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第一夜

 寝が早かった。

 デザートのももいちごを食ってから、3時間も経っていない。

 32インチ液晶ワイドテレビで中山美穂が彷徨さまよっている最中、レザーソファーの肘掛にもたれ掛って、徐々に――そして遂に、睡魔に屈した。

 紗唯は、煌々《こうこう》と灯りが点いていても平気で眠れるタイプらしい。

 近年稀にみる長旅の疲れが原因かもしれないが……。

「もう寝たのか?」

「みたいだな」

 答えたおれに、家主は「チゲーよ」と言って、ガラス張りのローテーブルにコーヒーカップを二つ置いた。

「セックスだよ」

 この男は、知らない。

 紗唯の【期限】も……おれの【枷】も。

 寝息を立てている紗唯を横目に、おれはコーヒーを――

「ブラックかよ」



 おれの部屋が汚いのも理由のひとつだが……紗唯を連れて家に帰りたくなかった。

 部屋は離れだが、遭う可能性だって否定できない。

 説明するのが面倒臭い。

 だから、新築報告(お祝いの品を持参しろという暗黙のメッセージがあったかどうかは定かではない)を受けたのはラッキーだった。

 ぃや……そう思ったのは「何なら泊まってくか?」と言われた時だ。

 大学に入った頃から、年齢的に【金との付き合い】が現実味を帯びてくる。

 交際費がかさむから、新たに友人を増やそうとは思わなかった。

 大切なカノジョならともかく……どうでもいいトモダチに金を費やしたくはない。

 沖耶麻斗は、そんなおれにできた――今でも交流がある唯一の大学時代の友人だ。

 話しかけてきたのは、もちろん向こうからだが……。

 おれの背が低いという理由で、いきなり「お笑いで天下を取ろう」と誘われた。

 沖耶麻斗にとって天下取りコンビの鉄則は、チビとデカらしい。

 言うほど大きくないのだが……それでもおれとの身長差は、20センチ以上ある。

「まことやまと。いーじゃん、いとしこいしみたいで」

 ――【ま・と】の位置関係が【い・し】と同じであることは否定しないが……兄弟でもない赤の他人同士が、何十年も同じ相方で長続きするとは思えない。

 夫婦も含めて……。

 松竹を挙げた理由は、未だにわからないし……今となってはどうでもいいことだ。

 おれは極度の緊張症で、人前に出るのが苦手だ。

 中川家のお兄ちゃんみたいに、パニック症候群に陥るかもしれない。

 誘われた当時は、中川家なんて知らなかったけど……。

 断って正解だった。

 お笑いタレントを夢見ていた若者は、今では立派な建築デザイナーの卵……ぃや、ヒヨコだ。

 同世代の人間がマイホームを建てたことにも驚きだが、その家を自分のセンスで手懸けたというのがスゴイ。

 コンセプトは、セミダブル・ライフ――って、所帯持つ気あんのか?

 将来的には、企業内建築家として地位を確立したいらしい。

 なぜ企業内に納まろうとするのか……イマイチ、了見を得ない。

「紋切り型は避け、ビジュアル的に斬新でありながらも且つ実用的な設計を目指す」――そういう意味だろうか?

