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第三日

 日付が変わった。

「悪かったね、迷惑かけちゃって」

 漸く――解放された。

 完全な静寂とはいかないけど……いびきや寝言には、合いの手を入れなくて済む。

 末松忠はコタツをめくってモルツの缶を拾い、ビニール袋に入れて、持つところを蝶々結びで結んだ。

 パンパンになった小さいビニール袋の中で数個のアルミがこすれる音がした。

 清水勝生の頭の後ろ――ソファーの陰に、そのゴミは静かに置かれた。

「どうして……まだ引っ越さないんですか?」

 店舗の改装にはもう少し時間がかかりそうだが、オーバーエイジ枠を設けて特別契約した居住区のほうにはいつでも入居が可能だ。

 それなのに、末松忠の入居予定日は来年の2月初頭になっている。

 にしても……昔のおれは、こんなストレートに訊けるような性格じゃなかった。

「十三回忌が済んでから、って思ってね」

 襖が開いて、仏壇が現れた。

 座布団に腰掛けたりんの横に立て掛けてある小さな遺影に歩み寄って、末松忠は正座をした。

「成人の日に……今年は違うけどね」

 その背中は――淋しそうに小さく丸まっていた。

「振袖姿を見届ける、って約束したのになぁ……」

【当日】に想い出のある人にとっては、全然ハッピーじゃない連休制度だ。

 力なく立ち上がって居間に戻って来た鰥夫やもめは写真立てを表向きに寝かせて炬燵こたつ机に置き、おれの前にそっと押し滑らせた。

 産婦人科の寝台で生まれたばかりの赤ちゃんを抱いた――遺影としては相応ふさわしくないのかもしれないが……【女】の一番幸せな笑顔を見せた瞬間が、そこには納まっていた。

「美人だろ?」

 スッピンではあるが、確かに美人で……どことなく似てきた。

「僕には勿体無い位の……やっぱり、勿体無いって思ったのかなぁ」

 開けた襖はそのままに――末松忠は、座敷から遠い末席に腰を落ち着けた。

「……仏様は」

 おれは……仏教徒じゃない!

「サウザー、って知ってるかい?」

「……北斗の拳っすか?」

 199X年を無事に過ごした末松忠が、大きくうなずいた。

「愛ゆえに、人は苦しまねばならぬ。愛ゆえに、人は悲しまねばならぬ」

 不幸を前提に……それを不幸だとは感じないきずなつむぐ――。

「苦しんだって悲しんだって……そういうもんでいいんじゃないっすか? 愛って」

 愛ゆえに――乗り越えられる!



