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ひとり

作者: 満月

 死を恐れはじめたのは、母がガンで亡くなった時だ。肺ガンで、診察した時は手術出来ないほど悪化していた。その時、私は二十歳でまだまだ自立できていない箱入り娘だった。三つ上の姉は、小学生のの時からもう一人で生きていけるのではないかと思えるほど自立心の高い人だった。


母が肺ガンと知らされて二年後、闘病の末息を引き取った。五十三歳だった。その一年後、姉は家を出て一人暮らしを始めた。残された私と父は少しぎこちない生活を送った。




 木造のアパートで、畳み八畳半程の質素な部屋の隅にある鏡台の前に座る。ほうれい線は年のわりには薄い方だが、目尻のシワやシミはどうにもならなかった。


 母が亡くなった後、私はアルバイトで生計を立てていたが、父も定年退職してから体調が崩れ、四年もしないうちに逝去した。人見知りで友人もいない私は頼れる人がいなくなり孤独になった。


姉は葬儀に参加したきり疎遠だった。淡白な性格な姉は苦手だった。向こうは私のことをどう思っているか分からないが、姉が私に連絡することはなかった。結婚したことも子供が生まれていたことも知ったのは結構後だった。


 鏡の前で軽く化粧をして家を出る。隣に住む白髪のおばあさんが朝の散歩からちょうど戻って来たので軽く挨拶をした。家に入ろうとする腰の曲がったおばあさんを見て、近い将来の自分の姿を想像した。


 閑散とした古い木造建築の家が並び、住んでいるのは年寄りばかりだった。良く言えば静かで住みやすいが、悪く言えば寂れていて活気がない。外で話し込んでいるお年寄り達は自分の体調のことばかりだ。


「おはよう高橋さん。今日も仕事ですか?」


話し込んでいた三人組のおじいさんの一人が、私に顔を向けた。


「いいえ、休みです。商店街で買い物をするんです」


そうですか、いってらっしゃいと仏のように穏やかな顔で言った。三人を通り過ぎた時、後ろで誰かがあの人独身かい?と言う声が聞こえた。


 商店街は比較的中年とお年寄りで賑わう。何組かの中年夫婦とすれ違う。そのたびにこの夫婦には子供がいるんだろうか、と余計な事を考えてしまう。


自分は結婚に縁がなかった。いや、逃したんだと思う。自分の殻を破って相手の懐に飛び込むことが出来なかった。多少後悔はあるが、結婚しても多少後悔はするだろう。同じことだ、と自分に言い聞かす。


 精肉店で豚を買い、他には目もくれずに来た道を戻る。向かい側から腰の曲がった白髪のおばあさんが、杖をついてヨボヨボと足を一歩一歩前へ出している姿が目に入った。自分の老後がとても怖くなった。


おばあさんとすれ違った時、おばあさんが立ち止まって咳き込んだ。そのまま倒れ込んでしまうんではないかと心配になって一度振り向いた。咳き込んでいるおばあさんの背中にはどんな人生が詰まっているのだろうか。


前に向き直り、早足で家に帰る。買って来た豚肉と冷蔵庫の残り物の野菜をさっと炒めて適当に済ませる。食器を洗っている最中に電話が鳴った。


「もしもし」


電話の相手は姉だった。久しぶりに連絡が来て驚きと緊張が混じっていた。話しの内容はとりとめのないもので、すぐに緊張も和らいだ。


「子供は元気?」

「うん。私に似て賢いの」


電話越しに姉の大きい笑い声が響く。夫の仕事のことや子供が通う学校の事、一週間前に愛犬が死んだ事などを喋り、私は聞き役に回っていた。


「じゃあね」


そう言って直ぐに姉が電話を切った。名残惜しさを微塵も感じない。でも理由もなく私に電話をしてくれたことは素直に嬉しかった。



その半年後、姉が死んだことを義兄から知らされた。ガンだった。姉はいつも突然だ。死ぬ時も。半年前の電話の時はすでに闘病中だった。そして死を予期していた。



 その一年後、私は健康診断で医者からガンであることを告げられた。


その時、悲しみや少しの絶望の他に、何故か救われた気持ちもあった。





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― 新着の感想 ―
[良い点] 正直、辛く哀しい話です。 でもあっさりと自分を受け入れ、ああそうするしかないのだなという現実感を強く感じました。 ガンと「ひとり」という題名が胸に沁みます。 誰もがまたひとりで逝くのだなあ…
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