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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

自殺の邪魔をされる人

作者: めーぷる

なんやかんやでとうとう最後の砦だった親にも見放された、最早生きている意味がない。というわけで私は死ぬことにする。さようなら、世界。


「待ちなさい!」


両手で握ったナイフを自分の喉に突き刺そうとした瞬間、辺りに誰かの声が響いた。突然現れた人の気配に驚いた私は咄嗟にナイフを手放して声のした方向を振り替える。


「…誰?」


振り返った先には金持ちっぽい服を着た上品そうな男がいた。優男という言葉が似合う風貌だ。けれど怒ったように顔を強張らせているお陰で台無しになっている。勿体ない。


「誰、じゃありません。今貴女は何をしようとしていたのですか?」


棘を含んだ声。その声と責めるような話し方で私は察する。どうやら怒ったよう、ではなく、本当に怒っているみたいだ。だからあんな顔をしているらしい。


「答えなさい、何をしようとしていたのかを」


面倒な事になった。彼が怒っている理由は考えなくても分かる。この人は命を粗末にするのが許せないタイプの人間だ。ご丁寧に私が行おうとしていた行為について聞いてくれてるが答えは既に察しているに違いない。けれどわざわざ言い訳のチャンスを与えてくれているのだ、ここは何とか誤魔化そう。自殺志願者と断定されればこの人は絶対付きまとってくる。間違いない、そういうタイプだ。


「別にぃ?ちょっと遊んでただけですけどぉ?」

「…遊んでた?遊ぶためにこの森に来たのですか?人っ子一人訪れない事で有名なこの森に?わざわざ一人で?何もありませんよね?」


怪しまれている、誰にも迷惑を掛けまいと人の来ない場所を選んだのが裏目に出たらしい。みんな私の死体なんか見たくないだろうと思って村からこんな所まで来たっていうのに、親切心が仇になってしまった。


「誤魔化したって無駄です、死のうとしていたのでしょう?」

「違いますぅ」

「やめなさい、その喋り方」


というか、この男の方こそどうしてこんな場所にいるのだ。人っ子一人訪れないはずの森の中で人に会うなんて考えてみればおかしい。ひょっとすると後をつけられたのではないだろうか、現れたタイミングも丁度私が死のうとした時だったし。


「ていうかぁ、あなたの方こそぉ、どうしてこんな所にいるんですかぁ?もしかして私についてきたんですかぁ?ストーカーですかぁ??こわぁ~い」


大袈裟に身体をくねらせながら怖がる素振りをしてみせる。真偽はともかくストーカーの疑いを掛けられて冷静でいられる人間などいないはず。この男も私の自殺未遂の事なんか忘れて慌てふためくに違いない。


「家に帰る途中、人気のない森に怪しい足取りで入っていく少女を偶々見掛けましてね。直ぐに乗っていた馬車を停めて後をつけました、心配だったものですから」


平然とした様子でここに来た経緯を説明してくれる。ちょっとくらい動揺してくれたっていいだろうに、つまらない男だ。


「なので、道中で貴女が呟いていた自殺を匂わす発言の数々はしっかりと聞いています。言い逃れは出来ませんよ」


何てことだ、聞かれていたのか。どうせ誰もいないと思って時折歌ったり踊ったりもしていたのだがそれも見られていたのだろうか、恥ずかしい。


「さあ、何をしようとしていたのか正直に… いえ、質問を変えましょう。貴女は何故死のうとしているのですか?」

「別に死のうと何てしてませんけどぉ?」

「くどい、誤魔化しはもう結構です。あと、次その喋り方をしたら本気で怒りますからね」

「生まれつきこういう喋り方なんですぅ」

「…そうですか、分かりました。貴女は私と話をする気など無いというのですね。ならば無理に話を聞こうとするのはやめておきましょう」

「是非そうしてくださぁ~い …ん?」


突然腕をがしっと掴まれる。諦めてくれるのかと思ったのにこれは一体何の真似だろう。


「事情を聞くのはやめて、私の家に連れて帰ります。自殺なんて出来ないよう厳しく監視してあげますから覚悟なさい」

「へ?」


聞き間違いだろうか、いきなり自分の家に連れて帰るだなんて、まるで人攫いのする発言ではないか。おまけに自殺が出来ないよう監視するとも言ってるように聞こえた、それは困る。私はここで死ぬと決めたのだ、邪魔をされる訳にはいかない。


