理官なら疑問がたくさんあると思われます。なんなりとどうぞ」
「私を襲った彼女も含めて、あなたたちは何者なの? っていうか、なんでここに人がいるの?」
目の前で会話をしている相手、シズク。その隣に座るリコリスを襲った人物、ナナ。そして背後から感じる、いくつかの視線。
まず一番に思う疑問を突きつけると、シズクとナナは不思議そうに顔を見合わせる。
「ややや。……えぇっと」
その質問に口を開いたのは、正面のシズクではなく、その隣のナナだった。
発言を求めるように、おずおずと手を上げたナナは、首を傾げながら続ける。
「あなたはここの管理官を命じられた……んすよね? 辞令を出した上官から、何か聞かされたりしなかったんすか?」
――そういえば士官学校にもこんなしゃべり方をする人がいたなぁ、などと頭のどこかでそんなことを感じつつ、リコリスはその質問に答える。答えなど一つしかないのだから。
「なんにも。一切。……ただ、『そこで見聞きしたことは絶対に口外しないこと』とサインは書かされたわ」
「……ふぅむ、なるほどぉ……」
ナナは折り曲げた人差し指を顎に当て、鼻を鳴らす。上目遣いにちらりとリコリスの方を見たかと思うと、何回かうんうんと頷いて見せ、隣にいる人物を肘で小突いた。
「やっぱりこの管理官、言ったとおりなんにも知らないようっすよ。嘘付いてるようには見えないっすもん。シズク姉、どこまで言うんすか?」
「それは新たな管理官だもの、一から十まで、全部言うつもりよ」
「ま、そっすよねぇ。言って信じてもらえるかっすけど」
目の前ではリコリスをほったらかしにして、軽口が繰り広げられている。後頭部で手を組んで、いかにも面倒くさそうな口ぶりのナナと、机の上で手を重ねてその妹を諫めているシズク。二人の様子は気の知れた友人のようで、少し年の離れた姉妹のようでもあった。
「……えぇっと…………」
「あ、ごめんなさいね。あなたの疑問――私たちは何者で、なぜここに人がいるのか、だったわね。ナナ、お願いできる?」
「あいあい、っす」
そしてナナはやおら立ち上がったかと思うと、テーブル沿いに歩いてリコリスの近くまでやってくる。好奇心に満ちた、猫のような目がリコリスに向く。
「管理官は何か武器になりそうなものは持ってるっすか? ……あぁ、それでいいっす、少し借りてもいいっすか?」
ナナが指差したのは、リコリスの左腰に下げられている軍刀だった。武器――というよりも装飾が目的の物ではあるのだけれど、一体どうするのか、そもそもこれから何が起こるのか、まったく予想が付かなかった。
「え、いい、けど……どうするの?」
「あぁ、心配しなくてもいいっすよ。ちゃあんと返すっすから」
そう言って両手で渡された軍刀を持ったナナは、にんまりと笑って。
「それじゃ、いただきまっす」
その一言と共に、ナナは軍刀の木製の鞘に噛みついた。
まるで両手で持ったトウモロコシにかぶりつくような、そんな自然な流れで行われたその動作は、にわかには信じられない光景だった。
ばりん、という音がしたかと思うと、軍刀が収められている木製の鞘は、中の軍刀もろとも歯の形に切り取られていた。
「…………ぇ、……ちょっ、ちょっと、何してんのよ!」
目の前で起こったことに我を失っていたリコリスは、数秒のフリーズを経て復帰する。しかしリコリスが立ち上がった時には、ナナは二口目に移っていて、軍刀だったものは持ち手がある方と剣先がある方の二つに分かれていた。
今更止めても意味が無いのでは――と頭のどこかで思いつつも、リコリスは三口目に続こうとするナナの腕を掴み、力づくで静止させようとする。
「いいからいいから、ちゃあんと、元に戻して返すっすよ」
にま、と猫のような笑みを浮かべてリコリスの手を優しく除けたナナは、右手に持っていた持ち手がある方の軍刀の片割れを、「あーん」と口の中に入れ、そして、咀嚼する。
