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第五十九番倉庫の少女たち  作者: みょん!
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第一話 第五十九番倉庫の少女たち

「あー、へいたいさんだー。きんぱつの、へいたいさーん」

 揺れる汽車の中、幼くたどたどしい少女の声がリコリスの耳に柔らかく入ってきた。

 『へいたいさん』だけならどこかの誰かだろう、と無視を決め込むこともできたけれど、『金髪の』と付け加えられたら、おそらく自分以外にはいないだろう。

 読んでいるフリをしていた新聞から顔を上げ、周りをきょろきょろと見回してみると、斜め前の座席にその女の子はいた。興味津々と言った目をして、リコリスを指差している。

 もしもその声を発していたのが悪ガキであったのなら、「人を指差すもんじゃないぞ悪ガキ」と頭を一発ぶん殴っていただろうけれど――相手が三歳か四歳かそこらの少女なら話は別だ。『自分は軍人、自分は軍人』と心の中で自分を律して、努めて作り笑いを浮かべて、小さく手を振ってみる。

「――――わぁ」

 目をまん丸にした表情から、今度は笑顔の花を咲かせて。女の子は嬉しそうにぶんぶんと手を振る。この時になってやっと女の子の親も気づいたのか、席から顔を覗かせてリコリスを――もっと言うと深緑色の軍服を――見るやいなや、女の子の頭を掴んで自分の席の方に引き寄せて、「見ちゃダメ!」などと女の子に言い聞かせていた。

 ――ま、世間サマの『へいたいさん』の評価なんてそんなもんよねぇ。まして、女だし。金髪だし。

 リコリスはため息を付きつつ、そう独りごちる。

 窓の外を眺めると、レンガ造りの家々が立ち並ぶその向こうに、つい昨日までリコリスが通っていた士官学校の校舎と、広々とした校庭――という名の演習場が目に入った。

 昨日までいた学校は、汽車の窓から見るとまるで小さな箱庭のようで。自分が二十四時間前まではその箱庭世界の一員だったというのが、夢か幻かのように思えてくる。ほんの少しだけ感傷的な気持ちになるけれど、士官学校はそんな生やさしいものじゃなくて。痛かったり辛かったり実地試験で死にかけたり、あ、食堂のご飯とおやつだけは別だったなと思い返して。それでも思い浮かぶのは、自分が行った素行の数々。

 自分で言うのもなんだけど、暴れてたよなぁ――と、リコリスは学校生活を振り返る。

 入学したその日、女のくせにあーだこーだとだとなめた口を叩いた男をぶん殴り、入学早々「お転婆娘」の名を欲しいままにしたリコリスは、卒業までそのイメージのままだった。

 ――と言っても、リコリスは学校内で誰それ構わず喧嘩を売るような問題児だったというわけではなく、護るべき者は護り、正すべき相手は正す、正義感の強い少女だった。

 その甲斐もあって、リコリスは女性にして初めての次席卒業という誇らしい成績を収め、その記念として軍刀も授けられた。

「……うん、付いてるよね。落としてない。よし」

 自分の左腰に手を触れると、鞘の固い感触が返ってくる。急いで準備して忘れ物がないか不安になってくるが、もう汽車はどんどんと学校から遠く離れていっている。

 今更忘れ物に気づいたところで、もう戻れないのだけれど――。


 リコリスが暮らす国、アーケア共和国は、現在隣国のフェリシア帝国と戦争状態にある。

 ある日突然、国境を接するフェリシア帝国が宣戦布告し、最初の戦闘が行われてからはや十年。早々に終わるかと思われて戦争は予想に反して泥沼化。至る所で衝突を繰り返し、領地を奪ったり奪われたり、拠点を焼いたり焼かれたり築いたりしたまま、今も戦争は続いている。それまでの間に、あらゆる資材や人材が投入され、そして消費されていった。

 しかしその戦争は、ある日を境に一変する。

 なんでも、『共和国の秘密兵器』なるものが登場し、フェリシアの軍勢を一気に押し返し、戦争を優位に進めることができた、とか、どうとか。

「――秘密兵器、ねぇ。そんなのが本当にあるんだったら、こんな戦争はもう終わってるんだろうけど、ね」

 手元にあるカモフラージュ用の新聞に目を通す。でかでかと『我が軍の秘密兵器により敵軍は潰走!』と文字が躍っているものの、本文のどこを見ても『秘密』の『兵器』という以上の情報は見当たらなかった。