「さあ、行きますよ」

「ちょっ待っ、引っ張らないで!離してよ!」

「嫌です」 

「離せったら!」

「離しません」

「ああもう、ちゃんと話をすればいいんでしょ?してあげるからこの手を離しなさいよ」

「いえ、どちらにせよ連れて帰るつもりでしたので。話をする代わりにそれをやめろというのならしてもらわなくて結構です」

「な、なによそれ!ふざけんじゃないわよ!何で私があなたの家に行かないといけないわけ!?」

「死のうとしていたからです。それがなくとも、どうせ帰る家など無いのでしょう?ならば保護をしない訳にはいきません」

「…親とかいるし」

「見放されたんですよね?」

「……本人の承諾もなしに無理矢理連れていくつもり?そんなのただの誘拐よ、拉致よ!この人攫い!」

「人攫いで結構。ほら、早く歩いて」

「このっ、引っ張らないでってば!離して!離せ!はあーーなあーーーせえーーーー!!」

「あっ!こらっ! ...うぐぅ!?がはぁっ!?」


やった、振りほどいた。もう一度腕を掴もうと手を伸ばしてきた奴の股間に私はすかさず蹴りを入れ、位置の下がった顔面に全力のアッパーを叩き込む。これでしばらく動けまい。奴が怯んでいる内に私はさっきまでいた場所へあれを拾いに走って行く。


「逃がしませんよ!」


後ろから奴の声が聞こえてくる。ちらっと背後を見てみれば奴は苦痛に耐えるように顔を歪めながらも私を追ってきていた。なんたる執念。そこまで必死になって私を保護しようとする意地の強さには敬意を評する。が、もう遅い。私は既にさっき手放してしまったあれを、ナイフを、拾って手元に戻している。私は奴の方を振り返ってにっこり笑いながら言ってやった。


「ざーんねん!あなたが私を捕まえる前に私は死ぬわ!さようならぁ、お人好しのお兄さん!」


私は目前に迫っているあいつを嘲笑うように両手で握ったナイフを自分の喉に突き刺し、喉を抉るように柄を動かしながら思い切り引き抜いた。瞬間、私の喉から滝のように血が溢れでる。


「げほっ…がふっ…」

「なっ…」


強烈な痛みが走ると同時に全身から力が抜け、体が地面へと崩れ落ちる。想定では即死するはずだったがしっかり痛みを感じているあたり、まだ死ぬのに時間が掛かりそうだ。人間という生き物は存外しぶとく出来ているらしい。だが、こうなってしまえば最早助かる見込みなどないだろう。その事実に私は満足する。


(痛い、痛い痛い痛い痛い痛い!!あははは!!死ぬ!死ぬんだわ!この痛み、この感覚!!即死しないのは想定外だったけれど問題ない!私はもう助からない!!私の人生はここで終しまいよ!痛い痛い痛いいいいははははははははあっはっはっはっはっはっはっはっは


回復(ヒール)!!』


っはっはっはっはっはっは…は?…ん?…あれ?)


ぴかっと光が見えたと思った次の瞬間、痛みがスッと消えた。まるで何もなかったかのように。天に召されたのだろうかと一瞬思ったがいや、多分違う。体になんの違和感もない。健康体のいつもの感覚だ。私は困惑しつつも手を動かし、喉に触れてみた。


(…治ってる。)


間違いない、治ってる。血で濡れてはいるが傷は完全に塞がっている。これは一体どういうことだろう。訳が分からないので状況確認の意味を込め周囲に視線を向けてみる。すると、引き気味の顔で私を見下ろすあいつと目があった。


「...驚きましたよ。まさか、ここまで躊躇いなく自分自身を傷付ける事ができるとは… いえ、確かにさっきも死のうとはしていましたが… それにしたって…」


何やらぶつぶつと呟いている。が、私としてはそれどころではない。確実にこの世からおさらば出来るものだと思ったのに五体満足で生きながらえてしまっているのだ。何だかよく分からないが生き延びてしまったというのなら直ぐ次の行動に移らなくては。さっさとしないとこいつに死ねないようにされてしまう。


