パラサイト 第四章
パ ラ サ イ ト
第四章
クレーマー
「ねえ、今日ね、私、スーパーですごい光景見ちゃった…。」
私は、買い物から帰るなり、晃に言った。
休日だから、お昼前のスーパーは混んでいた。
レジを済ませた私の前のひとりの中年の紳士が、レジの外側のテーブルで、購入した品物をビニール袋などに詰め替えているとき、鬼ごっこでもしていたのか、小学校に上がるか上がらないかくらいの男の子が、その人にぶつかってしまった。
男性の買った卵パックが床に落ちて割れた。男の子は、
「あっ!」
と、声をあげて立ちすくんだ。
その直後、その紳士然とした男性は豹変した。やさしそうに見えた顔はみるみるうちに真っ赤なり、呼吸の荒くなるのがわかった。鼻息までが周囲に聞こえるほどになったと思った瞬間、その男性はやにわにその男の子の首根っこをつかまえ、
「このクソガキ!こんな混んでいる店の中で走り回るバカがいるか!謝れ!」
と周り中に聞こえるほどの大声を上げた。
男の子は、ショックのあまりしばらく声を失っていたが、状況が理解できるまでになると、しゃくり上げながら、何度も何度も
「ごめんなさい。」
を繰り返した。
男性はそれでも納まらず、相変わらず首根っこを押さえたまま、ちょうど昔の人が泥棒猫でも捕まえた時のようにして、
「おまえのようなバカ息子の親の顔が見てみてー、おまえのバカ親はどこにいるんだ!」
と怒鳴り散らした。
周囲の人々はあまりの出来事に唖然とした。だれがどうするでもなく、皆ただ息を呑んで見つめるだけだった。
一瞬の間を置いて、近くにいたひとりの若い女性店員が飛んで駆けつけた。
「申し訳ございません。」
と、腰を九十度近くまで折るようにしながらお詫びを言い、男性からその男の子を引き取りながらもう一度深々と頭を下げた。
その女性店員が改めて男性に向かい、
「お客様、たいへん申し訳ございませんでした。お買い上げ戴きましたその卵につきましては、すぐに交換させていただきますので…」
そう申し出ると男性は、
「あたりまえだ!おまえんとこは、店の中で子供に運動会させてんのか。客が客なら、店も店だ。」
と息巻いた。
自分以外にはまともな人間はいないとでも言いたげなこの男性の理屈で、周囲の私たちまでがまともでない人間にひっくくられてしまった。
ただ、不思議なことにこの男の子の親は、そんな騒動の中にも現われなかった。遠く離れた商品のコーナーにでもいたのか、それともこの子たちは子供同士で遊びにでもに来ていたのか…。
女性店員は、丁寧に続けた。
「注意が行き届かず、お客様にはたいへんご迷惑をお掛けしてしまいました。今後このようなことのないように十分注意を致しますので、ご容赦のほどなにとぞよろしくお願い致します。その卵につきましては今すぐに…。」
「そんなことわかってる。決まりきったことだ。そんなことより、こんな不愉快な思いをさせられたんだ。気が治まりゃしねー。そうだな、今日オレが買ったものは全部タダにしろ!」
この男性は、みずからの発する言葉によって、その興奮に更に拍車がかかってしまったのか、とんでもないことを言い出した。あまりのことに周囲の人々は皆あっけにとられた。
「お客様、それは…。」
予期せぬ展開に、女性店員は言葉が詰まってしまった。
「なにー!タダにできねーっていうのか。この店は客を何だと思ってるんだ。おまえじゃ、まったく話にならねー。店長を出せー!」
最後は、この種の人間の常套句を浴びせて開き直った。
そして女性店員が蒼ざめた表情でうしろを振り返ろうとしたその時、奥の方から男性店員が飛ぶようにして駆けつけた。
「お客様、お騒がせ致しまして、たいへん申し訳ございません。」
若い女性店員でも、エライ人でも誰でもそんな場面での第一声の文句は同じだ。
「あんたは、店長か?」
「店長ではございませんが、あのー。」
「あんたじゃ、だめだ、オレは店長に話があるって言ってるんだ。」
男性店員は、その男性の高圧的な物言いに対して、腰は低いながらも毅然と言った。
「はい、お客様にはたいへんなご迷惑をおかけして誠に申し訳ございませんが、店内での粗相に対しましてはわたくしがお伺いしたいと存じます。申し訳ございませんが、こんなところではほかのお客様のお目もございますので、あちらへいらして戴けませんでしょうか…。」
と申し出、女性店員にかすかに目くばせしながら、慫慂した。
「さ、こちらへどうぞ…。」
その男性はまだ何かを言いたげに、一瞬目をキョロキョロさせ、周囲の様子を伺うようなそぶりを見せたけれど、そうまで言われて更にここでもうひと暴れするのは、さすがに分が悪いとでも思ったのだろう。男性店員の誘導に従い、静かにその場を立ち去った。
その場に残された女性店員はホッとしたように、改めて男の子の方に向き直った。
自分の目の高さが男の子の目と同じ位置になるまで腰を落としてから、にっこり微笑みながらやさしく声をかけた。
「ボク、失敗しちゃったね…。」
男の子は口をへの字にしたままコクリとうなずくと、まばたいた両の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
女性店員は白いハンカチでそうっと涙をふいてやってから、軽く頭をなでて、
「ちょっと、お姉ちゃんとあっちに行こうか。」
と言って、周囲の客に軽く会釈しながら、男の子の手を引いて奥の方へ行った。
「それって、クレーマーって言うんだろう?」
晃は言った。
「そう、あれはクレーマーの典型ね。それでもね、その男の人、背広着てネクタイ締めて、どう見ても銀行員かお役人みたいにきちんとした感じで、とてもそんなふうには見えなかったのよ。」
「普段、よっぽどストレスがたまってんのかなー。」
「ストレスがたまってるもなにも、あれじゃ、言いがかりの付け方がまるでヤクザとおんなじよ。いい大人のすることじゃないわね。」
「今の世の中、妙にギスギスしちまって、相手にミスがあると徹底的に痛めつけるような了見の狭い人間が多いからな。サービス業の人もたいへんだよ。あの人たちは、絶対に文句は言わないから、というよりも言えないから、クレーマーは言いたい放題、やりたい放題やるわけさ。」
「そうよね。なんか最近どっちを向いても、怒っているような人が多いみたいだもんね。」
「駅員の人だって車掌なんか、終電で寝込んでいる酔っ払いを、お客様終点ですって、わざわざ起こしてやって、ぶん殴られるような時代だからな。それも、そんな人に限って社会的地位が高かったりしてな…。」
私は晃の話を聞きながら、今日の出来事をオーバーラップさせ、常軌を逸したあの男性の言動を頭の中で再現してみた。
「そう、きっと今日の人も、そんな人たちとおんなじ人種ね。」
晃は、かすかにうなずきながら、別のことを言い出した。
「オレ、去年まで消防団やってただろ?」
「たいへんだったよね。火事が出れば、昼間はもちろん夜中にだって呼び出されるし、いくら大事な仕事をやってたって、現場から呼び出されちゃったもんね。それに仕事の現場がいつも近いってわけでもないしね…。」