「富川の……家内の御両親がね、言ってくれたんだ」

「辛くなったら、いつでも別の居場所を求めればいい」

「誰も責めたりしないから」

「あの子のためにも幸せになってくれ、って……」

「僕は充分過ぎるほど幸せで……だけど、娘のことを愛してくれる男性を目の前にして……あの時の御両親の気持ちが、やっと理解できるようになったよ」

「愛されることは幸福で……愛させることは、不幸なのかもしれないね」

「あの子がそう思っているかどうかはわからないけど……電車乗り継いで会いに行っちゃうんだから、そんなことはないか」

「生きてる間も……その後も……」

「まだまだ、これから色々と迷惑をかけると思う」

「一途であることが、真実の愛とは限らない」

「……僕が言えたことじゃないけどね」

「幸せが何なのか、考える機会が多くなると思う。自分にとっての……相手にとっての……」

「どんな選択肢を選んだとしても、後悔は残ると思う。それはとても重要な、分岐点だから……」

「たった一つしか未来に持っていくことはできないけど……正しいことはたくさんあるんだ、ってことを……」

「間違ってないよなぁ……香澄」

 古そうな振り子時計が「ボーン」とひとつ鳴ってから、もう一度ひとつ鈍い音を鳴らすまで――おれは一言も口をはさまず……素面の愚痴を聴き続けた。


☆☆


 7時だった。

 酒の抜けた清水のおいちゃんは、異様にテンションが低かった。

 彼の鼾の所為だけではないが……あまり寝てないおれも、それなりにテンションが低かった。

 まぁ……睡眠時間に左右されず、おれの寝起きのローテンションは今日に限ったことじゃない。

 紗唯は、ヘビーローテーションの制服に着替えて朝食の準備をしていた。

 制服が可愛いからという理由で毎日のように着てるから――その時はまだ、紗唯が学校に行くつもりだということに、おれは気付かなかった。

 末松家の朝は、米派らしい。

 森本家の朝は、ばぁちゃんが入院してからパンになったようだ。

 まぁ、おれは高校に入る頃からパン派に転向してるから、その変化に関して異論はない。

 と言うか、何を食おうが個人の自由だ。

 家族だからって、無理に合わせる必要はない。

 13年振りの……朝から味噌汁だ。

 円卓には、その他に、たくあんの入ったプラスチック容器が1つと、目玉焼きとポテトサラダと小さいカニコロッケが盛られた皿が人数分並んだ。

 あ、お茶もね。

 それから、割りじゃない使い捨てじゃない箸も。

 どっちが醤油かを紗唯に訊いて、おれは卵焼きにかけた。

 清水勝生は皿全体にソースをかけた。

 ……普通、醤油だろ。

 1階の寝室から起きてきて、父親がコタツに着いた。

 外から戻って来た娘が、朝の挨拶をして新聞を手渡した。

 番組欄にだけ目を通して、末松忠は空いている席に着いた。

 ご飯の上に目玉焼きを乗せて……ほら、やっぱ醤油じゃん。

 紗唯は、塩だったけど……。


☆☆☆


 昨日はそこら中ブラブラしていたが……家から歩いて3分くらいのところに、高校はある。

 車を出すほどの距離でもない。

「送ろうか?」

「だいじょぉぶ、いっぱい寝たから。ゆっくりしてって」

 紗唯は当初の予定通り、1人で学校に出掛けて行った。

 ……おれのセリフは、間違ってたんじゃないだろうか?

 遠距離恋愛中の恋人だったら――。


☆☆☆☆


 2時だった。

 おれは――爆睡ばくすいしてた。

 末松忠が9時半頃、携帯でパチスロ仲間らしき人物と喋っていたとこまでは覚えてるんだけど……。

 11時11分に着信があった。

 山崎英伸――高校時代3年間同じクラスだった、今でも交流のある友人だ。

 彼は現在、工場で昼夜3交代4勤2休の12時間労働を強いられている。

 このご時世に忙しいのは有り難いことではある。

 休みの日、偶に電話を入れてくる。

 たぶん……パチンコの誘いだろう。他の用件で掛かってきたためしがないから。

 折り返したけど……電波の届かないところにあるか、電源が入っていなかった。

 ――寝てるだけでも、腹は減る。

 大袋の一口チョコレートが、まだ半分くらい残っていたので……アルファベットを組み合わせてみた。

 ――完成した。

 ファミリーネームの7文字(ツはTU)を順番に食い終わったところで、家主が帰ってきた。

 ホストはゲストに、ヤマザキの菓子パンとコーヒーを淹れてくれた。 

 ヤマザキと言えば……トーストの形をしたリクライニングチェアが欲しくて、点数を集めてハガキを3枚送ったけど、一向にモノが来ない。

 発送を以って発表に代えさせて頂くタイプの懸賞だったから、ハズレ確定だ。

 職業欄に、パイロットだとか作家だとかソムリエだとか――虚偽で埋めたのがいけなかったのか?

 必ずもらえるお皿は、点数が集まる毎に当たるのに……。

 わかったことは――いくら相手が知るよしもないことでも、嘘はよくないということと……現在日本には、おれよりもラッキーなやつが2万人以上いる。

 今日の山崎は……ツいてたかな?