「おっと、またやろうとしていますね… させませんよ。これは危ないので預かっておきます」

「ああっ!!」


しまった、ナイフを取られてしまった。


「返して!」

「駄目です」

「返せ!」

「駄目」

「それがないと困るの!私は刃物以外での自害の仕方を知らないんだから!」

「へぇ、それは良い事を聞きました。これを返さない限り貴女は死ねないのですね」

「あっ、このっ!懐に仕舞うな!それは私がちゃんとお金を払って買った物よ!貴方に奪う権利があると思ってるの!!」

「これは失礼。はい、ナイフの代金です」

「えっ、こんなに… いやそういう問題じゃない!お金何ていらないのよ!返せ、返せ!このっ!このっ!」


どうにか奪い返そうとパンチやキックを繰り出す、が全て綺麗に躱される。さっきは当たったのに。


「ああもうっ、こうなったらあの街に買いに…」

「行かせると思うのですか?」

「あっ」


また、腕を掴まれる。さっき掴まれた時よりも力が強い。どうやら本気にさせてしまったらしい。


「まあ、街には行きますけどね。私の家はそこにありますし。…よいしょっと」

「うわっ、ちょっ」


如何にしてこいつの手を引き離すか考えようとした矢先に、私の体が持ち上げられた。そして、こいつの胸の前でしっかりと抱き抱えられる。これはあれだ、幼い頃に絵本で見た事がある。王子が姫によくやるやつだ。腰と膝に手を添えて持ち上げるあの抱き方だ。


「な、なんで持ち上げるの?」

「女の子に対し手を引っ張って連れていくというのはどうかと思いましたので。少し窮屈でしょうが森を出るまでの辛抱です。外には馬車が停めてありますから」


確かに、歩かされるよりも大分楽だ。けどそんなことはどうでもいい。私はこのまま大人しくこいつに保護されてやるつもりなど毛頭ないのだ。いきなり抱き上げられた事には驚いたが考えてみればこれはチャンス。今ならパンチが当てやすい。


「隙だらけよ!」


こいつの顎めがけて右ストレートを繰り出す。当然、顔のすぐ下からの攻撃を避けられるはずもなく私のパンチはこいつの顎に命中した。した、にも関わらず、こいつは私を抱える腕の力を緩める事もなく、そのまま森の出口に向けて歩き始めている。


(あ、あれ?効いてない?)


ならばもう一発。今度は左を食らわせてみるもやっぱり効いてない。そこから何度も何度もパンチを放ったがあまり効果は見られない。何でだ。


「先程の急所へのキックは堪えましたが、貴女のように華奢で小さな女の子にそんな体勢から殴られて怯むほど、私は柔じゃありませんよ。…とはいえそう何度も殴られると流石に痛いので出来ればやめてほしいですけどね」


一応効いてはいるらしい、怯みすらしない程度みたいだが。腕っぷしには結構自信が有ったのだけれど、もしかして私って非力なのだろうか。…いや、そんなはずはない。少なくとも股間を蹴った時に食らわせたアッパーは効いていた。がはあっ、とか言っていたし。今パンチが効かないのはこの体勢が全ての原因だ、こいつもそう言っている。決して私が非力だからではない。…筈。なんだかなけなしのプライドが傷つけられたような気がする。


(…まあ、死ぬんだからどうでもいいか)


そう、死ぬのだ。問題はこの状況からどうやって死ぬかだが。ナイフを奪い返すのはもう無理な気がするので諦めた方がいいだろう。逃げるのも… 多分無理だ。この腕から逃れた所できっとすぐ捕まる。悔しいが逃げ切れる自信がない。さっきまではあったが無くなってしまった。ならば、ナイフが無くても、こいつの監視下でも死ねる方法を考えるしかない。


(何か、何かないの?この状況でも死ねる方法は )


頑張って考えてみるが、確実に死に至れる方法は何も思い付かない。もたもたしている間に私の体は運ばれていく。


(もう、こうなったらヤケよ!今出来る事を片っ端から試していくわ!)


