汚された勲章
汚された勲章
僕はその日も走っていた。
重いランドセルから教科書が飛び出しそうだ。
胸に一枚の紙切れを抱いていた。
家に飛び込んだ。
「母さん!母さんっ・・・いるっ!」
「おるよ~・・・どげんしたとね?」
「はい!・・・これ!」
僕は母に紙切れを差し出した。
母はそれをまじまじと見つめながら微笑んだ。
僕はじれったかった。母はいつでもそうなのだが、感情の抑揚が極めて緩やかで、ワンテンポもツーテンポも遅れる。母が慌てふためいたところを見たことが無い。やはり、祖父に似たのだろうか・・・。
「そうね・・・そうね・・・金賞ば取ったとね。すごかね~。そうね~~。」
「うん」
「はよう、じいちゃんにも見せに行ってこんね」
「うん!」
絵画コンクール金賞。
長崎県展の一環として公募された絵画コンクール。全校生徒が出品していた。そのコンクールで金賞を獲った。朝礼で表彰された。お立ち台にあがり、授賞式があった。
副賞は初めて見る色鉛筆のセット。そして、男の子には堪らないウルトラセブンのスケッチブックだった。
僕は納屋へと走り、祖父に報告した。祖父が喜んでくれた事は言うまでもない。
我が家は天才画家の誕生に色めき立った。
僕は小学校でもヒーローになった。
家族で展覧会を見に行くことになり、長崎へ向かった。
両親と僕。そして、四歳年上の兄と祖父の五人。双子の妹はまだ保育園児だったので祖母が預かることになった。
当時、長崎市内まで行くには半日を要した。
まず、船で隣の島へ渡り、バスで蛎の浦というとこまで行く。四〇分程だったと思う。そこからフェリーに乗る。一日に一便しかない(なかったと思う)。二時間かけて佐世保に到着。そこから、バスか列車で長崎まで行くのだ。
街に出るのは久しぶりだ。それだけで興奮して鼻血を出し、皆に笑われた。見るもの全てが新鮮で目眩がしそうだった。
最悪だったのが、僕が船以外の乗り物に弱い事だった。まず、バスの中で吐いた。フェリーでは復活し、甲板を走り回って親を困らせた。列車では「トラベルミン」という酔い止めの薬を通常の2倍飲まされ、無理やり眠らされた。野生動物の移送のようだ。
長崎市内。出島の側に県立の美術館がある。どのブースで開催されたのか、記憶から消え去っているが、その展覧会は開催されていた。
「金賞」題名:アラカブ(水彩画) なまえ:梅雨川一(崎戸小学校5年生)(※アラカブとはカサゴ科の魚の名前)
家族はその絵の前に立った。名前の下には金色の短冊が貼られてあった。皆、嬉しそうだった。だが、僕は言葉を無くして立ち竦んだ。
金賞と書かれた・・・梅雨川一と書かれた・・・崎戸小学校五年生と書かれた、その絵は、僕の「アラカブ」ではなかった。
誰かが加筆した絵だった。
「違う!」という言葉を、喜ぶ家族を尻目に飲み込んだ。
それは家族への配慮というものではなく、怖くなったからだった。
恥ずかしかった。死ぬほど恥ずかしくて死にたくなった。そして、物凄い恐怖感に襲われた。体中が震えた。喉が渇いて焼けるようだった。必死で涙を堪えた。
皆が祝福してくれる。美術館の学芸員達も寄ってきて僕の頭を撫でた。
ただ一人、僕だけが地獄へ突き落とされた気がした。
後日、担任の先生から呼ばれて事実を知った。先生は油絵の心得があった。
その時の言葉は今でも忘れない。
「手を加えたら何とかなると思ったんでね・・・先生が描き足したよ。誰にも言うなよ」
担任の先生は笑いながらそう言い放った。僕は口を噤んだ。それしか無かった。
この日を境に僕は絵を描かなくなった。
中学に入り美術の先生に見初められたが、それでも頑なに筆は握らなかった。
僕が再び筆を握るのは、悪夢の日から七年後だ。
「アラカブ」は海岸で燃やした。だが、表彰状は今でも実家の仏間に掛けられている。