ネイル
ドライヤーのプラグをコンセントから引き抜く時に、ビデオデッキのデジタルを覗いたら――12月になっていた。
鴉の行水を見たことがないから、確かなことは言えないが……おれが浴槽に浸かっている時間は、それに近いほうだと思う。
フリーズドライ製法ではなく、生麺タイプで軽く湯通しする程度だ――と言ったら過言ではあるが、逆上せて立ち眩みを起こすことが屡あるから、熱い時は特に長湯をしないよう心掛けている。
しかし、今日……じゃない。
昨日は、いつもより長かった。
入浴剤が乳白色だったからじゃない。
睡魔と熱戦を繰り広げていたからでもない。
微温湯に浸かっていたわけでもない。
人生の話じゃないから……。
案の定、洗い場と浴槽を隔てる高い敷居に腰掛けて――治まるのを待った。
何でこの高さなのか、よくわからない。
そこだけ掘るか、建物全体をボトムアップするか……プールみたくすりゃいいのに。
危なっかしぃ。
そのうち怪我人が出るぞ。
おれ……じゃなくても別にいいが、今度家を建てる時はバリアフリー設計にしなきゃいけない。
プールでおしっこ――ケガした人間が言うセリフじゃねぇけど……。
先生の言う通り、プールサイドは走っちゃいけない。
「激しい運動は控えるように」と言った主治医は【その行為】に関して、何か注意事項でも挙げただろうか?
……イチイチ相談も報告もしないか。
携帯の請求書が入っていた封筒の、のりしろの部分を上手に破ってパーティー開き風に広げた。
備えあれば憂いなし。
――あれは、ウソ。
どれだけ備えたって、メチャメチャ憂いはある。
おれに限ったことかもしれねぇけど……。
一応――爪を切った。
AV男優ほどじゃないが、おれの中ではかなり深爪の部類に入る。
おれはボーリングをすると、親指(右利きだから、右手)の爪が変な角度で割れる。
その度に、親指の右上(人差指に近いほう)だけがカケた異形の深爪になる。
カルシウム不足かもしれない。
背も伸びなかったし……。
根本的に、学校給食が間違っている。
毎昼食、ご飯に牛乳て……。
まぁ、パンの時もあったけども。
それがなければ、もっと飲んでいたかもしれない。
基本的に、牛乳嫌いではないから。
まぁ……金を出してまで飲もうとは思わねぇけど。
――後悔後立ち。
今ある選択肢に、後悔しないものはひとつもない。
十指を、深爪切り男〈フカヅメキリオ〉状態にした。
柄に付いている普段は使わないヤスリで、引っ掛かりがないように面取りもした。
序でに、足の指の爪も切った。
こっちはいつもと変わらない程度に。
たぶん……ソレで、紗唯を傷付けるようなプレイはしないだろうから。
爪を切ったくらいで、急にテクニックが身に付くわけでもない。
おれには紗唯をイかすことができないだろう。
生かすことも……。
散乱した破片を中央に寄せて落ちないように丸め、請求書在中をゴミ箱に捨てた。
夜中に爪を切るのは縁起が悪いらしいが……今のおれに不幸を感じさせる事象は、今のおれには見当が付かない。
森本家の家事担当者の訃報を聞いたとしても、だ。
これから何かと不便になると思うことはあるかもしれないが、それが不幸だとは思わない。
望みもしない組み合わせのTCGAを新たに生成した親には、運命に問責される義務がある。
死は、繁殖する生命体全てに強いられる贖うべき当然の報いだ。
であるならば、遺伝子を未来に残せない紗唯が今を生きられないことは、不自然だ。
もしも……生命を産む経緯にある行為でさえも贖罪の対象になるのなら――カラダが繋がり合うことで、素直に受け入れられるのだろうか?
紗唯の命運も……いつか必ず訪れる自分の死も……そして、罪深き彼女の――。
観賞し終わったDVDをMebiusから出して、ケースに戻した。
――ぁ。
辞表を提出した日の夜、MURAMASAを購入した。
懐に余裕はないんだけど……かなり思い切った。
HDD機能に魅力を感じたからじゃない。
デザインと……名前の響きで、最初から「コレ」と決めてエイデンに行った。
ホイールパッドでカーソルを移動させる時、予期せずクリック状態になってしまうからマウスも。
ホコリで動きが鈍くならない光学のやつ。
少し時間にゆとりができるだろうから、タブレットまで……衝動買いした。
またもや、田中且行の時間を奪ってしまった。
テレビの時ほどじゃねぇけど……。
LaVieはおれの私物だが、最期まで社用で使うことにした。拾う神があれば、その後くれてやるつもりだけど……こんな縁起の悪いプレミアの付いたノートパソコンを欲しがるやつなんて、滅多にいないだろう。
両サイドのPUSHボタンを押してコネクタをケツから抜き、充電ランプが消えた携帯を開けた。
紗唯がやって来る。
カローラも同伴だ。
こっちで1泊する。
――最新の着信履歴を閉じた。
プレゼントが要る。
誕生日に逢うから、
ってわけでもない。
恋人同士だったら、
自然に求めるコト。
――返信内容は、正夢に託すことにしよう。
こうやって悩んでること自体、おれにとっては夢のような話だけど……。
逆夢にならないことを祈って……。
アラーム設定を確認して、枕許に置いた。
12月1日1時21分――液晶画面の灯りが消えた。
部屋の灯りを消した。
ベッドの角に左足の小指をぶつけて、敷布にそのまま、うつ伏せで倒れ込んだ。
治まるのを、待った――。
大好きなおにぃちゃんと
また……
大好きなマコっちゃんと
声が――
セックスがしたいです
ダブった。