私は思い付く限りの自傷行為を試していく事にする。死ねるかは分からないが何もしないよりましだ。まずは、目を潰してみよう。右手を右目に、左手を左目に、勢いよく突っ込む。


「やめなさい!」

「うひゃああ!?」


…つもりだったが、突然体を宙に投げ出されたおかげで狙いがずれ、失敗に終わった。そのまま地面に落ちるかと思ったがしっかりとキャッチされ元の状態に戻った。


「はあ、全く。今、自分の目を潰そうとしていたでしょう?油断も隙もない」

「してない、言い掛かりはやめて」

「いいえしてました。貴女は自殺願望だけでなく自分を傷付ける趣味まであるのですか?」

「ああ、やっぱり目を潰した程度じゃ死ねないのね」

「死が狙いでしたか。まあ、確かに出血等で死んでしまう事もなくはないのかも…?」

「よし、じゃあ」

「させませんよ!」

「うわっ!?ああああああ!!」


またもや体が宙に浮く。今度は投げ出されるだけに留まらず、空中で車輪のように回転させられた。くるくると回りながら再びこいつの腕にすっぽりと収まる。


「これ以上投げられたり回されたりしたくなければ、大人しくするように。いいですね?」


仕方ない、目を潰すのは諦めた方が良さそうだ。こいつが見ている限り手を使った行為に及ぶのはおそらく不可能だろう。ならば


「…返事は?」

「はいはい」


ならば、手を動かさずに、こいつに悟られずに出来る事を探すしかない。手が使えないのなら、足… では何もできないだろう。足が駄目なら、歯… よし、舌を噛み切ってみよう。いっせーのーせっ。


(っ…)


想像以上の激痛、口内に血の味が広がる。しかし、舌の感覚はしっかりと残っている。思い切り噛んだのだが、切るまでには至らなかったようだ。舌というのは柔らかそうに見えて意外と頑丈らしい。


「…ん?」


おっと。おそらく顔が痛みで歪んでいたのだろう、怪訝な視線を向けられている。一度疑いを持たれてしまえば悟られるのは時間の問題だ、早急に事を済ませなくてはならない。一回で噛み切れなかったのなら噛み切れるまで噛めば良いだけのこと、私は直ぐに二回目を実行する。


ガブッ


切れない。やはり口を閉じたままでは無理があるのだろうか。もう一回。


ガブッ


もう一回


ガブッ


もう一回


ガブッ


もうい

『…回復(ヒール)

っかぁ……い…?


一体全体何だというのか。また、謎の光が見えると同時に痛みが消えてなくなった。この感覚では舌の傷も間違いなく無くなっているだろう。もう少しで切れそうな気がしたのに。


「ところで貴女、名前は何というのですか?」

「何で教えなくちゃいけないの?」

「嫌ならば言わなくても構いません。…やっぱり、舌を噛んでいたのですね。血が零れてますよ」


口を開いた事で溜まっていた血が零れ落ちていく。案の定舌を噛んでいたことは悟られてしまったようだ。今の質問はその確認のためか。


「この際だから言っておきます。私がいる限り、自傷行為に及んでも無駄です。私は回復魔法が使えるので」

「へ?」


突然の暴露。魔法といえば、火を起こしたり水を生成したり出来るとかいうあれだ。確かにそんなものが使えると言うなら、こいつの仕業だったと言うのなら、これまでの訳の分からない謎現象にも納得がいく。


「だから、諦めなさい」


でも、私は魔法とやらを実際に目にした事が一度もない。噂はよく耳にするが正直ただの妄想だと思っている部分もある。ハッタリの可能性もあるし、こいつの言う事を鵜呑みにする訳にはいかない。…いや、ハッタリだ、ハッタリに決まっている。ハッタリじゃないと困る。回復魔法なんてそんな迷惑な物が実在してはならない。


ガブッ


「えっ!?『回復(ヒール)』!!!」


どうせバレると思って今度は限界まで口を開いて勢いよく舌を噛んでみた。けど、噛み切る事は出来ず、おそらく出来たであろう傷も直ぐに治される。舌がこれほどまでにタフな器官だとは思わなかった。


