青空の向こう
青空の向こう
祖父が死んだ。
脳卒中だった。
春の穏やかな日だった。
自宅葬。
僕は大声で泣いた。狂ったように泣いた。慟哭というのだろうか・・・。
僕が余りにも泣くものだから、自分が泣けなかったと母が後で漏らした。
誰よりも尊敬していた祖父がもう居ない。
四九日を終え、僕は墓石の前に立っていた。
悩んでいた。
自分の道が見えなくて悩んでいた。
主席で高校に入った僕は、勝手に国立・進学コースに振り分けられ、代議員に指名された。勉強するのは嫌いではなかったが、身が入らなかった。
陸上部からサッカー部に籍を替え、ボールを追いかけても熱中できなかった。ただ、日課の素振りだけは欠かしたことが無い。
自分の進むべき道を相談しようとした矢先の、祖父の他界だった。
周囲の誰もが、僕は大学に進学するものと思っている。
悩んでも、悩んでも振り出しに戻るだけだった。
三年なんて悩んでいるうちに過ぎてしまいそうだった。
二年生の春。異常な腰の痛みを覚えた。酷くなるまで我慢していたが、とうとう歩くのもやっと、というところまで悪化した。
佐世保の市民病院で検査を受けた。
重度の椎間板ヘルニア。
手術が最短の道だが、手術したからと言って完治の保障は出来ないと言われ、通院を選んだ。
週三回。脊椎への痛み止めの注射。電気治療、機械による牽引治療。
学校に行けない僕は、授業からどんどん遅れていく。
担任の先生が、僕のために特別授業を組んでくれたが、それでも間に合わなかった。
何よりも出席日数が足らなくなった。
間もなく夏休みに入ろうとした時、病院の帰りにアーケード側の公園に立ち寄った。
博物館が隣接していて、その中に吸い込まれるように入った。ポスターが目に留まった。
・・・・・「美大受験ためのデッサン教室」・・・・・
僕は迷わず受付に問い合わせて受講を申し込んだ。
お金が足らなかったが、後日でいいからと言われ、申込用紙だけ書いた。
帰りのフェリー。
デッキで遠くを見ていた。
博物館に入った時に、自分が見えた気がした。
やりたい事が判った気がした。
医大の次にお金が掛かる美大なんて、とうてい行けない。
「行かせてくれ」なんて言えない。
働いて・・・金を貯めて・・・いつか、アメリカに・・・ニューヨークに渡ろう。
そう自分に誓った。
夏の空。
あの日と同じだった。
祖父が僕の通知簿を見て褒めてくれた。
あの日と同じだ。
潮風が気持ちよかった。
心が晴れ晴れとしていた。
突然、トビウオが飛んだ。フェリーと並走して飛び続けている。
夏の太陽に照らされ、その透明な翼が煌いていた。
美しいと思った。
デッキから身を乗り出した瞬間、トビウオは青い海へ飛び込んだ。
目線を再び遥か彼方へと向けた。
聳え立つ、彼方の動かない入道雲。
青空の向こうに、祖父の笑顔が見えた。