「…まー、それもたいへんだったけど、年末年始の乾燥した寒い時期のあの夜警ってのもなー…。」
晃は、遠くでも見るようにしながらしみじみと言った。
「そうよね。消防車ってのはまるっきし身出しだもんね。風除けがまったくないんだもんね。夜警って、暮れの寒い時期、しかも風の強い時なんか、特にやるんでしょ。本当に凍っちゃうよね。でも、それだけじゃなかったよね、台風の時なんかにも、あの大嵐の中に出て行ったこともあったじゃない。」
「ああ、まー、それがオレたちの仕事だからな…。」
「仕事だからなって、でも、あれって、完全なボランティアでしょ。本当にたいへんだったよね…。」
「それでも、みんな先輩たちが代々引き継いで来てくれたことだし、自分たちの生活は自分たちで守らなきゃ、って思いもある。だから、地域の人たちに、どうもありがとう、ご苦労様って、言われた時には報われたような思いがして、本当になにか口では言いあらわせない満足感のようなものがあったよな。」
私はうなずいた。
「でも、一番困ったのは、年に一回地域の人たちの家々を回って、戸別に消防費の負担金をもらいに行くことだったかな…。」
「中には、払ってくれない人もいるんでしょ…。」
「ああ。ほとんどの人は、ご苦労様って言って気持ち良く払ってくれるんだけど、中には、あんたたち好きでやっているんでしょ。市の消防署があるのに、何でわざわざそんなあんたたちにお金払わなきゃいけないの。あんたたち、どうせバカ騒ぎしてみんな飲んでしまうんでしょって、まともにドアさえ開けてくれない人もいたんだよなー…。」
そう言って、晃はため息をついた。
「でもな、それは先輩達から何度か聞かされていていたことだから、ああ、やっぱり世の中にはそんなふうに言う人もいるんだなって、半ば納得したけど…。」
そこまで言ったあと晃の表情が一瞬キッと変わって、青ざめたかのような印象を私は受けた。
「でもな、毅の話を聞いた時には、いくらお人よしのオレでも本当にカチンと来たよ。オレと今いっしょに仕事してる毅って知ってるだろ?」
「ウン。あの体格のいい人でしょ。」
「ああ、あいつは今消防団長やってるんだけど、こないだ、豪傑のようなそいつがしみじみ嘆いていたよ。暮れのいつだったか、夕方から小雪が降り出した風の強い日があっただろ。あの日、いつものように消防車で、『地元消防団です、現在異常乾燥注意報が発令されておりますので、火の元には十分ご注意下さい』って、夜警をしていたら、いきなりその消防車を止められてな、夜中にうるさいから、そんなはた迷惑な馬鹿げたことはやめろって、さんざん罵声を浴びせられたんだってよ。世の中にはとんでもない人がいるよ。これじゃ、みんな本当にやってられねーよな…。」
私は、その話を聞いて二の句が告げなかった。私が息を呑んで黙っていると、晃は更に別のことを言い出した。
「この前、加茂川の兄さんが言ってたけど、兄さん市役所に勤めているだろ?あそこの窓口ってのはクレーマーの見本市みたいなんだってよ。
いつだか、こんな話があったなんて言ってたな。窓口に手帳が忘れられていたことがあったんだって。その窓口の仕事にはまったく関係のないものだったらしいんだけどさ。きっとついでに来て、うっかり忘れてしまったんだろうな。」
「手帳?」
「手帳って言ったって、メモ書きするあれじゃない。役所とかで個人に交付されるかなり大事なものだったらしい。もし失くしちまったら、再交付までいろいろ手間ひまががかかるっていうそんな貴重なモノさ。だからそこの窓口担当の人は、心配して大急ぎでその持ち主の人に連絡して、受取りに来てもらおうとしたってわけさ。」
「じゃ、きっと喜ばれたでしょう。その人だって、本当に困ってたでしょうし、そういう時ってのは無意識の行動だから、本人はどこに忘れたか、それすら絶対記憶にないものね…。」
「いや違うんだ。それがこの話の異常なとこなんだ。その当人は礼を言うどころか、その手帳は代書屋に預けて手続をしてもらってるんだから、その代書屋に連絡してくれって言ったんだって。
仕方ないからその連絡した人は、それではその代書屋さんのご連絡先を教えて戴けますか?って聞いたところが、その人は個人情報だから言えない、それを調べるのがあんたら役所の仕事だろって、開き直ったっていう話さ。いくら役所だってそんなこと分かるわけないだろ。これって、何か履き違えてやしないか?こんな調子のが近頃多過ぎるって、加茂川の兄さんこぼしていたな…。」
「でもそんな人とか、今日の人みたいに他人をやたら攻撃する人って、自分が逆の立場だったら、どうするのかしら。」
「そんな人に限って、いつも外からの攻撃に一方的にやられている人だったりしてな…。やられるだけやられているから、自分より弱い立場の人を見つけたら徹底的に痛めつけるわけさ。いじめられっ子が、家に帰って来て親きょうだいに当り散らしたり、ペットを虐待したり、もっとエスカレートしたら、家庭内暴力に走るとか、そんなのといっしょじゃないのか?」
「でも、そんな人ばかりじゃないでしょ。中には逆切れする人もいるんじゃないの?」
「そうかもな。自分にふりかかってくるものはまったく論外で、それさえ攻撃材料にしちまって、いつでも誰に対しても文句を言うって人、絶対いるもんな。口と舌は出すけど、金と汗は絶対出さないっていう奴…。」
「そう、みんなの鼻つまみ者って人ね。今日のスーパーの人もきっとそうね。きっと奥さんにも逃げられたのよ。だから、ネクタイ締めてひとりで買い物に来ていたんだ…。」
晃も同感だったのかニヤリとした。
「サービス業の人が、お客様は神様ですって言うの、オレおかしいと思うんだ。これって本当は、お互い様さ。買ってもらってありがとうございます、売ってくれてお互いにありがとうございますってのが本当だろ?仰々しい丁寧な言葉なんて使わなくたっていいんだ。気持の問題だよ。みんながそんな気持になりさえすれば、今どきのギスギスした人間関係なんてすぐになくなっちまうよ。」
「本当にそうよね…。」
「オレ、実際にそんな現場に出くわしたことあるよ。レジで店員さんがどうもありがとうございますって言うのに対して、お客さんの方でも品物を受け取るときにどうもありがとうございますって言うの。オレにはなかなかできっこないけど、あれって本当にいいよな。その場がパッと明るくなったみたいで、その女の人がすごくきれいに見えたもんな…。」
その女性がきれいに見えたのはあんたの趣味だからでしょと、おちょくってやろうと思ったけど、晃があんまりしんみりとした表情で言うので、からかうのはやめた。
お互い様って、本当にいい言葉だ。今日はめずらしく、晃と意見が一致した。
訃 報
幾星霜。時はめぐり、また冬がやってきた。
十二月に入り日が大分短くなって、木枯らしのような寒い風が吹き始めたある日曜日の夕方、義父が息せき切ってやって来た。例によって自転車である。青い顔をしていた。
かなり飛ばして来たようだ。外は寒かったにもかかわらず、額には汗がにじんでいた。私は、急用があるなら電話をくれれば良かったのにと思ったけれど、何かの具合で電話がつながらなかったらしい。
