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仕事のために部屋に引きこもる/使用人たちとの顔合わせが終わるのを待ってクレアを庭園に誘う
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使用人たちとの初顔合わせ──それは館を取り仕切らなくてはならない女主人の、重要な仕事の一つだ。
ルイスは自分に何度も何度もそう言い聞かせて、朝食を終えたクレアが家政婦マ…マリリエンヌ(←ルイスは未だに抵抗を覚えるらしい・笑)に連れられて食事室から出ていくのを忍耐強く見送った。
使用人“たち”と言ったって人数は十人ほどでしかないし、館の敷地もそんなに広くないから、厩舎番や庭師のところまで足を運んだとしても、大して時間はかからないはず。
それが終わったら、クレアを庭園に誘うんだ! あの運命の日に結ばれたはずの絆を、もう一度結び直すために──!
心の中で決意を密かに叫んでいたルイスの頭上に、バーナードの冷ややかな声が降ってきた。
「何踏ん張ってるのか知りませんけど、とっとと食事を終わらせてキリキリ仕事を始めてください」
両手のこぶしをテーブルに押しつけて耐え忍んでいたルイスは、はっと顔を上げて傍らに立つ従者のバーナードを見上げる。
「何で仕事があるんだ!? 結婚後しばらくゆっくりするために、前倒しで仕事したじゃないか!」
……実際のところは、結婚式当日までクレアと会わせてもらえなかった鬱憤を、仕事に没頭することで紛らせていただけなのだが。
その事実をバーナードは何となく察していたが、忘れたフリして無情に告げた。
「所領の管理というものは、次から次へと起こる問題を解決していくのが、主な仕事内容です。問題は待っちゃくれません。昨日、結婚の祝辞とともに陳情書もたくさん寄せられました」
「何で祝いにかこつけて文句を言ってくるかな……」
頭を抱えて項垂れたルイスに、バーナードはしれっと言った。
「幸せに浮かれている時なら、領主も寛大に問題解決してくれると期待してるんでしょうね。何か月分もの陳情書が集まったようなありさまです」
「……わかった。仕事する」
どうせクレアはマ──マリリエンヌに連れていかれてしまったし、クレアと過ごせないならルイスのやれることは仕事しかない。
そう言ってのろのろ立ち上がると、バーナードはこれまでの冷ややかな態度をころっと変えて、称賛の声をかけてきた。
「よい心がけです。──それでお願いしたいことがあるのですが、踏ん張るのでしたら食事の席ではなくトイレをご利用ください」
「おまえは、僕がここで何をしようとしてたと思ってるんだ!?」
仕事ははかどった。
何故はかどったかというと、マ──独白の中でまで努力するのはやめよう(←ルイスの開き直り)家政婦が一日中クレアを解放しようとしなかったからだ。
素直なクレアは一言も言い返さず家政婦の話に聞き入っていたようで、それに気を良くした家政婦は使用人たちとの顔合わせだけでなく、それぞれの仕事についてもことこまかにクレアに教え込んでいたようだった。
おかげで昼食、夕食時にしかクレアと顔を合わせることができず、その貴重な食事中もろくに会話が弾まないまま、試練の夜を迎えてしまう。
試練──そう、これはまさしく、ルイスにとって試練だった。
愛しい女性と寝室を共にするというのに、その女性に手を出せないなんて。しかも、その女性が自分の妻だというのにだ!
そうさ、クレアは僕の妻だ。抱きたいと思って何が悪い。
開き直る心とは別に、ルイスの良心がささやく。
昨夜のクレアを忘れたのか? まるで自らをいけにえの羊のようにおまえに差し出そうとしたクレアを。
諦観の表情とうつろな瞳。
あんな、絶望したような痛々しいクレアを身勝手に抱いて、おまえはそれで満足するのか?
「あの……」
か細い声が耳に入ってきて、ルイスははっと我に返った。
ここは寝室。目の前には扉。どうやらルイスは、扉を閉めたところでどっぷり考えごとに浸っていたらしい。
振り返って見ると、クレアは思いの外近くに立っていて、ルイスは思わずびくっと体を震わせてしまった。
と同時にクレアもびくっとし、ふいと目を逸らしてしまう。
「ご、ごめん! 違うんだ! え、えっと……」
上手い言い訳が思い付かない。
おろおろと口ごもっているうちに、クレアは背を向けて歩いていってしまった。
せ、せっかくクレアから声をかけてくれたのに……。
自分のふがいなさにがっくりきながら、クレアのナイトガウンを着た後ろ姿を食い入るように見ていると、クレアが不意に振り返る。
またもやびくっとしてしまいそうになるのを何とかこらえると、クレアはルイスと視線を合わせようとしないまま、かき消えそうな声で言った。
「今晩はこちらでお休みになるんですね……?」
その言い方が本当は嫌だと言っているように聞こえて、ルイスは少なからず傷つきながらも、クレアを安心させようと慌てて言う。
「君が嫌だったら僕は他のところで寝るから! って言っても、この部屋のどこかでってことになるけど!」
寝室を別にしようものなら、そこから夫婦仲が悪いと憶測されてしまう。いや、本当に悪いと言える状況なのかもしれないが(冷汗) ともかく、そんな噂を立てられるわけにはいかないのだ、二人の名誉のために。
この寝室に続き部屋があればそちらで眠るという手もあるのだが、あいにくそれはなく、人が入り込めるようなクローゼットすらない。
ならば衣服はどこに収納されているかというと、両隣にルイスとクレア、つまり夫婦の衣裳室があって、そこで寝巻に着替えてわざわざ廊下を通って寝室に入らなければならないから、手間なのだ。この館を建てた曾祖父も、その辺りを考慮してくれればよかったのに……。
という余談はさておいて。いや、核心をついているか。衣裳部屋から寝室に直接入れる扉があれば、今悩むこともなかったのだ。
「あの……?」
「あ、な、何かな?」
いかん、また意識が彼方を旅してたようだ。
怖がらせず、怯えさせず、優しく紳士然として微笑むと、クレアの表情が幾分和らいだような気がした。
「その……お嫌でなければ、ご一緒に……」
くらっと意識を失いかけるも、心の中で自分を叱咤してなんとか持ちこたえる。
クレアはさっき“お休みになる”って言ったじゃないか! だからそーいう意味じゃない!
