激動の時代
激動の時代
僕は機嫌が悪い。
何日も口をきかなかった。
僕が口をきかない理由は、祖父から母へ報告済みで、親からは放っておかれた。
父は隣の島にある町役場に務めていた。役場が休みの時だけ漁を手伝う。(因みに話題の祖父は母の父親。父方の祖父は軍人で太平洋戦争で戦死している)
父は夕刻、帰宅すると何やら僕の事を母と話していたが、最後には鼻で笑うだけだった。
僕の最大級の抗議は何の効果も出せず、見事に砕け散った。
口をきかなくても漁にはついて行った。
祖父はいつもの祖父だった。寡黙だが笑顔を絶やさない。漁のイロハを伝授してくれた。
「漁師は継がせない」・・・そう言われた事が嘘のようで、網の繕い方、時化たときの対処、大きな波を超えるときの舵のとり方・・・僕の体が少しずつ大きくなるにしたがって、教科が肉体的な事へと変わっていった。
僕は少しだけ大きくなった。
十歳。街に、島に・・・未曾有の大波乱が起きた。炭鉱が閉山したのだ。
僕が住む島は漁業を生業にする者が多かったが、隣の島の住人は何かにつけて炭鉱に関わって暮らしていた。炭鉱の閉山で殆どの人が職を無くした。
地元には産業と呼べるものが少ない。幸いにも日本は高度成長期を迎えていた。仕事はいくらでもあった。漁師という、きつくて、保障の無い仕事には誰も振り向かずに島を捨てた。勿論、断腸の想いだったという事は解っている。
炭鉱側から斡旋された職場は、その殆どが関西、東海、関東に集中しており、親戚の殆どが関西へ新天地を求めた。僕の家族と祖父母だけが島に残った。
昭和四十三年・・・日本一の人口密度を誇った崎戸町は凄まじい速さで過疎の町へと変貌を遂げた。四つあった小学校は1つに統合。百年を超える歴史を持った島の小学校はその歴史を閉じた。
炭鉱閉山、小学校の合併。これを機に僕は船から降ろされた。朝の漁に行かせてもらえなくなったのだ。
父親の「命令」だった。
理由は一つ・・・「勉強しろ」
「してる!」喉まで出かけて、飲み込んだ。
そう言われる事は判っていた。だから勉強はちゃんとやっていた。本を船に持ち込み、漁場への行き帰りに読んでいた。だから僕の教科書は魚の鱗や何やらで、魚臭かった。祖父だけがそれを知っていた。
僕は再び無言の抗議に出た。だが、これも無駄な抵抗と終わる。
季節は夏。
何処までも蒼い海と空。
聳え立って動かない彼方の入道雲。
車も走っていなから騒音も無い。
島に蝉時雨。
夏を謳歌するセミの鳴き声だけが、島中に響き渡っていた。
あすから夏休みだ。
宿題さえやれば漁に連れて行って貰える事になっていた。
祖父はいつも納屋で漁具の繕いをしている。
学校から帰って覗いてみた。家は後回しだ。
「じいちゃん!」
「おおっ!・・・はじめか。学校は終わったか。勉強はどげんや!?」
「うん。しよるよ」
「そうか・・・お前は頭ん良かし、絵も上手かけんなぁ・・・通信簿は、もろうて来たか?」
「うん」
「どら・・・見せろ」
僕はランドセルを開けて通信簿を祖父に渡した。
「ほう・・・全部5か・・・」
「違うよ・・・3・・・音楽が3・・・全然、分からん!」
「よかよか・・・他が全部5やけん・・・良か!」
「うん」
「船にイセエビが入っとるけん、持って行け」
「うん!」
「一番大きかとから持っていけよ!」
「うんっ!」
小さい方からではないのか?・・・・いやいや、理由がある。イセエビ漁の解禁はもう少しだけ先だ。だが捕れたものは七福神・恵比寿様のご慈悲である。活かしておいて食べるのである。 市場には出せない。
伝馬船に飛び乗って船底の戸板を開いた。凝縮した潮の香りが鼻腔を刺激する。フナムシがいたので指で弾き飛ばした。弾き飛ばされたフナムシは海に落ちたが、こっち向かって泳いで来る。どうせまた上がってきて伝馬船で暮らすのだろう。放っておいた。
光を遮った生けすには十匹ほどのイセエビが静かに蠢いていた。僕は最大級のイセエビと格闘した。生けすから掴み出されたイセエビは「ギイッ!・・・ギィ!」と鳴きながら暴れる。落としたら大変だ。
二匹のイセエビを素早く網袋に移して口を絞めた。
船から慎重に飛び降りると、家へ一目散に走る。ランドセルに用はない。
今日も聞こえる、島のおばさん達の声援。
「はじめ~~!今日はごちそうやなぁ!・・・ほらっ!もっと早く走れんとかぁ~~!」