ディスプレイスメント
必要は成長の母(だっけ?)とはよく言ったもので……おれの右親指(もちろん手の)は、かなりいい感じでメールが打てるようになった。
ノストラダムスの4行詩のように解釈任せになる絵文字に関しては、全く以ってちんぷんかんぷんだが……言いたいことを伝える分には、共通語だけでこと足りる。
全てを知ることができないほど広い世界と繋がることで、ケータイは現代人の淋しさを紛らせるツールとしての地位を確立している。
しかし……紗唯の【声】を思い出すと、差別化に乏しい同じ顔の文字でやりとりするだけでは癒されない時代も、近い将来やってくるんじゃないかと――少し不安になる。
母で思い出したが――うちの料理担当者は、冷蔵庫の先入れ先出しができない。
母屋(おぉ、無意識に母が!)には、冷蔵庫が2つある。
キッチンにあるほうは回転が早いほうだが、それでも冷凍庫には前の週に買ったまま放置されているお肉が入っていることが間間(意識的にママを)ある。
加工年月日や賞味期限に関係なく、永久に鮮度を保つことができると勘違いしているらしい。
『フォーエバーヤング』を観せてやれば、少しは改心するかもしれない。
見付けた時に食卓が空いていたら、おれが調理してスペースを確保する。
どうせ、すぐに補充されるのだろうけど……。
旧応接間に設置してあるほうは容量の6割くらいを【食品らしき物】が入れっぱなしの状態で――早幾年。
ドア側の一番上が卵を入れるスペースで、一番下が1.5リットルのペットボトルとかが入る大きさのスペース――その間にある小さなセクションが、御中元で頂いたジュースに未だ占拠されている。
おれは、いただけない。
果汁100%だから。
濃いのは苦手。
恋と同じくらい……。
いい加減、賞味期限が90’sの物体は廃棄してほしい。
が……おれは家に食費を入れていないから、発言権がないので黙っている。
血液型性格判断でO型は大雑把だと言われるらしいが、おれはその抽象に属してはいない。
まぁ、掃除とかは結構ルーズだけど。
A型のおかんにムカツくのは、食品だからかもしれない。
切れたやつを食ってるのは、実際おれだけだし。
期限があるというのが、神経質になる要因だろう。
旧い物が残って、新しい物が先に無くなる――それが、生命とリンクしているような気がする。
死について考える機会があまりなかった頃から、潜在意識の中でその不自然さに憤りを感じていたのだろう。
☆
紗唯が営業所に来た。
――ピンで。
「なんか……急に会いたくなっちゃって」
この前会った時の淋しさが、少しばかり影響しているのかもしれない。
今現在――電車の中では、ペースメーカーとかに支障があるといけないから、携帯の電源を切るように促すアナウンスが流れるらしい。
おれは……携帯がおれに普及し始めてから、電車に乗った記憶がない。
それはいいとして……紗唯は、マナーの悪い同世代の連中に腹が立ったと話した。
紗唯自身の体内に、そのマシーンは埋め込まれていない。
直接的な機械系統のトラブルは生じないが、少し気分が悪くなったそうだ。
飛び交う電波に直接的原因があったわけじゃなく、その発生源に堪らないほどのストレスが溜まったのだろう。
これはいいことない。
しかし、もし紗唯と出逢ってなかったら……そういう状況が目の前にあったとしても、たぶん気にも留めなかっただろう。
今だったら「ルールを守れないやつは出て行け!」と怒号を浴びせて、そいつらを世界の車窓から放り出してやりたい気分だ。
まぁ……それだけの腕力がないから、おれのセリフは冗談で済む。
「あんま……ムチャすんなよ」
「するよ」
少し疲れた紗唯の顔が、自己治癒能力を発揮して、微笑みに癒されていく。
「だって紗唯は」
その瞬間、おれには責任感……らしきものが芽生えた。
記憶力が悪いから、よくわからないが……たぶん、生まれて初めての感覚だ。
☆☆
ココ壱でカレーを食った後――定時までまだ時間があったので、大家平に紗唯を預かってもらった。
……正確には「これで、隣のコンビニで好きなもの買って。あっ、鍵渡しとかないと。えーと、あれ? いやぁ、最近物忘れが酷くなってね。一昨日なんか……あったあった。吃驚した。はい。どこか出掛ける時は、そこの植木の後ろに隠しといて。まぁ、何にも盗られる物は無いんだけどね。知らない人が勝手に寝てると困るから。イブみたいな女性なら嬉しいん――もっすぃー……今出るとこ……あいよっ――そういう訳で、テレビとか冷蔵庫とかレンジとか勝手に使っていいから。じゃあね」という長ったらしい名称の――換言すれば「新台入れ替えのため無人になった管理人室」を拝借した。
営業所に一旦戻ったおれは、外廻りを名目に……路駐の車内で、事務的な作業に勤しんだ。
おにぃちゃんのこと、大好きなんだよ
11月25日――いくつか職を転々としてきたが……ノートパソコンを購入して以来、初めて【zihyou】と叩いて、漢字に変換した。