「お義父さん、どうしたの?」
「晃は?」
「ちょっと出かけているけど。じきに帰って来ると思いますけど…。ねー、どうしたの?青い顔して…」
「あのな、…青山の兄ちゃんが死んだ…」
「えー!だって、青山のお従兄さん、昨日、うちに来てくれたんでしょう?」
青山というのは、義父の一番上の姉さんが嫁いだ家の姓で、その兄さんというのは、その家の長男で、晃たちには従兄にあたる人のことである。年齢はいへじょの従兄さんと上村の従兄さんの間くらいで、従兄弟同士とは言っても晃とは二十歳ほども違う。
その人に私が初めて会ったのは、私たちの結婚式の日だった。背がスラリとして笑顔が穏やかで、柔和な感じの人だった。
口数も少なくおとなしそうな印象だったため、いっぱいいる晃の従兄弟姉妹の中では、特段のインパクトはなかった。どっちかといえば、晃への接し方が奥さんの方が闊達だったため、私は初めは奥さんの方が晃の本当の血縁なのだろうと思っていた。
その青山の従兄さん夫婦は、ちょうど今年が結婚丸二十五周年で、子供たちも一番下の子がこの三月に高校を卒業して一段落したので、ひとつの区切りとして、ついこの間ハワイに「銀婚旅行」としゃれこんで、昨日そのおみやげを届けに来てくれたのである。
そのおみやげは、例によってハワイの定番「マカデミアナッツチョコレート」だった。自分たちの口には合わないから、おまえたちが食べなと、義父が昨日のちょうど今ごろ届けに来てくれたのだった。あれからまだ二十四時間も経っていない。
だから、その時の驚きといったらなかった。思わず、私は
「お義父さん、何言ってるの。誰が亡くなったって?だって、お従兄さん、昨日旅行のおみやげ持って来てくれたじゃない。あわてるにもほどがあるわ。縁起でもないけど、もし、誰か亡くなったっていうんなら、伯父さんか伯母さんとかの間違いでしょう?」
「いや、兄ちゃんでまちがいない。オレもたまげて、加茂川の姉さんに念を押した。」
「交通事故?」
「事故じゃないらしい。救急車で病院に運ばれたらしいってことだが、詳しいことはまだよくわからない。とにかく、今夜顔出しに行ぐから、晃が帰ってきたら、そのつもりで、俺を迎えに来いって、言ってくれ。」
義父は、そう言って大急ぎで帰って行った。
その夜、親戚中が飛び上がるほどに驚いて、青山家に皆が集まった。我家でも、晃と義父がとるものもとりあえず、急行した。
死因はクモ膜下出血という怖い病気だったらしい。
従兄さんが昨日、ハワイの土産を親戚中に配って回って帰ったあと、久し振りに子供たちも帰って来ていて、家族全員がそろったので、子供たちの大好きなお寿司をとって団欒の時を過ごしたのだという。
青山家は大家族だ。伯父さん伯母さんも健在だから、三人の子供がそろうと七人家族の大所帯で、近年ではまれに見る古き良き時代の「日本の家」の雰囲気がただよっていた。
とはいっても、この家でも昨今の例にもれず、子供たちが巣立つにつれて大人だけが暮らす、もの静かな家庭になりつつあった。
だから、子供たちにも勧められて思い切って行った銀婚旅行から帰ったあとの久し振りの団欒は、以前までのあたりまえの雰囲気とは違う特別のものがあったに違いない。
きっと、ハワイのみやげ話だけでなく、子供たちが小さくてにぎやかだった頃の思い出話にも話が咲いたことだろう。
ただ、元々口数が多くない従兄さんは、その時はいつにも増して、ただ無表情のままにみんなの話を聞くだけだったとか。
それはことさら特別なことでもなかったので、家族は気にも留めなかったらしいけれど、しばらくしてすーっとくずれるように横になって、意識がなくなってしまったのだという。
「パパー。やーねー。もう酔っちゃったの?しょうがないねー。今じゃ、パパが一番子供なんだからね。風邪ひくよー。」
って、隣にいた末娘が気づいて起こそうすると、口からは唾液が糸を引いて、眉間には苦しそうなしわが寄せられていたんだとか。
みんながこれはおかしいと大騒ぎになって、大急ぎで救急車を呼んで救急病院に運んでもらったけれど、結局間に合わなかったらしい。あとになってみれば、その前の晩から頭が痛いとは言っていたらしい。でもそんなことは誰にもよくあることで、市販の頭痛薬でも飲んでいれば治るだろうって、本人も言っていたし、家族もそう気には留めていなかったようだ。
それに、クモ膜下出血というのは、一般には頭が割れるように痛むということだから、まさか本人も家族も、そんな怖ろしい病気とは夢にも思わなかったことだろう。
こんな死が突然くる病気なんてあるのかしら。私は信じられなかった。
初体験
人間なんて、あっけないものだ。
神様から見たら人間だって、虫けらと寸分違わぬ単なる生き物の一種に過ぎないのかも知れない。
従兄さんが亡くなったことは、青山家にとっては、家族の誰にとっても、一生における最大不幸の一つに違いないはずなのに、世間一般の人からからみれば、そんなことは毎日どこかで起こっている、日常茶飯のことでしかないのだろう。
「そうだったんですか。それは本当にお気の毒な…。ご本人も残された人たちもさぞご無念でしょう…。」
などと、いくら口では、気の毒がっても、他人にとっては、それは一瞬の場面でのできごとでしかない。
家族は、世界中で一番の悲しみを代表して背負ってしまったかのように打ちひしがれて、長い時間をかけてやっとその苦しみから解放されるのに対し、他人は口では心からのお悔やみを、なんて言いながらもテレビのチャンネルを変えるように、瞬時に思考の切替をすることができる。
それは親族でさえ例外ではない。
私は、青山の従兄さんのおかげで、初めてお葬式という儀式に参加することができた。不謹慎ながら、私はこの初体験に胸がわくわくした。
私は幼い頃、父が亡くなった時に、母に連れられてその葬儀に参列したことがあるのだろうけれど、その記憶はまったくない。私の実家は、はっきり言って貧乏だから、身内の結婚式とかお葬式とかの節目の儀式には、私自身はまったくといっていいほど縁がなかった。
その日の朝、私は黒衣をまとい、初めて黒真珠のネックレスを身に着けた自分に、何やら新鮮なものを感じた。一方、晃は晃で別の感慨によってか、見るからに落ち着かない様子が垣間見えた。
天候は旅立つ従兄さんに味方した。十二月も半ば過ぎだから、さすがに外気は肌を刺すように冷たかったけれども、太陽はまぶしかった。見上げれば、凛とした碧空がどこまでも続いていた。
斎場駐車場には木の葉一枚落ちていなかった。私たちが着いたときは時間が早く、まだ身内だけだったので、駐車場はがらんとしていて異様に広く感じられた。
私には、何もかもが初めてのことだったので、車を降りたときから周りの人に覚られないように、目だけを動かして周囲を観察した。入口前には、まん中に「弔」と書かれた全体に紫色がかった大きな花輪がいくつも並んでいた。にぎやかなものだと思った。
