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夢のために

夢のために


博多区石城町。

川が流れている。

千鳥橋の、その袂。


午前6時。

日雇い達が何処からともなく集まってきた。

6時半。

数台の小型バスが東から、そして西からとやってきた。

手配師と呼ばれる連中の車だ。今なら人材斡旋業と呼ぶのだろうか・・・日雇い労働者を束ねて建築現場へ連れて行き、放り込む。仕事が終わったら日当を直接手渡す。

上前を撥ねる。


殆どの日雇いは、己の足を喰らう蛸の様に、身を削ったお金で安い焼酎を煽り、疲れと欲望を紛らわす。

肉体的にキツイ作業が多いために毎日は働かない。

一日働いて、酒と競艇で散財し、金が無くなったら働く。


漁師も似ている部分がある。気が向いた時にだけ漁に出る。そんな漁師もいる。何の保障もない。代わりに束縛もされない。

ただ、絶対的に違うもの。それは畏敬の念と感謝の気持ち。生前、祖父が良く言っていた言葉がある。


「漁師は誰にも頭ば下げんで良かけんなぁ!ばってん、恵比寿様えべっさんは崇めにゃいかんとぞ」


祖父が魚を釣る時の口癖・・・「えべっさん!」・・・そう言いながら仕掛けを海へ放り込む。当然、僕も真似た。「えべっさん!」


海と・・・空と・・・風と・・・太陽が相手。

自然に感謝し、また畏れる。糧を得る喜び。それを家族と分かち合う幸せ。

己の力を信じ、胸を張って挑める仕事だ。

未来も何もない、今日を生きていく為に働くのとは雲泥の差だ。


散らばっていた三十人程の日雇い達が小型バスに群がってきた。 小型バスから降りてきた手配師が、手に持ったメモ紙を見ながら大声で読み上げた。


「南区、井尻!建築現場、六名!日当、六千円!」


 僕はすかさず手を上げて歩み寄った。


「乗って!」


同じように五人が手を挙げ、ダラダラと乗り込んでいく。

ニッカボッカに地下足袋。洗い晒しのタオルを頭に巻いた典型的な日雇い労働者。僕も同化した。

僕は運転席の真後ろに座った。

男達が乗り込んでくる。

年齢は様々だが僕のような十代は一人もいなかった。


三十分ほどで現場に着く。

作業場が振り分けられる。

手だれた連中は少しでも楽な仕事に在りつく。

建築現場での仕事は雑多だ。

今のように機械化されていない現場は、僕達のような日雇いが雑作業をこなす。


一日中、鉄筋を運ぶ。

一日中、スコップを大地に突き刺す。

一日中、モルタルを捏ねる。

一日中、ネコ(一輪車)で砂利を運ぶ。

一日中、・・・・・。


夏はヘルメットの中がスチームオーブンのようになり、脳みそが沸騰しそうだ。汗が、これでもかという程に吹き上がって、頬を、鼻筋を、首筋を伝い、滴となって地面に落ちていく。

汗は次第に濃度を増し、額を伝って目に入る。

痛みで涙が出る。

汗臭くなったタオルで顔を拭う。


ヘルメットを少しだけ上げ、空気を送り込む。

機能する事を止めかけた脳みそが甦生する。


僕は空を見上げた。

入道雲。

崎戸島の海と空を想った。


両親には嘘をついた。

同級生の叔父が経営するレストラン。そこは住宅街にある食堂だった。

福岡に着くと同級生の川村が博多駅まで迎えに来てくれた。

一ヶ月だけ寝床を借りる事になっていた。

その間、出前の手伝いをする約束だった。

僕は約束を果し、食と住を確保した。

一ヵ月後、住む所も見つかり、そこを出た。

川村の叔父が「がんばれよ」と言って三万円くれた。

何よりも有難かった。



雲を見ていると、情けなくも涙が溢れてきた。

己の心の弱さを呪いながら唇を噛み締めると、顔を拭って作業に戻る。


作業服は汗で体に張り付き、埃が付着してゴワゴワになる。

首筋が擦れてヒリヒリする。

体は自由を奪われ、更に体力を消耗する。

休憩時間以外は、水を飲む事さえ許可されなかった。


五時、作業が終わる。

手配師が迎えに来るまで現場の仮設事務所で待つ。

水が入った薬缶と日本酒が2升、簡易テーブルの上に置いてあった。

皆、薬缶には目もくれず、競う様に一升瓶を掴む。

トクトクと湯飲みに注ぎ、零さないように口から近づけ、幸せそうに飲み干す。


「兄ちゃんも、呑まんかい!」


四十代だろうか・・小柄だがガッチリした体躯の男が、僕に湯飲みを差し出した。分厚くゴツゴツした手がこの仕事のキャリアを物語っていた。

真っ赤に日焼けした顔。広い額に土埃が張り付いていた。よく見る顔だ。

僕は、湯飲みを受け取ると、日本酒をなみなみと注いで一気に飲み干した。

カラカラになった喉を日本酒が通り抜けていく。

甘くて・・・旨い!と思った。


「ほれ、もう一杯、呑めさ」


今度は男が注いでくれた。


「ありがとうございます」

「兄ちゃん、最近、良ぉ見るばってん、どっから流れて来たんな?」

「流れて?」

「おう!・・若かけど、素人じゃなかろうが・・・」

「ええ・・・ちょっと他で・・・・・日当が良いって聞いたもので」

「金な・・・ばって、若かとになぁ・・・まぁ、たまに休まんと体がダメんなるぞ」

「はい。ありがとうございます」

「うんうん・・・あと、怪我・・・せんごとな。一銭も出らんぞ」


クラクションの音。

手配師のミニバスがやってきた。

運転席の後ろに乗り込む。

車の中が汗と酒とタバコの匂いで充満した。


須崎町の問屋街。

倉庫の二階に部屋を借りていた。

六帖一間。小さな流しがあるだけだ。壁はベニヤ板張りで、小さな窓がひとつ。トイレと洗面は共同。勿論、風呂などついていない。ビルの間にあるため一年中、光は射さない。だが、家賃は八千円と格安だった。

部屋は四つ。 住人は魚市場に勤める兄さん。中洲のスナック嬢。印刷工、そして僕。 住めば都だ。


アパートの前の「食堂ひろ」で胃袋を満たしてから銭湯へ行く。

風呂から戻り、タバコを吸いながらスケッチブックに落書きをする。

落書きしながら同級生の事を想った。

今頃、みんなどうしてるだろうか。クラスメイトの顔が次々にスライドしていく。


美也子の事を想った。クラスが一緒になった事は無かった。小柄で可愛い子だった。漆黒の瞳。マッチ棒が乗りそうな睫毛。細くてしなやかな長い髪。ふっくらとした唇。小さな手。細い指。桜貝のような爪。白い肌。そして・・・・・柔らかい乳房。


彼女は叔母を頼って大阪に行った。縫製工場で働くという。

美也子を佐世保駅で見送った時、胸に飛び込んで来て泣かれた。

「大阪に遊びに着てね」と言われたが「行くよ」とは言わなかった。

僕の初恋はその時に終わった。



落書きをしているうちに眠くなる。


朝五時に起きて、千鳥橋へ歩いて向かう。朝食は摂らない。


雨が降れば眠り続ける。 夕方に起きて、インスタントラーメンを食べながら母と妹に葉書を書く。


そんな日が一年続いた。



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