「何故また噛むのです!?回復できると言っているでしょう!」

「いや、本当に使えるのかなあと思って」

「使えます、今確認しましたよね?貴女のやっている事は無意味なんです、分かりましたか?」


確かに使える事は間違いないみたいだ、非常に残念だが。だけど、さっきから一々必死なのが気になる。目を潰しても舌を噛み切っても治せるのなら別に焦る事もないだろうに。回復魔法が使えるといっても何かしら制限とかがあるんじゃないだろうか。


ガブッ


「『回復(ヒール)!!!!』……無駄だと言っているでしょう!?一体どういうつもりですか!?」

「無駄っていう割に随分焦ってるじゃない。あれでしょ?その魔法って回数制限とかあるんでしょ?」

「そんなものはありません、何度だって使えます。貴女がどれだけ自分を傷付けようと……


ガブッ


………………『回復(ヒール)!!』いい加減にしなさい!!!」

「ふふっ、やっぱり!あなたのその反応が答えよ!動揺しまくりじゃない!」

「違います!動揺しているのは制限があるからではなく……


ガブッ


…………『回復(ヒール)!』制限があるからではなくてですね!!」


ガブッ


「『回復(ヒール)!』治せるからといって傷付いてもいい理由にはならないでしょう!?私の反応はごくごく普通の反応です!まともな感性を持つ人間なら誰だって動揺しますよ!!」

「その魔法が使えるのは後何回?あなたの様子を見るに、そろそろ限界かしらぁ?」

「人の話を聞きなさい!」

「うぎゃっ、もがっ!?」


抱っこの状態から地面へと叩きつけられ、口の中に手を突っ込まれる。この男、いよいよ余裕が無くなってきたようだ。私の扱いが雑になってきている。


「…そもそも、肝心な事を言い忘れていました。治る治らない以前に、舌をいくら噛んだところで死ぬことはできません」

「あうぇ、うぉうあお?」

「そうです、本当の意味で無意味なんです。だからもう止めなさい」

「あうぁっは」

「よろしい」

「ぷはっ」


口からこいつの手が引き抜かれる。当然ながらその手は私の血で真っ赤だ。ついでに、腕や胸元も。血に染まって服の柄が分からなくなっているけれど、気にならないのだろうか。高そうな服だったのに。


「あなたの魔法って、汚れを落としたりは出来ないの?」

「残念ながら。汚れが気になりますか?」

「うん、あなたの汚れがね。高そうな服だったから大丈夫なのかなって」

「…気を使ってくれているのですか?」

「こう見えて結構思いやりがあるのよ、私」

「その思いやりの心を是非、自分自身にも向けて下さいね」


また私を抱っこするつもりらしい、腰と膝に手を伸ばしてきた。


「ねえ、ちょっと待って」

「どうしました?」

「私、急に死ぬのが怖くなったわ。今すぐ村に帰ろうと思うの。だからもう放っておいてくれていいわよ」

「ああ、はいはい。よいしょっ」

「産んでくれたお母さんに感謝しなきゃ!生きてるって素晴らしいわ!私、生きるのが楽しい!」

「それは良い兆候ですねぇ」


抗う間もなく仰向けの状態から抱き上げられる。駄目で元々嘘を吐いてみたが今更騙されてはくれないようだ、残念。


「ところで、本当に舌を噛んでも無意味なの?噛み切っても?」

「ええ、無駄です。ただ痛いだけですよ。……次噛んだら、口と体の自由を奪いますからね」


自由を奪う。具体的にどうするのかは分からないが嫌な響きだ。おそらく、自分の意思では身動き一つとれないという生き地獄のような状態にされるのではないだろうか。それは流石に嫌だ。舌を噛み切って死ねるのかどうか確かめたかったがここは大人しく従っておこう。


(うーん… どうしよう?死ぬ方法… こうなったらもう、こいつの家に行ってから考えた方が良いかしら?自殺に使えそうな道具がたくさんあるだろうし)


こいつの家に行けば火なり刃物なりいくらでもあるだろう。使わせてはくれないだろうけどこいつも人間だ、チャンスは必ず来る。下手に暴れて自由を奪われるよりも、このまま大人しく連れてかれて隙を伺った方が良いかもしれない。


(でも、家に連れてかれたら負けな気がするなぁ、こいつの思い通りになってるみたいで何か悔しい し。はぁ、本当は今頃死んでるはずだったのに… もう息をするのもめんどくさい… 息をするのも… 息を… 息… 息…しなければいいんじゃない? …そうよ!息をしなければいいんだわ!息をしなければ死ぬじゃない!何で思い付かなかったのかしら!)