入口前で晃と私は暗黙のうちに顔を見合わせ、思わず深呼吸してから入り、まず青山家の人たちと、続いて親戚の人たちと挨拶をかわした。何しろ初体験のことなので、そんな時どういう言葉を掛けて良いのかわからなかったけれど、何やらボソボソと言ったら、済んでしまった。
義父はその日は、私たちよりも一足先に来ていたので、義父の挨拶に便乗することはできなかったのである。
「あのう、お従兄さんに会わせてもらってもいいですか?」
挨拶のあと私は、思わず晃を出し抜いてそんなことを聞いてしまった。
「ありがとう。あの人も突然のことで淋しいでしょうから、ゆっくりお別れの言葉をかけてやってくださいね。」
よほど気落ちしているのではと、気がかりだった奥さんからは、思いのほか気丈で、はっきりとした言葉が返ってきた。
そうっと斎場内をのぞいてみると、ほのかにかぐわしい香がただよって来た。私はその匂いが蚊取り線香に似ている気がしないでもないとも思ったけれど、不思議と何だか高ぶっていた気持ちが次第に落ち着いていくような気がした。
中に入ってみると重々しい感じがする参列者用の椅子が整然と並んでいた。思ったよりも広かった。列の区切りのところの椅子の背もたれに、「一般」「親戚」と書かれた札がぶらさがっていた。きっと私は、その「親戚」の中のどこかに座るのだろう。
晃のあとについて通路を進んでいくと、厳かにしつらえた祭壇の前に棺が横たえられていた。祭壇は小さなお宮のようでもあり、お寺のようでもあった。その壮麗さに圧倒された。
私はほかのものを見たことがないので、比較のしようがないのだけれども、とにかく立派だった。全体がきらきらしてまばゆかった。
お葬式というのは、もっと物理的にも暗い感じがするものとばかり思っていたので、意外な気がした。
遺影は、ちょっとはにかんだような笑顔のいつものやさしそうな従兄さんだった。中央手前に安置された白木の位牌には、むつかしい漢字がいっぱい並んでいて、最後に何とか居士位と書いてあった。
花がいっぱい飾られていた。白や黄、薄紫の菊に混じって、何種類かの品のいい、名前はわからないけれども落ち着いた感じがする花がいくつも絶妙に配されていた。下段に飾られたちょっとはなやかな印象を受けたものは、造花だったのかも知れない。
祭壇の両脇に、それらの花々のほかに「お供物」というのだろうか、くだものだの、缶詰だのが詰まった籠がいくつもお供えされていた。花々や、お供物には、達筆な文字で名札が立てられていた。
従兄さんはきっと名士だったのだろう。一、二、三、四…、数えてみると、左右ともに十本をはるかに越える名札が立っていた。どこそこ会社とか、どこそこ組合とか、どこそこ学校同窓会とかのほかに、個人名のものもたくさんあったし、中には数人の連名で小さな字がごちゃごちゃ書かれているものもあった。
義父の名前もあった。義父のは東京の叔父さんとの連名だった。例によってこの二人は脇役だったけれども、私はそれでも何やら心なしか大きな顔ができるような得意な感じがした。
私は早々(そうそう)からその仰々しさに圧倒されて、上の方ばかりに目が行ってしまったけれども、下の方の中央近くに、奇妙なものを見つけた。
何やら、時代的な感じのする、三角の形をした頭にかぶる傘のようなものと草鞋である。
「ねー、あれ、何?」
私は、声をひそめて晃に聞いた。
「何だろうな…」
晃からはそんなことを特に気に留める様子もなく、半ば上の空での返事が返ってきた。晃は、私が場内をいろいろ観察している間、それはほんの数分間のことでしかなかったけれども、その間じっと棺を見つめていたらしかった。
「ねー、お従兄さんの顔、拝ましてもらってもいいかしら。」
私が同意を求めると晃は、無言のままコクリとした。
けれども、晃は次の動作に移ることもなく相変わらずじっとしていたので、私が棺の顔の部分が見えるようになっている窓のような扉を開けさせてもらった。
従兄さんの顔は穏やかだった。亡くなる瞬間は、苦しんだらしいということを聞いたけれど、これはいつもの従兄さんの顔だと思った。少しホッとした。いくらか黄ばんだような暗い顔色をしていたけれど、死んでいる人のようには見えなかった。鼻の穴にも耳の穴にもちらりと白い脱脂綿が詰めてあるのが見えた。
私は両手を合わせてお祈りしたあと、目の前の現実を確認するかのように、右手の甲を従兄さんの右頬にそっと当ててみた。想像以上に冷たかった。ぺたっとした湿り気のある冷たい生ゴムのような感じだった。
人は死ぬとこんなふうになるのか。奇妙な現実を実感した。
振り返ってみると、肩を小刻みに震わせながら、今にもあふれ出しそうな大粒の涙を必死にこらえている晃の姿が目に入り、はっとした。
離 別
ロビーには参列者があふれ、記帳後、そこかしこで当事者とは関係なしに、お互いに挨拶をかわす人たちが多く見受けられるようになった。不意のアクシデントに寄り集まった人々の、意外なつながりから図らずも巡って来た再会に、お互いを懐かしむかのような場面さえ見受けられた。
もうすぐ告別式が始まるというアナウンスがあって、私たちは正面入口から入って右側の「親戚」の席の中ほど辺に座った。式が始まる前、神妙な面持ちをした多種多様な参列者が次第に席を埋めていく間、場内には静かな音楽が流れていた。
私はその音楽に聞き覚えがあった。
何となく懐かしい気がした。その曲はその日の場面に実にふさわしいもののように思えた。そしてその日のような深刻な場面では、本当はどうでもいいことのはずなのに、私にはそのことが妙に頭に引っかかった。
この曲を私はいつどこで聞いたのだろう、どんな場面で聞いたものだったのかしら、曲名は何…。考えれば考えるほど堂々巡って、場所柄もわきまえず私の神経を刺激した。
そんなことは、今日の式典には何の関係もないことだし、私以外の今日の参列者でこんなつまらないことに気を煩わせている人はまずいないだろう。 今日のこれからの時間は、青山の従兄さんとお別れする最後の大切なときなのだから、そんなことは忘れようと、私は奥歯にものの挟まったような割り切れない思いを、辛うじて断ち切った。
ご導師様の厳かな読経の続く中、喪主から始まって、焼香が私たちにも巡って来た。何しろ初めてのことなので、ぎこちなく前の人のまねをした。晃もほぼ私と同じだったに違いない。
茶色く、タバコをほぐしたように見えたものは、つまんでみたら固かった。右手の親指と人さし指と中指の3本で、目の前で拝むようにしてから、その香木のチップのようなものを、ちょうどトーストのパンくずのように、香炉の熾火の上にばら撒いた。
あとで和尚さんが法話の中でちょっとお話してくれたけど、焼香に限らず香というのは仏様のお食事のことで、香食というのだそうだ。だから仏様には、毎日心を込めてお線香をお供えしてあげて下さいと言っていた。
なるほど、お線香にはそういう意味があるのかと、私は納得した。
和尚さんのお話で何となく目の前が明るくなるような思いがした時、私はふっとさっきホールで流れていた曲名を思い出した。「G線上のアリア」だ。
確かバッハだったと思う。