 それなら、矛盾がある。

「1度でいいから、耐震性を無視した高層建築物を設計したい」と、本音らしい言葉を漏らしたことがあるから。

 今でも時々、口にする。

「来るんならさっさと来てくんねーかな。東南海地震」

 ……阪神大震災のボランティア活動に参加した人間の言葉とは、到底思えない。

 まぁ、これは本音じゃないだろう。

 じゃなきゃ、この時期に家なんか建てない。


☆☆


 買い出しから帰ってきた沖耶麻斗は、コンビニ袋からクリープを取り出し、蓋を回した。

 下から出てきた封の真ん中に「あたっ!」と人差し指を突き、親指を添えて処女膜をがした。

 キッチンからスプーンとスティックシュガーを持ってきて、おれの前のコーヒーカップに入れた。

 かき混ぜた底面で、粒子状の音が鳴り続けた。

 すっかりぬるくなったホットの中に、白い継粉ままこが浮いた。

「嫁さんが入居する予定は?」

 混ざり切らない白色と琥珀こはく色は――さり気に、コーヒーの味がした。

「そんなオンナいたら、泊まってけなんて言わねーよ」

 上着を脱がず立ったまま、沖耶麻斗は冷めたブラックをグビッと流し込んだ。

「思い切ったなぁ」

 相手もいないのに、結納品総額数百万のおれが言えたセリフじゃないが……。

 料理はそこそこ上手い。

 こまめに掃除もする。

 最近では、一度放り込めば乾燥まで自動でやってくれる家庭用洗濯機もある。

 少々御値段も弾むが……。

 家政婦としての嫁は、沖耶麻斗には必要ない。

 亭主関白も流行らなければ、男尊女卑って時代でもない。

 逆に、リストラされて行き場を模索する夫より、パートで稼ぐ妻のほうが権力的に上だろう。

 そういう家庭は増えている筈だし、しばらくは歯止めがかからないかもしれない。

 そもそも、キャパシティの違う優勝劣敗社会と共存共栄社会を同一の貨幣価値で機能させようってのが根本的な誤りで……おれが口を出す問題でもないか。

 とにかく、夫婦や家族を形成するにあたって重要なファクターは、経済力だけではない。

 たぶん……沖耶麻斗にとって【生まれてくる未来】が優秀な種であるかどうかなんて、取るに足らない問題だろう。

「子供がいる家庭への憧れだよ」と言ってから「セックスは、原始的にして究極の子作り方法だからな」

 ――矢鱈やたらとセックスの話を持ち出す。

 27歳にして、漸く初恋をしたこと。

 その相手が、AVギャルだったこと。

 そして……一度もセックスをすることなく、別れたこと――。

 今の仕事に就き始めてから(と言っても、もう辞めるつもりだが)リフォームの相談とか依頼とかでちょくちょく会ってるから、この二級建築士は色々知っている。

 おれが未だに【桜桃】だってことも含めて……。

「お前はひとりっ子だから、きっと新車じゃなきゃダメなんだな」

 ――慰めなのか何なのかわからない。

 勝手に推論を立てて納得してくれるおかげで、余計な詮索をされなくて済むのはいいが……。

「オヤジの貯蓄に留まって死ぬより、刹那主義の女子高生にカネが流れたほうが経済的に潤うはずだから、また援交ブームは来ると確信はしてたけど……まさか、おまえがなー」

 アメリカと違って、日本は個人の消費潜勢力に不況脱却の活路を見出すことができる。

 不況とは、金が廻らなくて経済という生き物が不整脈をわずらっているようなものだ。

「そーそー。ルーズソックスが流行り始めた時、来る! って思わんかった? ブルーザー=ブロディー、ブーム」

 ……そんなことは、どうでもいい。

「条例に引っ掛かって、捕まっても安心しろ。評決のときのマシュー=マコノヒーばりに、情に訴えて弁明してやるから」

【刹那主義】という単語が、鼓膜の辺りでリフレインしていた。

 紗唯のは……イデオロギーでも何でもない。

「中古かもしんね――」

「そんなんじゃねぇよ」

 寝返りを打って寝やすい体勢をとった際にずれたブランケットを、小さく屈折した紗唯の体に掛け直して、おれはトイレを拝借した。

 返却することを条件に、無料で……。


☆☆☆


 色々と――説明が必要だ。

 おれ自身のことではなく……紗唯に関して。

 具体的なことは、おれにも殆どわからない。

 専門的な医学用語を羅列されると、急に【リアル】が押し寄せてくるような気がして……。

 ただ――それが、確実に訪れる【現実】であることは否めない。

 残念ながら……紗唯の担当医は、その方面では相当の権威らしい。

 苗字はヤブなのに……。

「テラス、出ねーか?」

 水回りが集中した廊下を抜けた所で、炭酸が放出する音が聞こえた、

 カウンターキッチンを覗くと、500ミリリットル缶の氷結をグラスに注ぐ沖耶麻斗が視界に入った。

 学生時代の沖耶麻斗は、一滴も酒が飲めなかった。

 それが、友人でいられた理由のひとつでもある。

 ワリカンで損をしない相手なら、大抵の誘いには付き合える。

断る理由が真実だと相手に伝われば、関係が気まずくなることもなく――自然消滅は避けられる。

さみぃじゃん」

 久米宏のジョークと勾配屋根から垂れ下がるシャンデリアを落として、薄暗くなったリヴィングは――真っ白い壁に多数埋め込まれた間接照明から、いろんな色の光の柱が多方向に放たれて、ムーディーな空間を演出した。

 光の屈折率やらなんかを計算した上でその場所に配置しているのかもしれないが……センスの悪いおれには、同じ高さと間隔で整頓されていたほうが美しく見える。

 色も、柔らかい暖色で統一してあったほうが落ち着く。

 キッチンと斜向かいの2階の壁(リヴィングは吹き抜けになっているので、その床と天井の中間くらい)にある3つの半円筒状のブラケットライトが、上下に開いたガラスセードの隙間から光を漏らしている。

 廊下や階段にあるフットライトは、周囲の明るさに応じて勝手に点灯するらしい。

 既存のライトが無駄に多過ぎる上に、スタンドライトまである。

 今は電力を消費していないので、どんな輝き方をするのかはわからない。

 常設の球が切れた時の予備くらいにしか、用途が思い浮かばない。

 にしては、結構な代物っぽい風貌ふうぼうだ。

 まぁ……タダメシ食わしてもらった上に泊めてもらっといて、ヒトんの文句は言えない。

「オトコと星を見上げる趣味はねぇよ」

 おれは、開閉しないレザーソファーに深く腰を沈めた。

「タバコ、吸いてーんだよ」

 煙草を覚えたのも……中退してからだ。

 律儀に、二十歳を過ぎてから興味を示す人間だって、この広い世の中には大勢いる筈だ。

 おれが知っているのは、たった一人だけど……。

「ここじゃ、まじーだろ?」

 左手のワイングラスが、ブランケットを被ったレザーソファーを指差した。

 なぜに、ワイングラスを使う?

 未成年……ぃや、成人式なんて迎えられない紗唯の寝顔は、横身のために左半分しか見えなかったが――やはり、コドモだった。

「……嫌煙家なんだけどな、おれ」

 右手のワイングラスが、御免被りたいのに……おれを指名した。

 なぜに、ワイングラス――。

「……飲めねぇよ」

「おれが飲めるんだから、飲める」

 学生時代ならともかく……地下にワイナリーを持ってるやつの言葉なんて、信用できない。

「新築祝いの1つも持って来ねーヤツを泊めてやるんだから、少しは付き合え」

 ――無色透明。

 渋々受け取ったグラスは、目視でオレンジを検出することができなかった。

 臭いを嗅いでみた。

 化学の実験で薬品を扱う時みたいに、手の風圧で。

「おいおい……」

 無味無臭っぽい。

「死にゃしねーよ」

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