 ――軍関係はこんな極秘だとか秘匿だとかばっかりだ。隠れてあーだこーだするとかぜんっぜん男らしくない。

 リコリスは心の中だけで悪態をつく。しかし決して口に出すことはない。

 王様の耳はロバの耳、ここは汽車の中。誰かに聞かれようもんなら、憲兵にチクられて、軍人になって初日に斬首刑――ということもゼロではない。

 周りは敵だらけ、気を引き締めよう。リコリスはそう固く誓って。

 そして。

「極秘。ね。……やっぱり、変、だよねぇ……」

 つい先日。士官学校の卒業式の後に起こったことを振り返り。やはり、と首を捻った。


 卒業式が終わってすぐ、リコリスは軍の部隊長も兼ねているらしい学長に呼び出された。

 そこはまだいい。学長からの呼び出しなぞ慣れたものだったのだから。

 学長室は、いつもの――何やってるか分からない――大机に座った学長。そしてもう一人、知らない人物が立っていた。

 アーケア共和国の軍服をきっちりと着たその人は、なんというかデカかった。肩幅も広く、見るからに筋骨隆々とした体つきをしているのが分かる。

 前線部隊の誰かが査察にでも来ているのか――とリコリスが訝しんでいた所で、学長は言い放ったのだ。『彼女がリコリスです。ロムルス大将』、と。

 ロムルス大将――名前は軍部に属している者なら知っているどころか知らなければモグリかスパイ認定されかねない、軍のトップでありこの戦争の総指揮を執る人間の名前を聞いて、リコリスは自分の耳を疑った。後ろ手で自分の太股を抓ってみた。痛かった。

 なんでそんな人間がこの学校に? それどころかなんで学長が私を紹介している? 頭の中でぐるぐると疑問が沸き立つ中、部屋の中にバリトンボイスが響いた。

「さてサンドラよ、今年の卒業生は有能な人材が揃っているそうではないか」

 サンドラとは学長の名前――とは言っても、生徒からすれば恐れ多くて呼べないけれど。長く伸びた黒髭が似合うロムルス大将は、学長を見て口元だけで笑う。

 話しかけられた学長自身も初めて見る表情を見せていて、焦っているようで浮ついているようで、いつも見せている好々爺とした印象はない。

 学長ですらそうなのだから、リコリスも言わずもがな。持ち前のお転婆さは鳴りを潜め、曖昧に笑うのが関の山だった。

 そんなリコリスの動揺っぷりを知ってか知らずか、おもむろに大将は一通の封筒を懐から取り出し、そして目の前の卒業したばかりの娘に差し出してきた。

「リコリス――だったな。次席卒業おめでとう。

 早速だが、参謀本部より直々に、君に任務を与える」

「………………は?」

 ぱちぱちと何度か瞬きをして、やっと絞り出した言葉が、それだった。

 ――どうして私が? とか。

 ――主席で受かったアイツは? とか。

 ――なぜあなたのような人がここに? とか。

 ――なんでこのタイミングで任務が? とか。

 リコリスの頭の中で、様々な疑問が巻き起こっていた。しかしロムルス大将の威圧感の前に、蛇に睨まれた蛙状態となっていたリコリスは、硬直から解けた直後、反射的に出された封筒を敬礼と共に受け取ってしまっていた。

 封筒の中には、一枚の書類が入っていた。


『本日付で、受品部、弾薬部部長を命ずる。併せて衛生備品管理部班長。第五十九番倉庫の管理官を命ずる』


 紙に簡潔に書かれていた内容は、文面からするとただの辞令書類……だったのだけれど。

「はっ、…………拝命、しました」

「よろしい、ではサインを」

 ――サイン?