ばりん、ごりごり、ごくん、と
まるで固い煎餅を食べるような音を立てて口の中に入っていったそれは、煎餅ではなく、昨日卒業式で賜った紛れもない本物の軍刀で。
――彼女の歯はどうなっているのか、とか。
――彼女の胃はどうなっているのか、とか。
――隣のシズクはなぜ止めようとしないのか、とか。
――本当に、次席卒業の証の軍刀は返ってくるのか、とか。
リコリスはそんなことを思いながらも、段々と短くなっていく軍刀を見守ることしかできない。
軍刀を手渡してから、ナナが持ち手の部分まで全てを食べ終えるまで、一分とかからなかった。
そして最後の一口が終わった後。
「ふぃ、ごちそうさまでした。――それでは……っと」
ナナが右手の手のひらを上に向けて、何やら念じるように目を瞑る。
すると、ナナの手首から先が橙色に光り出し、光がナナの手のひらの上数㎝に収束していく。するとその光は次第に形を変え、細長いものを形作っていった。そして光が一際強くなったかと思うと――。
ナナの手には、先ほどリコリスが手渡して、ナナの胃の中に収まったものと瓜二つの――いや、それそのものとしか思えないほど、精巧に作られた軍刀が、握られていた。
「…………ぇ、あ……。……え?」
リコリスは目の前で起こったことの意味が分からず、何度もぱちぱちと瞬きをし、そして目を擦る。何度目を擦ったところで、目の前にあるものは変わらなかった。
「はい、間違いなく返したっすよ」
にっこりと笑ったナナから手渡されたそれを握りしめると、間違いなくあの時自分が受けた軍刀の鞘の固さと重量感だった。
鞘から刀を抜くと、銀色の光を放つ軍刀が出てきた。もちろん、刃も欠けていなければ歯形なんてものも付いていない。
「え……これって…………どう…………?」
「驚いたと思われます。管理官。これが、私たちなんです」
頭の中が混乱して、上手く言葉が口から出てこないリコリスに、シズクが優しい声で話しかける。
それはまるで、小さな子どもを諭すときのような声色に似ていた。
「私たちが何者で、なぜここに人がいるか――でしたね。
私たちは、厳密に言えば人ではありません。私たちは、人の体を基礎として遺伝子操作で造られた、人間のような物です。」
「…………」
リコリスはこめかみに指を当てながらシズクの告白を聞く。リコリスの両目は驚きからは復帰していて、真剣な眼差しになっていた。
「私たちは、物質を食べることで、一度食べたものを記憶し、食べたものとまったく同じものを自由に、いくつでも、生成することができます。――だから、ここに軍需物資は備蓄していません。私たち自身が、一つの倉庫のようなものですから」
シズクの言葉が、淡々と紡がれていく。リコリスを見つめる深い海色の瞳は、優しげに見えるその一方で――とこかもの悲しい色を帯びているように、リコリスには見えた。
「人の形を取っていても、人じゃない――今までの管理官の中には、私たちを『人形』と、そう呼ぶ人もいました。実際、私たちは関係者からは個体識別番号で管理されてるらしいですからね」
「管理、番号……」
「ええ、便利なモノ扱い、ですよね。
とは言っても、便利なことだけじゃありません。少し特殊なことができて、人より少しだけ体が強く作られているだけで、それ以外は管理官と同じ、人間とさほど変わりません。
私たちは動けばお腹も減るし、怪我をすれば人と同じ赤い血が流れます。もちろん、嬉しいときは笑うし、悲しいときは悲しみます。感情だって、あります。――――だから、管理官。私たちを、怖がらないでほしいのです」
一度閉じた目が、まっすぐにリコリスに向けられる。
シズクの目は確かに、しっかりとリコリスに向いている。しかしその瞳は、わずかに揺れ動いていた。口元はわずかに結ばれていて、テーブルの上で組まれた手には力が入っているのが分かる。
