第三話:覚醒液
エマは小さな身体で必死にイツキを引きずる。
イツキの血によってエマの身体も血に染まっている。
(まさかあんな行動に出るとは予想外だった…。一先ずラボに連れて帰らないと!)
エマは後悔と苛立ちと疲労を感じながらなんとかラボまでイツキを運び、鋼鉄製の扉に鍵をかける。
最初にイツキが拘束されていた部屋までなんとかイツキを運ぶ。
「……ハッ…ハッ…ウゥッッ____。」
辛うじてまだ息はあるものの、イツキの顔は青白く意識が飛びかけている。
エマはベッドにイツキを倒し止血をする。
(止血をしても既に血を失いすぎている。ここには輸血用の血もない…。このままでは死んでしまう……。
方法は一つしか無い。うまくいくかはわからないけど、今はこれに賭けるしかない…!)
エマはラボの冷蔵庫を開け、小さな白い箱を取り出す。
箱の蓋を外すと中には小さな容器と注射器が入っている。
容器の中には薄っすらと青い液体が入っており、ゆっくりとその液体を注射器に注入する。
準備が整った。
エマは死にかけのイツキに話しかける。
「これからこの【覚醒液】を注射する。この薬はその人の【死なない】という思いに反応して細胞を活性化させ強い生命力を引き出す。
だから諦めずに生きようと強く思い続けて!思いの強さに応じて薬の効果も上がるの!」
その声が果たして死にかけのイツキの意識に届いているかはわからない。
それでも励ますようにエマはイツキに話かけ続けた。
そしてエマは覚醒液と呼ばれる薬をイツキに注射した______。
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(ここは…どこだろう?)
大勢の人が部屋に集結している。皆一様に黒い服…喪服を着ている。
部屋の最前列には写真と沢山の花、そしてその前には棺が2つ置かれていた。
(これは…両親が事故で死んだときの告別式だ…。)
制服の姿で立っているイツキ。
イツキのすぐ目の前には妹の心花が車椅子に座っている。
心花は両親の遺体の入った棺桶を前に声をあげ咽び泣いている。
まだ幼い心花にはこの状況はあまりに酷だった。
(妹が難病を患い、その後すぐに両親が他界した。このときほど絶望したことはなかった。
どうして俺ばかりがこんな不幸に見舞われるんだ…俺は世界一不幸だ__あのときはそう思った。)
目の前で震えながら泣き続けている心花が心配になったイツキは声をかける。
「心花、ここは人も多いし別室で少し休もうか?あまり無理すると身体にも響くから…少し休憩しよう?な?」
心花は背中を震わせ俯き続けるだけで何も答えない。
そのまま心花が座る車椅子のレバーを引き誰も居ない隣の別室へと移動する。
別室で心花を休ませようとするイツキ。
泣きつかれて顔中真っ赤になっている心花にペッドボトルの水を手渡す。
絶望に苛まれている中、なんとか頑張ってそれを受け取る心花。
「…………………。」
イツキ自身も絶望の渦中におり何も気の利いたことが全く頭に浮かんでこない。
寧ろ心に浮かんでくるのは不安と怒り、そして諦めに近い感情だった。
沈黙の時間がただ過ぎていく。
(あのとき俺は自殺することすら考えていた。両親が居なくなってどうやって病気の妹と自分だけで生活していけばいいのか…。
妹の病気は治る目処も無いし、このまま妹と一緒に両親を追いかける様に死を選んだほうが楽なんじゃないか…。そんなことを考えていた。)
「お兄ちゃん…私、決めた!」
突然声をあげる心花に一瞬驚くイツキ。
「心花…決めたって何を?身体は大丈夫か?」
「私…絶対に負けない…。お父さんとお母さんがいなくなって、私も病気になって…正直この世界を恨んでる。どうして私ばかりこんなに不幸になるのって…。
でも…諦めない!生きることを諦めない!お父さんとお母さんの分まで心花は最後までこの不幸に負けずに生き抜いてみせる!私、決めたの!絶対に負けない!」
心花はイツキの顔を真っ直ぐ見てそう言う。
その顔は涙と鼻水でクシャクシャだったが、目には光が宿っていた。
「心花…そうだな!父さんと母さんの分まで生きるんだ!心花の病気だって絶対に治るさ!俺達二人ならどんな困難も乗り越えられるさ!」
イツキも同じく涙と鼻水でクシャクシャの顔で、笑顔で答えた。
(俺はこのとき心花の強さに驚いたんだ。こんな絶望の中でも生きることを諦めないと言った心花の心の強さに。そして自分の弱さを恥じた。
俺はこの状況の中で自分こそが一番不幸な人間だと思っていたけど、それは違う。一番辛いのは心花だったんだ。
でもその心花は生き抜いてみせると言った。心花が諦めていないのに、俺が生きるのを諦めていいわけないだろ!___俺は、俺も、絶対に死なないッッ!)