☆☆☆☆☆


 3時半になった。

「いいですよね。誰かの夢を支援したいっていうの」

 いつの間にか――そういう話題になっていた。

「普通は社会人になって自分の力でいろいろ叶えていくんだろうけど……時間がないから。娘が存在した、ってことをみんなに伝えたくてね……親バカだろ?」

「いぇ……すごいです。そういう考え方できるの」

「すごかないよ」

 父親は、照れ笑いをホットで冷ました。

「子供ができれば、みんなそうなるさ」

 例外はいる。

 その例外じゃないっていうのが、すごいことなんだ。

「この人は、偉い!」

 ……始まった。


☆☆☆☆☆☆


 ホームルームが終わったくらいの時間に……酒にめっぽう弱いカツオから逃れるようにして、おれは来客用駐車場に乗り付けた。

 レヴィンの中からメールを入れると、すぐに返信があった。

 何回かメールのやりとりをした。

 道案内をする時に、リアルタイムで声の情報を利用できないのは不便だと――そういう機会は滅多にないから、別に構わないか。

 今春に新築されたという校舎に着いた。

 名義上は「新校舎」ということになっているらしいが……どう考えても、中高生をターゲットにしているとは思えない。

 広いエントランスロビー、インフォメーションカウンターにオシャレな帽子を被ったおネェさん――。

 絵画にピアノに英会話に料理――案内図を見ると、確かにアーティスティックな活動を支援するカルチャースクールではあるらしいし、人材の育成を目的としている部分もあるが……「生涯学習施設」と言ったほうが近いかもしれない。

 一流ホテルのような外観の。

 駅地下に無料駐車場があったから、車で来れば良かったと後悔したが……10分くらいのウォーキングも、たまにはいいか。

 ……何で駅自体は、古いまま残したんだろう?

 駅前開発に際し、住民の様々な思惑が働いたのだろうが……おれが言及することじゃない。

 紗唯の【旅立ち】に不都合が生じなかったのだから、おれ的には無問題モーマンタイだ。

 ここから電車に乗って――紗唯は来た。

 赤い電車が出発するのが、上って行くガラス張りのエレベーターから見えた。

 因みに……エレガはいなかった。

 定員が1人増えると、回転率のアップに繋がる。

 目方が2人分のやつにとっても、細身が1人いないだけで助かる場合もあるから、喜ぶべきことだろう。

 4階に到着した。

 先ず、トイレに入った。

 ぃや……レストルームと呼んだほうがいい。

今までおれが拝借した中で、一番綺麗だった。

 トイレットペーパーで鼻をかもうと思って開けたドアは、どんな芳香剤かはわからないが、とてもいい香りがした。

 丸めた鼻紙を水面に浮かべて……何となく、こっちで小さいほうをしてみた。

大を我慢できない人が立て続けに入ってきて、最後の人が間に合わなかったとしたら……いつかおれ自身にそんな日が訪れても、今日のたった1度の行いの所為で、おれには文句を言う資格はなくなった。

 腰を浮かすと、ソリッドを飲み込むくらいの大津波が押し寄せて――液体は、勝手に流れた。

 30台以上ものパソコン(単一機種ではなく、複数メーカーの複数機種)やら周辺機器が並ぶその部屋を「デジタルーム」と命名したのは、新校舎設立に多額の出資をした理事長だそうだ。

 誰も反対する者がいなかったのは……彼女が多方面に渡り、多大な権力を有しているという噂があるからだろう。

 いくら何でも、静岡県民じゃない人間にまで影響を及ぼす力まではない筈だが……文句は言わない。

 おれは、事なかれ主義者だから。

 以前にテレビで見た、プレステ2のソフトを作っている企業のように仕切りのある空間は、Macブースになっていた。

 おれがデザイン的に好きなCubeもあった。

 今のおれの部屋には似合わないから、新家屋を作ったら買おうと思っていたが……いかんせん、金がない。

 部屋を建て替えるどころか……新型のパソコンを買う金すら。

 視線を部屋の中央に移すと、見覚えのある制服姿が6つ、SONYのVaioを囲んでいた。

 椅子に座ってディスプレイを覗いていた女子高生が、おれに気付いて左手を軽く振った。

眼鏡を掛けていなかったから顔はわからなかったが――近くまで行ったら、やっぱり紗唯だった。

 ……そのうち、コンタクトにしよう。

 液晶画面の向こうから――ジュリアーノのすがるような猫目が、視線を動かさずにじっとこっちを見詰めていた。

 やはりおれには、救われる資格がないのだと――その瞬間、ふとよぎった。

 撮った本人も……それはない!

 と、思いたい。

 紗唯は部員じゃないが、デジカメ部の連中に、時々写真の編集とかをしてもらうらしい。

 編集と言っても、画そのものをイジるんじゃなくて、コメントを付けたり、枠組を入れたりする程度だ。

 写真部じゃなく、デジカメ部かぁ。

 ……ぃや、写真部は写真部でちゃんと存在してるんだろうけど……時代の流れだなぁ。

 クロロホルムの臭いが立ち篭る現像室は、確かに紗唯の体に悪い。

 嗅いだことないから、どんなかわかんねぇけど……。


☆☆☆☆☆☆☆


 しゃぶしゃぶを食った。

 食い放題の店で、清水勝生が奢ってくれた。

「放題」言うほど食えねぇけど……他人の金だから、まぁいっか。

 昨日の夕飯で予想外の出費を強いられたので、このタダ飯はラッキーだった。

 金だけ置いて帰ってくれるのが一番ラッキーだが……そうは問屋が卸さなかった。

 昨夜聞いた話を、24時間経たないうちにそのまま繰り返された。

 どうでもいい話を覚えているのは、なぜだろう?