そして何より、彼女たちがリコリスを見るその姿は、まるで段ボールの中の捨てられた猫のような、そんな儚さが言外に伝わってきて。
シズクに返す言葉は、決まっていた。
「――そんなの、」
自分に言い聞かせるように、そして目の前の、そして背中から感じる彼女たちに聞かせるように。
「当然、じゃないのよ。年端もいかない女の子に、そんな顔をして言われて。ダメっていうわけないじゃない。そんな人がもしいるんなら、私がぶん殴ってるわ。
――よろしくね、シズク」
そう言って、リコリスは机の上に右手を伸ばす。
リコリスの言葉に、目を見開いてしばし固まっていたシズクは、ふっと目を細めて。そして組んでいた手を解いて、右手を伸ばす。
初めて触れたシズクの手は、リコリス自身が知る女性の手と同じで。柔らかくて、そして温かかった。
◇◇◇
「……ねぇ、ところでなんだけど、この刀」
「あいあい、なんでしょ、管理官」
それから少しの間、テーブルの間には静寂が流れていた。外からは夜行性の鳥の鳴き声が微かに聞こえてくる以外は、何の音も流れていなかった。
リコリスは優しげに微笑み、リコリスは何か話さなければとやきもきし、ナナは何かを話したくてうずうずして。三者三様の様子の中、話の口火を切ったのはリコリスだった。
リコリスの言葉に、先生に発言を求めるかのように元気よく挙手するナナ。彼女に猫のような耳があったなら、ピンと上に立っていただろう、と思う。
先ほどから、リコリスの頭には一つの疑問が浮かんでいた。手触り、重量感、見た目。全てがリコリスの知る軍刀そのもので、一度はナナの口の中にバラバラになって収められたとは思えないほど精巧に作られた、それ。
本物――に限りなく近いけれど、本物ではなく、本物そっくりに作られたコピー。
リコリスはナナから手渡された軍刀をしげしげと眺めながら、ふと頭に浮かんだ疑問をぶつけてみる。
「ナナちゃん、だったかしら。あなたが食べて出してくれた、これなんだけど。
明日目が覚めたら夢みたいに無くなっていました――なんて落ちはないわよね?」
「にゃは、やっと名前で呼んでくれたっすねリコっち管理官! そんで答えとしては、まぁ当分の間は大丈夫っす。ただ、何日かすると多分消えちゃうっすね」
「あん?」
「おおっと睨まないで欲しいっす。ほら、もし消えてもあたしがもっかい出せば――」
がたん。
音を立てて立ったリコリスは、かつかつと軍靴の音を響かせてナナの元へと向かう。ナナの弁明の言葉は耳の中に入っていても逆の耳から抜け出ていた。
そして椅子に座ったナナの襟首を掴んで、無理矢理立たせる。
「あんた、私の軍刀返してくれるって言ったわよね? 返すって意味分かってる? そのものをありのままの状態で返すってことよ。何よ消えるって、そしたら返すって意味じゃなくなるじゃないのよ! 何が『ちゃあんと返す』よ返ってこないじゃない!」
そのままナナの胸倉を掴み、がくがくと前後に振るリコリス。
頭を振られながら「待っ、リコっ、管理、官、待って」と舌を噛まないようになんとか声を発するナナの言葉を聞き、腕の動きを停止させる。
「管理官、落ち着いて、方法が、あるんす。方法が。あたしたちの管理官だけの、方法が」
「何よ。言ってみなさい。――予備を作るとか、無くなったらすぐに出すとか言ったらもう一回だから」
「大丈夫、大丈夫っす」
そう、自信満々に言ったナナは、胸倉を掴まれた姿勢のまま、挑戦的ににやり、と笑って。
「管理官が、さっきの軍刀を持てるようになる方法は」
「……方法は?」
ごくり、とどちらかの喉が鳴った。
シズクは二人の様子を、柔らかな表情を崩さぬまま、椅子に座ったまま眺めている。
「管理官、――あなたの血を、舐めさせてほしいんす」
「……は?」