息をしなければ死ぬ。いくら回復魔法でも死んでしまえばどうにもならないだろうし、意図的に止めている呼吸をどうこうする事だって出来ないだろう。これはいける。早速、今まで当たり前のように繰り返し続けてきた呼吸という行為を止めてみる。


…開始。呼吸を止めるというのは一体どういう感じだろうか、少しワクワクする。


…20秒経過。まだ止めたばかりだが、早々に苦しさを感じ始めた。


…30秒経過。結構苦しい。30秒程度でこれとは、中々きつい道のりになりそうだ。


…40秒経過。生まれて初めて呼吸の大切さというものを実感する。


…50秒経過。死ぬにはまだまだ遠い。


…60秒経過。何やら呆れたような視線を感じる。


「…今度はそう来ましたか」


…70秒経過。どうやら悟られたようだ。だが、どうにもできまい。お前は黙って私の死に行く様を見届けるがいい。


「息をしなければ死ねると思ったのでしょうが、それも無意味です。自分の意思で呼吸を止めても死に至る事は出来ません」


…80秒経過。何を言うかと思えば、呼吸を止めても無意味ときた。いくらなんでもそれはないだろう。人は息をしないと生きられない、幼子でも分かる事だ。


「何故なら、死ぬ前に意識を失うからです。人は呼吸をしなければ意識を保つ事すら出来ないのですよ」


…85秒経過。…意識を失う、それは本当だろうか。意識を失っても命には何の影響もないのだろうか。


「信じられないというのなら試してみなさい。その場合、気がつけば私の家で看病されているという未来が待っていますが」

「…げほっ …すぅーーふぅーすぅーーーはあぁ」

「それでいいのです。…………ほっ」


あの落ち着きとあの自信、恐らく本当なのだろう。まさか、息を止めても死ぬ事が出来ないだなんて。私は人間の生命力を過小評価していたようだ。ここで死ねないと言うのなら、今意識を失うわけにはいかない。


「これで、万策尽きましたよね?もうこれ以上余計な事はしないように」


確かに、今私に出来る事はもうないだろう。けどこの後は違う。こいつは森の外に馬車があると言っていた。それに乗って家に行くというのならそこが逃げ出す最大のチャンスだ。乗せられる位置は間違いなくこいつの隣だろうけど、運転中に私を見張る事は難しいはず。隙を突いて馬車から降りればきっと逃げ切れる。


「…あ。ねえ、この後って馬車に乗るのよね?」

「はい、そうですよ」

「運転するのって、あなただよね?」

「違いますよ?」

「…」


そこは肯定して欲しかった。まさか、専属の御者でもいるのだろうか。運転するのがこいつじゃないというのなら逃げ出せる可能性は低い。やはり、大人しく家まで行ってからチャンスを伺うべきか。


「なるほど、私が馬を操っている隙に逃げ出すつもりだったのですね?」

「…そうだけど」

「残念ながら御者が居ます。そろそろ私が戻るのを待ちくたびれている頃でしょう」

「あっそ」

「貴女の事だからどうせ、馬車がダメなら家で、とか考えているのでしょう?なら、これも言っておくべきでしょうね」


何か嫌な予感がする、家に行っても逃げる事など出来ないと言うつもりだろうか。不安げにこいつの顔を見ていると、私を見ながら意地の悪い笑みを浮かべやがった。性格の悪い奴だ。


「馬車で待っているのは御者だけではありません、私の使用人もいます、命令に忠実な使用人が。勿論、家にもね。それがどういう事か分かりますか?」

「…金持ち自慢?」

「私は馬車に待機している三名、及び家にいる百二十の使用人全てに、貴女を厳重に監視するよう命じます。一瞬たりとも貴女にチャンスを与えないように。つまり、馬車に乗った時点で貴女が逃げたり自殺したり出来る可能性は今より更に下がります。家に着けばもっとですね」