 視線を下にめぐらせると、辞令書の下半分にはまだ続きがあった。

『任務中に見聞きした内容については、絶対に他言無用とする』、と。

 そしてその下には、ここに名前を書けと言わんばかりに横線が引かれていた。

 何これ、とリコリスは思う。

 私たち軍属にはもちろん守秘義務というものはあるし、むやみやたらに周りに吹聴なんてしたら、敵対行為と見なされてあっさりと首が飛ぶ。もちろん物理的に。だからサインなんてしなくても、そんなのは当たり前すぎて、何を今更? という気持ちがリコリスの頭を過ぎる。

 それでも、あえて辞令書にサインを書かせるということは――? リコリスは、この辞令が、途端にきな臭く思えてしまって仕方がなかった。

 しかし一度「拝命しました」と言ってしまった以上、前言撤回などできるわけがない。リコリスは辞令への怪しさを感じながらも、しぶしぶ辞令書に自分の名前を書いたのだった。

「日程についてだが……出発は明日とする」

「明日ですか!? なんでそんな急に!?」

「必要な任務だからだ」

 大将にそうきっぱりと言われてしまえば、リコリスには返す言葉がない。

 リコリスは卒業生同士の挨拶もそこそこに、大急ぎで寮に戻って荷物を取りまとめ、朝一番の汽車に乗り込んだのだった。


「…………それにしても、」

 ――備品管理倉庫の、管理官かぁ……。

 誰にも聞こえないように小さく小さく呟いた声は、汽車が立てる音の中に消えていく。

 士官学校を次席で卒業したのなら、士官候補生として遠からずどこかの戦線近くに行かされるのだろうと思っていたし、その覚悟はしていた。次席卒業が分かった後でも日課となった訓練は欠かすことはなかったし、何なら学校の男共とお互い本気でやりあったりしていた。

 ――だけど。

 管理官と言えば紛れもなく事務屋である。折角覚悟を決めていたところで、肩すかしを食らった形だ。

 しかもただの管理官じゃなくて、『他言無用』の注意書きが付された辞令書――ただ事ではない、何かがあると考えるのが妥当だろう。

 リコリスはこれから起こるであろう何かに胸を浮き沈みさせながら、頬杖を付きながら流れる景色を眺め続けていた。




 ◇◇◇




 汽車は終点の駅へと滑り込む。乗ったときには太陽はまだ昇り始めたところだったにもかかわらず、今はもう頂点を越えて西の空へと向かいつつあった。

 もはや自分以外誰も乗っていない汽車から降りると、リコリスは深緑色の制服を着た、がっちりとした体格の人物の出迎えを受けた。

「貴女がリコリス様、ですね」

「はっ、はい。私です! あなたは?」

 きっちりと整った敬礼をした相手に、答礼をするリコリス。

 リコリスはちらりとその人物の胸もとを見る。驚きと同時に肝が冷えるのを感じた。胸にある徽章は、少将を示すもの。明らかに位が上の人物の出迎えを受け、リコリスの胸は大きく高鳴る。なんでそんな人がここに――と。

 これはますますもって怪しくなってくる。私はこれからどうなってしまうのか、と自分の身が心配になってくる。

「これより辞令の場所へとご案内します。外に車両を準備しておりますので、こちらへ」

「は……っ、はいっ。よろしく、お願いします」

 リコリスが内心の動揺を隠しつつそう返すと、リコリスを従えるように甲高く軍靴の音をプラットフォームに響かせながら、出口へと歩いて行く。慌ててその後ろを付いていくと、『乗ると尻が痛くなる』と巷で噂の軍用車両が異様な存在感を放っていた。

 走り出す軍用車両。シートは固く、車の振動は直接尻へと伝わってくる。尻を浮かせようとしても車の天井は低く、長身のリコリスではすぐに頭がぶつかってしまう。乗って数分で噂通りだと感じたリコリスは、後ろに流れていく景色を見ることで、なんとかその痛みを誤魔化そうとしていた。

「……第五十九番倉庫、一体どれだけ遠いのかしら……」

 車から見える景色に建物は既になく、流れていく路面は、既に茶色いものとなっていた。


 備品管理倉庫は、建てられた順番で番号が振られている。一桁であれば最前線まっただ中。十番から二十番台であれば前線と補給地点を結ぶ中継地点。三十番台から四十番台であれば補給地点にほぼ近く、ここまでなると直接の戦闘とはほぼ無縁の関係になる。