私が数年前コンビニでバイトをしていたとき、社長の趣味で夜になるとBGMで流していたあの曲だ。社長は、この曲は胎教にもいいと言っていた。 その時、私はそんなバカな話があるものかと高をくくっていたが、案外それは本当のことなのかも知れない。私のように感受性があまり豊かとは言えない者にさえ、このような場で安らぎを与えてくれる音楽なのだから、きっと死者への鎮魂曲としてもふさわしいものなのに違いない。
その時、私は今日のつかえと長年の疑問とが一挙に解消したようなある種の爽快感を覚えた。
告別の式が終わり、一般の参列者が帰ってから、身内による本当の離別の儀式に移った。これから始まる一連の流れは、場合によっては告別式の前に行なわれることもあるらしい。
棺の中の遺体の周りには、親族によって無数の花が飾られ、娘たちからのお別れの手紙もいっしょに納められた。
花々が納められた後、「釘打ちの儀」という妙なものが始まった。それまで、青山の従兄さんの亡骸は、棺の中に納められてはいたけれども、まだフタを開ければ生前のままの容姿を拝むことができた。
しかし、今度は永遠の別れに向かって、フタも開けられないように釘を打ちつけてしまうというのである。
それは、親族の一人一人が順繰りに、棺のフタに釘を握りこぶし大の石で打ちつけるというものだった。極めて原始的にも思えるその行為は、もしかしたら、有史以前から人々によって延々と引き継がれて来た素朴な儀式なのかも知れないと私は漠然と思った。
静けさの中に、コツコツという鈍い二音が妙なリズム感をもって響いた。大きな音もあれば、小さな音もあった。厳かに間を置いて叩く人もあれば、小刻みにコンコンと手短に済ませる人もいた。
たった一人例外がいた。
私の前の男が、それまで続いていたリズミカルな音を途絶させた。彼の手から二音は響かなかった。鈍い小さな音が一つしただけだった。
晃はそうして涙を拭い、震える手に握られていた石を、息を殺しながら私に渡した。晃の目を見て私はハッとしたが、何事もなかったように、それまでの人たちによって繰り返されて来たのと同様に、ごく平均的に釘を二回叩いて次の人に石を渡した。
全員に石が回り終わると、白い手袋をした斎場の係の人が、最後は金槌で大きな音を立てて釘にトドメを刺した。家族の人たちから嗚咽が漏れた。
そっと晃の横顔をのぞくと、彼もまた悲しみに必死に堪えている様子が見てとれた。
旅立ち
ファーンというお別れのクラクションを鳴らして、霊柩車が火葬場に向けて出発した。私たちもいっしょにマイクロバスに乗って、ついて行った。
火葬場に着いて、和尚さんの読経のあと、従兄さんはとうとう窯の中に入れられてしまった。
ほんの今までは、まがりなりにも亡骸があったから、まだある程度身近な存在と意識されていたけれども、これで従兄さんは本当に遠くへ行ってしまったんだと改めて感じた。
焼かれる間、家族と親族は休憩室で軽食を摂った。不思議なことに思えるのだけれど、こんな時にもお酒が出た。
本当の家族以外の人たちにとって、青山の従兄さんの存在はもう既に、過去の人となってしまっているかのような印象を受けた。こんな席なのに必ずしも湿っぽくない。話題だって、生前の青山の従兄さんのことばかりではない。ごく普通の世間話が交わされている。時には笑い声が聞こえたりもした。
「晃はいい子だねー。」
どこかのおばさんが言った。
「夕べね、私たちが青山家で、留守番していたらね。ふいに晃が来て、おばさんたち、食べるものある?って、斎場の通夜振る舞いのご馳走を届けてくれたのよ。」
「ああ、夕べの通夜振る舞いの席で晃がな、この料理、留守番のおばさんたちに持って行ってもいいかな?って言うんで、それは構わないさ、これはみんな、青山家で準備したもんだから、そうしてやれ。これだけ雁首そろえていたって、だーれもそんなことにゃ気がつかねーもんなー。やっぱり晃じゃなくちゃいけん。おまえのいうとおりだ。おばさんたちにたくさん持って行ってやれって、俺はほめてやったんだ。」
少し離れたところで、どこかのおじさんが答えるのが聞こえた。
「本当にそうですよ。男の人って、これだけいたってだーれも裏方のことなんか考えていないんですからねー。晃だけですよ、ほんとに。」
また、さっきのおばさんが言うと、みんなが笑った。
ふーん、そんなことがあったのか、私は通夜に出ていないし、晃もそんなことは報告しないから知らなかった。
ところで、その晃は?と、目で追ってみるとどこにも姿が見当たらなかった。確か移動はみんなといっしょにしたはずなんだけれど、トイレにでも行ったのかなと思った。しかし、しばらく経っても帰ってくる様子はなかった。
私は心配になって、そうっとその場を抜け出した。
然程広くもないその施設内をぐるりと捜してみたけれど、どこにもいなかった。私は、背筋に冷水を流されたようなある種の緊張を感じた。今度は外へ出てみた。
ホッとした。晃は一人外で、ぽつんと空を見上げていた。空気は冷たかったけれど、陽の光はコロコロ音を立てるような感じで降り注いでいた。
「何しているの?」
晃は振り向いた。驚いたようだった。
「びっくりするじゃないの。一人で居なくなっちゃって…。」
「ウン…。」
「何してたの?」
「ウン、煙突の煙見てた…。」
「煙?」
「ウン、煙突の煙…、兄さん、とうとう煙になっちまったなーと、思って…。」
「…」
「さっき、和尚さんが言ってたけど、きっと兄さん、祭壇の前に飾ってあったあの草鞋を履いて、あの笠をかぶって、金剛杖を突きながら、彼岸ていう仏様のいる世界まで四十九日もかけてずっと歩いて行くんだろうな…。時々、こっちを振り返ったりもするんだろうけど、ただ黙々と歩き続けて行くんだろうな…。やっぱり未練があるよな…。」
「…大丈夫よ。青山のお従兄さんはやさしい、穏やかな人だったから、きっと天気も味方してくれて、毎日今日のような穏やかな日が続くと思うよ。そして四十九日経ったら、本当の仏様になって、みんなを見守ってくれるよ。さっき、和尚さんもそう言ってたでしょ。」
「ウン。」
「だからさ、心配しなくて大丈夫よ、ね。だから、中に入ろ。みんなのところに行こ。」
晃は、やっとかすかに微笑み、うなずいた。
銀 座
青山の従兄さんのことは、親戚の私たちにとっても大事件だったけれど、喪服を脱いだ翌日からは、もう何事もなかったかのように、普段の生活が繰り返された。
毎年冬の厳しい寒さが和らぎ、目にも心地良い光の春がめぐってくると、自然界の生き物たちと同じように、私のからだの中に巣くっている虫もなぜか蠢き出す…。なぜかこの季節になると、私は東京でショッピングがしたくなる。気象予報士流に言うなら、これも休眠打破という現象の一種なのかも知れない。
地下鉄を銀座で降り、階段を登りきって、地上に出ると太陽がまぶしい。
それまでの地下街の人工灯から陽の光のへ変化に対して、私の身体の一部である瞳孔の切替が追いつかないのだ。私にはそれが、生きている証しのような気がして、何となく心が弾む。
毎度のことながら私はここで大きく深呼吸する。