 使えないという意味では、学校の勉強と何ら変わりはないのに……。

 BSE騒ぎも一段落して、牛肉を扱う業界も復活していくだろう。

 特に焼肉は、日本の国民食のさいたるものだ。

 おれはそんなに食わねぇけど……。

 末松忠が飲まなかった(始めからその予定でカローラを出した)ので、紗唯とはそのまま駐車場で別れた。

 レヴィンのエンジンをかけ、携帯を見ると【着信あり】になっていた。

 最新の着信は無視して――19時35分の、山崎英伸の携帯にリダイヤルした。

 13連チャンして7万勝って、ファミレスでワインを飲んでる最中だった。

 ……独りで。

「残念だったな。来てれば奢ってやったのに」

 ――どうしておれと一緒に行くと、勝ってくれないんだろう?

 って言うか、一緒だと勝てないのに、どうして相性の悪いおれを誘うんだろう?

 明日の健闘を祈って、電話を切った。

 行かなかった日は「負けなかっただけ儲かった」と思うことにしている。

 出費ゼロでは収まらなかったが、この数日はそれ以上の収穫があった。

 行きは高速を使ったが、帰りは――急ぐ必要がないから、下道を通って家に向かった。

 よく考えると……ふたりっきりの時間がなかったような気がする。

 勿論、それが目的で静岡まで来たわけじゃないけど……。

 これから――そのチャンスは、どれくらいあるんだろう?


☆☆☆☆☆☆☆☆


 今日中に、家に着いた。

 母屋に入ると、エンジン音に気付いたおかんが2階から降りて来る足音がした。

 20時前に電話をしてきたのは、こっちで間違いないだろう。

「明日、休みなの?」

 洗面所のドアを開けたところで、後ろから声を掛けられた。

「仕事」

 スリッパを履いて、歯ブラシを取った。

「連絡しなあかんて」

 歯磨き粉を付けた。

「何かあったと思うやないの」

「ぉん」

 歯ブラシを咥えながら生返事をして、次のドアを開けた。

「……早よ寝やぁよ」

 おれが小便体勢を整えたところで、ため息をついたおかんは寝床へ戻っていった。

 6時間も7時間も寝てられるほど、こっちは暇じゃない。

 便りがないのは、無事な証拠だ。

 頼りないのは……塩基配列の所為だ。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆


 風呂に入るのは、えらく久し振りのような気がする。

 パンツを替えるのも……。

 湯槽ゆぶねに浸かって、歌を歌ってみた。

 迷惑がかかるほど、隣近所はそんなに隣でもないし近くもない。

 距離的にも……付き合い的にも。

 おれは風呂場で歌を歌う人だ。

 カラオケは金がかかる。

 誘われれば行くが、自分から行こうとは思わない。

 デートの時はどちらからともなく――。

 便所でも歌う。

 腹式呼吸が快い便通を助長して――そんな計算はしていないが、5分10分の間をもたせるために。

 下痢ピーの時は、必ずと言っていいくらい『LET IT BE』を口ずさんでいる。

 サビの部分しか歌詞がわかんないけど……空耳アワーに投稿するつもりはなかったけど、昔は本当にそう聞こえていた。

 ――どう頑張ったって、なるようにしかならない。

 おれの人生も……紗唯の人生も――。

 伴奏とかがないほうが、キーだってペースだって自由にできる。

 歌詞が間違ってたって、思い込みで歌える。

 1人なら……不快な気持ちにはならない。

 それ以前に、カラオケにあるのか?

 影山ヒロノブの「夢光年〜♪」ってやつ。

 ジュディマリ,西村知美,地球防衛組,清水宏次郎etc……一瞬、赤ら顔が浮かんだが――おれの中で水曜日に放映していたような記憶のあるアニメソングを、約30分ぶっ続けで歌った。


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