批判をするなら
前回分では批判と誹謗中傷の違いについて書かせて頂きました。
では、前回書いた様に根拠を示してさえいれば良いのか、という事になります。
まぁ簡単な話ではありますが、答えは「No」です。
もうこれは道徳の様な話になりますが、例えばこのなろうというサイトには色々な方がいます。
パッと頭に浮かんだストーリーを文字におこして物語にした人や、ストーリー・文の構成を考え抜いて物語を書いた人。趣味の範囲で通勤・通学時間の合間を縫って書く人や、プロを目指している人。
なろうに溢れている文章はそれぞれ、色々な形で生まれてきています。
そうすれば自然に、クオリティの高いストーリー。設定の甘いストーリー。綺麗な言い回しが出来ている文章。少し拙い文章(このエッセイとか?)。色々なものが出来てきます。
では、上にあるように通勤通学時間の合間を縫って、頭に浮かんだストーリーを書いて楽しんでいる人の文章に根拠を示した批判をしてみたとしましょう。人によってはとても傷ついてしまうでしょう。物語を書く事、見せることが怖くなってしまうかもしれません。
これが人間の難しいところですね。
今のは、なろうを使った例えですが現実の人間関係でも同じ事が言えるでしょう。現実にはもっと色々な感性を持った人がいます。
人間、褒められれば余程特殊な状態でない限り嬉しいものですが否定される事に関してはとても敏感です。
例え相手の為を思って批判をしたとしても多少なりとも傷付けてしまう可能性がある事は頭に置いておいた方が良いでしょう。
ではどうしたら、少しでも傷付けてしまう可能性を下げられるかを考えるべきです。
自分が思うにその方法は
①丁寧な、或いは優しい言い方
②良いところも伝える
そして出来るならば
③より良くなる方法、解決策を教えてあげる。或いは一緒に考える。
ですね。
①に関しては言わずもがな。出来て当然、最低限の配慮です。
②はとても大事です。シチュエーションや話題によってはなかなか難しいかも知れませんが、これがあると無いでは大違いです。良いところをあえて挙げるのは少し気恥しいかも分かりませんが、相手にとっては悪いところだけでなく良いところも見てくれてるんだ、と安心出来る要素になるでしょう。
それに自分としても、他人の良いところを探す、というのはとても大事な事ですね。個人的な話になりますが、自分の恩師に当たる人が教えてくれた事に「他人の悪いところを見て自分が気を付けるより、他人の良いところを見つけて真似た方が成長出来る。」という事があります。
他人の為にも自分の為にも、批判する時には特に、良いところも探してみましょう。
そして③。これが出来るなら完璧に近いでしょうね。本来なら、否定するなら代案も用意しておけ!っというのが筋ですが、そんな簡単にいかないのも事実。その場ですぐ解決策を伝えられなくても、一緒に考えてみる旨を伝えるだけで、相手は頭ごなしに否定されているのでは無いと思えるでしょう。
さて、自分が思い付く主な方法は上記の3つですが、勿論読み手の皆さんの中には「まだ方法あるじゃん!」って方もいると思います。
そうしたら是非、その方法も取り入れてくださいね。
先程も書きましたが、普段意識しないだけで人間というのはとても否定される事に敏感です。
思い付く限りの配慮をして然るべきです。
ただ、それでも注意しなければならないのは、それだけ気を使っても傷付けてしまう事が充分有り得るという事です。
批判する、という事はそれだけ重い事です。
人によっては「あ、そうなんだー」くらいに済ませられるかも知れません。しかし同じ言葉で深く傷付けてしまう事があるのを忘れてはいけません。
普段、 このなろうというサイトを利用されている皆さん。配慮に欠けた批判を作者さんにしてしまってはいませんでしたか?
読み手も書き手も文章に深く関わっている以上、小説の本文だけでなく感想を書く時も気を使ってみましょう。
そして大事なのはこれはなろうというサイトに限った事ではない、という事です。
分かりやすい例えかと思い、なろうを引き合いに出しましたがこれは日常生活にも言える事です。
日常生活においてしっかり配慮した批判が出来ているでしょうか。
赤の他人は勿論ですが家族や親しい友人ほど、意外と傷付けやすいものです。
もしこの批判するという事を全ての人がもう少し重く考えられたら、とてもよい人間関係を築けることでしょう。
この文が皆さんの生活に少しでもお役に立てましたら幸いです。
3話に及びましたが、批判をするという事について言及してきました。自分なりの考えであり、賛否両論あるかとは思いますが、考え方の1つとして参考にして頂けたらと思います。
次回からはおまけとして批判をされた側について、少し書かせて頂ければと思います。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
ご意見・ご感想お待ちしております。