左に目を転じれば、晴海通りという大きな道路が東西に走っている。何車線もある広い道路には、相変わらず車がびっしり詰まっていて騒々しい。でもそれすらも、私には銀座を象徴するBGMのように聞こえて心地良い。そして正面に向かい、上を見上げてみれば、銀座のランドマークともいえるエキゾチックな時計塔の時計の針が十時を指している。開店の時間だ。
左後ろを振り向きさえすれば、すぐそこに私の目ざすデパートがある。
でも、それではあまりにも近過ぎて、一部しか目に入らず感動が小さくなってしまうので、いつも私はわざわざそこから有楽町の方へ数分歩いてから、改めて引き返して来る。
そうすれば、私の大好きなこのデパートの全体が遠望できる。一歩一歩近づくにつれて、視界に入る建物の像が次第に大きくなってくると、それと並行して私のモチベーションは徐々に高まるのである。
今日のお目当てはジュエリーだ。
ためらいもせずに一階のそのコーナーに入った。でもその雰囲気にはいつも圧倒されて、なかなか気の利いた言葉が出て来ない。
「あのー…。」
「おはようございます。いらっしゃいませー。」
上品な声とともに、一同礼ののち顔を上げた店員さんたちのすべての視線が一斉に私に注がれた。
開店と同時に入ったので、まだお客さんは少なかったのだ。
「あ、おはようございます。尾野さま、いつもご利用戴きまして誠にありがとうございます。」
指名したわけでもないのに、奥の方から若い男性店員が出て来てくれた。名前は覚えていないけれど、何とかという俳優に似ている。大河ドラマか何かの番組で、毛利三兄弟の小早川何とかの役をやっていたあの俳優だ。
彼が出てきてくれて何だかホッとした。
私は先方の名前を忘れてしまったけれど、向こうはほんの数回だけの、しかもまったくのその他大勢の客にしか過ぎないはずの私の名前をちゃんと覚えていてくれた。私の姓が単純なのと、いつかコンビニでバイトをしていた時にみんなから言われたように、第一印象的には私の相貌がほわっとしていて好感が持たれるといった面も、その要因としてあるのだろう。
いや、それだけではない。きっと、あの人たちはリピーターを確保しておくために、病院でいうならカルテのような資料を作っておいて、その都度チェックを入れ、それぞれの担当がある程度の情報はあらかじめ、頭にインプットしてあるのかも知れない。
来店者の個人名を呼ぶことで、当店では貴方さまのことを第一番に大切にしていますとアピールするわけだ。こっちだってやっぱり悪い気はしない。商魂と言ってしまえばそれまでだけれど、いずれにしてもすごいサービス精神だと思う。
「まだ寒さは厳しいものがありますが、大分陽射しも伸びてめっきり春らしくなってまいりましたね。ボクなんか、もうそれだけでウキウキしてしまいます。ところで尾野さま、本日は、どういったものをお求めでいらっしゃいますか?」
この店員は、私の心の底を見透かしたような話術を駆使して、さりげなく親近感を持たせてくれる。
「いえ、今日はついでがあって寄らして戴いた訳なんですけれども、フレッドをちょっと見せて戴けます?」
「フレッドでございますね。指輪でしょうか?それともネックレスでございますか?」
「そうね、ネックレスをちょっと…。」
「ネックレスでございますね…。これなんかはいかがでしょう。」
と言って、彼は数点を出して並べてくれた。
何点か、手に取ったり、付けてみたりもしたが、何かしっくり来ない。というよりもどうにも目移りがしてしまう。はっきり言って自分でもよくわからないのだ。
今日は見るだけで、またにするというような素振りを見せると、彼はまた別の品物を、今度は一品だけ出してきた。
「これは、シンプルながらも、ボリュームあるデザインで人気のあるもののひとつです…。」
私は手にとってみて尋ねた。
「素材は何というものなんですか?」
「十八金のホワイトゴールドでございます。ご覧になっておわかりかと存じますが、こちらのリングの部分には小さなダイヤが散りばめてあります…。」
なるほど、今まで見せてもらったものの中では、一番上品な感じがする。
「プリティウーマンていう映画、ご存知ですか?」
その店員さんから、今度はいきなり予想外の質問が飛んできた。
「ええ、あのジュリア・ロバーツの?」
「あ、ご覧になられましたか?」
それは結婚する前、字幕を読むのが面倒だという晃をむりやり引っ張って見に行った初めての洋モノで、思い出の映画だ。
「ええ、独身時代に…。」
「そうでしたか。あの映画の中で、そのジュリア・ロバーツが身に着けていたものが、実はこれと同じ品物なんです。」
「本当ですか…?」
でもホントかな。この店員さんは、私のウィークポイントを巧みに突いてくる。ヒット映画の中で、アメリカの有名女優が身に着けていたものと同じなんて言われたら、こっちは無理してでも欲しくなっちゃうじゃないの。
「ジュリア・ロバーツのビビアン、とってもエレガントでしたものねー…。」
映画のいくつかのシーンを思い出しながら、私は言った。ひとしきり、プリティウーマンの話題で盛り上がり、話が落ち着いた頃にはすっかりその気にさせられていた。
51万4500円也か…。FRED PARIS…。
ちょっとつぶやいてみて、私はある種の快感から、一瞬身体の震えるのがわかった。クレジットカードで高額な品物を購入してサインをする時、私はいつも決まって、性的快感にも似た興奮を覚えるのだった。
昨年秋、このデパートで私は、シーバイクロエのフォックスファーのウールのロングコートを買った。
そして、今年の秋には、ボッテガヴェネタのバッグとお財布を、ピンクのおそろいで買うことにもう決めている…。
そして、来年春には…。
参観日
「パパ、私学校でいいこと聞いちゃった。うちもこれからは、給食費払わないことにしようね…」
参観日から帰って来るなり私はまず言った。早いもので麻耶も小学校に上がって半年が過ぎた。
ずいぶんと久し振りの学校だった。下駄箱も…今もそう言うのか知らないけれど、机も椅子も、そして教室さえも全体として小さくかわいい感じがした。何年ぶりだろう。高校を卒業してから、学校というものにはまったく縁がなかったからそれ以来ということになる。そして私の記憶に残っている学校というのは高校のことだから、小学一年生が入っている教室がかわいく見えたのも当然と言えた。
廊下に貼り出されている絵も習字も何となく懐かしかった。いかにも小学校という感じがした。そしてこれはいつの時代でも共通のことなのだろうけれども、うまい子の親は鼻が高いだろうが、へたな子の親は何とも複雑な気持になるに違いないと思った。
私は、大急ぎで機械のように目を動かし、麻耶の作品を追った。
期待はしていなかったけれど、やはり私も親バカのひとりで、もしやの気持もあったから、その結果に正直がっかりもし、同時にまた納得もした。
まあ、何と特徴のない作品なのだろう。特別ヘタでもないけれど、お世辞にもうまいとは言えない。まったく目立たない絵と習字だった。
教室に入ると、たくさんのお母さんたちが並んでいた。するどい視線が錯綜しているように感じられた。ほとんどの親の目が自分の子供にだけ向けられているような気がした。