「き、君も今日は大変だったろうから、早く休もう。ガウンをこっちへもらうよ。僕が柱にかけるから、君は先にベッドに入るといい」
動揺を隠そうとして、余分なことを言い過ぎた。
遠慮がちに背を向けガウンを肩から抜いたクレアに、ルイスの目はくぎ付けになる。
分厚く無粋なガウンの下から現れたのは、体に沿う薄い寝巻に包まれた、ほっそりとした肩と背中。
女性らしい曲線が肘のところに引っかかっているガウンの中に消えてゆき、それが妙に艶めかしい。
自分の手のひらでその曲線を確かめたいという誘惑を押しのけてガウンを受け取り、自分のガウンと会わせて四柱式のベッドのガウン掛けにガウンを掛ける。
ルイスに言われた通りベッドに先に入ったクレアは、何故か横になろうとせず、毛布の中で膝を立てて座っていた。
待っててくれるのかな?
そう思うと何だか嬉しくて、ルイスはいそいそとクレアが空けてくれている側に回った。
今年30歳になるルイスと17歳のクレア。
貴族の結婚ならこのくらいの年齢差はごく普通だが、30歳の男から見た17歳の女性は、大人の女性であることを意識することもあれば、幼さを感じさせられることもある。
立てた膝に胸元を埋めるようにして隠すクレアは、常より子どもっぽく見えて、ルイスの熱くなりかけた心身をなだめてくれる。
歳の離れた小さな妹だと思えば、同じベッドで何もせず一緒に眠る苦行も何とかしのげるかもしれない。
毛布の端をめくってベッドの中に滑り込むと、クレアが不意に口を開いた。
「今日……マリリエンヌさんに使用人の皆さんに紹介していただいて、洗濯室で働くエルモさんという女性とも話したんです」
ルイスは、驚きのあまり息を飲んだ。
クレアが僕に話しかけてくれている!
結婚式場で再会してから、初めてのことだった。
飛び上がって喜びたい気持ちを押さえ、ルイスもクレアと同じように膝を立ててベッドの上に座る。
「その……彼女とどんな話をしたの?」
洗濯女中の名前まで覚えてやしないルイスは、ごまかしながらクレアに話の先を促す。
クレアは少しためらった後、話を続けた。
「エルモさんは、今朝のシーツを見て心配してくださったんです。“昨夜は大変だったんですね。奥様のお体は大丈夫ですか”って。心配する相手が違うと思ったのですが、もしかしたら内緒にしておかなければならないことかと思いまして、それで──え?」
そこでクレアは話を途切れさせて息を呑む。
次の瞬間、館中に悲鳴が響き渡った。
「いやあぁぁぁ! 誰か! 誰か来て!」
館の中がひっくり返るかというくらいの大騒ぎが収まった後、ルイスは夫婦の寝室で高くした枕の中に頭を沈めていた。
隣にいるのはクレアではなく、残念なことにバーナード。
「私は男性と同衾する趣味はないのですが……」
「はらひらほまっはら、おまへはへはひもろっへひひ」
「何をおっしゃってるのか、さっぱりわかりません」
そう言いながら、バーナードは水でしぼった布をルイスの鼻の付け根に当てて冷やす。
不意打ちだったのだ。
まさかクレアの口から新婚初夜に関わる話が出てくるとは思わなくて。
気が緩んだ頭は一瞬にして叶わなかった新婚初夜を妄想し、この有様だ。
ルイスはたくさんのティッシュを手の中にくしゃっと握り、それで鼻から流れる血をせき止めている。
ルイスがこんな有様だから、今宵クレアは客室で休むことになった。
こうしてルイスは、二度目の夜をしのぐことができた。
「非常に残念ですね。この鼻血が今朝にあれば、腕に変な入れ墨を入れなくて済んだのに」
「やははひーは!(やかましいわ!)」
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