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「………ッ!…ウゥッ…!………ハッ!」
目が覚めた。気がつくと最初に拘束されていたベッドの上で寝かされていた。
胴体には包帯が巻かれており、身体を動かそうとすると激痛が芯に響く。
「とりあえず一命は取り留めたみたい。」
ベッドの隣で座りながらイツキの容態を伺っていたエマが話しかける。
「俺は…まだ…生きているのか。エマが治療してくれたのか?」
「治療というほどのことはしていない。ただ覚醒液を打った後、体内に残った銃弾を取り出して止血をしただけ。
イツキが今も生きていられるのは覚醒液のお陰。」
「覚醒液…?」
「覚えていない?意識を失いかける寸前だったから無理はないかも。イツキをここに運んだ後注射した薬のことだよ。
この薬を使ったのはイツキが3人目だけど、正直ここまで効果があるんだって驚いてる。」
「たった3人…?!それでもその薬のおかげで命拾いしたのなら、一先ず感謝しないとな。」
「正確には覚醒液だけでなく、イツキの生き残ろうとする意思のお陰でもあるけど。」
「どういうことだ?」
「覚醒液はその人の思いに応じて作用する。それも【死にたくない】や【生き残りたい】という思いに強く作用する。
だからイツキに【絶対に死なない】という強い思いがあったからこそ、覚醒液が強く作用しイツキの生命力を強化した。」
「絶対に死なない…確かに意識を失っている間に昔の夢を見たよ。妹と亡くなった両親の夢だった。あの時夢の中で【絶対に死なない】と強く思ったんだ。」
「この薬は単純に生命力を上げるだけではないの。思いの強さに比例して運動機能も劇的に向上する。
そして投薬された人の細胞の情報を書き換える。細胞分裂するほど覚醒液に影響された細胞が増えていき、時間が経つほど容易に能力が発揮される。」
「つまりこの覚醒液の効果で傷の治りが早くなるだけでなく身体能力も上がるのか…。」
「でもいい事だけではない…。覚醒液が効果をもたらすのは細胞分裂する器官だけ。心臓は細胞分裂しない…。だから覚醒液でどれだけ身体能力が向上しても心臓だけは元のまま。」
「どういうことだ…?」
「覚醒液の情報を簡単にまとめるとこうなる、
・覚醒液は【死なない】という思いの強さ応じて効果を発揮する。
・【死なない】と強く思うほどより傷の再生スピードが早くなり、身体能力も劇的に向上する。
・細胞分裂するほど覚醒液の影響を受けやすくなり、時間が経つほど容易に能力を発揮しやすくなる。
・ただし心臓は細胞分裂しないため、覚醒液の能力を使いすぎると心臓に大きく負担がかかる。能力を使うほど寿命が減る…最悪の場合死に至る…。
以上が覚醒液の簡単な解説だよ。」
「それってつまり、覚醒液のおかげで常人離れした力を手に入れられたけど、そのせいで寿命が減るってことか?」
「端的に言うと、そういうことになる。でも覚醒液の使用例は少ないから未知数なところが多い。」
「皮肉だな。生きたいと思うほど寿命が減っていくなんて……。」
「………………………。」
エマは何も言わない。
「それでも、この力のお陰でなんとか命を繋ぎ止められたのも事実。
未知数なことばかりで正直少し怖いけど…撃たれた傷以外は今は特に何ともないしきっと大丈夫さ!
イツキは明るく発言した。
実際今回死なずに済んだのはこの覚醒液のおかげであり、まだ能力の弊害も実感していない。
心臓への負荷も実際は大したことないのかもしれない。
悲観的に考えてもしょうがないし今は生きていられることに感謝しよう、とイツキは前向きに考えることにした。
「それで、これから俺はどうすればいい?出来れば転移装置でそのまま元の世界に戻してくれると有り難いんだが…。」
「転移装置はイツキを転移したときに壊れた。父がつくったものだから私では直せない。」
エマが俯きながら言う。
「それじゃあ俺はもう元の世界には戻れないのか?」
「地上へ行けば直せる人間がいるかもしれない。地上はクルドよりも圧倒的に技術力が高い。
現にクルドで使われている技術は元々は地上から供給されたもの。
あなたが元の世界へ帰るためにも地上へ行く必要がある。」
イツキは内心どうしても地上へ行かないといけないこの展開を訝しんだ。
(なんだか話がうまいな。いいように使われようとしているというか…。)
それでもイツキの心は既に決まっていた。
エマを一人でこの危険な街に置いておくわけにはいかない。
地上に安全な世界があるというなら、そこに連れて行ってあげたい。
加えて命を救ってもらった恩もある。
イツキにとって最初から見捨てるという選択肢はなかった。
「わかった。一緒に地上へ行こう。でも何をすればいい?」
「まずは傷を癒やして。ここに運ばれて意識を失って丸一日経ったけど、まだ傷は塞がりきっていない。
何より血を多く失いすぎたから何か食べないと。傷が癒えるまで外出せずにここで安静にしていて。」
「そういえば今でも身体を動かそうとすると痛みが全身に響くな…。頭もクラクラする。」
「とりあえず何か栄養がありそうなものを作るからそこで寝ていて。」
「お!エマが料理をしてくれるのか!いつも自炊だから人に料理を振る舞ってもらえるなんて久々だな。」
「期待しないでね。とりあえず何か食べられるものを作るだけだから。クルドではまともな食べ物を手に入れるのも大変なんだよ。」
エマはベッドで横になるイツキを残して部屋の奥へと消えていく。
しばらくすると何かを加熱する音と香ばしい匂いが漂い、イツキの空腹を刺激する。
イツキは天井を見ながらふと心花のことを思い出す。
(今日もお見舞い行くって言ったのに約束破っちゃったな…。心花は怒っているだろうか?
早く元いた世界に戻って心花にこの世界のことを話したいな。きっと信じないだろうけど。
今はとにかく無事に帰れるように頑張ろう。)
エマが調理に励む間、イツキは妹のことを想う_____。
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