前の方に出張っている親たちには特にそんな感じが強かった。たぶんその目には、よその子供たちのことはまったくといってよいほど入っていなかったことだろう。よく運動会かなんかで自分の子供を撮りたい一心のあまり、他人の迷惑などいっさい省みないで、顰蹙を買う人のことがモラルの問題として話題になったりするけど、きっと今日のお母さん達の目は、本質的にはそれと同じに違いないと私は思った。
先生は、麻耶が言っていたとおりのやさしそうな若い男の先生だった。
一年坊の子供たちは、お母さんたちがたくさん来ているので、殊更張り切っているようだった。ニコニコして後ろを振り返り、自分のママの方に手を振るお調子者もいた。何人かのお母さんたちがどっと笑った。
先生もつっかえ棒が取れたのか、こわばっていた表情がほころんだように見えた。
にぎやかな授業が終って、懇談会になった。
化粧も衣装も飛びぬけて派手で、誰が見ても一番際立っていると思うに違いないという感じのお母さんが、先生の挨拶もそこそこに、まず言った。
「先生、何でうちの子を指してくれないんです?うちの俊樹ちゃんは、今日のために、夕べは遅くまで、一生懸命勉強したんですよ。先生は、その努力を認めようとしてはくれないんですか?」
そのお母さんは、今日の授業で真っ先に手を挙げて発言しようとした自分の息子をなぜ指名してくれなかったのかと先生に迫ったのである。
「いえ、俊樹君もそうですけど、ほかのみんなも同じように一生懸命なんです。それに俊樹君に真っ先に発言されると、それでその時の問題が終ってしまうんです…。」
「先生、それはどういう意味です?うちの俊樹ちゃんを当てると何か問題があるとでもいうんですの?」
見た目もきついけれども、語気もかなりきつい感じの人だった。私だけでなく、他のお母さん達も皆唖然としていた。先生の顔も次第にこわばって来た。
「いえ、決してそういう意味ではございません。俊樹君は聡明で理解力が早いので、俊樹君に一番に発言させてしまうと、みんなに問題を与えてそれぞれみんなで考えようとしていることの答えが、すぐに出てしまって、本当の勉強にならないんですよ…。」
要は、優秀な子を真っ先に当ててしまうと、クラス全体に課題を与えてみんなであれこれ考えて答えを導き出そうとする勉強の流れが、プロセスを経ずにいきなり結論に至ってしまうため、学習にならないと先生は言うのだった。
「あら、そういうことでしたの…。」
先生のこのことばは、件のお母さんのプライドをくすぐった。
小鼻をぷくっとふくらめたかのように見えたかと思うと、その人の象徴のような眼鏡のフレームにちょっと右手を当てて、得意気に周囲を睥睨するかのようなしぐさをした。
これで、一段落したと思いきや、今度は真っ先に指名された子のお母さんの方が黙っていなかった。
「あら先生、それじゃ、うちの子はできが悪いから当てられたというわけなんですか?」
先生の説明では、そういう意味にも取られかねない。第一関門をクリアできたと息つくまもなく、第二の矢を射られて、若い先生はたじたじだった。
それにひきかえ我家の娘はといえば、答えがわかっているんだかわかっていないんだか、まったく手を挙げる様子もなく、親の参観日なのにもかかわらず、他家様におじゃましたお客様然としてまったく存在感がなかった。
そんなふうだったから、別段私にはどっちのお母さんの言い分も関係なかった。
私の子供時代もそうだった。いつも存在感がなく、普段の授業でも、参観日でも積極的に挙手することなどまずあり得なかった。いつもその他大勢のお客さんのひとりだった。
それに、私の親、私には母しかいなかったけれども、母は忙しくて参観日に来てくれたことなど一度もなかったから、参観日といえども私には、特別の日ではなく、まったくの他人事にしか感じられなかった。
だけど、麻耶は違う。母親の私が見に来ているにもかかわらず、そのことに応えようとする様子は全然見えなかった。少しがっかりはしたものの、これもDNAゆえなのだろうとある意味納得した。
そのうちに、給食のことが話題になった。
「先生、学校では今でもまだ、給食を食べる前に、号令で一斉に『いただきます』というのやってるんですか?」
今度は別のやはり気の強そうな、でっぷりとしてアゴが二重にくびれている、見るからに鼻息の荒そうなお母さんが発言した。
「はい、給食の時間には、一週間ごとに回る班の給食当番が配膳をして、日直の号令で、教師の私たちもいっしょに、いただきますを言って食べますが、それが何か?」
先生は、怪訝そうな顔をして逆に尋ねた。
「それって、変じゃないですか?我家じゃ、毎月キチッキチッと給食費を納めているんですからね。何もうちの子は、その日直の子や先生に食べさせてもらっているわけじゃないんですよ。それなのに、その子の号令でいただきますを言わされてから、自分のものを食べるなんて理屈にあいません。そんなことをしたら、他人様に恵んでもらっているようで子供が卑屈になります。」
「いえ、そういう意味では決してございません。給食は単に食事という位置づけだけではなく、教育の一環として、当然皆様のご家庭でもなされておられることでしょうけれども、躾とかの意味も含めて、みんなでいっしょに『いただきます』『ごちそうさまでした』の挨拶をして食べています。それに、日直の号令で一斉にということですけれども、日直も給食当番も順番にみんなが受け持つので、誰々一人の号令でということには当りません。この教室の子たちはみんな平等です。」
「いいえ、躾は、自宅でします。みなさんもそうでしょ。」
といって、その女性は巨体を揺すらせて、私たちの方をぐるっと振り返った。そして続けた。
「自宅では親が働いて稼ぎ、母親の私が食事を作りますから当然、家での食事のときには親に対して『いただきます』『ごちそうさまでした』を言わせるんです。ごはんを食べさせてくれる親に感謝する。それは当然のことです。それが躾なんです。それを学校ではなんですか。えらそうに。そもそも、小学校は義務教育なんですからね、給食費は只ってことにしたらどうですか?税金で負担すべきですよ。それなら、いただきますの一斉挨拶も理屈に合うってことになりますでしょ。」
予想もしなかった意見に出くわしてしまったのだろう、先生は二の句が継げず、顔面は蒼白となっていた。気まずい沈黙が一瞬流れたのち、
「あのー、それってちょっと違うんじゃありませんか?」
という静かな声が上がった。声の主は小柄で地味な感じのお母さんだった。
「いただきますっていうのは、単に親に感謝するとかの意味だけではなくて、今日も無事にごはんをいただくことができるということに感謝することなのではないでしょうか。世界中には、今でもその日その日の食事さえまともにとれない人々もたくさんいると見聞きします。現に私たちは、食卓にごちそうが並ぶまでに至った代々の生命をいただいているわけですから、当然そのことにも感謝するということなんではないでしょうか?