 それが――『五十九番』の数字である。

どんな辺鄙な所にあるのだろう――薄々と感じていたリコリスの予想は的中し、車はどんどんと山の方へ山の方へと向かっているように見えた。

 キィッと甲高い音を立てて車両が突然止まり、リコリスはその反動で前ろの方へと倒れ込みそうになった。

 車はリコリスが持っている懐中時計で二時間程度は走っていた。汽車の最終駅から、更に軍用車両で走った場所にある備品管理倉庫とは、果たしてどのような代物か――不安が九割、好奇心が一割といった様子で車から降りたリコリスが見たのは。

「やっと着い――あれ、まだ山の中じゃないの」

「はい。ここからは歩きとなります」

「…………はい?」

 軍人が指し示した方向には、確かに人一人が通れるような獣道があった。車で入るには道が細すぎて入れない――そんな道。

「ここから歩けっての? もう日が暮れるってのに?」

「第五十九番倉庫に向かう道は、この道一本しか無いのです。ご容赦ください」

 ――ふざけんな、と喉元まで出かかった言葉を必死で抑え込む。相手は上官だ。言葉はもちろんのこと、手なんて出そうものならどうなるか分かったもんじゃない。

 両方のこめかみを指で押す。ぐりぐりと揉んで、大きく息をついて。目の前の直立不動の人物を、にらみつけないようにしてまっすぐに見る。

「本当にこの道を行って第五十九番倉庫にたどり着くの? 本当に?」

「歴代の管理官はこの道を歩いて入られていきました。――私は行ったことはありませんが」

 ないのかよ、と思わず突っ込みを入れたくなるリコリス。しかし空は刻一刻と赤みを増してきていて、ここで押し問答を続けるだけの時間的余裕はないように思えた。

「分かった、分かりました。ここからは徒歩でと言うことであれば、それに従いますー。……ここまでの案内、ご苦労さまでした!」

 嫌みたっぷりに言って、リコリスは荷物を背負い、獣道の中へと足を踏み入れた。


 右を見ても左を見ても、鬱蒼と生え渡る木々。目印らしい目印もなく、道案内の看板があるわけでもなく。ただ木々が生えていないだけの道と呼んでいいのか分からない道。

 そのような山道を歩き続けること、半刻以上。いや、一時間が経っているかもしれない。懐中時計を見ると足を進める気が無くなる気がして、リコリスは前だけを見て歩き続ける。

「はっ、はっ……。私、本当は、騙されて、いるんじゃないかしら……」

 士官学校でも山登りの訓練はあったし、体力にはそんじゃそこらの同期には負けない自信があった。それでも息が切れてしまうのは、この先に本当に『第五十九番倉庫』なる建物があるのだろうか、という不安。

 空を仰ぎ見ると、その色は茜色から藍色へと移り変わりつつあった。刻一刻と暗くなっていく周りの景色も、リコリスの不安を煽る一端となっていた。

 ――もし、このまま日が落ちれば歩を進めることすら危険になる。そうすれば野宿も視野に入ってくる。夜ともなれば熊などの野獣が出ないとも限らない。野宿は嫌だ、野宿は嫌だ――。その一念でリコリスは足を動かし続ける。

「だいたい……っ、こんな所に、軍需物資の倉庫が、あったところで、一体、どこに、持っていく、って、言うのよ……っ!」

 愚痴をこぼしながら一歩一歩踏みしめていくと、木々ばかりだった視界が、急に開けた。

「――――、え…………? …………あっ、た……?」

 リコリスの目に映ったのは、まぎれもなく建物だった。

 建物の手前側には川が流れており、川を渡れるように橋が架けられている。

 ただ、リコリスの言葉が疑問形なのは――――。

「倉庫って言うよりも……これ…………宿舎?」

 その建物は等間隔で窓があり、屋根は赤く、壁面は木でできているように見えた。それはまるで、リコリスが士官学校で世話になっていた宿舎そのもので――。少なくとも、『備品管理倉庫』と言う名称には似つかない代物だった。

「……ここが軍需物資の倉庫……? いや、まさかね……」

 橋の手前まで歩いてきたけれど、建物の印象は最初抱いたもののままで変わらず。

 ならばこの建物は『第五十九番倉庫』ではなく別の別荘か何かか、とも考えたけれど、ここまでは一本道、おそらく道は間違えようがなかった。ともすれば、やはりここが目標地点というわけで――。

 訝しみながらも、リコリスは架けられている橋を渡ろうと、一歩踏み出した。

 その瞬間、足に何かが引っかかる感覚があった。

 ――途端。

 ガランガランガラン!