「………え」

「家での監視は五人一組を予定しています。基本的には私と、あと四人といった形になりますね。私の手が空いていない時は他の者を代わりに入れた五名で、その者達に用が出来たらまた他の者と交代させるといった感じで」


絶望で視界が歪んで見える。こいつ一人でも厄介なのに、私の自殺を阻む者が後何人も増えるというのか、最悪だ。死ねる可能性が一番高いのが今だとは思わなかった。五人体制で監視されたら自殺何か絶対できない。馬車にも三人いるらしいし、ここで逃げなければ私はあと何日も何週間も強制的に生きさせられてしまうのではないか。そんなの絶対に嫌だ。


「部屋はどんな部屋がいいですか?要望があればお応えしまあっ!?危ない!落ちますよ!」

「落ちていいわよ!ていうか落として!いつまで私を抱っこしてるつもり!?」

「いきなり暴れないで!大人しくして下さい!」

「嫌よ!死ねる可能性がどんどん下がるっていうなら絶対に今死んでやる!私はもう生きるつもりなんてこれっぽっちもないのよ!」

「ああっ!!『回復(ヒール)!』また舌を噛みましたね!?やめろとあれだけ言ったでしょう!!」

「うるさい!知った事じゃないわ!私の体をどうしようと私の勝手よ!」

「しまっ…『回復(ヒール)!』何故躊躇いもせずに目を潰せるのです!?もっと自分の体を大切にしなさい!」

「だから死ぬって言ってるでしょ!大切も糞もないのよこんな体!!」

「このっ… 今すぐ暴れるのをやめないと身動きをとれないようにしますよ!いいんですね!」

「む…」


身動きを取れないようにする、同じような言葉をさっきも聞いたが実に効果的な脅しだ。現に乱れていた私の心は一気に冷静になった。この体がどうなろうと構いはしないが動きを封じられるのだけは嫌だ。そのまま殺してくれるならいいが動けなくされた上で生かされるのだから地獄以外の何物でもない。


「脅迫なんて卑怯、下衆の所業よ。あなたはきっと地獄に落ちるわ」

「それで貴女を助けられるのなら、喜んで地獄に落ちますよ」

「私を助けたいと思うなら死なせてちょうだい」

「死なせません。貴女はま…」

「死なせて」

「だめです。私は…」

「死なせて」

「何度言っても絶対にダメです。頑張って生きましょう、ね?」

「うるさい、私は今日死ぬって決めたのよ」

「でも、死ねませんよ?どんなに願っても私が貴女を死なせません。叶わない願い事は忘れた方が楽になれますよ」

「願い事を忘れろなんて最低ね」

「私は貴女に生きていてほしい。それは、貴女が死ぬのを考え直す理由にはなりませんか?」

「なるわけないでしょ」

「さっきから態度に棘がありますね… もしかして、拗ねてます?」

「…別に」


拗ねてはないが怒ってはいる。私は今直ぐにでもこの世界からおさらばしたいのだ。それを散々邪魔された挙げ句、今後もずっと死ねないようにされるというのだから怒らない方がおかしい。


「あーあ、誰かさんがいなければとっくに死んでる筈だったのになあ。誰かさんのせいで死ねなくて辛いなあ、誰かさんのせいで」

「ふふ、やっぱり拗ねてるじゃないですか」

「拗ねてない、怒ってるの」

「どっちでも大して変わりませんよ。ところで、貴女はお菓子を食べた事がありますか?」

「何よ突然」

「私の家に来れば、普通は滅多に口に出来ない甘いお菓子が好き放題食べられます。監視されるからといって、貴女にとって悪い事ばかりでもないのですよ」

「今更美味しい食べ物なんて求めてないわ。ああ、そうだ。私、今日から何にも食べない事にする。あなたの家で餓死するから、死体の片付けよろしくね」

「食事をしないつもりですか?それは困りましたね。あまり強引な手段は取りたくないのですが…」

「また脅す気?」

「鼻から管を通して流し込むか、胃に穴を開けて直接送り込むか、それとも…」

「…体を大切にって言ってなかった?」

「命が最優先ですので」


鼻から管、胃に穴、そんなの聞いた事もないが医療の発達した町では可能なのだろうか。いや、医療技術を使うとは限らない。胃に穴を開けて食べ物を突っ込んでから回復魔法を使うとかそんな感じかもしれない。何にせよ、餓死をしようとしても上手くはいかなそうだ。いい案だと思ったのだが。


