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東プロイセン戦役とティルジットの和約

 さて、年は明け1805年になった。


 そしてタレーランをスウェーデンに交渉に送ったあと、スウェーデンで起こったのは政変であった。


「ふむ、スウェーデンの国王グスタフ4世と側近のフェルセンが国外へ追放されたか」


 かつてのスウェーデンは、フランスと友好関係を築くことが外交における基本方針であった。


 しかし、フランス革命が起こると反フランスにまわりロシア帝国との同盟を考えるようになった。


 そのためにグスタフ3世は1791年にロシアとの8年間の軍事同盟を結び、グスタフ4世は1799年にロシアと8年間の軍事同盟を締結していた。


 グスタフ4世はマリーアントワネットの愛人でありフランスへ送り込んだスエーデンのスパイでも有ったハンス・アクセル・フォン・フェルセンを重用しており、彼はフランス革命時にルイ16世ら国王一家が窮地に立たされると、綿密に計画を立て、国王一家の脱出のために超人的な行動をした。


 しかし、マリー・アントワネットが無茶な主張と要求を突きつけその結果国外逃亡の実行が1ヶ月以上も遅れ、結局フランスの国王一家はテュイルリー宮殿を脱出した5時間後に露見し捕まると、ルイ16世とマリー・アントワネットは処刑された。


 その結果フェルセンは最愛の人であったマリー・アントワネットを殺したフランスの民衆をたいへん憎むようになり、フランス共和国を絶対的に敵対視しており、グスタフ4世もその影響を大きくうけていた。


 しかしスウェーデンの国内では農業の不振をはじめ、北海の制海権はフランスと同盟国のデンマー=ノルウェーに抑えられている以上交易もろくに行えないという経済の厳しい状況に対処できず、議会も無視し、強引に反フランス政策を押し通そうとしたグスタフ4世はスウェーデン国民の反感も買ってしまった。


 そしてグスタフ4世に対して軍人や貴族らがクーデターを起し、グスタフ4世はフェルセンとともにロシアに追放された。


 その後国王には先代王のグスタフ3世の弟であるカール13世が即位しフランスとスウェーデンは同盟を結ぶことになった。


 やがてタレーランがフランスに帰国した。


「お疲れ様だったね。

 よくやってくれた。

 これで東プロイセンに逃げたプロイセン軍やロシア軍にだけに専念できるよ。

 スウェーデンにバルト海域を抑えさせればロシアの牽制もできるだろうしね」


「まあ、スウェーデンの貴族や軍人は元々グスタフ3世の時代から王家に対して不満を持っていたようでしたからな」


 さてこれで準備はできた。


 まず、フランスの海軍をデンマークの協力の元でバルト海へ派遣し、ロシアのバルチック艦隊を一掃することにしよう。


 この時期のロシアのバルチック艦隊は正直強くはない。


 1788年から1790年まで続いたロシア・スウェーデン戦争における 「スヴェンスクスンドの海戦」でロシアは64隻の艦艇を失ったのに対し、スウェーデン側の被害は4隻の艦を失っただけであった。


 そして本来であらばこの後に行われる1808年7月と1809年8月に行われた英露戦争のフィンランド湾での海戦でもイギリス艦隊はバルチック艦隊に勝っている。


 そのロシア海軍に黒海で敗北しているオスマントルコの海軍は更に弱いのではあるのだがな。


 大陸ではプロイセンのベルリンを拠点として防寒装備を整えた軍を東プロイセンに派遣する。


 フランス軍が東プロイセンに進軍するとポーランド人はフランス軍をロシアからの祖国の解放者として熱狂的に迎え入れ、ポーランド人の義勇兵も合流する。


 そしてケーニッヒスベルグ手前のフリートラントの戦いにおいてオッシュ率いるフランス軍はロシア・プロイセン連合軍に完勝し、ケーニヒスベルクを陥落させ、プロイセン軍を壊滅させた。


 その頃バルト海へ突入したフランス海軍もロシアのバルチック艦隊に勝利を収めていた。


 フランス陸軍と海軍、そしてスウェーデン軍は共同してロシアの首都サンクトペテルブルクを攻撃しそれを陥落させ、ロシア軍は壊滅した。


 その後、私はプロイセンとロシアの国境ティルジットに赴きプロイセン及びロシアとの和約を結んだ。


 ニーメン河に大きな筏を浮かべて繋ぎとめ、その上に真っ白な天幕を張って、ロシアのアレクサンドル一世、プロイセンのフリードリッヒ・ウィルヘルム3世、スウェーデンのカール13世とで会談を行いプロイセン及びロシアはポーランドより撤退してポーランドを独立させること、スウェーデンに対しては北方大戦争以前の領土をスウェーデンに返還する取り決めをきめた。


 どちらに対しても賠償金は求めず、フランスへの領土の割譲も要求しなかった。


「これでスウェーデンとポーランドがロシアへの壁となってくれるであろうし、オーストリアやプロイセンへの牽制にもなるはずだ」


 私の言葉にタレーランが言った。


「そううまくゆくと良いのですがな」


 私は肩をすくめた。


「ああ、できれば上手く行ってほしいものだ。

 そしてこれからが君の出番だよ」


「と、申されますと?」


「ヨーロッパ全体での話し合いを行うようにしよう。

 これ以上無益な争いは続けたくない」


「なるほど、承知いたしました」


 このあたりでヨーロッパの他国との落とし所を見つけておくべきであろう。


 兵もそろそろ戦争には嫌気がさしている頃であろうからな。

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