我家では私が食事の用意はしますが、そういう意味合から、自然や諸々のおかげさまで生きていくことができるということに感謝して、家族みんなでいただきますを言ってから食事をしていますが…。」
やさしい声音に救われて、先生の顔に赤みが差した。おどおどしていた眼にも輝きが戻ったように見えた。
「私も今の方のご意見に賛成です。理科的に言えば、食物連鎖の頂点に人間が位置しているということになるのでしょうか。魚でいうなら、プランクトンを小さな魚が食べて、次にその魚を大きな魚が食べ、それを人間が食べる。草や穀物を牛やブタが食べてその肉を人間が食べる。家畜の排泄物や草を堆肥にして、それを栄養にして育った野菜や果物などの植物をまた人間が食べる。
いいえ、人間でさえも…、今の時代にはそぐわなくなってしまったかも知れませんが、人間でさえも自然に返れば、そこからいつしか草が芽生え、小さな虫たちがそれを食べ、その虫たちを鳥たちが食べるという連鎖を繰り返します。要するに、人間だけでなく、また動物、植物に限らず、この世に生きているものはすべて、そこに至るまでの代々の命をいただいて、今を生きているということになるのではないでしょうか。」
さすが、先生、難しい話をわかりやすく説明してくれた。先生と同意見だった小柄なお母さんを初め、大半の親御さんたちもうなずいていた。
中でも最も感心したような表情でうなずいていた一人のお母さんが言った。
「命をいただくということももちろんそうですが、それだけでなく、私たちが手にするまでの生産にたずさわった人たちすべてに感謝するという意味合もあるんじゃないでしょうか?お百姓さん、漁師さん、工場関係の方々、そして単に生産ラインだけでなく流通関係の方々も含めて、すべての人々のおかげで私たちはモノを手に入れることができるわけです。
例えばお米ですが、俗に八十八回手を加えるから『米』という漢字を書くんだという話も聞きますが、お米に限らず私たちが手にするものはすべて無数の人々の手を経て来ているということになりやしませんか?」
すると、今度は黒一点とおぼしきお父さんが続けた。
「だから、日本には昔から八百万の神々が祀られていたんでしょうね。自然の恵みには最高に感謝したでしょうし、同時にその裏返しの自然の猛威には恐れを抱き、畏怖したことでしょう。昔の人は、日頃自分たちが世話になっているものには、すべて感謝の念を捧げたと聞きます。子供の頃、祖母がよく、便所にも台所にも井戸にだって神様はいるんだよと言っていました。暮れになると正月を迎えるために、祖父が藁でお飾りを作って、これは何々神様、これは何々神様と言って、いろんなところに祀っていましたよ。」
「おかげさまって、いいことばですよね…。」
誰かが言った。
「何かの本に書いてありましたが、私たちはご先祖様をはじめ諸々のおかげさまで今を生かしてもらっている。そして日々周囲の皆様のお世話になることによって毎日を暮らしている。そして、ちっぽけな自分でも何かの拍子に誰かに感謝されることがまったくないわけでもない、そんな時にはお互い様ですからと思うと。この三つの気持を合わせて唱えると『おかげさま、お互いさまに、お世話さま』という俳句になるんだそうです。」
また、みんながうなずいた。
そう、おかげさまって本当にすばらしい言葉だ。
そして、お互いさまも、それに負けないくらいいい言葉だ。いつだったかクレーマーの話が我家で話題になった時、人が生きるには何でもお互い様なんだよなって、晃がしみじみ言っていたことをふと思い出した。
今日は、やはり学校の参観日だ。いい話を聞かせてもらったと感慨にふけっていたところに、鼻息の荒い件のお母さんが、大きい顔を更に紅潮させて異論を唱えた。
「牛やブタに感謝するなんて話がどこにありますか。家畜は家畜として食べられるために、生まれてきているに決まっているじゃないですか。野蛮なお隣のような国ならともかく、可愛い犬を食べるなんて人がいますか?家畜には家畜としての、そしてペットにはペットとしての本分があるんです。
我家では、犬はペットというよりもむしろ家族同然と思っています。食事もちゃんといただきますをさせてから、みんなといっしょにしていますよ。当然家族の一員ですから、みんなでそうすることによって、子供の躾もちゃんとできると思っています。
ですから先生、何度も言うようですが、我家の子にはこれからは、給食の時間にいただきますなんて絶対言わせないで下さい。今後も、そんな理不尽を押し付けるようなことがあれば、給食費はもう払いませんからね。」
合理的屁理屈
参観日に行っても私は私、そして麻耶の母親、子供時代と同じように一言も発言する機会を持たなかった。
親となっても学校では、やはりその他大勢に過ぎなかった。ただ、いろいろな人たちの話を聞いて来た。やっぱり、学校だ。有意義な話をたくさん聞かせてもらった。
中でも私にとって秀逸だったのは、あのブルドッグのような鼻息の荒いお母さんの「学校で『いただきます』を言わせるなら、給食費は払わない。いただきますを言わせるんなら、学校で給食費を負担すべきだ。小学校は義務教育なのだから、それが当然ではないか。」との理屈付けである。
私は必ずしも、あのブルおばさんに同調するつもりはないけれど、給食費不払いの理屈付けをしているところがすごい。あの人は、給食費をただ滞納するというのではない。学校が理不尽だから払わないと言っているのだ。
給食費を払わなくたって、子供にはきっと、給食は食べさせてくれるに違いない。仮に、親が給食費を滞納したからといって、小学校一年生に給食を食べさせないなんてことはまずあり得ない。
教育上そんな差別が許されるはずもない。あのブルさんは、そこまで当然読んでいるのだろう。
もし、そんなことをした日には、教育委員会をも巻き込んだとんでもない騒動が起きるに違いない。あの人ならやりかねないと思った。
ただ滞納しているだけなら、督促や催告を受けた場合、本来払うべきものなのだから応じなければ心苦しいものがある。しかし、質がとってあれば、大いばりなものだ。世間の常識から外れていようがいまいが、理屈付けが通るなら、それに便乗する方が得策だと私は思った。払わなくて済んでしまうものなら、誰が好きこのんで払ったりするものか。
麻耶の学校にだって、給食費を払わない親が少なからずいると聞く。その人たちが漫然と見過ごされているのに、なにも我家でバカ正直に払うこともない。
学校から帰って、晃にこのことを話すと当然のように彼は、
「エッ?」
というような顔をした。
「アッコ、麻耶は学校で毎日給食食わせてもらってんだぞ。その代金を払わないなんておかしいよ。」
「だって、学校に給食食べさせてくださいって、我家で頼んだわけでもないし、小学校は義務教育でしょ。給食費なんて、当然学校、そう税金で負担すべきものよ。今の時代に親に負担させるってことの方がおかしいのよ。それでなくったって、今の日本は何かにつけ、少子化で困っているわけでしょ。」
「仮にそうだとしたって、麻耶がもし、自分の給食費が払われてないなんて知ったら、かわいそうじゃないか?」
「それは絶対大丈夫。学校で小学校一年生の本人にそんなこと訴えるわけないでしょ。給食費を払わなくたって、給食は必ず食べさせてくれるの。麻耶ちゃんは、給食費が払われていませんからこれからは給食は食べられません、なんてやった日には、人権問題としてとんだ騒ぎになってしまうでしょ。だから、学校は絶対にそんな危険なことはしないのよ。」
「だからって、実際食べさせてもらってるのに、その給食費を払わないってのは、絶対おかしい。」
「我家は、今まで正直にちゃんと支払って来たけど、麻耶の学校には、本当は払えるのに何だかんだ言って、給食費を払ってない人がいっぱいいるのよ。その中にはすごい車に乗っているお金持ちだっているって話よ。」
「そんなの理由にならないよ。何度も言ってるだろ。給食は食ってるんだから払うのが当たり前!」
「そんなお金持ちが払ってないのに、何で我家が払わなくちゃいけないの?」
理屈も何もなかった。私だって、娘が食べている給食費を払わなければいけないことくらい百も承知している。ただ、支払わずに済むならばそれに越したことはないと思っているだけなのだ。
晃に同意してもらえれば、私のそんな気持もいくらか楽になるかと思っていたけれど、まじめだけが取り柄のあの男に、こんな相談を持ちかけたことがそもそも間違いだった。
しかし、だからと言って、晃にあのブルおばさんの「いただきます不要論」を訴えてまで、説き伏せるつもりはなかった。
どうせ家計のやり繰りは、これまでもずっと私がして来たんだし、給食費を支払おうが支払うまいが晃の知ったことではない。結局は私の裁量でやりさえすればいいのだ。
「そう、わかりました。やっぱり食べさせてもらってんだから、払うべきものは払わなくちゃね。麻耶の給食費だもんね…。」
(第五章(最終章)へ続く)