「あ、もうすぐ出口です。これから馬車にいる私の使用人達に会う事になりますが、貴女って人見知りとかは……しないから大丈夫ですね」


こいつの進行方向に顔を向けてみると、森の入口で見た「何もないから入るな」と書かれた看板が少し先に立っていた。いつの間にか出入口に近付いていたらしい。


「その使用人って、男?女?三人いるって言ってたわよね、それぞれ歳はいくつ?」

「女性が一人、男性が二人、歳は女性と男性一人が二十前半で、後の一人が五十後半です」

「あちゃあ、ごめんなさい。私、四十越えの男が近くにいると気持ち悪くて吐いちゃうの。悪いけどその馬車には乗れないわ」

「じゃあ、彼には歩いて帰ってもらう事にします。それなら乗れますよね?」

「え、えぇ?降ろしちゃうの?それはちょっと可哀想なんじゃ…」

「大丈夫、ここから家までそう遠くはありません。馬車で二時間程度の距離ですからね、徒歩で帰るとしても………まあ、そんなには掛からないでしょう」

「あー……うん…やっぱり大丈夫。四十越えがいても平気そう。その人も一緒でいいわ」


こいつ、結構本気で鬼畜野郎なんじゃないだろうか。五十後半となればもうそこそこの年齢だ、体が弱っていてもおかしくない。そんな人間に馬車で二時間の距離を歩いて帰らせるだなんて。私が軽蔑の視線を向けてみれば、こいつは何故か嬉しそうな微笑みを私に返してきた。


「素晴らしい。自分でも言っていましたが、貴女はちゃんと思いやりの心を持っているのですね」

「無い方が珍しいと思うけど」

「誰にでもある当たり前の物を持っているというのは、大事なことなのですよ」

「…何が言いたいの?」

「つまり、貴女は素晴らしい人間だから死ぬなって事です」

「急に適当ね」

「とにかく、死んではいけません。死んでしまったらそれで終わりです。いいですか?死のうとしたら駄目ですよ、貴女は死んではいけない人間なんです」

「しつこい。駄目も何も、あなたが死なせてくれないじゃない」


全く腹ただしい。こいつの言ってる事が本当なら、私はこれから何人もの人間に監視されながら生活する事になるのだ、一体どうやって死ねというのか。こいつ一人相手にすら為す術がないっていうのに。


「その様子だと、諦めが付いたみたいですね。取り敢えず一安心といった所でしょうか」


ほっと息を吐いて満足げな表情を浮かべたこいつを見て、私の怒りが頂点に達する。冗談じゃない。


「言っとくけど、諦めた訳じゃないから」


少し負け惜しみ染みているがこれは事実だ、私は諦めてなんかない。諦めてなるものか。


「…そうですか」


呆れたような、残念そうな、複雑な顔をしながらこいつは声を発した。その声には悲しみが混じっていて思わず罪悪感を感じてしまったが、そんな事を気にするようでは自殺なんて出来ない。


「断言する。あなたが私に今してる事も、これからしようとしてる事も、全部無意味になる。時間を無駄にしたくないのなら、今の内に私を手放す事をおすすめするわ」

「無駄になるというのは貴女が死ぬからという事ですか?それなら問題ありません。絶対に死なせませんから」

「後悔するわよ」

「しないように全力を尽くします」


言ってから気が付いた、これでは余計こいつをやる気にさせてしまっている。諦めたと思わせて置いた方が絶対に良かった、私は一体何をやっているのか。…まぁいい。これは私の人生最後の戦いだ、そう簡単に終わってしまってはつまらない。…いや、本当は直ぐにでも終わらせたいけれど、ここは前向きに考えよう。死ぬのが難しくなればなるほど、自殺に成功した時にこいつを嘲笑う事が出来る。苦戦の末の自殺はきっとそれ以上ないくらいの達成感を味わう事が出来る筈だ。


(何がなんでも死んでみせる!厳しい戦いになるだろうけど、絶対に勝利を納めるのよ!)


視界に眩しい日の光が入り始めた所で、私はそう心に誓った。

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