専一夜
LaVieのお尻にUSBケーブルを接続して、文書をプリントアウトした。
A4用紙に有り余るほどの余白を作った真っ黒なMS明朝体は、何の面白味もなかった。
一身上の都合――毎回そんなことはない筈なのに……定型句というのは、実に良くできている。
いつ詰問されてもいいように、ちゃんとした言い訳を用意しておかなければならない。
会社にではなく……紗唯に対して。
自分が重荷になっている、と思ってほしくない。
そう考えている時点で、既におれ自身が紗唯を重く感じているのかもしれない。
でも……それを悟られるわけにはいかない。
――どうして人は、働くんだろう?
「労働」と「仕事」では、微妙にニュアンスが違う。
働くことが自由意思で、1ランク上の生活を望む者だけが利益社会に参入するのなら、こんなにも不良債権が膨らむことはなかっただろうし、その処理もスムーズに行えた筈だ。
日本は豊かな国だ。
他国から嫉妬の圧力がかかるくらい……。
だから、社会保障も整備されている。
若者の生産性を、隠居した老人が食い潰す制度を「保障」とは呼ばない。
全ての人が働かなければならないという切迫感は、パラサイトシルバーの意識改革ひとつで改善できる筈だ。
公的資金だって【あるべき場所】に注入すれば、決して無駄にはならない。
トドのつまり、トップは金を自由にできる権力を有してはいるが、金の価値をコントロールできていない。
支配者になりたがる特殊な人間は、自分より優れた生物の存在を否定したい筈だ。
だから、金や会社といった無生物に支配されることを良しとして、その秩序の中でトップを目指す。
おれたち凡俗は、ルールを変える力も無く、働くしか生きていく術がないと諦め、人生の大半を労働に費やす。
金融システムも、結局は神ではなく人が創り出したものだから、人の意志ひとつでどうにでもできる筈なのに――崩壊の一途を辿っている。
限られた物を奪い合う手段として、金という交換価値は有効な制度ではあるが、生産力が向上した現代にあって、貨幣はそれほど重要な役割を果たすだろうか?
時代の趨勢は、金を単なる数値のやりとりにしかしなくなる。
そこから苦しみや悲しみを読み取れる読解力のある子供たちが、どれだけ育つだろう?
……何で、人は働くんだ?
利益社会に属する人間は大勢いるが……生きがいを感じられる仕事に就くことができるのは、ほんの僅かしかいないだろう。
殆どの人間が流されて――それなりに求められる居場所に落ち着く。
働く理由もわからずに、労働に明け暮れる。
おれも例外じゃない。
だから、今は【強制的な出費】を組むことで、労働のモチベーションにしている。
やりたい仕事が見付からないから、とりあえず学校に行って時間を稼ぐ――そんな幼い考え方が、未だに続いている。
まぁ、暫くは失業給付金で――8ヶ月で自己都合退職……受給資格あんのか?
だけど、武士に二言はない。
ブスに言いたいことは、山ほど……。
封筒に、手書きした。
年賀状を返す時と、ご祝儀と……香典にしか使わなかった筆ペンで。
おれん家のプリンターは、そんなに仕事ができるタイプじゃないから。
おれが仕事を辞めても、日本のどこかでは就職するやつがいて――幸福も金と同じように絶対数が決まっていて、誰かが幸せになるとどこかで誰かが不幸になっていて――紗唯が死んでも、世界のどこかでは生まれてくる命があって……もう、寝よっ。
久し振りに、自分のベッドに入る。
自分で働いたカネで買ったわけじゃねぇけど……。
生きるために必要な最低限の衣食住は、名目上国が支えてくれていることになっているようだが――生まれてから今までのおれの暮らしは、おれ以前に生きてきた森本家の先祖の稼ぎによって成り立っている。
それは事実ではあるが、親に敬意を表す気持ちは起こらない。
育てることを前提に子供を産むのなら、そのことに関して恩着せがましくクドクド言うのは間違っている。
と、父に不向きなおれは思う。
感謝されるかどうかは教育方針に左右されるが、どちらにしても……家庭を労働の口実にはできる。
「仕事とワタシ、どっちが大事なの?」
大切なものは、数えきれないほどある。
それらは全て、順番をつけられないくらい大切だ。
と、卑怯なおれは思う。
「一番大切なキミを幸せにするために、仕方なく働いているんだ。それぐらいわかるだろ!」
――ありがちな口喧嘩だけど、男のセリフは正しいのだろうか?
もしそうだとしたら……仕事を辞めるおれは、紗唯を一番だと考えていない?
働きたくないから、紗唯を優先しているフリをしている?
紗唯が逝った後、愛する人の死を無気力になる言い訳に利用して――働かずして、親類や友人から同情を買う。
その不労所得で、一生食い繋ぐ。
狡猾な頭脳は、そこまで計算して紗唯を受け容れた。
そして、邪なオレを否定する良心もおれの中にはあることを承知で、そいつが表に出て悲劇の主人公を演じることまで読んでの行動だ。
ずっと無職ってわけにもいかないから、働かなければならない理由を探さなければならない。
再三再四、履歴書の志望理由欄を虚偽で埋めなければならない。
……シボウ、リユウ……。
紗唯に詰め寄られることを想定して、余計な詮索をさせないような筋の通った理由を用意しておかなければならない。
そういう葛藤さえも、演出に過ぎない。
なんと浅ましいことか……。
少なくとも、今の仕事は生半尺な奇蹟が起こる可能性が高そうだから。
と、恋に不慣れなおれは思う。
――だぁ〜っ!
自分の枕は眠り辛い。
自分で働いたカネで買ったわけでも、度胸試しに店からパクったわけでも、強運を駆使して懸賞で手に入れたわけでもねぇけど……。