 何やら金属同士がぶつかり合う音が辺りに響き渡った。

「え? 何? 何っ!?」

 橋の上で焦るリコリス。その音はまるで侵入者を知らせるような、警告音に近いものに思えた。

 身を低くし、辺りをきょろきょろと警戒するも、何も変化はない。倉庫の方から銃弾が跳んでくる様子も無く、周りはただ大きな金属音が響き続ける。

 何十秒かが経っただろうか、来たるべき何かに向けて周囲を警戒していたリコリスは、不意に首元に冷たいものが触れるのを感じた。

「動くな」

「――――ッ!」

 頭の後ろで、何やらくぐもった声がする。

 男性のものとも、女性のものとも分からない、中性的な声。

 目だけで自分の首元を見ると、微かな夕陽色を反射する銀色が見えた。

 刃物を突きつけられている――と直感的に分かった。促されるまま、両手を挙げてゆっくりと立ち上がる。

 周りには注意を払っていたはずのリコリスは、それでも今、背後にいる何者かの接近に気づくことができなかった。

「お前は誰だ」

 再び背後からくぐもった声がする。

「わっ、私は今日からこの第五十九番倉庫の管理を任された管理官よ。――というより、あの建物は第五十九番倉庫ということでいいの?」

「質問しているのはこちらだ。じゃあ次、名前を言え」

「リコリス。リコリス・ハーミットよ」

「リコリス。では年齢は?」

「――――?」

 ここでリコリスの頭に疑問符が浮かぶ。これではまるで……入学試験での面接のようではないか。

 気を落ち着かせて気配を探る。刃物を突きつけられているにも関わらず、なぜか殺気のようなものは一切感じない。

 ――もしかして。

「……にじゅう、いち」

「ふむ、ならば……結婚はしているか?」

「はぁ? …………してないわよ」

 うるさいだまれ毎日の訓練と座学でそんなこと考える暇も余裕も無かったですよばぁーか! リコリスは心の中で毒づく。

 薄々と感じる。相手は私を試しているだけなのではないか、と。

 その質問に答えた瞬間、何やらふぅん、と鼻をならすような声が聞こえて――その瞬間を見逃さなかったリコリスは、ナイフを持つ手を掴み、背負い投げの要領で相手を投げ飛ばした。「ぎゃふっ!?」と声がするのを尻目に、その流れで腕に関節を決めて動けなくさせる。

「――――ッ! いっ、痛っ! 痛いっす!」

 太陽は既に沈んでいて、周りはほとんど暗くなっている。だからはっきりと見えるわけではないのだが――その少し鼻にかかったような声は、男性のものではないように思えた。そして掴んでみて分かる、その細い手首は、女性の、しかもリコリスよりも若い、少女のように見えた。

 かと思うと、宿舎のような建物に明かりが灯る。そして正面のドアが開くのが見えた。

 暗くて細部までは見えないけれど、人が中から出てきたのが分かる。

「ナナ、そのくらいにしておきなさい。相手のことはもう分かったでしょう?」

「あー、そっすねー。あたしはもう聞きたいこと聞けたから、後はもういいと思ってるっすけど。……んー、とりあえずちょっと動けないんで、助けてくれないっすかね、シズク姉?」

「あなたがちょっかい出したんだから、あなたでなんとかしなさいな」

「そんなご無体なー」

 腕の関節を決められた体勢のまま、そんな軽口を叩く女性、のような誰か。そして宿舎から出てきたもう一人の人物に、リコリスの頭の上では疑問符ばかりが浮かんでいた。

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